中垣内祐一(なかがいちゆういち)全日本男子監督 現役時代はスーパーエース、“ガイチ”龍神NIPPONの課題と希望

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リオデジャネイロ五輪が終わって約1年が過ぎ、各スポーツ界では次の2020年東京オリンピックに向けた新体制が発足してその土台を作り始めたものも多いですね。

ロンドン五輪、リオ五輪と2大会続けてオリンピック出場を逃した男子バレーボール「龍神NIPPON」も新監督を迎えて2020年の東京オリンピックを目指して新体制で歩み始めています。

新しく男子バレー全日本を率いて東京オリンピックに臨む新監督こそ、あの“ガイチ”こと中垣内祐一監督なのです。

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スーパーエース“ガイチ”こと中垣内祐一(なかがいちゆういち)監督のプロフィール

まずは全日本男子バレー代表、通称「龍神NIPPON」の新監督となった中垣内祐一監督の簡単なプロフィールをご紹介しましょう。

名   前:中垣内祐一(なかがいちゆういち)
生年月日 :1967年(昭和42年)11月2日
出   身:福井県福井市
出 身 校:筑波大学
身   長:194cm
体   重:94kg
通   称:ガイチ
利 き 腕:右
最高到達点:346cm(スパイク時)
ポジション:オポジット

1990年代の全日本男子をけん引した愛称“ガイチ”のスーパーエースこそこの中垣内祐一全日本男子監督です。

30代以上のバレーボールファンには知らない人はいないという程に全日本男子チームでは絶対的存在でした。まさに1990年代の全日本男子の象徴的な存在、そんな選手でしたね。

無名だった福井県の名門進学校・藤島高校時代から筑波大学で花開いた苦労人

中垣内祐一監督が全日本デビューしたのが1989年、筑波大学在学中の事でした。その後は日本リーグ(現:Vプレミアリーグ)の新日鐵(現:堺ブレイザーズ)に入部し、文字通り「日本のスーパーエース・ガイチ」として世界を相手に打って打って打ちまくる頼れる男となりました。

そんな中垣内祐一監督の現役時代ですが、筑波大学入学後に実力を伸ばして頭角を現し、ついには在学中に全日本入りするまでになったのですが、高校時代は全国的には無名の存在でした。中学時代からバレーボールを始めた中垣内祐一監督ですが、高校は福井県の県内有数の名門進学校、超難関の県立藤島高校に進学しました。これだけでも学力の高さに驚いてしまうのですが(苦笑)、高校時代は全国大会出場はかないませんでした。バレーボール選手としてはエリートではなく、たたき上げの苦労人という表現がピッタリくるかもしれません。メジャーリーガーの上原浩治投手が自身を「雑草」と評しましたが、中垣内選手にも似たようなものを感じますね。

しかしだからこそ監督としての適性は誰よりも高いともいえるのではないでしょうか。下から見上げる目線を持っているからこその気付きや選手への労わりや気遣いなどもあるでしょう。ひょっとしたらまだ全然無名の隠し玉的な選手を発掘して抜擢!なんてこともあるかもしれませんね。

アトランタ、シドニーを逃しバルセロナ五輪のみの出場に負わった悔しい現役時代

“ガイチ”こと中垣内祐一監督の選手時代は栄光の歴史といってもいいでしょう。新日鐵入部後は1年目からいきなりリーグMVP、新人賞、ベスト6を獲得する等、日本リーグの顔となり、さらには全日本でも不動のエースとして君臨しました。

以下が中垣内祐一選手の主な現役時代の全日本としての戦績です。

1989年 アジア選手権  2位
1989年 ワールドカップ 6位
1990年 アジア競技大会 3位
1990年 世界選手権   11位
1991年 アジア選手権  優勝
1991年 ワールドカップ 4位
1992年 バルセロナ五輪 6位
1993年 アジア選手権  3位
1993年 グラチャン   4位
1994年 アジア競技大会 優勝
1994年 世界選手権   9位
1995年 アジア選手権  優勝
1995年 ワールドカップ 5位
1998年 アジア競技大会 4位
1998年 世界選手権   15位

アジアで3度の優勝を飾るなど、アジア選手権やアジア競技大会での活躍が目立ちます。ワールドカップでの4位入賞やバルセロナオリンピックでの6位入賞も光りますね。2000年代以降の日本男子バレーの低迷を考えれば素晴らしい成績だと思います。ただし、中垣内祐一がスーパーエースとして大車輪の活躍をしたバルセロナオリンピック以降の日本男子は長らくオリンピックの舞台から遠ざかる事となってしまいます。再び日本男子バレーが五輪に戻ってきたのはこのバルセロナから実に16年後となる北京オリンピックでした。

中垣内祐一選手は、1996年アトランタ五輪と2000年シドニー五輪の世界最終予選に中心メンバーとして挑みましたが、五輪切符を掴むことはできませんでした。そして選手・中垣内祐一としての五輪挑戦はこのシドニーが最後となったのです。今度は監督として、自身二度目のオリンピックの舞台を、地元開催の東京で踏むこととなります。

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現役時は頼れるオポジット(スーパーエース)、「日本の大砲」中垣内祐一

現役時代の中垣内祐一という選手を一言で表すのであれば、

「とりあえず中垣内に上げれば何とかしてくれる!」

そんな存在でした。

中垣内選手のポジションは「オポジット」。当時は「スーパーエース」という呼び方もされていましたが、簡単に言えば、レセプション(サーブレシーブ)に参加しないセッター対角のウイングスパイカーという事です。現在の全日本で言えば男子の清水邦広や女子の長岡望悠(みゆ)が担っているポジションです。

サーブレシーブを免除されているアタッカーのスペシャリストなのですが、その分サーブレシーブが乱れた時の苦しいトス(いわゆる二段トス)はほぼすべて中垣内祐一の元へと上がりました。当然相手は前衛3枚のブロックが手ぐすね引いて中垣内のスパイクを待ち受けています。そこを打ち破り続けたのが中垣内祐一という選手でした。まさに「頼れるエース」というやつでした。

中垣内選手の選手としての全盛期だった1990年代は、世界の各国が超大型選手を揃えて日本のコンビバレーや技術を完全吸収して日本のアドバンテージは完全になくなった時代であり、80年代からの強豪国であるソ連(ロシア)ら東欧諸国やアメリカなどに加え、キューバ、イタリア、ブラジル、オランダ、ユーゴスラビアなども一気に力をつけてきた時期でした。

日本自体も1980年代を支えた三橋栄三郎や川合俊一、熊田康則ら中心のチーム体制から、中垣内、青山繁、荻野正一、南克幸、大竹秀之、泉川正幸らの若手世代への急速な世代交代が加速された時期であり、色々な意味で大変な時代だったと思いますね。そんな中で、世界の居並ぶスーパーエースと互角に渡り合った中垣内祐一という存在は凄いというしかありません。その凄さは当時をリアルタイムで知るバレーボールファンにはご理解いただけると思います。

ちなみに中垣内選手が出場したバルセロナ五輪の男子バレーボール代表には、新日鐵及び全日本監督としての先輩である植田辰哉氏もいましたね。

石川祐希中心チームで清水邦広の後のオポジットは大竹壱青(いっせい)か?

現役時代は最高到達点3m46cmというその恵まれたフィジカルと類い稀な精神力・勝負強さで世界に名を轟かせた中垣内祐一監督。2012年ロンドン、2016年リオと2大会連続でオリンピック出場を逃した全日本男子をどのように立て直すのでしょうか。

中垣内監督自ら、「石川中心のチームとなる」と語っている通り、“日本バレーボール史上最高の逸材”といわれている石川祐希が中心となる事は間違いないでしょう。その石川とともに「NEXT4」として日本バレー界が売り出したビッグサーバー・柳田将洋、大型センター・山内晶大、MBにコンバートされた高橋健太郎も当然中心となることを求められるでしょう。

この辺りが順調に育てば、日本の未来は非常に明るいものとなるでしょう。

そして中垣内監督の現役時代と同じポジションである“オポジット”の育成も急務です。

長年日本の大砲としてスタメンを張った“ゴリ”清水邦広も30歳を超えた今、次世代のスーパーエースの育成は急を要する課題といえるでしょう。そしてそのポジション育成の必要に迫られた今この時期の監督がかつてのスーパーエース・中垣内祐一というのもまた運命のいたずら的なものを感じますね。候補としては中垣内監督の現役時代のチームメイト、大竹秀之さんの息子である大竹壱青(おおたけいっせい)選手など楽しみな選手が多くいます。どんな選手をどのように育てるのか?監督・ガイチの手腕に期待しましょう。

東京オリンピックで監督として晴れ舞台に戻ってきたスーパースター

奇しくも、中垣内祐一男子監督の誕生と同時に、全日本女子も新監督として中田久美さんが就任しました。

40代のわたし的にはまさに世代ドストライクであり、決定した時には思わずガッツポーズしてしまったほどです(苦笑)。

選手時代はともに全日本の中心であり、チームの象徴的存在でもあったスーパースターたちの全日本監督就任は、だからこそ恐るべきプレッシャーであるともいえるでしょう。次に控えるオリンピックが、地元開催の東京オリンピックというのもその重圧に拍車をかける要素でもあります。

しかし、日本中が熱狂するであろう東京五輪の全日本監督に相応しい人がいるべき場所に落ち着いたとわたしはやはり思いますね。スターとはやはりそのような星の下にうまれているからこそのスターなのですから。

 

時を同じくして日本女子を率いる事となった中田久美監督については以下の記事をご覧ください。

全日本女子バレー中田久美(なかだくみ)代表監督

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