シブがき隊解散の原因は人間関係?本木雅弘、薬丸裕英、布川敏和の不仲や派閥は?昭和のアイドルの謎

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まさにアイドル全盛期だった1980年代。

女性アイドルも男性アイドルも百花繚乱、様々なタイプのアイドルを輩出しましたが、その中でも男性アイドルといえばやはりジャニーズ事務所の時代でした。

田原俊彦、近藤真彦、野村義男の「たのきんトリオ」が一世を風靡した後、たのきんに続くジャニーズ事務所からの男性トップアイドルユニットが、「シブがき隊」でした。

たのきんトリオと少年隊や光ゲンジとの間男性アイドル時代を見事につないだシブがき隊の三人。惜しまれながらの解散から早くも28年。メンバーはそれぞれが未だに芸能界の一線で活躍していますが、このトップアイドルの解散の真相は長らく本人たちの口からは語られてきませんでした。

しかし月日が流れ、メンバーそれぞれからシブがき隊解散の真相が徐々に語られ始め、それらによって段々と人気アイドルの解散の真相が見えて来始めています。

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昭和を代表するジャニーズアイドル、シブがき隊のプロフィール

まずはシブがき隊について簡単に説明しましょう。

グループ名 :シブがき隊
メ ン バー:本木雅弘(もときまさひろ)
       薬丸裕英(やくまるひろひで)
       布川敏和(ふかわとしかず)
所属事務所 :ジャニーズ事務所
レコード会社:CBSソニー
デビュー年 :1981年
解 散 年 :1988年
バックバンド:シブ楽器隊

シブがき隊は、たのきんトリオがデビューした大人気学園ドラマ「3年B組金八先生」から派生したスピンオフ作品の一つ、「2年B組仙八先生」の生徒役だった三人によって結成されました。

1982年に「NAI・NAI 16(ナイナイ・シックスティーン)」でデビューするとこれがいきなりのヒット。続く「100%…SOかもね!」、「ZIG ZAG セブンティーン/Gジャンブルース」も大ヒットしていきなりその年のレコード大賞最優秀新人賞を獲得し、紅白歌合戦にも初出場を果たします。スクリーンデビュー作となった森田芳光監督の映画「ボーイズ&ガールズ」でも初主演を務め、ラジオやテレビに引っ張りだこの人気者となりました。

その後もコンスタントにシングルやアルバムを発売、特に1986年に発売した「スシ食いねぇ」はシブがき隊の代名詞ともいえるヒット曲となり、現在でも至るところで使用されるほどの名曲となっています。

歌に関しては、当初は薬丸裕英が真ん中(いわゆるセンター)で歌っていましたが、途中からは本木雅弘がセンターで歌う事となりました。

1988年の解散後は、主に本木雅弘は俳優として、薬丸裕英は司会業をメインに、布川敏和はバラエティを中心に活動し、現在でもそれぞれの分野で活躍しています。

性格はクールなモックン、熱いヤックン、いい人フックン??

シブがき隊といえば、わたしの小中学校時代のバリバリのトップアイドルでした。

自分の周りでは三人の中での人気ナンバーワンは断トツでモックン(本木雅弘)でしたね(苦笑)。ぶっちゃけヤックンとフックンのファンは自分の周囲にはあまりいなかった記憶があります(ファンの方ゴメンナサイ涙)。ジャニーズではトシちゃんとマッチのファン、ジャニーズ以外ではチェッカーズのフミヤ、吉川晃司のファンが多かった記憶がありますね。

とはいえ、露出という点では間違いなく同世代アイドルの中ではトップ中のトップだったのは間違いありません。

三人のイメージといえば、モックンはクールな美少年でヤックンはリーダーシップのある熱血漢、そしてフックンは親しみやすいいい人(笑)というイメージでしたね。多分、多くの人がこのイメージには共感してもらえるのではないでしょうか。

うろ覚えですが、シブがき隊の晩年か解散直後くらいの時期に、MBSの人気ラジオ番組「ヤングタウン」で、お笑い芸人のダウンタウン(松本人志と浜田雅功)とアシスタントのYOUさん(当時はフェア・チャイルド在籍だったはず)がシブがき隊について語っていた記憶がありますね。

その中でYOUさんは「モックンは実際に会ったら凄い緊張しすぎちゃってダメかも。フックンは友達になりたいタイプ」(うろ覚えです笑)と言っていました。聞きながら、「あー、やっぱり女の子もそう思うだろなあ」と思いながら聞いていましたね。三人のイメージってまさにそんな感じでした。

まあ、だからこそ三者三様にキャラが立っていて、それが人気の大きな要因だったとも思いますね。

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本木雅弘A型、布川敏和と薬丸裕英B型という血液型に人間関係のカギが?

そんな感じだったので、わたしの勝手な思い込みとしては、シブがき隊の人間関係というのは、

本木雅弘VS薬丸裕英の新旧センターの緊張関係(いい意味での)を、「いい人」布川敏和が間に入って取り持つ

というような構図だと思い込んでいました。

しかしわたしのこのような勝手な思い込みはどうやら間違っていたようです。その根拠は、「いい人」フックンが語ったこの言葉にあります。

布川敏和 噂を否定。シブがき隊の解散を「最初に言い出したのは俺」

なんと、解散の5年前に最初に解散を切り出したのは、最もそんな話から縁遠そうだったフックンであり、さらにヤックンとフックンは途中からは不仲であったというのです。さらにフックンとヤックンの不仲の間で気苦労していたのはモックンだったという衝撃の真実。

記事の中でモックンは「B型の間にいるA型は辛いよ」と呟いていたという事なのですが、確かにフックンとヤックンはどちらも血液型がB型。片やモックンはA型なのです(笑)。

ヤックンが同じアイドルとしてチェッカーズをライバル視しており、そのライバルであるはずのチェッカーズと遊んでいたフックンに怒ったというのは、熱い男というイメージのあったヤックンらしいエピソードで少しほっとしたのですが、実はフックンが意外と自己主張の強い人だったというのは凄く意外でしたね。

うーん、やっぱり画面で見るだけじゃあ人の性格とかは分からないものなんですねえ・・(苦笑)

俳優・本木雅弘、司会の薬丸裕英、バラエティの布川敏和の再結成はあるか?

ただし、モックンもどちらかというとヤックンよりはフックン寄りであったという話もヤックンの口から語られています。

薬丸裕英さんは当時のシブがき隊のメンバーの中では孤立していたという自覚があったと語っていますね。「ヤックンVSフックン&モックン」という構図です。

それを裏付けるかのように、シブがき隊解散後、ヤックンはモックン、フックンとの交流が一切なかったそうなのですが、モックンとフックンはプライベートで何回か会っていたという事であり、それを知った薬丸裕英さんはショックだったと語っています。

というと、今でもバチバチの関係っぽく思われるかもしれませんが、どれも冗談ぽく本人たちから語られたものであり、実際に番組などでも各メンバーが何度か共演を果たしています。雰囲気も凄くナチュラルないい雰囲気であり、年月を経てみんなステキな大人に成長したんだなと思わせてくれるような共演でしたね。

往年のファンとしては、是非ともこの三人が一堂に会して、もう一度あの名曲たちを歌ってほしいと思うのですが、恐らくそれは厳しいかもしれませんね。それぞれがすでに所属事務所もバラバラですし、特に本木雅弘さんは今や押しも押されぬ大俳優の道を歩んでいますから。

ただし、たまに映画やドラマの番宣でみる本木雅弘さんはやっぱりトークが上手くて間や返しも絶妙。多分本人的には俳優以外の仕事もノリノリでやってるのではないでしょうか。むしろ、たまにはこっちの仕事も・・と思ってそうに見えますね。それくらい生き生きしていますし、とにかく盛り上げ方が上手ですよね。

というわけで、何とか事務所の壁を越えて再結成が実現することを願う、1980年代に青春を送ったおっさんのたわごとでしたとさ(笑)。

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