「ニャンギラス」、「うしろゆびさされ組」と、1980年代中盤の芸能界で大ブレイクしたおニャン子クラブから生まれたアイドルユニットをご紹介してきたこのサイトですが、この二つを取り上げたらこのグループを無視するわけにはいきません。
そう、ここでは「うしろ髪ひかれ隊」をご紹介しましょう。
TVアニメ奇面組主題歌「時の河を超えて」で1987年デビュー
うしろ髪ひかれ隊のデビューは1987年4月。おニャン子の解散が1987年9月でしたから解散の約5か月前に結成されたグループだという事ですね。
デビューシングルとなった「時の河を超えて」は人気アニメ「ハイスクール奇面組」のテーマ曲として大ヒットを飛ばしましたが、代々奇面組の主題歌を歌ってきた「うしろゆびさされ組」が高井麻巳子卒業によってユニット解散となったためにその後継者グループとしてこの「うしろ髪ひかれ隊」が結成され、奇面組のオープニング曲やエンディング曲も引き継いだというわけですね。
そして奇面組のテレビアニメ放送終了後に始まった「ついでにとんちんかん」でも引き続きこの「うしろ髪ひかれ隊」が主題歌を担当し、フジテレビのアニメとのタイアップで人気を博したのでした。
その後は1988年5月のコンサートを最後に活動休止となり、そのまま再開することなく解散。工藤静香、生稲晃子、斉藤満喜子の三人はそれぞれソロとしてのキャリアを積んでいくこととなったのです。
会員番号40番:初代センター生稲晃子(いくいなあきこ)
名 前:生稲晃子
会員番号:40番
生年月日:1968年(昭和43年)4月28日生まれの48歳
出 身:東京都小金井市
血液型 :B型
加入日 :1986年6月13日
卒業日 :1987年9月20日(解散時メンバー)
うしろ髪ひかれ隊の中で最年長メンバーであり、初代センターを務めたのがこのおニャン子クラブ会員番号40番の生稲晃子(いくいなあきこ)です。文武両道を絵にかいたような優等生として育った女の子であり、小金井フットボールクラブで全国優勝した経験があり、おニャン子クラブ加入後には受験と両立させて見事におニャン子在籍中に大学合格を果たした頑張り屋さんでもあります。
会員番号40番台といえばおニャン子メンバーの中でもかなり後期の部類に入るのですが、そんな後期組の中ではかなりの人気を誇っていたメンバーでしたね。ルックス的にも正統派なアイドル路線でいける清楚さを兼ね備えていた40番代以降のエース級といっても過言ではないメンバーです。
うしろ髪ひかれ隊解散以降もソロシングルである「麦わらでダンス」のヒット(広島カープの伝説的ホームラン王(?)ランスの応援歌ッスw)を初めとして、女優としてもTBSの人気昼ドラ「キッズ・ウォー」(井上真央の出世作としても有名)の主演や、大人気時代劇「暴れん坊将軍」でめ組の女将としてレギュラー出演するなど、おニャン子クラブ卒業生の中ではかなり順調な芸能活動だったという印象です。
プライベートでは2003年にCMプロデューサーと結婚して2006年に長女を出産。その後は乳がんとの壮絶な闘病を告白したのも記憶に新しいところです。困難も多いかもしれませんが、やはりリアルタイムで活躍を見ていた人間としては克服してこれからも頑張ってほしいですね。
会員番号38番:二代目センター工藤静香(くどうしずか)
名 前:工藤静香
愛 称:しーちゃん、しずちゃん
会員番号:38番
生年月日:1970年(昭和45年)4月14日生まれの46歳
出 身:東京都西多摩郡羽村町
血液型 :B型
加入日 :1986年5月23日
卒業日 :1987年9月20日(解散時メンバー)
うしろ髪ひかれ隊の2代目センターであり、人気ナンバーワンを誇ったエース的存在だったのがこの工藤静香さんですね。うしろ髪のエース的存在というよりも、後期おニャン子メンバーの中でのエース格といった方が正しいでしょうか。とにかくそれくらいにおニャン子の中でも存在感は圧倒的であり、その事実はソロ転向後のトップアイドルとしての人気を見ても明らかでしょう。
まあ、おニャン子に入る前からアイドルグループである“セブンティーンクラブ(清原和博元夫人の木村亜希も在籍)”に入っていたくらいですから人気メンバーになるのは織り込み済みだったのかもしれません。
おニャン子やうしろ髪の解散後の大活躍はもう説明の必要もないくらいですが、一応簡単に(笑)。
おニャン子最晩年に「禁断のテレパシー」でデビューしてオリコン1位を獲得。おニャン子解散後もうしろ髪の活動と並行してソロ活動に力を入れ、ソロで「抱いてくれたらいいのに」「FU-JI-TSU」「MUGO・ん・・色っぽい」「嵐の素顔」「黄砂に吹かれて」などで大ヒットを連発。一躍日本を代表する歌姫へと躍り出ました。紅白歌合戦にも1988年から7年連続の出場を果たし、テレビドラマ、バラエティでも大活躍。特にとんねるずとのカラミは絶品でしたねえ(笑)。歌にドラマにと、まさに「工藤静香時代」を築いたのでした。
まあ確かに人気ありましたね。特にちょっとヤンキーっぽい層とおじさん層からの人気。これはもう絶大でしたね。うちらの周りでも走り屋とかヤンチャ系はみんな大好きだったイメージです(笑)。その後は当時人気アイドルSMAPのメンバーでありナンバーワン俳優でもあった2歳年下の木村拓哉さんと結婚。二女に恵まれ現在でもテレビなどで見る機会も多いですよね。
会員番号42番:斉藤満喜子(さいとうまきこ)
名 前:斉藤満喜子
愛 称:マッキー
会員番号:42番
生年月日:1970年(昭和45年)9月19日生まれの46歳
出 身:広島県
加入日 :1986年8月10日
卒業日 :1987年9月20日(解散時メンバー)
工藤静香さんと同い年で、うしろ髪ひかれ隊メンバーの中でおニャン子クラブに加入したのが最も遅かったのがこの斉藤満喜子さんですね。
この子は後期加入メンバーの中では、生稲晃子、工藤静香に比べたら比較的地味だった印象があります。だからうしろ髪ひかれ隊でデビューと聞いた時は少し驚いたってのが正直な印象でした。彼女の特徴はなんつってもあの「極太眉毛」でしょう(笑)。我々の一部の間では「ゲジ眉」なんていう不届きものもいました(私じゃありません汗)。しかしわたしの周りでは結構人気あったんですよね。ルックスは可愛いですし、あんまり前に前にってキャラじゃなかったってのがいかにもおニャン子っぽくって人気の要因となっていたんではないでしょうか。
斉藤満喜子さんも生稲、工藤と同様にソロデビューも果たしているのですが、そちらでは残念ながら二人のようにヒットを飛ばす事は出来ませんでした。その後はバラエティ番組などに活躍の場をシフトし、現在は芸能界を引退しており、2002年の再結成やその後のおニャン子関連の各種イベントなどにも姿を現していません。
実はすでに結婚していらっしゃるのですが、そのお相手が凄いのです。スジャータブランドとして有名な愛知県名古屋市に本拠を置く「めいらく」代表取締役社長の日比治雄氏。なんと、あのマッキーは今やスジャータの社長夫人なんです。社長夫人として幸せな生活を送っているのは嬉しいのですが、もうおニャン子関連のイベントなどにも参加するのは厳しいのかなと寂しくなってしまいますね。
工藤静香のおニャン子への消極性と社長夫人マッキーの動向が再結成のカギ?
ジャニーズ事務所を代表するトップ俳優の妻となった工藤静香、ドラマにバラエティ、そして母として妻として精力的に活躍している生稲晃子、そして大手企業の社長夫人として芸能界を完全引退した斉藤満喜子、三者三様の人生を歩んでいるうしろ髪ひかれ隊の三人の女性たち。
おニャン子内ユニットでも、例えば「ニャンギラス」などは解散後に4人のメンバーが勢ぞろいして再結集イベントなども行うなど、オールドファンにとって非常にうれしい限りですが、反対に「うしろゆびさされ組」は高井麻巳子さんの完全引退によって解散後にそのツーショットを見ることはまだできていません。
そういう意味ではこの「うしろ髪ひかれ隊」もこの後の再結成は厳しいのかもしれません。生稲さんは再結成イベントなどにも積極的にかかわっていますが、工藤静香さんはかなり消極的でほとんど参加していません。
何よりも結婚してスジャータ社長夫人となったマッキー(斉藤満喜子)の復帰のハードルが非常に高すぎるというのが大きいでしょう。
個人的にはうしろゆび以上にこのうしろ髪の方が再結成のハードルは高いような気もしますね。しかしファン的にはやはり時を超えて再集結した3人の姿が見たいんですよねえ・・
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