錦織圭選手は、日本人として、いやアジアの男子選手として初の世界ランクトップ10入りを果たし、ATPツアーでも通算11勝をマークする世界有数のトップテニスプレーヤーです。
これだけの活躍をしているにも関わらず、まだまだ錦織選手の凄さは世間に認知されていないと感じるのはわたしだけでしょうか。
錦織圭というテニス選手を今リアルタイムで見る事が出来ているのは、まさにわたしたちが歴史の目撃者になっているという事なのです。
そういう風に思っているわたしとしては、まだまだ錦織選手の成し遂げ続けている事の凄さを一番理解していないのは日本人なのではないかと思うのです。
錦織圭のプロフィール そして衝撃的なATP250初優勝
錦織圭(にしこりけい)
生年月日:1989年12月29日
出 身:島根県松江市
最終学歴:青森山田高校
身長体重:178cm 75kg
利き腕 :右
バックハンド:両手
ツアー勝利 :11勝
錦織圭選手のプロ転向は2007年、17歳の時です。初タイトルは2008年、18歳の時にハード・コートで行われたATPワールドツアー250のデルレイビーチ・オープンの優勝。この時には予選からの勝ち上がりで優勝を果たしました。日本人男子選手のATPツアー優勝は、1992年に韓国オープンで優勝した松岡修造以来、16年ぶりとなる快挙でした。
しかし、わたしの記憶では日本国内の報道はそんなに大きくない扱いだったと思います。テニス好きの人であれば、日本人選手が、しかも18歳の若者がATPツアーで優勝するという事がどのくらい凄いのか理解していると思うのですが、残念ながら日本のテレビや新聞などはそれほど大きく取り上げてはくれませんでしたね。
当時18歳の日本人がテニスのATPツアーで優勝するという事がどのくらい凄いのかという事を、メディアはしっかりと視聴者に伝える義務があったと思います。今では錦織圭のツアー優勝なんて珍しくなくなってきてしまって、わたしも少し感覚が麻痺しかけているんですけどね(苦笑)。とにかくそれくらい衝撃的なニュースだったのは確かですね。
ATPワールドツアーの格付け、カテゴリーとは?
錦織圭のATPツアー2勝目は2012年のハード・コート、楽天ジャパン・オープン。この大会はATPワールド・ツアーの500シリーズ。初優勝したデルレイビーチはATP250ですので、グレードが1つ高い大会です。
この優勝によって、錦織は日本人初のATPツアー2勝選手となるのです。しかも500シリーズで。これもまた歴史を塗り替えた優勝でした。
ちなみにATPの250とか500とかというのを簡単に説明しておきましょう。
ATPとは男子プロテニス協会の事であり、ATPワールドツアーというのは、ATPが主催する公式大会の事です。このATPワールドツアーでの戦績を基に世界ランキングが決定される事となります。
そしてATP250とは500とかというのは、ワールドツアーのカテゴリ―を指します。ちなみに250はカテゴリーとしては最下層となります。ちなみに最上位はグランドスラム(ウインブルドン、全米、全豪、全仏)ですね。
カテゴリー順はこのとおりです。
- グランドスラム
- ATPワールドツアーファイナル
- マスターズ1000
- オリンピック
- 500シリーズ
- 250シリーズ
上に行けば行くほど、より権威のある大会であり、獲得できるポイント(世界ランキングを決めるためのもの)や獲得賞金も跳ね上がります。
この中の500シリーズの一つが錦織選手が優勝した楽天ジャパン・オープンなのです。
グランドスラムやマスターズと250,500シリーズとの大きな違い
2016年の3月の時点で、錦織圭選手は250シリーズで5勝、500シリーズで6勝を挙げています。すでに500シリーズ以下のカテゴリーで優勝するのは珍しくなくなってしまいましたね。
次に錦織選手が目指すのは、ATP500シリーズよりも上のカテゴリーの大会で優勝する事となります。
現在開催中であるマイアミオープンを含め、今シーズンはまだマスターズ1000が8試合残されていますし、全仏・ウインブルドン(全英)、全米とグランドスラムも3大会あります。夏にはリオ五輪がありますし、シーズン終了時に世界ランキング8位以内に入っていれば、過去2年連続で出場している、ATPワールドツアーファイナルに出場する権利を得ることも出来ます。
チャンスはこんなにたくさんあるのです。あるのですが、カテゴリー上位大会と500シリーズ以下の大会と大きく異なるのが、出場選手の豪華さです。
500シリーズは同じ週に複数大会が開催されたりするので、ランキング上位の選手が分散されたりして1大会の選手層が薄くなるのですが、グランドスラムやマスターズ、オリンピックなどはほとんどの上位選手が出場してきます。
勝ち抜いていく難易度が全く違うのです。
「砂魔人」ラファエル・ナダルをあと一歩まで追い詰めたマドリードオープン
ちなみに錦織選手が上位カテゴリー制覇に大きく近づいたのは、2度。
2014年5月に行われたマスターズ1000マドリードオープン(クレー)の準優勝と、同じく2014年のグランドスラム全米オープン(ハード)での準優勝です。
マドリードオープンでは決勝戦までの6試合中、何と地元スペイン選手と4度対戦。観客の相手選手への声援や自身へのブーイングをものともせずに決勝まで駆け上がりました。決勝の相手はクレーコートの王者、ラファエル・ナダル。ここまで一度もナダルに勝ったことの無かった錦織は第1セットを先取しますが、第2セットを取り返され、第3セット途中で無念の棄権となってしまいます。しかし、これまで手も足も出なかったナダルを、しかも無敵ともいわれたクレーコートであと一歩まで追い詰めた戦いは、錦織選手にとって自信となったに違いありません。
自信を得た錦織はこの後、2015年のマスターズ1000ロジャーズ・カップ(ハード)の準々決勝で6-2 6-4のストレート勝ちという完勝で初めてナダルに勝利しました。
ジョコビッチ、ワウリンカ、ラオニッチとの死闘、決勝で力尽きた全米オープン
もう一つの全米オープンは錦織のここまでのベストの大会だったのではないでしょうか。この大会、錦織は決してドロー(組合せ)に恵まれたとはいえないブロックに入りました。
第10シードで臨んだ錦織は、3回戦まで格下相手に全て3-0のストレート勝ちで4回戦へ。4回戦の相手は第5シードの宿敵・ミロシュ・ラオニッチ(カナダ)。錦織は強烈なラオニッチのサーブに耐えながら粘り強く戦い、3-2のフルセットで勝利をつかみます。続く準々決勝は第3シードのスタン・ワウリンカ(スイス)。この試合もワウリンカの強烈なシングルバックハンドと強烈なストロークに苦しめられながらも、3-2とフルセットで撃破。立て続けに上位シードを打ち破って準決勝に進出します。
そして準決勝の相手は堂々の第1シード、絶対王者のノバク・ジョコビッチ(セルビア)です。この試合で錦織はベースラインより前に出る積極的な戦いでジョコビッチの鉄壁の守備を崩していきます。彼の早い攻撃に対してジョコビッチは結局最後まで勝機を見いだせず、錦織は3-1で世界王者を破る大金星を挙げるのです。
決勝の相手は第14シードでありながら、錦織と同じく上位シードのロジャー・フェデラー(スイス)やトマシュ・ベルディヒ(チェコ)を撃破して勝ち上がってきたマリン・チリッチ(クロアチア)。これまで何度も対戦して勝ち越している錦織にとっては戦いやすい相手と見られていましたが、連日の激戦によって体力の限界を超えていた錦織はプレーに精彩を欠き、0-3のストレートで敗れ、念願のグランドスラム制覇は夢と消えました。
しかし、ラオニッチ、ワウリンカ、ジョコビッチといった強豪を撃破して掴んだ準優勝は、はるか上の夢物語だと思っていた日本人のグランドスラム制覇が現実に手の届くところにあるという事を認識させてくれたものだったのです。
誰も踏み入れた事の無い未知の世界へ・・わたしたちは歴史の目撃者
錦織圭の次の目標はここまで述べてきたようにハッキリしています。それは日本人がまだ誰も足を踏み入れた事の無い未知の領域・・
グランドスラム、マスターズ、ツアーファイナル、オリンピックで優勝する事です。
正直、錦織にとっては厳しい戦いとなる事は間違いありません。これらの大会を制するには、ドローに恵まれたりするなど、ほんの少しの運も必要になるとも個人的には思います。
しかし、確実に手の届くところにいるのです。
数十年前まで、男子プロテニス選手がATPツアーで11勝するなど誰が考えたでしょうか?一桁の世界ランクを数年にも渡って維持しているなど誰が予想できたでしょうか?グランドスラムで準優勝するなんて夢にも思わなかったでしょう。
錦織選手は実際に成し遂げてしまっているのです。
わたしは錦織選手と同時代に生まれ、日本テニス界の歴史の目撃者である事が出来るのを感謝せずにはいられません。
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