[大河ドラマ西郷どん]側室・お由羅と調所広郷(ずしょひろさと)騒動の当事者と薩摩藩財政再建の救世主の人物像

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幕末薩摩藩では、藩主の座を巡る大きなお家騒動が二度起きています。一つ目は第八代藩主だった斉宣が隠居させられた「近思録崩れ」で、もう一つが島津斉彬派の藩士の多くが粛清された「お由羅騒動」です。

ここではお由羅騒動の中心人物ともいえるお由羅と、お由羅や島津斉興とともに島津久光擁立派であった調所広郷をご紹介します。

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島津久興の側室・お由羅の方(おゆらのかた/遊羅) 演:小柳ルミ子

寛政七年(1791年)江戸生まれ。出自は大工の娘、船宿の娘、八百屋の娘説など多数ありどれが本当かは定かではないが、町人身分の出であることは間違いないといわれている。

摩藩邸で奉公働きをしていて、藩主の島津斉興に見初められ、老女の島野と養子縁組して養女となった後に斉興の側室となった。

斉興には鳥取藩主・池田治道の娘、弥姫(いよひめ/周子“かねこ”とも)という正室がいたが、文政七年(1824年)に周子が34歳の若さで亡くなってからは正室と同等の待遇となたといわれている。

斉興との間には1女2男を設け、斉興の三女・智姫と七男・唯七郎は幼くして死去したが、五男・久光は健康に育った。斉興の男子として健康に育ったのは周子の子である島津斉彬、鳥取藩池田家に養子に入った池田斉敏以外ではお由羅の方の生んだ久光のみであった。

周子亡き後に御国御前と呼ばれたお由羅の方は夫・斉興とともに周子の子である嫡男・斉彬の廃嫡、実子・久光の藩主就任を願ったと言われ、それが後の薩摩藩の後継争いとなるお由羅騒動へと繋がっていく。

嘉永元年(1849年)に久光擁立派の中心人物でもある調所広郷が幕府の密貿易追及から藩主・斉興を守るため一身に罪を背負って服毒自殺し、斉彬派が先手を取ったが、これに激怒した斉興は斉彬派の藩士らを粛清して多くの血が流れたお由羅騒動。このお家騒動において騒動の名にもなった久光の実母であるお由羅は、斉彬やその兄弟、子女を呪詛したと斉彬派に疑われたが、実際に呪詛していたかは確証がない。

騒動は老中・阿部正弘の調停によって斉興隠居、斉彬藩主就任で決着をみたが、お由羅の方には何のお咎めも無かった。

お由羅の方はその後、念願だった久光藩主こそ実現しなかったものの孫の忠義の藩主就任、久光の実質的最高権力掌握を見届けて慶応二年(1866年)死去。斉興の死から7年後の事であった。

お由羅騒動で実子・久光の藩主を願った母親を芸能界きっての無類のサッカーファン、小柳ルミ子が

島津斉彬の急死後、藩主忠義の実父として実質的な薩摩藩最高権力者となって倒幕~維新を牽引した島津久光。その実母、お由羅の方は久光の実母というよりも幕末薩摩藩における藩主の座を巡るお家騒動「お由羅騒動」の名の方で有名な感さえある人物です。

夫で藩主の斉興や家老の調所広郷とともに斉彬廃嫡・久光の藩主擁立派の中心人物であった事は間違いないのですが、「お由羅騒動」とわざわざこのお由羅の方の名前が冠してある割に、このお由羅の方が具体的に何かしたのかといわれれば呪詛(じゅそ/呪いをかける事)をした“疑い”という事なので、なかなか誤解を受けやすい人物であるという事も出来るかと思いますね。

実の子の藩主就任を願ったお由羅の方を「西郷どん」で演じるのが、歌手で女優の小柳ルミ子さん。最近では芸能界きっての無類の海外サッカー通として若者たちの間でも大人気ですよね。歌手として「瀬戸の花嫁」や「わたしの城下町」、「お久しぶりね」などのミリオンヒットを飛ばし、女優としても「白蛇抄」や「誘拐報道」で日本アカデミー賞を受賞するなど、常に日本の芸能界の第一線で活躍している超大物です。

小柳さんの大河ドラマ出演は1993年「琉球の風」以来25年振り2度目となります。「琉球の風」では主人公・啓泰(けいたい/演:東山紀之)の母親である蔡真鶴という重要な役を演じられていました。

今回は主人公サイドの適役ともいえる役柄ですが、ルミ子さんがどう演じてくれるか非常に楽しみです。

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薩摩藩家老・調所広郷(ずしょひろさと/通称:笑左衛門) 演:竜雷太(りゅうらいた)

安永五年二月五日(1776年3月24日)、薩摩藩士・川崎兼高の子として生まれ、天明八年(1778年)に同じく薩摩藩士・調所清悦の養子となり調所家の後継者となった。

茶道職として頭角を現し、江戸出仕中に隠居の身であった薩摩藩第八代藩主・島津重豪の目に留まり重用される事となった。

藩主が九代藩主・島津斉宣から十代藩主・島津斉興にかわり、隠居で実権を握っていた重豪が亡くなると、藩主の斉興によって家老にまで引き上げられて、破綻同然であった薩摩藩の財政再建を託される事となった。

家老として500万両(1年の利息だけで80万両)ともいわれる莫大な借金を背負った薩摩藩政の赤字解消を担った広郷は、まず商人に半ば強制的に借金を無利子の250年分割払いとさせる代わりに、琉球での清との密貿易にその商人を関わらせて利益を上げさせたといわれている。薩摩藩の特産品であった砂糖に関しても、専売体制を確立してそれまで砂糖を取り扱っていた問屋を通さずに莫大な利益を上げた。その他にも抜本的な農政改革や行政改革を行い、家老となってわずか3年程で薩摩藩の金蔵には250万両にも及ぶ金子の蓄えが出来たといわれている。

薩摩藩主・斉興の後継者争いで斉彬派と久光派がしのぎを削る状態にある中、広郷は久光派の中心人物として斉彬派の政敵ともいえる存在であった。

そんな中で斉彬らは、薩摩藩が江戸時代初期から行っていた重要な収入源である琉球における密貿易を時の江戸幕府老中・阿部正弘に密告するという賭けに出た。一歩間違えば薩摩藩そのものが消し飛ぶほどのリスクを負った斉彬らの賭けは、斉興の隠居や久光派の失脚を狙ったものであったといわれている。

久光派の急先鋒であった調所広郷は嘉永元年(1848年)、江戸出仕中の調所広郷は藩邸において急死した。斉興の隠居を阻止するため、密貿易の責任を一身に背負っての服毒自殺であった。この調所の自害によって斉興は隠居を免れ、斉興の反撃として斉彬派藩士の大量粛清という局面となっていくのである。

ゴリさん、野々村係長役でお馴染みの竜雷太さんが「軍師官兵衛」以来9作目の大河出演

西郷隆盛大久保利通らを主人公サイドで描く場合、どうしても悪役サイドとして描かれる宿命にあるうちの一人がこの調所笑左衛門広郷でしょう。西郷や大久保を取り立てた島津斉彬の政敵ともいえる存在なのですからそれも致し方ないのですが、どうしても損な役回りに終始してしまう気の毒な人物という感は拭えません。

実際には上記したように、もはや実質破綻状態に陥っていた薩摩藩政の財政再建をごく短期間で成し遂げた超有能な実務派家老として歴史的には高く評価されている人物です。重豪によって取り立てられましたが、重豪が目をかけて重豪の開明路線を引き継いだ斉彬とは敵対する斉興派に属したのはなかなか面白い部分ではありますね。

とにかくその剛腕ともいえる手腕で江戸初期より数百年間にわたって慢性的に赤字化していた藩財政を黒字化に転じさせたその功績はもっと広く知られ、高く評価されて然るべきであると思います。主君を救うために罪を一身に背負って命を絶ったその最期もまた天晴れというものであります。

そんな島津家の救世主ともいえる老臣・調所広郷を「西郷どん」の中で演じるのが竜雷太さん。もはや説明不要のベテラン実力派俳優さんです。大河ドラマには1983年「徳川家康」を皮切りに、2014年「軍師官兵衛」まで実に8作品に出演されており、この西郷どんが4年振り9作目の登場となります。1990年の幕末薩摩藩を描いた「翔ぶが如く」にも川口雪篷(かわぐちせっぽう)役で出演されています。個人的には「風林火山」での甘利虎泰役や「独眼竜政宗」での伊達実元役などが印象深いですね。

我々の世代的には竜雷太さんといえばなんといっても「太陽にほえろ」のゴリさんこと石塚刑事役が印象深いですね。ゴリさんの壮絶な殉職シーンは涙なしでは見られません。若い人たちにとっては「ケイゾク」「SPEC」における野々村光太郎係長役が人気なのではないでしょうか。

御年78歳となる竜雷太さんですが、まだまだ現役バリバリの人気俳優としてこれからもどんどん代表作を残していってほしいですね。

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