真田幸村や柳生十兵衛を祖先に持つスポーツ選手や芸能人は?有名戦国武将の子孫には浪速のロッキーも

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エンタメ

戦国時代にその名を轟かせて後世に名を残した戦国武将達。

そんな苛烈な時代を生き抜いてきた猛者たちを祖先に持つ著名人・有名人はかなりいらっしゃいます。

ここではそんな戦国武将たちの末裔をご紹介してみたいと思います。

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赤井英和(あかいひでかず)の祖先は赤鬼と恐れられた丹波国の猛将?

まずは、元ボクシング選手でKOキングと呼ばれていたこの俳優さんから参りましょう。

名   前:赤井英和(あかいひでかず)
生年月日 :昭和34年(1959年)8月17日生まれ
年   齢:58歳
出 生 地:大阪府大阪市西成区
身   長:178cm
体   重:72㎏
出 身 校:近畿大学商経学部
ジャンル :俳優・タレント
血 液 型:A型
所属事務所:プランニングメイ

元プロボクサーで現役時代は「浪速のロッキー」として新人王に輝き、当時のKO日本記録を樹立するなどの活躍を見せ、引退後は俳優・タレントに転身して芸能界でも活躍を見せ続けている赤井英和さんです。

この赤井さんの祖先と呼ばれている戦国武将がこの人物です。

名  前:赤井時家(あかいときいえ)
生年月日:明応三年(1494年)生まれ
没  年:天正九年(1581年)
氏  族:丹波赤井氏

戦国時代の丹波国氷上郡(現在の兵庫県丹波市)の国人、赤井氏の当主である赤井時家こそが赤井英和さんの祖先です。

戦国ファンによく知られているのがこの赤井時家の次男・赤井直正(なおまさ)です。武芸に秀でた猛将として知られ、丹波国の猛将として「青鬼」と恐れられた籾井教業(もみいのりなり)と並ぶ「赤鬼」と異名をとり、日本中に名を轟かせるほどの武将だったといわれています。

丹波平定を目論む織田信長を散々に手こずらせた“赤鬼”直正、この父である時家の子であり、直正の弟である赤井幸家の子孫こそが“浪速のロッキー”として並み居る敵をなぎ倒して日本中のボクシングファンを熱狂させたKOキングの赤井英和さんなのです。

どうでしょう?血というのは何代を経てもやはり受け継がれるのだと思ってしまいますよね。

元巨人の高卒新人6勝投手のルーツは大坂夏の陣で散った「日本一の兵(つわもの)」?

M-1王者に輝く人気お笑いコンビのツッコミ担当のあの売れっ子芸人も超メジャー武将の子孫だそうです。

名   前:真田裕貴(さなだひろき)
生年月日 :昭和59年(1984年)2月7日生まれ
年   齢:33歳
出 身 地:兵庫県高砂市(出生は大阪府)
身   長:181cm
体   重:83㎏
ポジション:投手
投   打:右投右打
入 団 年:2001年ドラフト1位(巨人)
現 所 属:読売ジャイアンツ打撃投手

名門巨人からドラフト1位指名を受けてプロ入りし、高卒1年目にいきなり6勝を挙げる活躍を見せた真田裕貴氏も超有名戦国武将の末裔だという事です。

この話は、真田投手が巨人に1位指名され、1年目からいきなり堀内恒夫さん以来となる高卒6勝を挙げた時期によくテレビなどで取り上げられていた有名な話ですので、プロ野球ファンならご存知の方も多い事でしょう。あまりにも有名過ぎるその武将がこの人です。

名  前:真田幸村(さなだゆきむら/信繁)
生年月日:永禄十年(1567年)生まれ(異説有)
没  年:寛永十三年(1615年)
氏  族:真田氏・豊臣氏

2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の主人公にもなった真田左衛門佐信繁、通称・真田幸村その人です。

敗色濃厚な豊臣家にあって、大坂冬の陣では真田丸を築いて徳川軍を蹴散らし、夏の陣では徳川家康を切腹寸前まで追い詰め、「真田日本一の兵(つわもの)」と称賛された天才武将ですね。日本で5本の指に入る人気を誇るであろう戦国時代の国民的人気者でもあります。

幸村の嫡男・大助幸昌は父とともに大坂の陣で華々しく散りましたが、次男の守信と三男の幸信は他家に引き取られて生き延びたので、真田裕貴さんがもしも本当に真田家の子孫だとすれば、そちらの家系である可能性が高いのかもしれませんね。

右打者の内角をえぐるシュートを武器に、とても1年前まで高校生とは思えないマウンド度胸でプロの打者を捻じ伏せたあの堂々たるピッチングを思い出すに、日本一の兵の血を引いていても不思議ではないなと思いますね。

それにしても、幸村の血を引くという事は、当然幸村の父である真田昌幸、祖父である真田幸隆といった名将の血も受け継いでいるという事ですよね、ホントに羨ましい限りです・・

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ハンターチャンスでお馴染み柳生博さんは時代劇でも有名なあの一族

かつては人気クイズ番組の司会でも人気を博した俳優のこの方のルーツも大変有名です。

名   前:柳生博(やぎゅうひろし)
生年月日 :昭和12年(1937年)1月7日生まれ
年   齢:80歳
出 生 地:茨城県稲敷郡舟島村(現:阿見町)
身   長:175cm
配 偶 者:二階堂有希子(元女優・声優)
学   歴:東京商船大学中退
ジャンル :俳優・司会者・作庭師
現   職:日本野鳥の会会長・コウノトリファンクラブ会長等

わたしたちの世代だとやっぱり「100万円クイズハンター」の司会者で、ハンターチャンスやゴールデンハンマーといったイメージが強いのがこの柳生博さんです。

現在では作庭家として著名で、柳生さんの息子さんが代表を務める八ヶ岳倶楽部などでの活動、さらに日本野鳥の会5代目会長やコウノトリファンクラブ初代会長など、もはやその世界での大御所というまでの存在となられています。その活動などは、爆笑問題と田原俊彦視界のTBSの人気番組「爆報!ザ・フライデー」で度々取り上げられており、よくご存じの視聴者も多いかと思います。レポーターのお笑いトリオ・我が家の谷田部好きは番組の名物ともなっていますね(笑)。

そんな柳生さんのルーツがこちらの方なのだそうです。

名  前:柳生宗厳(やぎゅうむねよし/むねとし)
生年月日:大永七年(1527年)生まれ
没  年:慶長十一年(1606年)
氏  族:柳生氏

戦国時代末期から江戸時代初期を代表する人物で、柳生石舟斎という名でも知られる有名な剣豪です。この石舟斎の五男があの有名な大和柳生藩初代藩主の柳生宗矩(やぎゅうむねのり)であり、その子、つまり石舟斎の孫にあたるのが時代劇などでも有名な隻眼の剣士、柳生十兵衛こと柳生三厳(みつよし)です。さらに長男の厳勝の子の柳生利厳(通称:柳生兵庫助)の家系は尾張柳生家として現代まで新陰流を伝承しています。

とにかく、時代劇好きにはたまらん一族です。特に私のように千葉真一さんの「柳生一族の陰謀」に魅せられた人間にとっては羨ましすぎる先祖といえるでしょう。柳生博さんは宗矩の家系なのか、はたまた尾張柳生の家系なのかどっちなのでしょうか。まあどちらにしてもわたし的には羨ましすぎるルーツなのです(笑)。

 

有名人の戦国武将・戦国大名の祖先については以下の記事もご参照ください。

著名人のご先祖様は有名戦国武将?現職県知事に元総理大臣、元人気女子アナキャスターの意外なルーツ

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