白鵬のダメ押し問題に見る相撲とスポーツの違い 横綱とは何なのか?外国人力士は差別や偏見の被害者なのか?

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琴奨菊の綱取りがかかった大相撲春場所が盛り上がる中、またも横綱・白鵬の横綱らしからぬ行動が問題視されていますね。

白鵬、審判部に呼び出され口頭注意 ダメ押しで井筒審判が左太もも骨折

大相撲春場所8日目の嘉風戦で、完全に土俵を割った嘉風に対して土俵下に投げつけるという「ダメ押し」により、正面審判として土俵下にいた井筒親方(元関脇・逆鉾)と嘉風が激突。井筒親方が急きょ救急車で病院に搬送され、大腿骨骨折で全治3か月の重傷を負ったというものです。

北の湖理事長の死去からわずか4か月。自らの記録をことごとく破った稀代の横綱の行為を稀代の名横綱・北の湖はどのような思いで眺めているのでしょうか・

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度重なる「ダメ押し」 白鵬は反省しているのか?

この白鵬のダメ押しは今回が初めてではありません。

この大相撲春場所においてもこの嘉風戦の前、4日目の隠岐の海戦で問題になったばかり。その時も土俵を割っ手力を抜いた隠岐の海を右腕で土俵下に突き落としました。

これに対して八角理事長(元横綱・北勝海)や藤島審判長(元大関・武双山)、師匠の宮城野親方(元前頭・竹葉山)などからも非難の声が上がったばかりであるにもかかわらずのこの行為。この隠岐の海戦の後は、取材に対しても「ダメ出し」に対して質問する記者に開き直りとも取れる態度でしたね。優勝争いに関する質問にピースサインまでする始末(笑)。

さらに遡れば、この春場所以前から白鵬のだめ押しに対する批判は数多くありました。逸の城の顔面を変形させるほどに押したのは有名です。

今回の件で伊勢ケ浜審判長(元横綱・旭富士)に呼び出されて厳重注意を受けた白鵬。さすがに今回は反省しているんでしょうかね。コメントはこの通り。

白鵬は「軽いケガということではなくて大きなケガをしたんですから。部長にいろんなことを言われましたけど、申し訳ない。何でもしたいという気持ちです」と謝罪。

引用:スポーツ報知

どうですか?反省してますかね?

外国人力士に対する差別や偏見はあるのか?

わたしが気になるのは、「軽いけがという事ではなく大きなけがをしたんですから。」の部分。

今回の、いやこれまでのダメ押しに対する批判は、ケガの大小ではないですよね?

この部分だけ見ても何も事の本質を分かっていないなと思わざるを得ません。

「ダメ押し」という行為がアウトなのです。

横綱に昇進したころの白鵬に比べて、ここ数年の白鵬は何か人格が変わってしまったかのような気さえします。それとももともとがこうであったのでしょうか。それともわたしの気のせいなのでしょうか。

白鵬が横綱に昇進したころは、まだ朝青龍というモンゴルの先輩横綱がいました。朝青龍もまた、問題行動や問題発言で世間を賑わせた横綱でしたね。

彼らの根底には基本的に相撲界やマスコミ・ファンの外国人横綱に対する差別や偏見という意識が深くあるような気がします。自分たちは外国人だから色眼鏡で見られている、愛されていない、批判される、という心理です。

それ故に問題行動や言動に対して注意を受けたり批判を受けたりしても、なかなか素行が直らないのではないかと思います。

確かに彼らがいうような外国人横綱に対する日本人の意識というのはあながち間違いではないかもしれません。先場所の琴奨菊優勝での大騒ぎを見ても、日本人ファンやマスコミの外国人力士優勝時との違いは明らかです。ですがそれは差別意識というよりも、外国人力士に席巻されている相撲界に日本人横綱が誕生してほしいと言う願望であると思います。この願望を差別と呼ぶ人もいるのかもしれませんが・・

そしてその願望は、朝青龍や白鵬の、およそ横綱らしからぬ発言や土俵での態度、取り組みなどに辟易している事に起因しているという側面もあるとわたしは思っています。

朝青龍や白鵬は、外国人横綱であるが故の疎外感や差別感からより態度を頑なとしてしまい、余計に発言や土俵上での態度が荒れていき、ファンはますます日本人力士の活躍を渇望する。

まさに悪循環になっている感さえありますね。

相撲とは神事・武道・興行であるという事

なんでだめ押しがダメなのか?から大きく脱線してしまいました、ゴメンなさい(汗)。

恐らく白鵬的には、ダメ押しは「気迫の表れ」「勝利への執念」だと思っているんだと思います。気迫を表に出し、勝利を追及する。それの何が悪いんだ?と思っているんだと思います。

スポーツだったらそれでいいと思います。プロスポーツは正々堂々と戦って勝利する事でお客さんを喜ばせるものなので。

しかし残念ながら相撲はスポーツではありません。外国人に門戸を開放し海外巡業を行うなど、年々スポーツに寄ってきていますが、スポーツではないです。

大相撲(おおずもう)は、

  1. 日本古来の奉納相撲を起源とし、江戸時代から続く職業的な最高位の力士たちによって行われる神事や武道、または興行としての相撲である。加えてその母体となる力士・関係者の集団・社会を指す。
  2. 日本相撲協会が主催する相撲興行。本項で詳述する。
  3. がっぷりと四つに組んだ力士同士の力が拮抗して、なかなか決着がつかない相撲の取組。大相撲実況中継では、おおよそ1分を超える取り組みで用いる。おおよそ4分を超えると「水入り」になる場合がある。

引用;wikipedia

神事や武道、興行であるのです。土俵への女人立入禁止だとか、奉納相撲、太刀持ちと露払いを従えての横綱土俵入りなど、現在でも色濃く残る伝統風習は、相撲がスポーツとは一線を画す存在である事を如実に物語っています。

特に女性の土俵への立ち入り禁止などに対する賛否はスポーツであれば当然の事なのでしょうが、相撲に関しては譲れない部分であると思います。

相撲とはスポーツのように勝利を追及するものではないのです。それよりもはるかに大事なものがあるというスタンスです。

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相撲の横綱とスポーツのチャンピオンは全くの別物

横綱とは、ただ単に強ければいいというものではありません。

スポーツにおけるチャンピオンではないのです。

チャンピオンは最も強い者、最も優秀な成績を残した者です。そこに品格は必要ありません。もちろん品格が備わっていた方が尊敬されるチャンピオンではあるでしょうが。

相撲における横綱とは、

横綱(よこづな)は、大相撲の力士の格付け(番付)における最高位の称号である。語源的には、横綱だけが腰に締めることを許されている白麻製の綱の名称に由来する。現行制度では横綱に降格はなく、現役引退によってのみその地位から降りる。従って、横綱になる力士はその地位にふさわしい品格と抜群の力量を要求される。

現在の大相撲においては、横綱は、全ての力士を代表する存在であると同時に、神の依り代であることの証とされている。それ故、横綱土俵入りは、病気・故障等の場合を除き、現役横綱の義務である。

引用;wikipedia

とあります。

ここにあるように、横綱は一度なってしまえば、現役引退まで降格する事はありません。引退するまで横綱は横綱のままなのです。負ければ陥落するチャンピオンとは全く違いますね。そして横綱には品格と力量が求められます。

白鵬や朝青龍はこの力量のみを追い求めているような気がしますね。とはいえ、横綱の品格って何?と問われれば、好角家以外の日本人にも完璧に答えられる人はほとんどいないのではないでしょうか。そういう意味では、このはっきりした定義の無い「品格」というものを外国人力士に理解させるのは少し無理難題であるとも言えますね。

白鵬もある意味被害者

こういった相撲の位置づけというのは、日本人でもよくわからないのですから白鵬などの外国人力士にはもっと意味不明であると思います。

外国人に門戸を開放した時点で、こういう問題が出てくるであろうことは予測できたと思います。相撲界をグローバル化するのであれば、こういった伝統的風習に対する変革も覚悟しなければならなかったのではないでしょうか。それが出来ないのであれば、日本人だけでやっていればよかったのだと思いますね。

相撲界としては、外国人力士といっても相撲部屋で長年過ごし、親方や先輩などから相撲の何たるかを指導されれば、相撲がどういったものであるか、相撲界の伝統からくる特殊性、あるいは日本人が古来より持つ美徳や価値観などを理解してもらえるだろうと思っていたのでしょう。もちろん理解できる力士もいるでしょうが、理解できない力士もいるでしょう。これは外国人に限った話ではありません。日本人でも理解できない人は出来ないでしょう。以前には素行問題で廃業した元横綱・双葉黒(北尾)の例もあります。しかし、日本人以上に外国人力士の理解を得るほうが難しいと言うのは間違いありません。

相撲界の国際化によっていずれ出てくるであろう問題が出てきているに過ぎないと思います。

そういう意味では白鵬も被害者であるのかもしれませんね。

コメント

  1. 大相撲 より:

    日本人にしか通用しない相撲(精神)を、海外の若者に門戸を開いていることと、勝利(結果)で昇進する部分と、勝利の内容を両立させようとすることに矛盾がある。

    • りぞっと より:

      まさにおっしゃる通りだと思います。

      長年にわたるそんな矛盾が今表面に現れ始めているだけなんですよね。