サッカーJリーグ開幕時チームのオリジナル10一覧 日本プロサッカーリーグ1年目にはあの合併消滅クラブも…

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1992年に華々しく開幕し、日本中にサッカーブームを巻き起こした日本プロサッカーリーグ、通称Jリーグ。

現在のJ1所属チームは18チームで、その下のJ2やJ3との入れ替え戦によって所属クラブは毎年異なるものとなっています。

しかし1992年のJリーグ発足時におけるクラブチームは僅か10チームのみ。この開幕時に所属してJ初年度を戦ったJクラブ10チームの事は、Jファンたちの間で尊敬の念を込めて「オリジナル10」と呼ばれています。

ここではそんな「オリジナル10」と呼ばれるクラブチームの発足時のチームプロフィールなどをご紹介します。

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Jリーグオリジナル10 ヴェルディ川崎(前身:読売クラブ)

現クラブ名:東京ヴェルディ1969
開幕時呼称:ヴェルディ川崎
正式名称 :読売日本サッカークラブ
前身チーム:読売クラブ
JFL成績:1部:優勝(1992年)
ホ ー ム:神奈川県川崎市
初年度監督:松木安太郎
初年度成績:1st:2位 2nd:1位 年間総合:1位

JSL最終シーズンとなった1991年に優勝を果たし、それまでも日本リーグにおける強豪として多くの栄光に包まれてきた読売サッカークラブ(通称:読売クラブ)。そんな栄光の読売を母体として誕生したのがヴェルディ川崎でした(現:東京ヴェルディ)。

読売クラブのポゼッションサッカーの中核を担った1980年代の黄金期を支えたラモス瑠偉や都並敏史らに加え、武田修宏や北沢豪、柱谷哲司といった実力派も加わり、さらにブラジルで活躍していたカズこと三浦知良も帰国して所属した事で、まさに日本サッカー界のスター集団と呼べる陣容でJリーグ開幕を迎える事となりました。なお、Jリーグ1年目のヴェルディ監督はあの松木安太郎氏でした。

Jリーグ草創期のトップチームとしてヴェルディはJリーグ初年度から2年連続の年間優勝にナビスコカップは1992年から3連覇という偉業を成し遂げました。しかしその後は経営悪化による読売グループの経営撤退等によってチームは弱体化。2009年以降はJ2から這い上がれない状態が続いていますが、Jリーグのオールドファンにとっては復活を切望したいチームです。

Jリーグオリジナル10 横浜マリノス(前身:日産自動車)

現クラブ名:横浜F・マリノス
開幕時呼称:横浜マリノス
正式名称 :日産F.C.横浜マリノス
前身チーム:日産自動車サッカー部
JFL成績:1部:準優勝(1992年)
ホ ー ム:神奈川県横浜市
初年度監督:清水秀彦
初年度成績:1st:3位 2nd:3位 年間総合:4位

Jリーグ開幕前の日本サッカーリーグ(JFL)時代には、宿命のライバルである読売クラブと共に“二強時代”を築いた日本サッカー界の名門、日産自動車サッカー部を前身として誕生した横浜マリノスもJリーグオリジナル10チームの一つです。

日本サッカーの国産プロ第1号となった木村和司を筆頭に、金田喜稔や水沼貴史といった名選手で1980年代には読売と激しい戦いを繰り広げた名門チームは、J開幕時には「アジアの壁」と呼ばれた日本最高のディフェンダー、井原正巳と日本代表のゴールキーパー、松永成立を中心とした強固な守備力に加え、世界的ストライカ―であるアルゼンチン代表のラモン・ディアスを獲得してJ初年度は年間総合4位という成績を残しました。ディアスは初代Jリーグ得点王に輝きました。

J開幕年の1993年、2年目の1994年こそ年間優勝を宿敵・ヴェルディに明け渡したマリノスでしたが、3年目の1995年には見事Jリーグ優勝に輝き、名門の底力を見せてくれましたね。1999年には同じくオリジナル10メンバーだった横浜フリューゲルスを吸収合併する形で横浜F・マリノスとなりました。

Jリーグオリジナル10 ガンバ大阪(前身:松下電器)

現クラブ名:ガンバ大阪
開幕時呼称:ガンバ大阪
正式名称 :パナソニックガンバ大阪
前身チーム:松下電器産業サッカー部
JFL成績:1部:5位(1992年)
ホ ー ム:大阪府吹田市
初年度監督:釜本邦茂
初年度成績:1st:8位 2nd:6位 年間総合:7位

JSLに所属していた松下電器産業サッカー部を母体として誕生したのがこのガンバ大阪。J初年度の1993年時点では近畿・関西地方で唯一のJクラブでもありました。開幕年はまあ全くといっていい程ガンバ戦のチケットは手に入らなかったのをハッキリと覚えてますね(笑)。それ程の熱気であり、ガンバの人気の凄さでした。

ガンバ大阪を率いたのが、日本代表フォワードとしてメキシコオリンピック銅メダリストとなり得点王にもなったレジェンド、釜本邦茂監督。ガンバの船出に相応しい超大物監督として話題になりました。

選手も天才と呼ばれた司令塔・磯貝洋光選手や浪速のイタリアンと呼ばれたイケメンゴールキーパーの本並健司選手、そして今ではキャスターとして、永島優美アナの父として有名な点取り屋の永島昭浩選手という人気スター選手がひしめいていました。成績は低迷しましたが、実に華やかなチームでしたね。

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Jリーグオリジナル10 サンフレッチェ広島(前身:マツダ)

現クラブ名:サンフレッチェ広島F.C
開幕時呼称:サンフレッチェ広島
正式名称 :サンフレッチェ広島F.C
前身チーム:マツダサッカークラブ
JFL成績:1部:6位(1992年)
ホ ー ム:広島県広島市
初年度監督:スチュワート・バクスター
初年度成績:1st:6位 2nd:5位 年間総合:5位

広島に本拠を置くサンフレッチェ広島もJリーグオリジナル10メンバーです。前身となったクラブはJSLに加盟していたマツダサッカークラブ(元東洋工業)です。

選手層の薄さから苦戦が予想されたJ草創期でしたが、監督に新進気鋭のイングランド人、スチュワート・バクスターを迎え、さらにドイツブンデスリーガで活躍していた風間八宏やハシェック、チェルニーといった選手を補強し、初年度こそ年間総合5位でしたが、2年目の1stステージで優勝するという快挙を成し遂げました。

選手育成能力や外国人選手の目利き、優れた監督の起用には定評のあるチームであり、予算に恵まれないチームが最も参考にすべきチームといってもいいかもしれません。

なお、バクスター体制のこの頃の広島のダブルボランチは風間八宏と森保一。今では名将の名を不動のものとした二人だったのです。

Jリーグオリジナル10 ジェフユナイテッド市原(前身:古河電工)

現クラブ名:ジェフユナイテッド市原・千葉
開幕時呼称:ジェフユナイテッド市原
正式名称 :東日本JR古河サッカークラブ
前身チーム:古河電気工業サッカー部
JFL成績:1部:7位(1992年)
ホ ー ム:千葉県市原市
初年度監督:永井良和
初年度成績:1st:5位 2nd:9位 年間総合:8位

古河電工を母体として結成された、千葉県市原市をホームタウンとするJクラブがジェフユナイテッド市原です。Jリーグ発足前には、アジアクラブ選手権で優勝して日本のクラブチームで初となるアジアタイトルを獲得する等、多くの栄光を築いてきたチームでしたね。

オリジナル10入りは順当なこのジェフ市原ですが、このチームがJ発足時に注目されたのは何といってもその強力な助っ人達のおかげでしょう。

西ドイツ代表としてワールドカップ優勝1度、準優勝2度の輝かしいキャリアを持つ“リティ”ことピエール・リトバルスキーはJ屈指の人気選手としてジェフを人気面でも戦力面でも引っ張る存在でした。さらにリティと同じドイツ人の“オッツェ”ことフランク・オルデネビッツも1994得点王に輝く活躍を見せてくれました。これら人気助っ人の活躍もあり、ジェフの1年目の観客動員数はヴェルディに次ぐリーグ2位という数字となったのです。

2010シーズンからJ2に甘んじているジェフですが、もう一度J1の舞台で輝く姿がみたいクラブチームです。

Jリーグオリジナル10 横浜フリューゲルス(前身:全日空)

現クラブ名:横浜F・マリノス
開幕時呼称:横浜フリューゲルス
正式名称 :全日空佐藤工業サッカークラブ
前身チーム:全日空横浜サッカークラブ
JFL成績:1部:8位(1992年)
ホ ー ム:神奈川県横浜市
初年度監督:加茂周
初年度成績:1st:7位 2nd:7位 年間総合:6位

全日空を母体として結成された横浜フリューゲルス。開幕当初は全日空(ANA)のAと佐藤工業のSを組み合わせてASフリューゲルスと呼ばれていました。

初代監督は後に日本代表監督にもなる日本屈指の戦術家・加茂周氏が務め、氏が導入した「ゾーンプレス」は大きな話題として取り上げられ、一時は日本サッカー界を席巻しました。

選手たちも「レゲエくん」の異名を取って人気となったドレッドヘアにバンダナのGK・森敦彦や正確無比なフリーキックのブラジル人のエドゥーや陽気なモネールダンスで人気となったムードメーカーのアルゼンチン人、モネールも人気となり、草創期のJリーグ人気に大きく寄与しました。

惜しまれつつも1998年に横浜マリノスと合併して消滅したフリューゲルスですが、楢崎正剛や前園真聖、山口素弘、遠藤保仁、三浦淳宏、波戸康広といった日本代表クラスの選手たちを輩出した事実はいつまでも心に留めておきたいですね。

Jリーグオリジナル10 浦和レッドダイヤモンズ(前身:三菱自工)

現クラブ名:浦和レッドダイヤモンズ
開幕時呼称:浦和レッドダイヤモンズ
正式名称 :三菱浦和フットボールクラブ
前身チーム:三菱重工業サッカー部
JFL成績:1部:11位(1992年)
ホ ー ム:埼玉県浦和市
初年度監督:森孝慈
初年度成績:1st:10位 2nd:10位 年間総合:10位

Jリーグ屈指の人気クラブであり、アジアにおいても類を見ない程の熱いサポーターを誇る浦和レッズもJリーグ参加10団体の一つ、オリジナル10クラブメンバーです。

その前身は三菱自工のサッカー部であり、レッズ初代監督にはレッズのJリーグ入りに大きく貢献して「レッズの父」とも呼ばれた森孝慈氏が就任してJ1年目を戦いました。結果は1st・2nd寮ステージ共に最下位という惨憺たるものでしたが、サポーターはそれでも熱い熱い声援をレッズに送り続けていたのは未だに忘れられません。

当時不振だったチームにあって孤軍奮闘したのが、日本代表でもあり「ミスターレッズ」とも呼ばれた福田正博さんでした。その後、レッズは1年目から活躍していたルンメニゲに加えてドイツの元代表選手であるブッフバルトやバインらを獲得してチーム力を向上させていきました。そのブッフバルトが監督となり、レッズ悲願のリーグ初優勝を果たすのは、J開幕から13年後の事となります。

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Jリーグオリジナル10 名古屋グランパスエイト(前身:トヨタ自動車)

現クラブ名:名古屋グランパスエイト
開幕時呼称:名古屋グランパスエイト
正式名称 :名古屋グランパスエイト
前身チーム:トヨタ自動車工業サッカー部
JFL成績:1部:12位(1992年)
ホ ー ム:愛知県名古屋市
初年度監督:平木隆三
初年度成績:1st:9位 2nd:8位 年間総合:9位

J開幕前にサッカーのプロリーグ構想が表面化した時には、先行きの不透明さからプロリーグ入りを躊躇ったとされるトヨタ自動車サッカー部でしたが、地元愛知県にプロサッカークラブをという熱い説得を受けて誕生した名古屋グランパスエイト。

多くのファンの熱狂とマスメディアの注目を集めた1993年のJリーグ狂騒曲でしたが、グランパスもその盛り上がりに大きく貢献してくれました。

なんとなんと、J開幕に合わせてグランパスはイングランドの至宝、ゲーリー・リネカーを獲得したのです。1986メキシコワールドカップの得点王であり、トットナムやバルセロナに所属してイングランドリーグで得点王を3度獲得した世界最高峰のストライカーです。さすが「世界のトヨタ」と全世界を驚かせてくれました。

その後も“ピクシー”D・ストイコビッチや名将A・ベンゲルを招聘するなど、その後も世界のビッグネームを日本に呼んでJを盛り上げてくれました。

Jリーグオリジナル10 鹿島アントラーズ(前身:住友金属)

現クラブ名:鹿島アントラーズ
開幕時呼称:鹿島アントラーズ
正式名称 :鹿島アントラーズ
前身チーム:住友金属工業蹴球団
JFL成績:2部:2位(1992年)
ホ ー ム:茨城県鹿島郡鹿島町等5町村
初年度監督:宮本征勝
初年度成績:1st:1位 2nd:4位 年間総合:2位

J開幕から現在に至るまで、Jリーグで最も成功したといわれている日本のクラブチームこそこの鹿島アントラーズであるという事に異論のあるJファンは恐らくそうはいないと思います。それほどまでに安定して強豪であり続けているのがこの鹿島アントラーズというチームなのです。

J開幕シーズンにはまさかまさかのブラジルの英雄、「白いペレ」と呼ばれた世界的名選手のジーコが在籍し、そのジーコのコネクションで来日したアルシンドもその強烈なキャラクターや決定力で大人気となるなど、JFL2部からの参戦で苦戦を予想した周囲の下馬評を覆して1stステージ(サントリーシリーズ)で圧倒的な力を見せつけてステージ優勝を果たしました。

本田泰人や長谷川祥之、黒崎久志、大野俊三といった住金時代からの実力派の生え抜きに加え、この後アントラーズの中心となっていく秋田豊が新人ながら存在感を示した布陣を考えると、今から思えば当然といった感じですよね。

Jリーグオリジナル10 清水エスパルス(前身:清水FC)

現クラブ名:清水エスパルス
開幕時呼称:清水エスパルス
正式名称 :清水FCエスパルス
前身チーム:清水FC
JFL成績:なし(所属せず)
ホ ー ム:静岡県清水市
初年度監督:エメルソン・レオン
初年度成績:1st:4位 2nd:2位 年間総合:3位

Jリーグオリジナル10の中で唯一、母体となる企業クラブがなく、JFLにも未加盟ながらも10クラブの仲間入りをしたのがこの清水エスパルス。地域と密接に結びつく地域密着型を理念として掲げたJリーグを最も体現した市民チームといっても過言ではない存在でしょう。

そういった経緯から、他のクラブと違って核となる戦力を持たないエスパルスは厳しい戦いを強いられると多くのファンや識者は予想していました。しかし1年目を終わってみれば年間総合3位。第2ステージではスター軍団のヴェルディに次ぐ2位という好成績を残しました。

それもそのはず、地元にプロクラブが出来るという事で、他のチーム所属だった長谷川健太、堀池巧、大榎克巳という「清水東三羽烏」やカズの兄で“ヤス”と呼ばれた三浦泰年らが集結したのです。そして監督にはブラジルの元名ゴールキーパーだったエメルソン・レオンを招聘して互角以上の戦いを繰り広げたのでした。

 

以上10チームが、記念すべきJリーグ開幕年となった1993年Jリーグに参加した10のプロ団体となります。現在では50を超える加盟チームを誇る日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)ですが、その中でオリジナル10と呼べるのは後にも先にもこの10クラブチームだけなのです。

華々しく開幕して日本中を熱狂の渦に陥れたJ誕生から四半世紀を超え、オリジナル10の中でも未だJのトップクラスを維持しているクラブも有れば、アンダーカテゴリーへと降格して昇格出来ずにいるクラブもあり、その現況は様々です。

ただし、Jリーグの歴史が誕生した瞬間に立ち会った、ここで紹介した10のクラブチームは、Jリーグが存在する限りファンから畏敬の念を込めて「オリジナル10」と呼ばれ続ける事でしょう。

オリジナル10の昇降格履歴についてはこちらの記事をご覧ください。

Jリーグ誕生以来J2・J3降格経験無しの強豪チームは?J1カテゴリー維持の名門クラブはどこ?

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