大学野球界といえば、これまでに幾多の名選手たちを輩出してプロ野球界に送り込んできました。
中には、同じ年に同学年の名選手たちが同時にプロ野球に入団して話題となった例も多くあります。
そこでここでは、過去に東都リーグなどで実績を残し、駒澤大学で「三羽烏(ガラス)」と呼ばれて同じ年にプロ野球入りした選手たちをそのプロ野球実績なども含めてご紹介したいと思います。
1976年(昭和51年)にプロ野球巨人軍に入団した駒澤大学野球部三羽烏(ガラス)
1976年(昭和51年)に駒澤大学からプロ野球入りした野球部の同級生三選手がいわゆる「駒大三羽烏」と呼ばれた存在です。
彼らは大学野球で大活躍し、鳴り物入りでプロ野球に同期入団して大きな話題を振り撒きました。特に同大学の三人の選手が同一球団、それも人気球団の巨人軍入団にという事で特に大きく報道されましたね。
そんな駒大三羽烏と呼ばれた野球選手のプロフィールや現役実績、入団時のドラフト順位などをご紹介していきます。
読売ジャイアンツ入団 中畑清(なかはたきよし)
名 前:中畑清
生年月日 :1954年(昭和29年)1月6日
出 身:福島県西白河郡矢吹町
身 長:183cm
体 重:80kg
投 ・ 打:右投右打
ポジション:一塁手、三塁手
プロ入り :1976年読売ジャイアンツ入団
指名順位 :ドラフト1位
球団履歴(現役選手時代)
読売ジャイアンツ(1976年~1989年)
通算成績(現役実績)
1248試合
4458打数1294安打 .290
171本 621打点 70盗塁
駒大三羽烏からまずご紹介するのが、「絶好調男」「ヤッターマン」など様々な異名をとった、1980年代巨人の人気選手、中畑清氏。
入団3年目までは二軍暮らしが続きましたが、3年目のオフに行われた日米野球でのホームランで大ブレイク。翌年にはレギュラーを獲得し、そのオフに長嶋茂雄監督が行った伝説の“地獄の伊東キャンプ”で頭角を現して後の中心選手となった一人です。
打撃主要三冠タイトルには縁のなかった選手ですが、その明るいキャラクターやハッスルプレーは間違いなくON引退後の巨人人気を支えた存在です。
現役引退後はアテネオリンピックで本番直前に倒れた長嶋茂雄監督の監督代行として日本代表を率いて銅メダルを獲得。その後は新たに誕生した横浜DeNAベイスターズ初代監督を務め、後の主力となる筒香選手や梶谷選手、山崎康晃投手など多くの若手選手を育て上げ、球団の人気も飛躍的にアップさせました。
果たして、「絶好調男」の巨人軍帰還はこの先あるのでしょうか。私見ですが、今の巨人に必要なのは中畑氏のような人材だと思うのですが…
読売ジャイアンツ入団 二宮至(にのみやいたる)
名 前:二宮至
生年月日 :1953年(昭和28年)11月15日
出 身:広島県東広島市八本松町
身 長:174cm
体 重:73kg
投 ・ 打:右投右打
ポジション:外野手
プロ入り :1976年読売ジャイアンツ入団
指名順位 :ドラフト外
球団履歴(現役選手時代)
読売ジャイアンツ(1976年~1983年)
通算成績(現役実績)
239試合
71打数8安打 .113
0本 2打点 3盗塁
現役時代は主に守備・走塁で存在感を発揮した駒大三羽ガラスの一人、二宮至氏。
残念ながら現役時代は派手な活躍とは無縁だった二宮氏がその真価を発揮したのは現役引退後。高校野球の指導者となるために母校に二年間通って教員免許を取得、魚市場で働きながら大学に通った時期もありました。その後、野球教室を開催する芸能プロダクション「サディーカ(現在は“サイン”)」を設立し、社会への野球の普及にも尽力しました。
その後はそんな地道な活動をしっかり評価していた当時中日監督だった星野仙一氏に誘われてコーチとして球界に復帰。2012年には横浜DeNAベイスターズ監督となった盟友・中畑氏に誘われてベイスターズにコーチとして入閣。中畑氏の退団後も二軍監督などを歴任し、2018年には星槎道都大学監督に就任しました。
名選手名監督に非ずという言葉がありますが、指導者としての適性は現役実績と比例しないという事をこの二宮氏は身をもって示してくれていますね。
読売ジャイアンツ入団 平田薫(ひらたかおる)
名 前:平田薫
生年月日 :1954年(昭和29年)2月9日
出 身:香川県坂出市
身 長:174cm
体 重:73kg
投 ・ 打:右投右打
ポジション:二塁手、一塁手
プロ入り :1976年読売ジャイアンツ入団
指名順位 :ドラフト外
球団履歴(現役選手時代)
読売ジャイアンツ(1976年~1984年)
横浜大洋ホエールズ(1985年~1987年)
ヤクルトスワローズ(1988年)
通算成績(現役実績)
452試合
687打数164安打 .239
22本 112打点 4盗塁
駒大三羽烏最後の一人は、現役時代に左投手にめっぽう強く「左殺し」の異名を取った打撃の職人、平田薫氏。
今や東都リーグの優勝の常連として多くの名選手を輩出している大学野球の強豪、駒澤大学ですが、この平田選手や中畑選手、二宮選手ら名伯楽・太田誠監督が発掘した選手たちの活躍によって駒大は全国の幾多の強豪大学に伍する存在となっていきました。
中畑氏がDeNA監督となって二宮氏がコーチに就任した時、「平田氏も加入して駒大三羽烏復活か??」と胸躍ったのはわたしだけではないはずです(笑)。見てみたかったですけどね。
なお、その他の大学野球の三羽烏については以下の記事をご覧ください。
コメント
中畑清さんは、ドラフト3位でしたね!