【リオ五輪】フェンシング太田雄貴フルーレ個人金メダルなるか?不屈のメンタルを持つ東京五輪招致の立役者が挑む!

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リオオリンピックでメダル獲得が期待されるフェンシング男子フルーレ個人は8月7日から競技が開始されます。

日本からは北京オリンピックの男子フルーレ個人銀メダリストの太田雄貴選手が出場。

悲願の金メダルを目指して激闘の幕を開けます。

フルーレのルール等につきましては、こちらの記事もご参考になさって下さい。

フェンシングのルール攻撃権とは?テレビ観戦用 太田雄貴出場種目フルーレの試合システムなどについての説明

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太田雄貴のプロフィール

生年月日:1985年(昭和60年)11月25日生まれの30歳
身  長:171cm
出  身:滋賀県大津市比叡平
所  属:森永製菓
出身大学:同志社大学
愛  車:アウディS3
利き腕 :右利き

太田雄貴の凄さ➀ フェンシングの日本での知名度を急速に広めたパイオニア

フェンシングといえば、ここ日本では数年前まで競技者以外はほとんど馴染みの無いものであったと思います。

実はわたしの認識も、ヨーロッパの貴族がやってたお面被ってサーベルで突くやつでしょ?って程度の物でした(すみません汗)。

ところが、そんな日本ではマイナースポーツであったフェンシングが一躍国内で注目されるきっかけとなったのが2008年の北京オリンピックです。

当時22歳の無名(フェンシング界では超有名選手でしたが)の若者、太田雄貴は男子フルーレ個人で見事に銀メダルを獲得。その爽やかで飾り気のないキャラも相まって国民的な人気者となりました。

同時にフェンシングも注目される事となり、オリンピック後も太田選手は競技の傍ら、フェンシングの日本での普及に情熱を傾けて活動し続ける事となります。

その活動は必ずや未来の日本フェンシング界を背負って立つ若者を生み出していく事でしょう。

太田雄貴は日本フェンシング会のパイオニアであり伝道師でもあるのです。

太田雄貴の凄さ➁ ロンドン五輪団体準決勝ドイツ戦での残り9秒からの奇跡の逆転勝利

これは記憶に新しい試合ですね。

最初に言っておきますが、わたしがこれまで見てきたオリンピックの色々な名場面の中でも間違いなくベスト3には入る場面です。

ロンドンオリンピック男子フルーレ団体の準決勝ドイツ戦。この試合に勝てば団体の銀メダル以上が確定するという、日本フェンシングにとっても歴史的な一戦でした。しかし相手は当時世界ランク3位の格上ドイツ。戦前は厳しい試合になるとの見方が大勢を占めていました。

しかし試合は太田雄貴、千田一進一退を繰り返します。両者ポイントが少し離れたと思えば追いつき、得点差は膠着状態のまま日本はエース・太田雄貴が登場します。

太田選手はドイツ選手にリードを許して試合は進み、試合時間残り9秒で38-40と2点差をつけられてしまいます。勝つためには残り10秒で最低2点を奪わなければならない絶体絶命の場面。

妻と一緒にテレビで見ていたわたしは、応援していましたが、内心は「もうだめだろうな」と思っていました。しかししかし・・

攻めるしかない太田雄貴の鬼神の精神力はここからだったのです。

とにかく前に出る積極的な攻撃で1点を取り返します。この時点で残り試合時間は6秒。もしかして、もしかして・・と思う間に試合再開。

更に太田雄貴は前に出ます。相手は下がる一方。しかし退路を断った侍の如く太田雄貴は下がる相手を追い立てます。そして太田の突きが入った事を知らせる電子音が鳴り響きます。

時計はなんと、残り1秒。残り1秒で太田雄貴は40-40の同点に追いついてしまったのです。

そして延長戦で先にポイントを奪った太田雄貴は見事ドイツを降して日本フェンシング史上初の団体メダル獲得を決めたのでした。

とにかくこの試合で感じたのは太田雄貴という選手のとてつもない精神力。絶対に諦めないという不屈の精神です。

よくスポーツを見ていて勇気をもらったといいますが、この試合こそがまさにそうです。感動という言葉が陳腐に感じられる程の試合です。この試合を言い表せる言葉は日本語ではわたしには見当たりません。それほどに凄まじい太田雄貴という男の真骨頂を見たという試合でした。

太田雄貴の凄さ➂ 東京オリンピック招致の立役者

太田雄貴選手といえば、フェンシングの世界的な選手という顔の他に、東京オリンピック・パラリンピック招致運動で活躍したという事でも話題になりましたね。

太田雄貴選手は2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催のため、プレゼンター、招致アンバサダーを務め、2013年5月にはスポーツアコード国際大会でのプレゼンに参加、7月にスイスで行われた開催計画説明会にも加わり、東京オリンピックが決定した9月のIOC総会では見事なスピーチを披露し、東京オリンピック誘致に大きく貢献しました。

2020年の開催地の名前が「TOKYO」と読み上げられた瞬間、目に大粒の涙を流しながら歓喜の雄叫びを上げた姿は、招致成功の喜びを伝える感動的な名場面として今でも繰り返し映像が流れています。

フェンシングをこよなく愛し、日本スポーツ界の発展のために貢献し続ける熱き男・太田雄貴。

その姿は一アスリートの枠を超えて、見る者に訴えかける何かを間違いなく持っているのです。

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世界ランキング2位にして世界王者としてリオに臨む太田雄貴

北京オリンピックでは男子フルーレ個人で銀メダル、ロンドンオリンピックでは男子フルーレ団体で銀メダルを獲得した太田雄貴選手。

このリオオリンピックでは男子フルーレ個人で金メダルを狙います。

残念ながら2大会連続のメダル獲得を目指していた団体ではオリンピック出場を逃してしまいました。太田選手の目標はこの個人一本に絞られています。

現在の太田雄貴選手の世界ランキングは2位。金メダル候補として堂々のリオ出場となります。

直近の2015年世界選手権モスクワでは見事に世界選手権初優勝を果たしました。

アメリカの大手データサイト、「グレースノート」によるリオオリンピックメダル獲得予想ではこの太田雄貴選手の金メダル獲得を予想しています。

2大会連続銀メダルを獲得している太田選手の目の前に写るのは金メダル以外にはあり得ないでしょう。

海外勢では世界ランク上位を占めるアメリカ選手が最大のライバル

太田雄貴選手のライバルとなる海外の選手は誰になるのでしょう。

まず最も大きな壁として立ちはだかるのが、現在世界ランク1位で、昨年の世界選手権決勝で太田に敗れて2位に終わったアメリカのアレクサンダー・マシアラスでしょう。ジュニア世代でも世界一になっているエリート選手で、まだ22歳という新進気鋭の天才若手選手です。

フェンシングといえばヨーロッパが本場というイメージが強いのですが、ここ最近ではアメリカの台頭が凄まじいです。このマシアラスの他にも世界3位のマインハート、同5位のインボーデンなど、世界ランク上位にアメリカの選手がずらりと顔をそろえているのが現状です。

特定の型にはまらない自由なアメリカのフェンシングは現在世界を席巻しており、太田雄貴の最大のライバルはマシアラスを始めとしたアメリカ勢なのは間違いないでしょう。

その他では一昨年の世界王者・ロシアのチェレミーシノフ、ヨーロッパ王者のイタリア・カッサーラ、経験豊富なベテラン、イギリスのクルーズ辺りとなるでしょう。

前回ロンドンでは個人戦でまさかの3回戦敗退を喫した太田雄貴選手。そのリベンジを果たしてほしいですね。

リオが最後のオリンピック?フェンシング界レジェンドの集大成を見逃すな

ここ日本におけるフェンシング競技の認知度アップと普及に多大な貢献をしている太田雄貴選手。

彼が蒔いた種は、東京オリンピック、そしてその後の日本フェンシング界にとってとてつもなく大きな功績です。偉大なる遺産といってもいいかもしれません。

そんな日本フェンシング界のレジェンドも30歳を迎えて挑むリオオリンピック。

太田選手本人も最後のオリンピックと思ってやるという覚悟を公言しています。

その集大成がリオで花開くことを祈りましょう。しかし、彼が誘致に多大なる功績を残した東京オリンピックに出場しないというのは一抹の寂しさを感じてしまいますね。東京オリンピックでは34歳。まだまだやれると思うのはわたしだけでしょうか。

しかし、それもまた太田選手らしい決断だとも思えます。今はただ選手生活の集大成となるリオで金メダルを胸にかけた太田雄貴選手の姿を祈りましょう。

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