日本プロ野球歴代最高レベルの新人王争い一覧 セパ両リーグの高校・大学・社会人出身選手達の歴史

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野球

10月になると毎年恒例となる、クライマックスシリーズや日本シリーズ等日本プロ野球のプレシーズン。メディアの注目度も多く、クライマックスシリーズ導入も完全に定着した感がありますよね。

同時にストーブリーグの足音も聞こえてくるこの時期、大きく注目されるのが個人タイトル争い。中でも記者投票で決定する新人王とMVPは発表当日まで多くのプロ野球ファンの関心を集めるこの時期最大の関心事の一つでもあります。

ここではそんなストーブリーグの中での関心事の一つ、歴代新人王争いの中でも史上最高レベルの争いとなった新人王イヤーを振り返ってみたいと思います。

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1987年(昭和62年)パ・リーグ新人王:阿波野秀幸(あわのひでゆき)

まずはおそらく現在におけるまでの史上最高レベルの先発ピッチャーによる争いとなった1987年パシフィック・リーグの新人王争いから。争ったのはともに大卒一年目のドラ1投手だったこの二人です。

大卒入団1年目:阿波野秀幸(近鉄バファローズドラフト1位/投手)成績

登板 勝利 敗戦 セーブ 投球回 奪三振 防御率
32 15 12 249.2 201 2.88

大卒入団1年目:西崎幸広(日本ハムファイターズドラフト1位/投手)成績

登板 勝利 敗戦 セーブ 投球回 奪三振 防御率
30 15 221.2 176 2.89
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ともに15勝でチームのエースとなった二人のトレンディエースの新人王争いは“細腕繁昌記”近鉄・阿波野に

1986年度新人選手選択会議(ドラフト会議)でともにドラフト1位入団したルーキーによる、稀にみるハイレベルな争いとなった1987年パ・リーグ新人王レース。

亜細亜大学のエースとして東都大学リーグ通算32勝を挙げ、シーズン最多勝記録等の実績を残した阿波野秀幸投手は巨人、大洋、近鉄の1位指名3球団競合の末近鉄バファローズに入団。華奢な体で快刀乱麻するその姿は花登筺(はなとこばこ)原作の往年の名ドラマになぞらえて“細うで繁盛記”とも呼ばれましたね。

一方、愛知工業大学のエースとして愛知大学リーグの通算最多勝利記録、シーズン最多奪三振、1試合最多奪三振といった数々の記録を達成した西崎幸広投手は、6球団競合となった享栄高校の近藤真一投手をくじで外した日本ハムファイターズの1位指名を受けてプロ入りしました。

両投手とも開幕当初からローテーション入りしてチームのエースとして活躍。両名とも15勝を挙げ、防御率も0.01の差という、まさに互角の内容でシーズンを終えました。

勝利数と防御率では互角だった両者の新人王争いは、イニング数と奪三振数で差をつけた阿波野投手が大差で新人王を獲得。チーム成績においてはAクラス入り(3位)を果たした日ハムと最下位の近鉄というチーム状態下でしたが、最下位の近鉄で孤軍奮闘の働きをした阿波野投手に軍配が上がった格好でしたね。なお、15勝しながら新人王を逃した西崎投手には「パリーグ会長特別賞」が送られるという特例措置がとられました。

両投手ともプロ野球選手とは思えないスマートな体型で、ルックスも爽やか系イケメンという外見から一躍スポーツ界を代表する人気者となり、西武ライオンズのエース・渡辺久信投手とともに“トレンディエース”という造語がメディアを賑わすきっかけとなった選手でもあります。当時の人気は本当に凄かったです。お父さん世代から若い女性へ…彼らの登場はプロ野球が新時代に突入したといっても過言ではないと思いますね。

1990年(平成2年)セ・リーグ新人王:与田剛(よだつよし)

続きましては、プロ野球史上最高の豊作年といわれた1989年ドラフトで入団した選手たちの高レベルさが反映された1990年のセントラル・リーグ新人王争いをご紹介します。

社会人卒入団1年目:与田剛(中日ドラゴンズドラフト1位/投手)成績

登板 勝利 敗戦 セーブ 投球回 奪三振 防御率
50 31 88.1 70 3.26

社会人卒入団1年目:佐々岡真司(広島東洋カープドラフト1位/投手)成績

登板 勝利 敗戦 セーブ 投球回 奪三振 防御率
44 13 11 17 151.1 129 3.15

社会人卒入団1年目:古田敦也(ヤクルトスワローズドラフト2位/捕手)成績

試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 打率
106 280 70 26 .250
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後に中日、広島、ヤクルトの監督となるプロ野球史上最高の豊作ドラフト年に入団した社会人選手によるハイレベルな争い

亜細亜大学からNTT東京を経て中日ドラゴンズからドラフト1位指名を受けた与田剛投手、NTT中国から広島カープに1位指名で入団した佐々岡真司投手、そして立命館大学からトヨタ自動車を経てヤクルトスワローズにドラフト2位指名で入団した古田敦也捕手という、即戦力の呼び声高い社会人選手の争いとなったこの年のセリーグ新人王レース。

MAX157㎞の剛速球を武器に31セーブを挙げてセントラルのセーブ王タイトルに輝いた与田投手に、魔球と称される程のキレを誇るスライダーを操って先発・抑えにフル回転した佐々岡投手、そして野村ID野球の申し子としてヤクルトでキャッチャーのレギュラーポジションを奪取し、盗塁阻止率リーグ1位となってゴールデングラブ賞を獲得した古田捕手…どの選手も他の年ならば文句なしの新人王だったことでしょう。その証拠に、新人王を逃した佐々岡投手にはセントラル・リーグ会長特別賞が贈られています。

このハイレベルな争いを制したのはタイトルホルダーとなった与田選手。しかし翌年から肩や肘の故障に苦しんだ与田選手はこの年がキャリアハイとなったのに対し、佐々岡選手は2年目に最多勝、古田捕手も2年目に首位打者のタイトルを獲得して飛躍、という対照的なプロ野球人生を送ることとなりました。

なお、この3選手は後にそれぞれドラフト1位指名を受けた各球団の監督を務めることとなります。

コメント

  1. リキ太 より:

    私の中での史上最高の新人王が野茂だったのですが、こうやって改めて数字で見ると本当に凄まじかったんですね。新人のデータじゃないですね。

    インパクトも抜群で正に記憶にも記録にも残る投手だったのですね。
    そして…潮崎や石井と同年だったのですね。何という豊作の年!

    基本セリーグファンでしたが、パリーグは何でこんなに天才が出てくるんだろうって考えていたことを思い出しました。

    • りぞっと より:

      うちもセ・リーグファンでしたね。うちの親父は阪神ファンで母は巨人ファンという、考え得る最悪の組み合わせです(笑)阪神巨人戦では必ずどちらかが不機嫌になるという…爆汗
      個人的に西武ライオンズの全盛期に育った世代なので、黄金期西武や近鉄いてまえ打線を見ていてパ・リーグの凄さに羨望さえ覚えたのは懐かしい想い出です。