日本史における人気人物の一人、坂本龍馬。幕末の日本において明治維新に繋がる流れを作った偉人の一人でもある坂本龍馬は、明治の世を見ることなく近江屋にて土佐の同士である中岡慎太郎と一緒のところを急襲・暗殺されてこの世を去りました。その衝撃的且つ悲劇的な死は、皮肉にも後世に龍馬の存在をより大きく知らしめ、さらなる坂本龍馬人気の一因となっている感さえあります。
さらにその龍馬の暗殺においては、近江屋での遭難から150年が経とうとする現在においても未だに多くの謎を残しており、その謎は未だに多くの識者や歴史ファンの間で議論の的になっています。
というわけで、ここでは坂本龍馬とその盟友・中岡慎太郎の二人を近江屋で暗殺した人物や組織等、現在において囁かれている主な容疑者を、近江屋で両名を襲って殺害した実行犯に絞ってご紹介したいと思います。
暗殺実行犯 新撰組(しんせんぐみ)説
京都守護職お預かりとして京の治安維持にあたっていたご存知「新選組」。京都にいる尊攘派志士たちが最も恐れる存在といえば彼らでしょう。
反幕府勢力にとっては脅威ともいえる新撰組にとって、武力討幕派の中岡慎太郎はもちろんの事、大政奉還派とはいえ寺田屋では幕府の捕り方を殺傷している坂本龍馬も新選組にとってはお尋ね者といえる人物でした。
当然ながら坂本龍馬と中岡慎太郎が近江屋で襲われた際に真っ先に疑われたのがこの新撰組でした。新選組と袂を分かった御陵衛士(高台寺党)の隊士が暗殺の舞台となった近江屋に残された遺留品を新撰組のものであるという証言をしたり、刺客が現場で「こなくそ」という四国の方言を話していたという証言もあり、新選組の関与、特に伊予(現在の愛媛県)出身の原田左之助の関与が強く疑われました。局長の近藤勇は新政府軍に捕縛された時に、この坂本龍馬・中岡慎太郎の暗殺の実行犯だと強く信じていたとされる土佐藩の谷干城(たにたてき/かんじょう)の強い恨みによって斬首刑に決まったともいわれています。
しかし、現在では新撰組はこの「近江屋事件」に関しては濡れ衣であり、無関係であるというのが定説となっています。まあ確かに歴戦の凄腕剣客集団である新撰組の殿を任せられるほどの原田左之助が刀の鞘を現場に忘れていったり、馴染みの料亭の下駄を置き忘れるなど、そんな間抜けな真似はしないでしょう。御陵衛士は新選組の宿敵といってもいい組織ですから罪を擦り付けようと偽証する動機も十分ですし、でっち上げか偽装工作と考えるのが自然でしょうね。今では学界はもとより作家や歴史ファンの間でも新撰組暗殺犯を説く人はほとんどといっていいほどいません。個人的にもこの説(新撰組実行犯説)は100%あり得ないといっていいと思いますね。
暗殺実行犯及び黒幕 紀州藩(きしゅうはん)説
この紀州藩が「近江屋事件」の犯人であるという説も、事件発生当初はかなり有力な説として取り沙汰されていました。特に坂本龍馬の率いた海援隊の隊士たちは龍馬暗殺は紀州の仕業だと信じていたふしがあり、そのために海援隊士と中岡慎太郎の陸援隊士が紀州藩公用人である三浦休太郎を襲撃して、護衛の新選組らと乱闘になった天満屋事件まで引き起こしました。
確かに坂本龍馬を暗殺するに当たっての「動機」という部分では紀州藩には十分すぎる程ありました。有名な「いろは丸事件」で龍馬に敗訴して多額の賠償金を取られたばかりであった紀州藩は、ある意味近江屋事件発生時には最も“旬”な容疑者ともいえる存在でした。
しかし、逆に言えば動機以外の物証や証言など、紀州藩犯行説を裏付けるような証拠はほとんど無く、この説も現在ではほとんど見られなくなっている説といってもいいかもしれません。まあこの説もほぼ可能性は無いといっていいと思われます。
暗殺実行犯 御陵衛士(高台寺党/ごりょうえじ・こうだいじとう)説
新撰組実行犯説の項でも名前の出ていた御陵衛士を近江屋事件実行犯とみる向きも少数ですが存在しています。御陵衛士というのは、新撰組参謀という立場にあった伊東甲子太郎(いとうかしたろう)が、孝明天皇陵を守るために新撰組と袂を分かって作った組織で、佐幕派の新選組とはイデオロギー的に真逆といえる討幕派の組織であり、古巣の新選組とは敵対する組織といってもいいものでした。
晩年は大政奉還による穏健派となった坂本龍馬は、武力討幕派とは明らかに目指す国家の方向性が変わっており、その意味で武力討幕派からは目障りといってもいい存在となっていたともいえます。
そこで、武力討幕派の依頼を受けた御陵衛士が暗殺の実行部隊となった・・というわけです。御陵衛士の頭ともいえる伊東甲子太郎は坂本龍馬暗殺の二日前に龍馬が潜伏する近江屋を訪れ、新撰組が狙っているので京を離れた方がいいと忠告していますので、近江屋に龍馬がいたことは知っていました。さらに武力討幕派の薩長との関係も良好であり、新政府構想で溝を作りつつあった武力討幕派の雄藩に担がれての暗殺実行というのもあり得る話ではあるとは思えます。
しかしこの説も特に最近の研究では勢いを失いつつあります。実際の伊東甲子太郎ら御陵衛士は、言われていたほどの武力討幕強硬路線ではなく、どちらかといえば龍馬に近い穏健派であったという説も強くなってきているからです。さらに、薩摩の別動隊との見方も薄まってきており、薩摩とは言われているほどには密接ではなく、ある程度距離があったとの説も有ります。どちらにせよ、決定的な証拠は無いですし、可能性は極めて低い説といえると思いますね。
暗殺実行犯 京都見廻組(きょうとみまわりぐみ)説
現在においては、ほぼ通説といってもいいのがこの、京都見廻組による暗殺説です。
それに、幕末における幕府側最強の剣客集団候補は新選組が人気・知名度共に他を大きくリードしていますが、この見廻り組も剣技においては決して引けをとっていません。新選組が農民や町人など武士以外の身分からも広く隊士を集っているのに対して、この見廻り組は旗本等れっきとした幕臣の集まりであり、そんな中でも剣技に優れたエリート集団として結成された剣客集団です。その実力は決して新選組に引けは取らない程であったともいわれます。
この見廻り組が龍馬暗殺の実行犯として通説にまでなっている大きな原因は何といっても、京都見廻組の隊士で実際に龍馬暗殺に加わったという今井信郎、渡辺篤の維新以降、明治時代になってからの自供でしょう。確たる証拠がない他の説に比べ、実際の暗殺犯による自供というのはとてつもなく大きな物証といえるでしょう。
とはいえ、個人的には素直に「本人がやったと言っているんだから間違いないっしょ?」とは思えません。今井信郎と渡辺篤の供述には参加隊士の顔ぶれや暗殺実行者を含めて食い違いが多く、坂本龍馬、中岡慎太郎という幕末の超大物が謎の死を遂げたことを利用した二名の売名行為では?という見方をする識者もいます。
さらに、龍馬暗殺を自供した今井信郎の除名嘆願を薩摩藩が働きかけていたのも、薩長ら明治新政府側が真犯人を隠すためにあえて今井に嘘の自白をさせたのではという疑いを持たれる一因となっています。
間違いなく最重要容疑者なのですが、上記の理由などから見廻組真犯人説に懐疑的な見方をする向きもあります。個人的には最重要容疑者であり、最もクロ(真犯人)に近い存在であることは間違いないですが、確実に「黒」と決めつけるには自白以外の物証が足りないのかなという気もしますね。まあ龍馬暗殺の大本命である事だけは確実でしょう。
暗殺実行犯 中岡慎太郎(なかおかしんたろう)説
非常に少数なのですが、坂本龍馬を殺害したのは龍馬と一緒に近江屋で殺害された中岡慎太郎であるというトリッキーな(苦笑)説を唱える向きもあります。つまり、龍馬と慎太郎が相討ちとなったという事ですね。
土佐勤皇党以来の同士である龍馬と慎太郎ですが、この近江屋事件のあった時期には二人の考え方は明らかに違う方向へと向かっていました。大政奉還によって朝廷に政権を返上せしめた後には、徳川幕府将軍だった徳川慶喜を含めた薩長、旧幕府混成の新政府案を描いていた龍馬に対し、慎太郎はあくまで武力倒幕による幕府勢力排除での新政府樹立を目指していました。二人が暗殺された近江屋事件の夜(慶応三年11月15日)も、二人は刺客に襲われた近江屋の二階で今後の日本について激論を戦わせていたという説も有ります。実際、2010年に放映されたNHK大河ドラマ「龍馬伝」では、中岡慎太郎(上川隆也)が、龍馬を斬る覚悟で近江屋にいる坂本龍馬(福山雅治)の説得に訪れるという設定となっていました。それくらいに当時の龍馬と中岡の新政府構想には大きな隔たりが出来ていたという事です。
しかし、額を割られて脳しょうが飛び散る程の深手を負ってほぼ即死状態だった龍馬に対して、翌々日に息を引き取った中岡慎太郎は大小無数の傷を負っていたと言われています。1対1の斬り合いで相手を即死状態にまで追い込んだ方がそれだけの傷を負う事自体が少しあり得ないという見方が大勢であり、この説はやはりかなりの異説となっています。個人的には面白い説だとは思うのですが、龍馬と慎太郎は最期まで土佐の同士であって欲しかったと思いますし、客観的に見てもかなり無理のある説かなあと思ってしまいますね。
暗殺実行犯 無名で素性不明・背後関係を知られる事のない剣客暗殺者
近江屋で龍馬らを襲った暗殺者は全くの無名であり、龍馬らや暗殺指示犯とは佐幕、尊皇などのイデオロギー的繋がりの全く無い人物たちであるという説を唱える識者や歴史ファンも一定数いらっしゃいますね。
確かに、竜馬・中岡の暗殺を依頼した黒幕からしてみれば、万が一刺客が暗殺に失敗しても自分たちに決して疑惑の目が向かない人間を差し向けたいというのは自然な流れでしょう。そうなれば、顔の見えない暗殺者を金品等で雇ったという事は十分に考えられます。
当然第三者を間に挟んでの雇用でしょうし、龍馬の潜伏場所等の情報は流したうえで暗殺依頼したと考えるのが自然です。
実行犯を京都見廻り組とする通説の次に有力であろう説がこの説だとわたしは考えます。もしそうだとすれば、その名もなき暗殺者はその後墓場までこの秘密を持っていって天寿を全うしたか、或いは暗殺命令者(組織)から口封じのために粛清されたか・・まあこの説が本当であれば、永遠に龍馬暗殺の謎は解き明かされる事は無さそうですが。
というわけで上記にご紹介した以外にももっと多くの実行犯の推理が溢れていますが、主なものをざっとご紹介しました。
ここではあくまで近江屋にて実際に龍馬らを襲って暗殺した実務者に絞ってご紹介しました。暗殺に関する黒幕、暗殺指示者については以下の記事の方をご覧ください。
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