野球における大記録の一つであり、投手にとっての夢ともいえるのが「完全試合」。「パーフェクトゲーム」とも呼ばれる、投手にとっては最高の栄誉であり夢の記録、しかしそれ故にとんでもなく高い難易度を誇っている大記録、それが「完全試合」なのです。
ここではそんな夢の大記録、「完全試合」を成し遂げた日本プロ野球界の大投手たちをご紹介したいと思います。
ノーヒットノーランより遥かに難易度の高い完全試合(パーフェクトゲーム)とは
日本プロ野球界における完全試合の記録をご紹介する前に、まずは簡単に完全試合についてご説明しましょう。
投手にとっての夢の大記録「完全試合」とはその名の通り、まさしく投手が完全に相手打線を抑えきる事を要求する記録です。
「投手が相手打線を完全に抑えきる」とはどういうことか?ヒットを1本も打たせない事?もちろんそうです。でもそれだと「ノーヒットノーラン」という記録があります。文字通り、ヒットを一本も打たせずに得点も与えないという記録、それを「ノーヒットノーラン」といいます。
完全試合はそれよりも遥かに難易度が高いです。簡単に言いましょう。完全試合とは、
「一人のランナーも相手に許さない事」
です。
「一人のランナーも許さない」という事は、ヒットを1本も打たせないのはもちろんの事、四死球を1つも出さず、そしてさらに味方のエラーでの出塁も許されないという事です。打者27人を連続でアウトにするという事なのです。一人たりとも例外は許されません。
どうでしょう。ヒットも四死球もエラーもダメ。そりゃあ投手にとっては夢の大記録なのも頷けます。そしてだからこそこれまでに達成者がノーヒットノーランに比べて異様なまでに少ないという事も・・
こんな夢の大記録を達成したNPBのピッチャーたちをご紹介しましょう。
藤本英雄(ふじもとひでお/読売巨人軍) 1950年(昭和25年)対西日本パイレーツ
スコア :巨人4-0西日本パイレーツ
達成日 :昭和25年6月28日
球 場:青森市営球場
達成投手:藤本英雄(ふじもとひでお)
生年月日:1918年(大正7年)5月18日
没年月日:1997年(平成9年)4月26日(満78歳没)
通算成績:200勝87敗
戦前・戦後の巨人軍、いやプロ野球界を代表するエースがこの藤本英雄さんです。日本プロ野球界完全試合第1号に相応しい投手といってもいいでしょう。最多勝1度、最優秀防御率3度のタイトル歴を初め、1949年には沢村賞にも選ばれました。戦前から戦後にかけて活躍し、「じゃじゃ馬」と呼ばれたプロ野球界のレジェンド、青田昇氏によればこの藤本英雄さんの武器のホップしてストレートの軌道から急激に曲がるスライダーは長いプロ野球史の中でも、稲生和久、伊藤智仁とこの藤本英雄さんしか投げられなかったものなのだそうです。そのスライダーを武器に巨人のエースとして活躍しました。
ちなみにこの西日本パイレーツ戦での完全試合達成時に32歳1か月という記録は、現在に至るまで日本プロ野球界最年長完全試合達成年齢として燦然と輝いています。
武智文雄(たけちふみお/近鉄バファローズ) 1955年(昭和30年)対大映スターズ
スコア :近鉄1-0大映スターズ
達成日 :昭和30年6月19日
球 場:大阪球場
達成投手:武智文雄(たけちふみお)
生年月日:1926年(大正15年)11月14日
没年月日:2013年(平成25年)7月1日(満86歳没)
通算成績:100勝137敗
最多勝のタイトルを獲得する等、プロ野球創成期の日本プロ野球界を代表するサブマリンがこの武智文雄さんです。後に杉浦忠や山田久志、足立光宏、松沼兄、仁科時成など多くのアンダースローの名投手を輩出したパ・リーグですが、パシフィックリーグ初の完全試合の快挙はこの当時近鉄のエースとして活躍したアンダースロー投手が達成しました。
ちなみにこの快挙達成からわずか2か月余りの同年8月30日の同じく対大映スターズ戦でもこの武智投手は大映打線を9回1アウトまでパーフェクトに抑え、後2人というところまで迫りました。この時は惜しくも達成を阻止されましたが、もし達成していれば同一投手で2度の完全試合、それも同一年内にという完全不滅の大記録となるところでした。
宮地惟友(みやじよしとも/国鉄スワローズ) 1956年(昭和31年)対広島東洋カープ
スコア :国鉄6-0広島東洋カープ
達成日 :昭和31年9月19日
球 場:石川県営兼六園野球場
達成投手:宮地惟友(みやじよしとも)
生年月日:1932年(昭和7年)1月18日
通算成績:33勝57敗
この年の国鉄スワローズは球界の盟主と呼ばれていた読売ジャイアンツと11勝13敗とほぼ互角の戦いを見せた年でした。投手で左のエース金田正一とともに右のエースとしてチームをけん引したのが宮地惟友投手。そしてこの宮地投手が日本プロ野球界通算三人目の大記録達成者となりました。
この大記録を達成した後には肩やひじの故障などに苦しめられた宮地投手、結局プロのキャリアで二けた勝利を挙げたのはこの1956年のみでした(12勝12敗)。しかしこの大記録は永遠に語り継がれる事は間違いありません。そしてこの宮地投手の完全試合は、日本プロ野球界の完全試合記録の中でも、79球で達成という最小投球数記録でもあります。ハッキリ言ってこの最小球数完全試合記録はほぼ破られない不滅の記録といっていいと思いますね。
金田正一(かねだまさいち/国鉄スワローズ) 1957年(昭和32年)対中日ドラゴンズ
スコア :国鉄1-0中日ドラゴンズ
達成日 :昭和32年8月21日
球 場:中日球場
達成投手:金田正一(かねだまさいち)
生年月日:1933年(昭和8年)8月1日
通算成績:400勝298敗
永久不滅の大記録、不世出の大投手、金田正一。言うまでもない日本プロ野球界のレジェンドです。このレジェンドの400勝のうちの1勝はパーフェクトゲームによるものなのです。400勝もしているのだから完全試合も・・と思われる方がいれば、それは大間違いです。200勝・250セーブ以上を達成した名球界投手(昭和生まれ)20人のうち、完全試合を達成しているのはなんとこの金田正一ただ一人!これだけでも完全試合のハードルの高さがお分かりいただけるはずです。
そして日本プロ野球で達成された全完全試合のうち、サウスポー(左腕投手)の達成者はこの金田正一ただ一人。後は全て右腕投手の快挙なのです。さらにこの金田正一が完全試合を達成した中日ドラゴンズ戦は、9回1アウトから親藩講義とそれに付随する観客乱入によって試合が43分間も中断するというアクシデントのおまけつきです。43分もの中断を挟んだら普通は肩も冷えるし何より精神的に糸が切れそうなものなのですが、そんなものはお構いなしとばかりに記録を達成してしまう辺りがこの金田正一の金田正一たる所以といってもいいのではないでしょうか。
西村貞朗(にしむらさだあき/西鉄ライオンズ) 1958年(昭和33年)対東映フライヤーズ
スコア :西鉄1-0東映フライヤーズ
達成日 :昭和33年7月19日
球 場:駒澤野球場
達成投手:西村貞朗(にしむらさだあき)
生年月日:1934年(昭和9年)11月25日
没年月日:2015年(平成27年)8月3日(満80歳没)
通算成績:82勝47敗
琴平高校から西鉄ライオンズに入団し、2年目から22勝、19勝、21勝と3年連続で凄い成績を残しながら肩を壊して変化球投手へと変貌した西村貞朗投手が乾坤一擲の投球を見せたのがこの東映戦での完全試合です。
当時の西鉄といえば、中西太、豊田泰光など野武士集団と呼ばれるほどにワイルドで個性派の選手が集まっていた事でも有名ですが、この西村投手も例に漏れず豪胆な性格の一端があったようで、このパーフェクト達成試合の時には、3回を投げ切った時点ですでにナインに対して
「さあ、完全試合じゃけん。しっかり守らんといかんよ」
と言ってのけたそうです。素晴らしい胆力ですよね。こうでなければこんな普通じゃできない記録など達成できないのかもしれません。
まずこの記事では完全試合投手を達成の速い順番に5投手ご紹介しました。ハッキリ言ってまだまだ序の口です。この続きは以下の記事でご覧ください。
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