巨人軍歴代監督の勝敗や優勝回数等全成績一覧 読売ジャイアンツの指揮官全16人データ②川上哲治から高橋由伸まで

「生え抜きのエースか四番打者でなければなれない」という不文律があるといわれている日本プロ野球界の名門、読売ジャイアンツの監督の座。

そんな巨人軍監督の歴代の面々の後編をご紹介していきましょう。巨人軍監督前編については以下のリンクからどうぞ。

巨人軍歴代監督の勝敗や優勝回数等全成績一覧 読売ジャイアンツの指揮官全16人データ➀

スポンサーリンク



読売ジャイアンツ9代目監督:川上哲治(かわかみてつはる)

名   前:川上哲治(かわかみてつはる)
生年月日 :1920年(大正9年)3月23日
没年月日 :2013年(平成25年)10月28日(満93歳没)
出 身 地:熊本県球磨郡大村(現:人吉市)
出 身 校:熊本工業高校
公式戦勝敗:1066勝739敗61分
優勝回数 :11回(日本一が11回)
巨人監督期:1961年~1974年

現役時代は“打撃の神様”の異名を取り、日本プロ野球史上初の2000本安打達成者となり(大正生まれなので名球界資格は無し)、5度の首位打者に輝くなど巨人軍の4番打者として活躍した川上哲治氏。

「名選手名監督に非ず」という格言が野球界にはありますが、読売巨人軍第9代監督となった川上氏ほどその言に当てはまらない人物はいないでしょう。なんせ、巨人軍監督時代の1965年から1973年には永久不滅の大記録といえる「V9」を成し遂げたのですから。誤解なきよう言っておきますが、このV9というのはリーグ9連覇ではなく日本一の9連覇という意味です。リーグ優勝したうえに日本シリーズでも9年連続で勝利したという事です。まあホントに凄すぎる記録です。

9連覇中以外でも2度日本シリーズに進出した川上巨人はその2度の日本Sでも勝利し、川上監督の日本シリーズ勝利数は全勝の11度となっており、まさに短期決戦の鬼といってもいい成績となっています。

わたしの世代における川上監督といえば、プリティ長嶋さんとコンビでテレビに出ていたモノマネタレントの「ドン川上(DON)」さんのイメージが強いのですが(笑)、選手としても監督としてもまあ凄い人なのです。

読売ジャイアンツ10代目・14代目監督:長嶋茂雄(ながしましげお)

名   前:長嶋茂雄(ながしましげお)
生年月日 :1936年(昭和11年)2月20日
出 身 地:千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)
出 身 校:佐倉第一高校
公式戦勝敗:1034勝889敗59分
優勝回数 :5回(日本一が2回)
巨人監督期:19751980年、1993~2001年

“V9”を成し遂げた川上監督の後継者となったのが、現役引退したばかりの「ミスタージャイアンツ」「ミスタープロ野球」と呼ばれた国民的スター・長嶋茂雄氏でした。時にミスター39歳という青年監督でした。

川上監督の下での9連覇後、高齢化する主力選手たちの後継者となる若手を育て上げた昭和時代の第一次政権、そして復活の平成第二次政権と、とにかくプロ野球界は長嶋ジャイアンツを中心として回っていたといってもいいかもしれません。それ程の存在でした。第二次政権下では中日との10・8決戦(1994年)やメークドラマ(1996年)等の後世に語り継がれるドラマチックな名場面も残してくれましたね。

第二期政権時のFAによる大砲補強がとかくいわれましたが、第1次政権時の中畑清や篠塚利夫、松本匡史、山倉和博らに加えて第二次政権時の松井秀喜や高橋由伸、二岡智宏、仁志敏久、清水隆行など、後の主力となるスラッガーたちを育て上げた長嶋監督の手腕は高く評価されて然るべきだと思いますね。特に松井秀喜氏を1000日計画の元、見事ジャイアンツの4番バッターへと育て上げたのはプロ野球界における功績といってもいいでしょう。

スポンサーリンク



読売ジャイアン11代目・13代目監督:藤田元司(ふじたもとし)

名   前:藤田元司(ふじたもとし)
生年月日 :1931年(昭和6年)8月7日
没年月日 :2006年(平成18年)2月9日(満74歳没)
出 身 地:愛媛県新居浜市
出 身 校:慶應義塾大学
公式戦勝敗:516勝361敗33分
優勝回数 :4回(日本一が2回)
巨人監督期:19811983年・1989~1992年

現役時代は巨人軍のエースナンバーである背番号18を背負ったエースでありながら、酷使の影響で肩を壊して全盛期は短かった藤田元司氏が第11&13代巨人軍監督を務めました。

第1次政権は長嶋茂雄監督の後継、そして第2次政権は王貞治監督の後継監督と、プロ野球の看板でもある「ON」の後を受けた監督でもありました。まさに巨人軍の非常時を託された藤田氏ですが、見事に巨人を蘇らせるミッションを全うした監督時代でした。

わたしが印象的なのは、藤田監督の試合後のコメントです。

勝った時にはとにかく選手を褒め、活躍した選手達を称える一方、負けた時には一切選手に言及はせずに自らの責任だというスタンスを一切崩す事のない監督でした。選手からすれば、この監督のために…と思えるような監督さんだったのだと思いますね。

第1次政権時には江川卓、西本聖、定岡正二、そして第2次政権時には斎藤雅樹、桑田真澄、槇原寛己という超強力な先発3本柱を確立させた投手力強化の手腕も実に見事でしたね。

読売ジャイアンツ12代目監督:王貞治(おうさだはる)

名   前:王貞治(おうさだはる)
生年月日 :1940年(昭和15年)5月20日
出 身 地:東京府東京市本所区(現:東京都墨田区)
出 身 校:早稲田実業学校高等部
公式戦勝敗:347勝264敗39分
優勝回数 :1回(日本一は無し)
巨人監督期:1984年1988年

第一次藤田政権で助監督を務め、1984年に満を持して誕生した王貞治巨人軍第12代監督。言わずと知れた、ホームラン世界記録として燦然と輝く868本塁打を記録した「世界の王」です。

結論から申し上げますと、ON砲として巨人のV9の原動力だった長嶋茂雄氏の第1次政権と同じく、王貞治監督の巨人軍監督時代は決して成功とは言えないものでした。優勝出来なかった就任からの3年間と、ラストイヤーにおけるマスコミからのバッシングもかなり酷かったというのをハッキリ記憶しています。

但し、長嶋監督が第2次政権で見事に監督として結果を出したように、王監督も1995年からのダイエー(ソフトバンク)ホークスにおける監督時代に見事リベンジを果たしました。現在の常勝ソフトバンクの礎を築いたのは間違いなく王貞治氏の功績といってもいいでしょう。

巨人時代の印象として一番強く残っているのは、ジャイアンツ史上最強助っ人と呼ばれたクロマティが王監督を“ボス”と呼んで慕い敬愛していた事でしょうか。クロマティは王さん以外のいう事を聞かなかったというのは有名な話ですね(笑)

読売ジャイアンツ15代目・17代目・19代目監督:原辰徳(はらたつのり)

名   前:原辰徳(はらたつのり)
生年月日 :1958年(昭和33年)7月22日
出 身 地:神奈川県相模原市南区
出 身 校:東海大学
公式戦勝敗:947勝712敗56分
優勝回数 :7回(日本一は3回)
巨人監督期:2002~2003年・2006~2015年・2019年~

2019年シーズンより三度指揮を執る事となったことで、巨人軍の歴史上初めて3度の監督就任という指揮官となったのが原辰徳監督。長嶋・王というあまりにも偉大過ぎる強打者の後継者として巨人軍の4番打者を長年務めた人物でもあります。

第1次と第2次は堀内政権、第2次と第3次は高橋政権と、共に短命に終わった政権を挟んでの監督登板となっています。

12年で7度のリーグ優勝というのは監督として立派な数字ですが、そんな実績の裏において、原氏の後任監督は気の毒だったという声がある事も確かです。堀内監督も高橋監督も、原監督の後任監督は生え抜き選手の育成や戦力整備に苦労したというのは確かといえます。そういう意味では原監督は育成力というよりもFAや外国人といった資金力に物を言わせた補強で得た巨大戦力を生かした采配で力を発揮した監督といえるでしょう。そういう意味では同時期に監督を務めた中日の落合博満監督とは正反対ともいえます。

3度目の登板で今度はしっかりと生え抜きの有望戦力を育成して次の監督にバトンを渡せるのか?第3次政権こそ原監督の真価を問われるといってもいいかもしれませんね。次の監督には堀内氏や高橋氏のような苦労をさせないためにも。

スポンサーリンク



読売ジャイアンツ16代目監督:堀内恒夫(ほりうちつねお)

名   前:堀内恒夫(ほりうちつねお)
生年月日 :1948年(昭和23年)1月16日
出 身 地:山梨県甲府市
出 身 校:甲府商業高校
公式戦勝敗:133勝144敗7分
優勝回数 :0回
巨人監督期:2004~2005

現在に至るまで、唯一巨人監督としての通算成績が負け越しとなっているのがこの16代監督の堀内恒夫氏。その監督年数は僅か2年で幕を閉じました。

堀内氏自らが「青天の霹靂(せいてんのへきれき)」と語ったように、原監督のあまりに突然の辞任とともに降って湧いたような監督就任となりました。同時に、打線はプロ野球のシーズンホームラン数新記録をマークする程の超強力打線でしたが、原監督から引き継いだ投手陣はボロボロの状態であり、堀内監督にとっては実に気の毒な状況下での監督生活となった事は否めません。

そんな中での堀内監督の最大の実績といえば、実績の全くなかった内海哲也投手を我慢強く先発ローテーションで使い続け、退任後にエースとなるだけの基盤を作った事でしょう。当の内海投手本人が堀内監督に対する感謝を今でも口にしているのがその表れといえます。

個人的にはもう一度チャンスを与えてあげて欲しい監督だと思いますね。あれだけ投手力が脆弱だと本当に気の毒でしたね…

読売ジャイアンツ18代目監督:高橋由伸(たかはしよしのぶ)

名   前:高橋由伸(たかはしよしのぶ)
生年月日 :1975年(昭和50年)4月3日
出 身 地:千葉県千葉市中央区
出 身 校:慶應義塾大学
公式戦勝敗:210勝208敗11分
優勝回数 :0回
巨人監督期:2016~2018

所属選手が野球賭博事件に関与という激震に揺れる中、原辰徳監督の二度目の辞任を受け、強かった現役続行の意思を断念してまで引き受けた第18代巨人軍監督の高橋由伸氏。原監督の1次政権後に監督となった堀内氏と同じく、優勝出来ぬまま巨人軍監督を辞任する事となりました。

堀内氏と同じく、高橋監督も戦力的にはピークを過ぎたベテランが多く若手が育っていないという戦力的過渡期に監督となった点で同情すべき点が大きいですね。阿部慎之助や長野久義、亀井義行、内海哲也、山口鉄也、西村健太朗といったかつての主力選手は下り坂。しかし若手は育っていないというどん底状態に加え、高橋監督時にFAで球団が獲得したのは森福允彦に山口俊、陽岱鋼、野上亮磨といったメンツであり、お世辞にも大活躍したとは言えない面々ばかりでした。そんな厳しい状況下において、田口麗斗や岡本和真、吉川尚輝といった次世代を担う若手を抜擢して育てた部分は大いに評価されて然るべきでしょう。

堀内氏と同じく、この高橋監督にも是非もう一度チャンスを与えてあげて欲しいですね。とはいっても、由伸本人はもうコリゴリといった感情があるのかもしれませんが…

 

というわけで、日本職業野球連盟(NPBの前身団体)発足前からの巨人軍歴代監督をご紹介してきました。

大日本東京野球倶楽部から数えて80年以上を経過する現在まで、巨人軍の監督となったのは僅か14名のみ(巨人球団史では12名)。まさに選ばれし人たちといえるかもしれません。逆に言えば、巨人軍監督への条件とされる厳格な不文律が存在するが故にこれだけ少数であるという事もいえるのかもしれません。

これから時代を経るに従ってどんな監督が誕生するのか、楽しみに見ていきたいですね。

なお、巨人軍監督への条件や不文律についてはこちらの記事もご覧ください。

読売ジャイアンツ監督就任条件の「不文律・暗黙のルール」

関連コンテンツ(PR)

スポンサーリンク

コメントを残す

このページの先頭へ