[NHK大河ドラマ]初出演・鈴木亮平の西郷隆盛(小吉・吉之助/さいごうたかもり)英雄の波乱の人生

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日本が最もカオス(混沌)だった時代の一つが幕末~明治初期だというのは多くの日本人が認めるところでしょう。

同じく日本史上におけるカオスの時代の代表格であった戦国時代には、戦国三傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)という英雄を輩出して徳川幕府の世で平和を成し遂げました。

そして幕末にも維新三傑という、明治維新の立役者となった偉人が生まれました。そしてその維新三傑の中でも維新における最大の功労者と言われているのが、2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」の主人公である西郷隆盛その人なのです。

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“南洲翁”西郷隆盛(小吉・吉之助)の生涯・略歴

元服しての諱(いみな/本名の事)を最初は西郷隆永、続いて武雄、隆盛とする。号を南洲、通称に吉之助など。幼名を小吉といった。その他呼び名には「南洲翁」「大西郷」(実弟の西郷従道を小西郷と呼ぶ)などがある。

文政十年12月7日(1828年1月23日)、薩摩藩下級武士の身分である御小姓与・西郷吉兵衛隆盛の長男(第一子)として、薩摩藩鹿児島城下にある下鍛治屋町にて生まれた。母は西郷満佐(まさ)

元服前に腕に負った刀傷がもとで剣を揮う事ができなくなったために剣術による立身出世を諦め、学問によって身を立てる決意をしたといわれている。

嘉永四年(1851年)に島津斉興が隠居して島津斉彬が薩摩藩第11代藩主となると隆盛はその才を斉彬によって認められ、下級武士出身でありながら破格の立身出世を果たし、斉彬の側近として当代随一の賢公と名高かった斉彬の薫陶を受け、様々な経験をして人脈を築き見識を高めていき、他藩にも名を知られる藩士となっていく。

将軍後継問題においては、一橋慶喜擁立派の急先鋒だった島津斉彬の意を受けて全国各地を飛び回った隆盛だったが、紀州藩の徳川慶福擁立派である井伊直弼が大老となって安政の大獄によって一橋慶喜派を弾圧、そのさなかであった安政五年(1858年)に主君・斉彬が急死し、藩主は斉彬の弟・島津久光の子である島津忠義となり、藩の実権は久光と斉彬の父であり、忠義の祖父である元藩主の島津斉興へと戻る事となった。

最大の恩人である斉彬の急死の報を受けた隆盛は幕府の追捕に追われた末の月照との入水自殺未遂等もあって、奄美大島に島流しとなって潜伏期間を余儀なくされる。

奄美大島での生活では現地の妻(愛加那)を娶って子も設けた後、久光によって召還されて薩摩藩政に返り咲いたが、藩主の実父であり当時の薩摩藩の実質的な最高権力者であった島津久光の不興を買い、寺田屋騒動における待機命令無視が決定打となって沖永良部島へと流罪となり、再び失脚してしまう。

しかし京を中心とした政情変化は激しく、藩政の中心にあった大久保利通や小松帯刀の勧めもあり、再び隆盛は赦免召還され、藩政に復帰する。

元治五年(1865年)、薩摩藩士・岩山八郎太直温の次女、岩山糸子と結婚。後に三人の男児に恵まれる。

長州と戦った禁門の変を手始めとして、二度目の藩政復帰以降は薩摩の中心人物となり、その後の長州征伐や薩長連合、王政復古に至るまで薩摩のみならず討幕派の中心として大活躍、勝海舟との会談では江戸城総攻撃を決断し、江戸城無血開城という世界に類を見ない平和的解決の立役者となった。

明治維新後しばらくは薩摩に帰郷していたが、明治四年(1871年)に岩倉具視や大久保利通ら新政府高官の要請を受けて参議として明治新政府に出仕する事となった。しかし明治六年(1873年)に勃発した政府内での征韓論争で岩倉や大久保、木戸孝允らと対立して敗れ、新政府役職を辞し薩摩に帰って下野した(俗に言う明治六年政変)。

薩摩に帰郷した西郷は、教育者として私学校での旧士族らへの教育に従事するが、明治十年(1877年)、明治維新に不平不満を抱き暴発した私学校生徒らに担がれる格好で明治新政府に対して挙兵し、西南戦争が勃発する。

序盤は優勢だった西郷率いる反乱軍でしたが、圧倒的火力と兵力を誇る新政府軍の前に敗北。城山で自刃して果てた。享年49(満年齢)。

新政府に反乱を起こした賊軍として官位を褫奪されたが、死後12年経った明治1889年(明治22年)には大赦を受けて名誉が回復され、さらに正三位が贈られた。

坂本龍馬が評した西郷隆盛の人物像こそ不世出の英雄を現す名言

日本史を代表する偉人にして英雄といってもいい西郷隆盛。上野の銅像に代表されるように「西郷さん」と呼ばれて現在でも日本人の多くに愛されている人物です。これまでに数え切れない程、西郷さんを主人公とした小説や映像作品が作られてきましたし、色々な逸話も残っています。

しかし、個人的な感想を言わせてもらうならば、西郷隆盛という偉人には、他の偉人には必ずと言っていいほどある「この人はこんな人!」という決定的な人物像が無いのです。様々な逸話や事績、言行録などを振り返っても、決定的な人物像がつかめないのです。

一直線に突き進む猪突猛進型なエピソードがあったかと思えば、一筋縄ではいかない掴みどころのなさを示す逸話もたくさん残っています。人生の過程において性格が変わっていったのか?はたまた多重人格な部分があったのか?と思える程に色々な人物像が思い描かれてくるのです。様々な逸話やエピソードの結果、その人物像が一つの線で繋がらないのです。わたしの中でこんな偉人は西郷隆盛をおいて他にいません。そしてこんな西郷隆盛という人物を考える度に思い出すある有名な西郷を評した言葉があります。

「西郷という奴は分からぬ奴だ。小さく打てば小さく響き、大きく打てば大きく響く。馬鹿なら大馬鹿者で利口なら大利口だろう」

薩長同盟で薩摩と長州の仲立ちをした幕末の英雄・坂本龍馬が西郷隆盛という人物について語った有名な言葉です。

本当にこの坂本龍馬の残した人物評ほど西郷隆盛という英雄をよく現した言葉は有りません。そしてそんな人物だからこそ、幕末~明治という日本の変革期において最高の働きが出来たのでしょう。わたしのような小さき人間に理解できないのは当たり前といえるのかもしれません(苦笑)。そしてそんな部分こそこの“大西郷”の最大の魅力といってもいいのかもしれません。

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写真嫌いの西郷隆盛の本当の外見は?肖像画や銅像は実物の西郷どんと似てない?

人物像がなかなか掴めない西郷隆盛ですが、それは実際のルックス面においても同じです。

最も有名な西郷隆盛の外見といえばこれではないでしょうか。

ご存知、犬を連れた上野の西郷隆盛の銅像です。西郷隆盛の死から21年後に完成したこの「上野の西郷さん像」は、高村光雲作で多くの日本人にとって代表的な西郷隆盛なのではと思います。

しかしこの銅像の除幕式に出席した西郷の妻・西郷糸子はこの夫の銅像を見て「こんな人じゃなかった」と言ったと伝わっているように、この銅像は西郷本人とは大きく異なっているという説も有ります。

実は西郷隆盛という人物の極度の写真嫌いはとても有名な話であり、生前に1枚たりとも写真を残していないことで知られています。同じく維新の英雄である大久保利通や木戸孝允、坂本龍馬らが何枚もの写真を残しているのとは正反対なのです。

今に残る肖像画も、ほとんどが西郷隆盛の死後に描かれたものであり、実は日本の英雄・西郷さんの真の外見・ルックスというのは謎に包まれているのです。

ただ、成人男子の平均身長が160㎝あるかないかの時代に身長は180㎝を超え、体重も100㎏を超える大男だったのは事実であり、顔に関しては「小西郷」の異名をとった実弟・西郷従道や末弟として可愛がった四男・西郷小兵衛とよく似ていたといわれています。

知られているようで実は謎多き人物、西郷隆盛。そんな部分も西郷どんの愛すべき魅力の一つといえるのかもしれませんね。

武力倒幕によって薩長主導の明治新政府を誕生させて日本近代化の礎を築いた英雄

日本史に名を残す偉人、西郷隆盛の最も大きな功績の一つが倒幕でしょう。260年以上続いた江戸徳川幕府を武力によって倒し、天皇を中心とした中央集権体制の明治政府誕生となった最大の功労者が西郷隆盛であることに異論を挟む人は少ないのではないでしょうか。西郷隆盛という人物がいなければ、徳川幕府の将軍らも新政府内に入った、象徴天皇制に近い地方分権体制となっていたのではないかと思います。坂本龍馬が船中八策で思い描いた新政府構想に近い形ですね。

西郷隆盛の恩人ともいえる島津斉彬や、維新回天における同志であった薩摩藩のナンバー2・小松清廉(帯刀)らが公武合体路線(大開国・大攘夷論)であったように、実は武力討幕派というのは薩摩藩においても多数派ではなく、むしろ少数派でした。しかし西郷隆盛は、大久保利通や岩倉具視、それに強烈な反幕府派であった長州藩とも手を組んで幕府を倒してしまったのです。この西郷隆盛という人物がいなければ、日本の近現代史は全くと言っていいほど違ったものとなっていたことは間違いありません。そういう意味で日本史における最重要人物といってもいいでしょう。

そういった政治手法的には剛腕な側面を持ちながらも、とにかく人望に厚く多くの人たちに愛されていたという一面も持つ西郷どん。幕府から逃げる途中で僧・月照と心中を図ったり、明治政府高官時代には自らの危険も顧みず単身での朝鮮への使者を買って出たり、さらに最後の西南戦争では敢えて不平士族の受け皿となり、賊軍の汚名を着ながら散っていきました。薩摩藩の重鎮となっても雨漏りの酷い家に住み、日本中の家が雨漏りしている中、うちの屋根だけ直すわけにはいかないといって雨漏りの家に住み続けていたというエピソードも残っています。

ハッキリ言ってこれほどまでに壮絶で波乱万丈の人生を送った偉人はまずいないでしょう。逆にだからこそドラマの主人公としてはうってつけと言えるのかもしれません。ぶっちゃけ、「西郷どん」の47話(予定)ではとても足りないとさえ思える程です。

とにかく、日本における歴史の中では決して避けて通る事の出来ない英雄中の英雄。まさに国民的偉人こそがこの西郷隆盛という人物なのです。

ストイックな役者魂を持つ鈴木亮平が大河初出演初主役!少年時代は子役の渡邊蒼くん

2018年のNHK大河ドラマ「西郷どん」で主人公の西郷隆盛を演じるのが、今や若手中堅俳優の中でも屈指の実力を誇る鈴木亮平さん。意外にも大河ドラマには初出演であり、初出演にして主役という大役を射止めました。

鈴木亮平さんといえば有名なのがやはりそのストイックなまでの役作り。

TBS系テレビドラマ「天皇の料理番」では、病床にある主人公の兄役の役作りのために約20kg減量したかと思えば、その直後に公開された映画「俺物語!」では約30kg増量して演じるという、役に合わせて数十キログラム単位での体重の増減をやってのけるその役者根性は日本の俳優では珍しい存在であり、そんな鈴木さんだからこそ各方面から認められて今のポジションがあるといってもいいでしょう。変態仮面も西郷隆盛も両方演じられる日本人俳優が鈴木亮平以外にいるでしょうか(笑)

身長186cmという日本人離れした長身に加えて体重増減も辞さないその役作りは西郷どんにおける西郷隆盛役にこれだけ適した人もいないといえるでしょう。まさに適役といっていいかもしれません。

そして、そんな鈴木亮平さん演じる西郷どんの子ども時代を演じるのが、子役の渡邉蒼くん。こちらも日本の英雄の少年時代をどう演じるのか期待したいですね。

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