史上空前の投手豊作年と言われた2016年のプロ野球ドラフト会議。
蓋を開けてみれば、目玉と言われた創価大学の田中正義投手に5球団が重複1位指名(ソフトバンク・ホークスが抽選権獲得)となり、さらに外れ1位でも史上最多となる5球団が桜美林大学の佐々木千隼投手に殺到するというドラマを見せてくれました。
ピッチャーの当たり年と言われた2016ドラフトですが、来年2017年は一人の高校生野手に注目が集まるのは間違いないと言われています。そうです、早稲田実業学校高等部の清宮幸太郎選手です。
プロ志望届を出せば2017ドラフトは史上初の12球団1位指名?
現在早稲田実業2年生の清宮選手は来年高校三年生を迎えます。清宮選手がプロに進むかどうかはまだわかりません。同じく早実のエースとしてドラフトで注目された「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹投手のように早稲田大学進学という可能性も十分に考えられます。
しかし、もしもプロを志望するとなれば、これはもう大争奪戦が繰り広げられることは必至といってもいい状況となるでしょう。
恐らくこれまでの高卒野手最多の1位指名7球団競合となった、1995年のPL学園・福留孝介選手を上回る1位指名となる可能性もかなり高く、それどころか史上初の12球団すべてが1位指名する可能性さえあるとまでいわれています。
もしもそれだけの注目を集めてプロに入った場合、入団したチームによっては、清宮選手を一軍に帯同させ、いきなりスタメンで起用して英才教育を施すという可能性もかなり高いでしょう。いや、一部球団を除けばそういう起用法をする球団の方が多いと思われます。もちろん実力だけでなく、清宮選手の人気という側面もあるでしょう。
強打者がそろう一塁手(ファースト)でのスタメンは高卒野手には最もハードルが高いポジション?
清宮選手の現在のポジションはファースト(一塁手)。ここは高い打力が求められるポジションであり、各球団ともクリーンアップを打てる選手が守っているポジションです。2016年を例にとっても、阪神のゴメス、日ハムの中田翔、巨人の阿部慎之助、広島の新井貴浩、中日のビシエド、DeNAのロペスなどなど・・・
普通に考えれば高卒ルーキーがレギュラーで起用されるようなポジションではありません。
しかし、だからこそもしも高卒野手としていきなり開幕戦からファーストでスタメンを勝ち取るようなことになれば、それはプロ野球史に残る偉業という事となります。
過去に高卒1年目の開幕戦で一塁手としてスタメン起用された選手というのは、長いプロ野球界の歴史において、たったの二人しかいません。
しかしその三人がまたすごい選手たちばかりなのです。
まさに日本プロ野球界のレジェンドといっていい選手たちばかり。果たして清宮幸太郎はこのレジェンドたちに並ぶことができるのか?
ここにその選ばれし三選手をご紹介しましょう。
榎本喜八(えのもときはち) 毎日オリオンズ 日本プロ野球で最も神に近づいた男
生年月日 :1936年(昭和11年)12月5日
没年月日 :2012年(平成24年)3月14日(満75歳没)
出 身:東京都中野区
身 長:172cm
体 重:71kg
出 身 校:早稲田実業学校高等部
プロ入り :1955年
背 番 号:3
通算安打 :2314安打
通算本塁打:246本塁打
多くの同時代選手が口を揃えてプロ野球歴代最強打者として名を挙げるのが、この榎本喜八です。高卒1年目から一塁手としてスタメンを獲得し、新人王を獲得しました。
ノムさんこと野村克也氏は「最も恐ろしいバッター」といい、元ミスターロッテの有藤道世氏は「天才の中の天才」と評し、「打撃の神様」川上哲治氏は「打撃の神様の称号は自分ではなく榎本にこそふさわしい」と賛辞を送り、3000本安打の安打製造機、張本勲氏は「理想的なバッティング、完璧な左打者」と絶賛しています。
これらの評価以外にもこの天才打者を表する声はたくさんあるのですが、ここでは書ききれない程なので、榎本喜八という天才打者については別記事ででも述べたいと思います(気長に待ってください笑)。
とにかくこの榎本喜八という選手を一言で表すとすれば、理想の打撃を求めてそれを追求した「求道者」といえるのではないでしょうか。生活の全ては野球のため、理想とするバッティングを完成させる事だけを追求していた選手ですね。そのエピソードは枚挙にいとまがないほどです。
この榎本喜八のもう一つの凄さは、選球眼。絶対にボール球には手を出さないという、プロ野球史上最も選球眼の良い選手であったと言われています。
高卒1年目に選んだ87四球はパリーグ最多。続く2年目にもリーグ最多の95四球を選んでおり、高卒新人から2年連続最多四球という記録の持ち主です。恐らくこの記録はこれから先も絶対に破られる事のない記録となる事は間違いありません。それほどに凄い記録だと思いますね。
プロ野球史上、最も「神の領域」に近付いたともいわれている不世出の天才打者。
その存在は彼の記録とともに、榎本喜八という選手と戦った同時代のレジェンドたちの記憶や証言によってこれからもプロ野球史に残っていく事でしょう。
王貞治(おうさだはる) 読売ジャイアンツ 世界のホームラン王
生年月日 :1940年(昭和15年)5月20日
出 身:東京都墨田区
身 長:177cm
体 重:79kg
出 身 校:早稲田実業学校高等部
プロ入り :1959年
背 番 号:1
通算安打 :2786安打
通算本塁打:868本塁打
ご存知「世界のホームラン王」、本塁打世界記録を保持する王貞治も高卒一年目から名門巨人軍で一塁スタメンを勝ち取った選手でした。
早稲田実業で投手として甲子園優勝を成し遂げたスター選手であった王貞治ですが、プロ入り後はその打撃を評価されてすぐに打者へと転向します。1年目のオープン戦で5本のホームランを打つなど活躍した王は、開幕戦で7番ファーストとしてスタメンの座を獲得しました。
しかし開幕戦の相手は国鉄スワローズ。投手は後の400勝投手で、当時バリバリの全盛期であった金田正一でした。王は金田の前に3打席無安打2三振と抑え込まれ、これを機にオープン戦の好調が嘘であったかのように打撃不振に陥ってしまいます。結局1年目の数字は打率.161、本塁打7という厳しい結果に終わり、プロの高い壁を痛感させられたのでした。
そして、この屈辱のシーズンから3年後、伸び悩んでいた王貞治は師匠ともいえる荒川博コーチとともに生み出した一本足打法でホームラン王に輝き、その年から13年連続のホームラン王に輝くという偉業を成し遂げていく事となります。
王貞治が高卒1年目から球界の盟主・巨人軍でスタメンを勝ち取れたのは、ちょっとした幸運もありました。それまで巨人軍の顔として君臨していた不動の一塁手であった川上哲治が王入団の前年に引退していたのです。もしも川上の引退が1年遅れていれば、間違いなく王貞治の開幕スタメンはなかったでしょう。あったとしてもファースト以外のポジションにコンバートされていた可能性もあります。そうなっていれば、これだけの記録を残せたかわからないかもしれません。
超一流選手にはそれだけの運があるともよく言われますが、やはり世界の王もそんな星の下に生まれていたのだなあと思わせるエピソードですよね。
敢えてスラッガーのひしめく一塁手として勝負してほしい
長い長い日本プロ野球の歴史の中で、高校を卒業して即一塁手として開幕スタメンを勝ち取った選手は榎本喜八、王貞治の二人だけ。しかもこの二人、どちらも早稲田実業の選手だったのです。
こうなると早実の清宮幸太郎に大きな期待をかけてしまうのも致し方ないのではないでしょうか。
清宮幸太郎という選手の出番の多さという事を考えれば、外野だとか三塁手だとかという選択肢を広げた方がいいのかもしれませんが、榎本喜八、王貞治のように打撃を極限まで極めるのであれば、守備負担の少ないファーストで出場した方がいいかもしれません。
むしろ個人的にはバッティングをとことんまで追求するバッターであってほしいと思います。当然プロなのですからあまりにお粗末な守備や走塁という事では困ってしまいますが、ファンの多くが清宮に求めるのはやはりそのバッティングでしょう。
高卒ルーキーながらも、並みいる日本人や外国人のスラッガーたちを押しのけて開幕ファーストのスタメンを勝ち取るなんてすばらしく夢のあるニュースだと思いますし、人気低迷が叫ばれるプロ野球人気復活の起爆剤となるであろうことは間違いありません。
間違いなく開幕スタメンに名を連ねる実力は備わっていると思います。あとは出来れば野手の層が薄く、特に一塁手に強烈なスラッガーのいないチームに入って欲しいですね。あ、その前にプロ志望するかどうかですよね・・(汗)。
コメント