80年以上の歴史を誇る日本プロ野球界では数多くの名選手が生まれましたが、それはチームの指揮を執る監督についても同様です。そして長い長い日本プロ野球の歴史の中で生まれた格言の中に、「名選手、必ずしも名監督ならず」という言葉があります。
ここでは日本プロ野球史における監督通算勝利数ランキングとともに、そんな上位監督の選手実績もご紹介してこの格言を検証してみたいと思います(データは2019シーズン終了時のもの)。
21位~31位 三冠王に巨人エース、守備の達人に阪神最強の5番打者etc…
まずは通算勝利数21位から31位の監督さんを一気にご紹介します。
順位 | 監督(選手)名 | 監督通算勝利・敗戦成績 | 勝率 | 優勝回数 | 現役時代成績 |
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31 | 広岡達朗 | 498勝406敗62分 | .551 | 4回 | 1327試合1081安打 |
30 | 藤田元司 | 516勝361敗33分 | .588 | 4回 | 364登板119勝 |
29 | 石本秀一 | 525勝553敗34分 | .487 | 2回 | プロ実績なし |
28 | 浜崎真二 | 535勝639敗29分 | .456 | 0回 | 30登板5勝 |
27 | 栗山英樹 | 576勝542敗29分 | .515 | 2回 | 494試合336安打 |
25 | 岡田彰布 | 581勝521敗39分 | .527 | 1回 | 1639試合1520安打247本塁打 |
25 | 白石勝巳 | 581勝736敗42分 | .441 | 0回 | 1651試合1574安打 |
24 | 根本陸夫 | 598勝687敗66分 | .465 | 0回 | 186試合70安打 |
23 | 伊東勤 | 626勝625敗15分 | .500 | 1回 | 2379試合1738安打 |
22 | 松木謙治郎 | 628勝 | .511 | 0回 | 479試合448安打 |
21 | 落合博満 | 629勝491敗30分 | .562 | 4回 | 2236試合2371安打510本塁打 |
名監督が揃いますが、選手としても超一流どころだった方が多いですね。プロ野球記録となる三冠王三度の落合博満氏を筆頭に巨人エースだった藤田元司氏に新人王の堅守・広岡達郎氏、昭和60年阪神優勝のクリーンナップ、岡田彰布氏、さらに戦前に大阪阪神の主砲としてホームラン王や首位打者に輝いた松木謙治郎氏…凄いメンツです。
選手実績のない石本秀一氏はプロ野球創設前にアマチュア野球で活躍した方ですし、浜崎真二氏も全盛期を過ぎたころにプロ野球に参加して、残っている成績は45歳~47歳の時のものであり、プロ野球があれば間違いなく一流選手として数字を残していた方々ですね。
11位~20位 ミスター赤ヘルに球界のドン、西武の名将に広島の知将etc…
順位 | 監督(選手)名 | 監督通算勝利・敗戦成績 | 勝率 | 優勝回数 | 現役時代成績 |
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20 | 山本浩二 | 648勝681敗29分 | .488 | 1回 | 2284試合2339安打536本塁打 |
19 | 大沢啓二 | 725勝723敗99分 | .501 | 1回 | 988試合501安打 |
18 | 中西太 | 748勝811敗81分 | .480 | 1回 | 1388試合1262安打244本塁打 |
17 | 森祇晶 | 785勝583敗68分 | .574 | 8回 | 1884試合1341安打 |
16 | 梨田昌孝 | 805勝776敗31分 | .509 | 2回 | 1323試合874安打 |
15 | 古葉竹識 | 873勝791敗137分 | .525 | 4回 | 1501試合1369安打 |
14 | 仰木彬 | 988勝815敗53分 | .548 | 3回 | 1328試合800安打 |
13 | 原辰徳 | 1024勝776敗58分 | .569 | 8回 | 1697試合1675安打382本塁打 |
12 | 長嶋茂雄 | 1034勝889敗59分 | .538 | 5回 | 2186試合2471安打444本塁打 |
11 | 川上哲治 | 1066勝739敗61分 | .591 | 11回 | 1979試合出場2351安打 |
11位にはON砲を擁して不滅のV9という記録を築いた“球界のドン”川上哲治氏に1980年代後半~90年代前半にかけてAK砲を中心とした西武ライオンズ黄金時代を築いた森祇晶氏、昭和50年代に広島カープを率いて赤ヘル黄金期の指揮官だった古葉竹識氏…と、各時代の最強軍団を率いた名将がズラリと並んだ11位~20位。
驚くべきは、この監督勝利数11位から20位における指揮官10人全てが野手出身監督であるという事でしょう。しかもうち9人は現役時代に1000試合以上出場した主力選手であり、うち3名は2000本以上のヒットを放ったレジェンド級の選手なのです。この辺りのランキングを見る限りは、「名選手はやはり名監督なり」といっていいのではないでしょうか。
勝利数10位 “闘将/燃える男” 星野仙一(ほしのせんいち) 1182勝
名 前:星野仙一(ほしのせんいち)
生年月日:1947年(昭和22年)1月22日
没年月日:2018年(平成30年)1月4日(70歳没)
出 身:岡山県児島郡福田町(現:倉敷市)
闘将、燃える男と呼ばれ、日本プロ野球史とファンに強烈な印象を残した男、星野仙一。まさに記録より記憶に残る名選手、名監督です。そんな星野仙一氏の監督・選手としての記録が以下の通りとなります。
監督名 | 監督通算勝利・敗戦成績 | 勝率 | 優勝回数 | 所属球団(監督) |
---|---|---|---|---|
星野仙一 | 1181勝1043敗53分 | .531 | 4回 | 中日、阪神、楽天 |
選手名 | ポジション | 通算成績 | 獲得タイトル | 所属球団(選手) |
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星野仙一 | 投手 | 500登板146勝34セーブ | 最多セーブ 1回 最高勝率 1回 |
中日 |
現役時代は中日ドラゴンズのエースとして活躍、特に巨人戦に強く、「巨人キラー」として鳴らしました。そして監督時代は現役時代以上に輝いた存在でした。阪神タイガースの17年振りとなるリーグ優勝、楽天ゴールデンイーグルスを球団創設以来初のリーグ優勝と日本一…本当にドラマチックな優勝が多く、本当に記憶に残る人物です。惜しまれながら2018年に70歳の生涯を終えた“燃える男”星野仙一ですが、その記憶は永遠に野球ファンの記憶に残り続ける事でしょう。
勝利数9位 “球界の紳士” 別当薫(べっとうかおる) 1237勝
名 前:別当薫(べっとうかおる)
生年月日:1920年(大正9年)8月23日
没年月日:1999年(平成11年)4月16日(79歳没)
出 身:兵庫県西宮市
眼鏡をかけたインテリ然としたその風貌はおよそ当時のプロ野球監督像からかけ離れたものであり、そんなルックスから“球界の紳士”の異名を取った別当薫氏が監督勝利数第9位にランクインしました。
監督通算勝利・敗戦成績 | 勝率 | 優勝回数 | 所属球団(監督) |
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1237勝1156敗104分 | .517 | 0回 | 毎日→大毎、近鉄、大洋、広島、大洋 |
ポジション | 通算成績 | 獲得タイトル | 所属球団(選手) |
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外野手・投手 | 891試合965安打155本塁打 3登板0勝 |
ホームラン王 1回 打点王 1回 |
大阪、毎日 |
個人的なお話で申し訳ないのですが、わたしの物心ついた時の大洋ホエールズの監督がこの別当氏でしたね。大洋が緑とオレンジのユニフォームだった頃のお話です(笑)。
とまあ与太話はこれくらいにしといて(爆汗)…この別当薫氏、プロ入りが28歳と遅かったため、通算成績は突出したものではありませんが、パシフィック・リーグの初代MVPを獲得し、プロ野球史上初のトリプルスリー(3割・30本塁打・30盗塁)を達成した攻走守揃ったオールラウンドプレイヤーとして恐れられた名選手でした。
監督としても複数球団を渡り歩き、当時は決して名門・強豪といわれるようなチームではなかったにも拘らず、1237勝で勝率.517という数字は素晴らしいという他ないでしょう。ただ惜しむらくは優勝出来なかったことでしょうか。まさに「無冠の帝王」という言葉が相応しい名将かもしれません。
勝利数8位 “世界のホームラン王” 王貞治(おうさだはる) 1237勝
名 前:王貞治(おうさだはる)
生年月日:1940年(昭和15年)5月20日
出 身:東京府東京市本所区(現:墨田区)
この方について詳細な説明は不要でしょう。本塁打数868本の世界記録を持ち、世界中の野球人からのリスペクトを受ける「世界のホームランキング」王貞治氏その人であります。
監督通算勝利・敗戦成績 | 勝率 | 優勝回数 | 所属球団(監督) |
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1315勝1118敗74分 | .540 | 4回 | 巨人、ダイエー→ソフトバンク |
ポジション | 通算成績 | 獲得タイトル | 所属球団(選手) |
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内野手 | 2831試合2786安打868本塁打 | 首位打者 5回 ホームラン王 15回 打点王 13回 最多出塁 12回 最多安打 3回 |
巨人 |
打撃三冠タイトル獲得だけでも計33回、本塁打数は世界歴代最多を誇る、まさに世界の野球界におけるレジェンド中のレジェンドがこの王貞治氏です。MLBの超一流選手からもリスペクトを受ける人物ですね。
監督としては、巨人時代は無念の辞任でしたが、ダイエー・ソフトバンク時代には同チームをパ・リーグきっての常勝球団へと成長させ、優勝も3度を数えました。さらに記念すべき第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも日本代表を率いて侍ジャパンを世界一へと導き、世界レベルでの名将の称号も得ました。監督としてもレジェンドの存在へと昇りつめた、まさにスーパースターですね。
勝利数7位 “オールマイティ型知将” 上田利治(うえだとしはる) 1322勝
名 前:上田利治(うえだとしはる)
生年月日:1937年(昭和12年)1月18日
没年月日:2017年(平成29年)7月1日(80歳没)
出 身:徳島県海部郡宍喰町(現:海陽町)
関関同立と呼ばれる関西私立大学の名門の一つ、関西大学出身で一時期は弁護士を目指したほどのインテリぶりで知将の名を欲しいままにし、阪急ブレーブスの黄金期を創出した上田利治氏が7位にランクインしましたね。育成にも采配にも秀でていたことから“オールマイティ型”の知将として知られている名監督です。
監督通算勝利・敗戦成績 | 勝率 | 優勝回数 | 所属球団(監督) |
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1322勝1136敗116分 | .538 | 5回 | 阪急→オリックス、日本ハム |
ポジション | 通算成績 | 獲得タイトル | 所属球団(選手) |
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捕手 | 121試合56安打 | なし | 広島 |
広島カープでコーチとして数々の名選手を育てて頭角を現し、監督としてはあの名将・西本幸雄氏の後を継いで阪急の監督に就任し、昭和50年~52年までの日本一三度を含むリーグ4連覇を成し遂げました。とにかくその監督生活では数え切れない程多くの名選手を育て上げ、その中には山本浩二や衣笠祥雄、加藤秀司、小笠原道大ら後の名球界選手も含まれていました。
しかしそんな上田氏も現役生活はわずか3年間。放ったヒットの数はわずか56本と、お世辞にも成功者とは言えない成績でした。しかし指導者としてはプロ野球史に語り継がれる阪急黄金期を作り上げた名将として語り継がれています。
というわけで日本プロ野球界における監督通算勝利数の30位から7位までをご紹介しました。続きは以下からどうぞ。
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