[大河ドラマ]有村俊斎(ありむらしゅんさい/海江田信義) イケメン俳優・高橋光臣が茶坊主から維新志士までを演じる

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西郷どん

幕末の志士たちの中には改名した人物たちが数多くいます。名前だけならいざ知らず、姓名ともに変わった人物もかなりいます。幕末に桂小五郎として活躍した維新三傑の一人、木戸孝允などはその代表的な人物ですよね。

ここでご紹介する海江田信義もそんな一人です。若き日は有村俊斎という名で活躍した海江田信義、その生涯を見てみましょう。

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有村俊斎(ありむらしゅんさい)/海江田信義(かいえだのぶよし)の生涯・略歴

天保三年二月十一日(1832年3月13日)、薩摩藩士・有村仁左衛門兼善とその妻・連(連寿尼/森元高見の娘)との間の次男として薩摩国に生まれる。幼名を太郎熊といった。桜田門外の変に連座して自害した雄助は三男、大老・井伊直弼暗殺の実行犯となった次左衛門は四男、その他有村家を継いだ國彦などが弟にいる。

太郎熊十一歳の頃、茶坊主として当時の薩摩藩主・島津斉興に出仕して俊斎と号した。その後俊斎は西郷隆盛の弟である西郷従道を島津斉彬の茶坊主として推薦している。

剣術は東郷実明の下で示現流を学んだ後、薬丸自顕流の薬丸兼義に師事したという。薬丸自顕流入門の逸話として、薬丸自顕流道場に道場破りに来た俊斎を薩摩藩きっての剣豪として知られる大山格之助(綱良)が立ち合いで破り、敗れた俊斎が入門したというものがあるが、事実であれば俊斎がまだ15歳と若年だった事もあり、別人説も有力である。

嘉永二年(1849年)に起きた薩摩藩内の後継者争いに端を発した「お由羅騒動」は島津斉彬派だった有村家にも及んだが、幕府老中・阿部正弘の調停により斉彬が新藩主となると、俊斎も斉彬によって取り立てられ、同じく斉彬の下で取り立てられた西郷吉之助や大久保正助、吉井仁左衛門、税所喜三左衛門らとともに誠忠組を結成し、交流を深め知識を蓄えながら天下国家を論ずるようになる。

江戸藩邸勤めにおいては多くの尊王攘夷派志士たちと交わり、特に藩主自らが熱心な尊皇家であった水戸藩士との繋がりは深く、家老の戸田忠太夫や学者の藤田東湖らからは大きな影響を受けたといわれる。藤田東湖と西郷隆盛を引き合わせる仲立ちを務めたのも俊斎であった。

安政七年(1860年)3月3日に起きた桜田門外の変では大老暗殺に関与して弟二人を亡くしたが、俊斎は関わらなかった。

文久元年(1861年)には、安政の大獄で獄死した日下部伊三治(くさかべいそうじ)の長女・まつを妻に迎えて日下部家に婿養子として入り、日下部家の旧姓である海江田姓に復姓して海江田武次信義と名を改めた。

文久二年(1862年)には薩英戦争の原因となった生麦事件において薩摩藩の大名行列を横切ったイギリス人商人・チャールズ・リチャードソンにとどめの一撃を加えた。なお、同年に起こった「寺田屋事件」では大山格之助ら追捕使と有馬新七ら尊攘派藩士らとの同士討ちの現場には立ち会っていなかった。

旧幕府軍との戊辰戦争においては、江戸城明け渡し交渉等で功績を上げたが、同じく新政府軍の重鎮である長州藩・大村益次郎とは悉く対立し、挙句の果てには大村暗殺の黒幕の噂も立ち上って一時期は新政府役職から離れる事となった。

明治三年(1870年)には旧薩摩藩の盟友・大久保利通の働きかけによって第三代奈良県知事として新政府に復帰するが、廃藩置県の施行により失職。明治五年(1872年)には左院四等議官となって新政府に不満を抱く旧主君、島津久光と新政府とのパイプ役として活躍した。

明治十四年(1881年)には元老院議官、明治二十三年(1890年)には貴族院議員、翌二十四年(1891年)には枢密顧問官となった。

明治三十九年(1906年)10月27日に死去。享年75。

桜田門外の変で自害した弟の代わりに日下部家へ婿養子に入って旧姓の海江田を名乗った俊斎

有村俊斎から海江田信義へと名を変えて活躍した維新の元勲の一人、海江田信義。上の写真は信義67歳くらいの時の姿です。

前述したように幕末期から維新にかけては途中で改名した偉人が多く、なかなか覚えるのが面倒だというのが難点なのですが(苦笑)、この海江田信義もご多分に漏れません。

この海江田の場合は有村家二男として生まれたのですが、実は海江田家(日下部家)に婿養子として入る予定だったのは有村俊斎(信義)ではなく、三男の次左衛門の予定でした。しかし海江田家に養子に入る予定だった次左衛門は、桜田門外の変において大老・井伊直弼暗殺の実行犯として自害してしまったため、海江田家のまつを妻に娶っての婿養子入りは白紙となってしまいました。そこで次左衛門の兄である俊斎がまつを妻として海江田の名跡を継いだというわけです。

このように、跡継ぎのいない武士の家に他家の男子が婿養子として入って家を断絶させないというのはこの時代によくあった事です。ちなみに、俊斎が婿養子に入った有村家は俊斎の弟である有村國彦が家督を継いで現在まで残っており、この國彦の子孫に自民党所属の現役参議院議員である有村治子さんがいらっしゃいます。

この信義の他にも薩摩には、桐野利秋と名を変えた中村半次郎など改名した志士が大勢います。幼少時に養子となって姓名が変わった人物などはそれこそ山のようにいます。家名存続という事が現代以上の至上命題であったこの時代の武士の世界をこういった事実からも思い起こす事が出来ますよね。

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大村益次郎暗殺事件が原因?薩摩藩同僚達の爵位が伯爵なのに信義が子爵だった理由

明治十七年(1884年)に華族令が制定されて、華族になった家の当主は上位よりそれぞれ公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵という五階の爵位に叙されました。

この中で「国家に勲功ある者」として各藩の維新の功労者たちも多くが華族になったのですが、この海江田信義は子爵に叙せられました。しかし海江田信義の明治維新における功績を考えれば、子爵の一つ上の伯爵が相当であるというのが一般的な意見であり、それを考えれば階位は低すぎるという声もありました。同じ薩摩藩士である西郷従道や大山巌、吉井友実、川村純義、伊地知正治、黒田清隆、松方正義といった人物が伯爵となったのを見れば誰しもがそう考えても不思議ではなかったことでしょう。信義の明治維新における貢献度が彼らに比べて低いとは確かに思えません。

確証はありませんがこの叙任に関しては旧長州閥の意向が関わっていると根強くいわれています。

その原因こそが長州藩が生んだ天才軍学者の大村益次郎暗殺事件です。大村益次郎といえば維新回天の中心人物の一人であり、「日本陸軍の父」と言われるほどの功績を誇り、西郷隆盛大久保利通、木戸孝允の維新三傑入りに最も近かった人物と言われるほどの偉人です。

そんな益次郎と海江田はとにかく相性が悪いというのか反りが合わないというのか、戊辰戦争時には悉く対立し、海江田は周囲に大村の事を「殺してやりたい」と漏らしていたほどだったといいます。そして大村益次郎は京都での会談中に改革に反対する不平士族達の襲撃を受けて死亡するのですが、この暗殺者達と海江田に付き合いがあった事が憶測を呼びます。大村を殺したいほど憎んでいたという事実と、実際の大村暗殺犯と海江田との繋がり。この事実によって特に長州藩の間では海江田に対する反感が広まりました。

当の海江田はもちろん暗殺関与に関しては否定しています。暗殺時に大村が京都に来ている事さえ知らなかった自分を罪に陥れるためのものだと本人は話しているのですが、このことが原因で子爵に甘んじたというのがもっぱらの噂となっています。

個人的には海江田信義という人物はこんな回りくどい事はやらないのではという気がしますね。彼なら本当にやる気なら自分自身で斬り込んでいくような気がします。海江田信義という人物を終生高く評価した同郷の英雄・大久保利通は海江田に対して「忍耐不足を無くして度量を広く持て」と諭したといいますが、海江田信義という人は多くの人にとっては何となく憎めない愛される人物だったのではないかという気がしますね。

ボウケンレッドや大国町光臣、神谷玄次郎役でお馴染みの高橋光臣(たかはしみつおみ)が俊斎役に

初め有村俊斎、そして長じて海江田信義として幕末から明治にかけて活躍したこの人物を「西郷どん」で演じるのが高橋光臣さん(子役時代は池田優斗くん)。大河ドラマは2010年「龍馬伝」以来、8年振りの登場となります。

高橋さんは「龍馬伝」では山田広衛殺害で対立する土佐藩の上士と下士の回1話きりの出演でしたが、今回は主人公である西郷どんの幼馴染であり、ともに明治時代まで歩んでいく重要な役となっています。今回は主要登場人物としての、まさにレギュラー中のレギュラー出演です。

2006年の「轟轟戦隊ボウケンジャー」での明石暁(ボウケンレッド)役や2007年に放映されて高視聴率を記録した「花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜」の桃咲学園第一寮の大国町光臣(だいこくちょうみつおみ)役で一躍人気俳優へと飛躍した高橋光臣さんですが、個人的には時代劇でのお仕事の方が印象深いですね。

テレ東の新春ワイド時代劇「影武者 徳川家康」での忍び、甲斐の六郎役やNHKBSプレミアムでの「新撰組 血風録」での平山五郎役も良かったですが、やはり主役を演じた「神谷玄次郎 捕物控」での神谷玄次郎役でしょう。

何度となく映像化された藤沢周平原作の名作において、普段は怠け者だが実は凄腕の直心影流の使い手という主人公の北町奉行所の定町回り同心を好演しました。シリーズ2まで制作されているこの高橋光臣さん主演の「神谷玄次郎シリーズ」ですが、個人的には数あるBS時代劇の中でも続編を待ち望んでいるシリーズの一つですね。

このように時代劇でのキャリアも確かなものがある高橋さんの演じる維新の功労者、海江田信義。過激な尊王攘夷志士時代の有村俊斎から政治家として頭角を現していく海江田信義時代への人間的成長も楽しみですよね。

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