日本サッカー界のレジェンドといえば?と問われれば、ほとんどの人が口を揃えてこう言うのではないでしょうか。
「キング・カズ(或いは三浦知良)」
と。(釜本邦茂って人も多いかも笑)
それほどまでに三浦知良という選手は日本サッカー界を語るうえでなくてはならない存在です。なぜこれほどまでにカズはリスペクトされ、歴史に残る選手となったのでしょうか。
三浦知良が未だにサッカーで現役を続けることの凄さ
まずは三浦知良選手の簡単なプロフィールから。
生年月日 :1967年2月26日生まれの49歳
出 身:静岡県静岡市葵区
身 長:177cm
体 重:72kg
効 き 足:右足
ポジション:フォワード
所属チーム:横浜FC
昭和42年生まれの49歳。ご存知でしょうが、未だバリバリの現役です。
カズ本人はあまり年の事を言われるのに辟易していると思うのですが、どう考えてもやっぱり凄いですね。わたしの職場の49歳の男性社員たちと比べてみれば一目瞭然です。もう49歳って普通のおっさんですよ(苦笑)。
まあカズの場合見た目49にはとてもじゃないけど見えませんが、それにしても49歳なのにJ2でやっているというのがね・・もう凄いとしか言いようがないですね。ボキャブラリー不足で申し訳ないですが、本当に凄いの一語につきます。
今年も6月19日のJ2・FC岐阜戦でヘディングゴールを決め、自身の持つJリーグの最年長ゴール記録を49歳3か月24日へと更新しました。わたしもサッカーかじってたのでほんの少しは分かるのですが、本当にサッカーというのはしんどい(笑)。とにかくしんどいです。走りっぱなしですから。それを自分より年上のカズがJ2という上位カテゴリーで結果を残しながら続けているというのは、もう本当に凄いんですよ(しつこいすか笑)。信じられないんです。
ちなみにカズと同級生の男性有名人を挙げておきましょう。
佐々木健介(元プロレスラー)、彦摩呂(タレント)、ダンディ坂野(お笑い芸人)、冨樫義博(漫画家)、パパイヤ鈴木(ダンサー)、高嶋政伸(俳優)、東山紀之(俳優)、トータス松本(ミュージシャン)・・といった面々ですね。
日本サッカー不毛の時代に15歳で単身ブラジルへ渡ったメンタルの強さ
カズのプロとしての出発点がブラジルである事はよく知られています。高校を中退して単身ブラジルに渡り、そこで成功を収めました。ちなみにブラジル永住権は今でも更新し続けしており、それを維持するために今でも2年に一度はブラジルを訪れているそうです。
三浦知良がブラジルへ渡ったのは、1982年の12月、カズが静岡学園高校1年の時でした。当時のカズは、体格的にフィジカルがずば抜けているわけでもなく、突出したスピードもあるわけではない、テクニックに秀でた少年でした。しかしそのテクニックもサッカー王国ブラジルでは標準的なものであり、ブラジルに渡った当初は苦労しました。
しかしブラジルで挑戦を続け、1986年にはブラジルの名門・サントスFCとプロ契約する事となります。そしてプロ契約後も出場機会を求めてブラジルの各チームを渡り歩き、1989年に再びプロ契約したサントスに戻ってきます。そしてレギュラーを掴んだカズは、ブラジルの新聞や雑誌の表紙を飾るまでに成功を収める事になったのです。
カズがブラジルに渡った当時の日本サッカーは今とは違い、ワールドカップ出場経験もないサッカー後進国でした。アジア予選でさえ勝ち抜けないレベルだったのです。そんな中でのブラジル渡航。凄い勇気だと思いませんか?15歳ですよ?この頃から現在のキング・カズの原点ともいえる、驚異的なメンタルの強さは持っていたのでしょうね。
空前のJリーグ人気到来、そしてサッカー界のレジェンド、キング・カズ誕生
そして苦労したブラジルでようやくレギュラーを掴み、さあこれからという1990年、カズは日本への帰国を決意します。所属クラブは東京ヴェルディの前身、読売クラブ。
カズが帰国を決意したのは、日本で発足するJリーグへの参加、そして日本代表のワールドカップ出場に貢献するためです。日本サッカー界のためにカズはようやくつかんだブラジルでの成功をかなぐり捨てて日本へ帰ってきてくれました。
そして1993年、あの狂乱のJリーグ開幕年を迎えます。
読売クラブからヴェルディ川崎に名を変えたチームの中でカズは、6試合連続得点を決めるなど、日本人選手最多となる20得点を記録。Jリーグの初年度MVPに選ばれる活躍を見せました。
空前の人気を見せるJリーグの人気の、正にその中心にカズはいました。いや、カズがいたからこそのJリーグ人気だったのかもしれません。それほどまでに、人気者を多数生み出したJリーグ開幕年の狂騒曲の中で、カズは異質の輝きを放っていました。その姿はサッカー界のカリスマと呼ぶにふさわしい威厳と風格に満ち溢れたものだったのです。そう、まさにキング・カズの誕生だったのです。
Jリーグ初代王者となった当時のヴェルディ川崎は凄いメンバーでした。カズを始めとして、ラモス瑠偉、柱谷哲二、北沢豪、武田修宏、都並敏史・・。まさにスター軍団でしたね。そしてそのスター軍団を率いて初代Jリーグ優勝監督となったのがあの松木安太郎さんです(笑)。いやあ、凄い時代でしたね。
当時のJリーグは本当に凄かったんですよ。何せチケット取れませんでしたから。コネでもない限りはね(苦笑)。ゴールデンでテレビ中継やってましたし、サッカー特番もガンガンやってましたね。まさにバブルと呼んでもいいほどの熱狂ぶりでした。何度も言いますが、凄い時代でしたよ。
セリエA初の日本人選手からJ復帰、そして日本代表ではドーハの悲劇が・・
カズはその後、当時世界最強リーグと呼ばれていたイタリア・セリエAのジェノアへ移籍を果たし、日本人初のセリエAプレーヤーとなり、初得点も記録します。しかしイタリアでは成功を収めたとは言い難く、翌年にはヴェルディへ復帰。そして翌年にはヴェルディの財政難からクロアチアのディナモ・ザグレブへ移籍。
そこでもリーグ優勝を果たしますが、1年で退団し、Jリーグの京都パープルサンガへ移籍。そして2005年からは現在の横浜FC所属という経歴を歩んでいます。
時間を少し巻き戻しましょう。日本代表のカズについてです。
カズの日本代表としてのデビューは1990年9月。1992年にはエースとして日本代表を初のアジアカップ優勝に導きます。そして迎えた1994アメリカワールドカップ予選。これまでW杯予選で勝った事の無かった韓国戦で、韓国を破る決勝ゴールを挙げるなど、不動のストライカーとして日本初のワールドカップ出場に向けてチームを引っ張りました。しかし、最終戦のイラク戦、ロスタイムでの同点ゴールによりワールドカップの夢を絶たれてしまいます(ドーハの悲劇)。
そして4年後の1998フランスワールドカップ予選。チームは苦戦を強いられ、加茂周監督から岡田武史監督への交代もありながら、なんとか初のワールドカップ進出を果たしました。しかしこの予選中、カズは決して満足の行くパフォーマンスではありませんでした。一部マスコミにはカズ不要論も出てくるほどでしたね。
そして、フランスワールドカップ本戦メンバーを決めるあの岡田武史監督の衝撃の発言が飛び出します。
夢のワールドカップ出場直前での挫折 岡田監督の決断の賛否
スイスでワールドカップ本戦の直前合宿を行っていた日本代表でしたが、そのメンバーから三人が落選する事となっていました。そして落選メンバーが岡田監督の口から告げられます。
若手の市川大祐に続いて二番目に岡田監督の口から出てきたのが、あの有名な言葉です。
「外れるのはカズ、三浦カズ・・」
このニュースを知った時の衝撃は計り知れませんでしたね。当時は賛否両論巻き起こりましたが、わたしは納得できませんでした。理由はただ一つ、ここでカズを落としちゃあいかんだろ!!って理由です。
確かに三人多くメンバーを連れて行って、そこでフェアな競争を強いる、というのは至極当然の事かと思われます。しかし、カズだけはここで落としてはいけなかったとわたしは今でも思っています。カズを落とす可能性があったのであれば、直前合宿に選ぶべきではなかったと。逆に直前合宿に選んだのであれば、あそこで落としては絶対にいけない選手なんです、カズだけは。それほどまでに日本サッカー界にとって特別な選手だったのです。功労者に対する仕打ちではありませんね。
もちろん、純粋な競争の中で落とされたのですから仕方ないだろうというう意見はよく分かります。でも20年近く経とうとしている今でも、やはりあの岡田監督のやり方は、少なくともカズに対しては間違っていたとわたしは思っています。
やはり日本サッカー界のレジェンドに対する敬意というものをもう少し考えた選考方法にしてもらいたかったですね。
未だにW杯出場を諦めないカズ そしてそれを望むファンの存在
子供の頃からの夢であった、日本代表としてのワールドカップ出場を決めながら、その本戦には出られなかったカズ。しかし監督がフィリップ・トルシエに代わった1999年には日本代表に招集されました。2002年には日韓共催の自国ワールドカップを控えての招集でしたが、翌年2000年のモロッコでのハッサン国王杯を最後に、カズが招集される事はありませんでした。日韓ワールドカップで大幅なメンバーの若返りを図るトルシエのチーム編成によるものです。
結局2000年の招集を最後に、カズの日本代表への選出は現在までありません。
しかし現在49歳になったカズは、今でも日本代表入りを、ワールドカップのピッチに立つことを諦めてはいません。現役選手としてその気持ちを持ち続けるという事は当たり前であるという信念ですね。そして彼が20年前に置き忘れたものを取り返すためでもあるでしょう。
ロシアワールドカップ開催時には51歳となっているカズ。現実的に考えれば非常に厳しいと誰もが思うでしょう。選んだら選んだで、色々な批判や憶測を呼ぶことも間違いありません。
それでもわたしはワールドカップでカズがプレーする姿が見たいです。
ワールドカップのピッチに立ち、目を瞑り、胸に手を当てて君が代を歌い上げるカズの姿が見たいのです。
その日が来るのを信じて、わたしは三浦知良を、キング・カズを応援し続けたいと思っています。
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