織田信長、徳川家康に続く戦国三大英傑最後の一人がいよいよ真田丸に登場します。
日本史上類を見ない出世を成し遂げた、太閤殿下こと豊臣秀吉(羽柴秀吉)です。
この秀吉は、歴史上の人物の中でも織田信長と並んでトップを争うほどの人気者です。強烈なカリスマによって時代を切り開いた信長、日本人の特徴ともいえる忍耐力で天下を取った家康に比べると、この秀吉は天性のスター性を兼ね備えた人物と言えるでしょう。
真田丸の主人公・真田信繁(幸村)にとっても、非常に重要な人物です。信繁は秀吉直属の家臣として側に仕えていた時期があります。その過程で、信繁がこの天性のスーパースターである秀吉から何を学び、何を感じ取ったのかは、この真田丸において重要なポイントとなるはずです。
そんな天下人・太閤秀吉とはどんな人間だったのでしょうか。
太閤・豊臣秀吉の生涯
とよとみひでよし。最初、木下藤吉郎と名乗り、後に羽柴秀吉、豊臣秀吉となる。官位は筑前守(ちくぜんのかみ)、関白など。
古くから農民の身分から関白にまで上り詰めたと言われてきた秀吉だが、実際にははっきりとした出自はわかっていない。農民の出という説もあれば、下級武士出身説もあり、その他にも様々な説が取り沙汰されている。
生年も以前は天文五年(1536年)生まれと言われてきたが、最近の研究では天文六年(1537年)説が有力とされている。
木下藤吉郎と名乗っていた若年期は、駿河の大大名・今川義元の家臣・松下之綱に仕えたが間もなくその元を去り、天文二十三年(1554年)頃に尾張の織田信長に仕えたと言われている。
信長の家臣となった藤吉郎は、永禄四年(1561年)に浅野長勝の養女・ねね(おねとも言う。後の北政所)と結婚し、妻として迎える。信長に仕えた藤吉郎は、信長が実績や出自にとらわれずに優れた者をどんどん出世させる実力主義であったことも幸いし、織田家中でメキメキと頭角を現すようになる。
織田信長が敵対する越前の大名・朝倉義景を討伐した戦いにおいて、織田軍として出陣し、途中、裏切った信長の義弟・近江の浅井長政によって前後から挟み撃ちとなり絶体絶命の危機に陥った織田軍の殿軍(しんがり)を務め、見事信長の退却を成功させる(金ヶ崎の退き口)。
天正元年(1573年)の「小谷城の戦い」で近江・浅井家が滅亡すると、北近江の領主となり、「今浜」と呼ばれていた地名を「長浜」と改め、晴れて一国一城の主となる。
その後、武田勝頼との「長篠の戦い」、大和国・松永久秀との「信貴山城の戦い」などに従軍して戦功を挙げ、織田軍の中でも最も重要度の高い中国・毛利攻めを任される事となる。ここにおいて秀吉は、織田家の宿老・柴田勝家や丹羽長秀などと完全に同列の立場にまで上り詰めたのである。
麾下に弟・羽柴秀長、竹中半兵衛、黒田官兵衛など、優秀な人材を従えた秀吉は、鳥取城の兵糧攻めや「備中高松城」の水攻めなど、奇抜な戦法で毛利の城を次々と落城させ、毛利家を追い詰めていく。
そんな矢先の天正十年(1582年)、「本能寺の変」で主君・織田信長が家臣・明智光秀に討たれる。これを知った秀吉は、急ぎ交戦中であった毛利と和議を結び、逆賊・明智光秀を討つため全軍を京都へと向かわせる(中国大返し)。
「山崎の戦い」で明智光秀を破った秀吉は、一躍織田家中の中での発言力を高める事となり、すぐに行われた織田家中の後継者を決める「清須会議」でも主導権を握り、政敵・柴田勝家を退け、信長の嫡孫・三法師を後継者とする事で押し切り、実質上の織田家の実権を握る事に成功する。
天正十一年(1583年)には賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を滅ぼし、翌天正十二年には信長の次男・信雄を支持する徳川家康との「小牧長久手の戦い」を経て家康を秀吉麾下に加える事となり、秀吉の天下人の座は揺るぎないものとなった。
天正十四年(1586年)には朝廷から「豊臣」姓を授けられ、太政大臣に任官されて豊臣秀吉となる。
天正十八年(1590年)に唯一敵対していた関東の大名・北条氏政・氏直親子を降伏させ(小田原征伐)、名実ともに日本の統一を成し遂げた。
文禄元年(1592年)には中国・明を攻めるために朝鮮へ出兵するが、戦況ははかばかしくなく翌年には撤退する(文禄の役)。
文禄二年(1593年)に嫡男・秀頼を側室・淀の方が出産。これに危機を覚えたのが秀吉の甥であり、養子として関白職を秀吉から譲られていた秀吉の後継者・豊臣秀次。疑心暗鬼に陥った秀次は以前にも増して素行の悪さが目立つようになり、最終的に秀吉への謀反の嫌疑をかけられた秀次は切腹、秀次の子や妻ら29人も処刑された。
慶長二年(1597年)には14万の大軍で再び朝鮮へ出兵する(慶長の役)。日本軍は拠点となる城を整備し、6万余りの兵を守備兵として残して撤退する。
慶長三年(1598年)になると病がちになり、病床に伏せる事が多くなる。死期を悟った秀吉は、豊臣五大老の徳川家康に嫡男・秀頼の後継者と定め、後事を託すとともに遺言書をしたため、各大名に通達する。慶長三年(1598年)8月18日、伏見城でその生涯を閉じる。死因はガンとも梅毒とも脚気とも言われており、毒殺説まであるがどれも確証はなく謎である。
魔王・信長に二度までも許されたその人たらしの才覚
豊臣秀吉ほど色々な逸話を持つ偉人も珍しいのではないでしょうか。例えば、有名なのが織田信長に仕えていた頃、信長のわらじを懐で温めていた話や、信長の美濃攻めに際して、墨俣に一夜で城を築いた墨俣一夜城伝説など。これらはどれも後世の創作である可能性が高いと言われている話なのですが、それだけ魅力のあった人物であったという事だけは間違いないでしょう。
実はこの秀吉、あの絶対君主である信長の断りもなく、独断で物事を決めて信長を激怒させたことが二度もあるのです。
一度目は信長の命令でライバル・柴田勝家の上杉攻めに加わった時。この時、秀吉は総大将・勝家への不満から、無断で柴田軍から離れて帰国してしまっています。二度目は中国・毛利攻めの際に、毛利と国境を接する備前の宇喜多直家を調略して味方に引き入れた時です。この時も信長の決済を得ないまま、直家の織田家への帰属と領地の安堵を勝手に決めてしまいます。この2度の独断行動は信長の逆鱗に触れたといいます。しかし、結果的に秀吉は許されているのです。
なぜでしょうか。信長は部下の勝手な行動を絶対に許しません。信長に限らず、絶対君主とはそのようなものです。それを認めていては組織の統制がボロボロになってしまい、ひいては家を滅ぼすからです。
それを信長は許しました。二度までも。
この事実こそが秀吉の恐るべき才能を示しているのだと思います。あの信長をして、自分の権威に泥を塗るような行為を2度までも許す程に、殺すには惜しい人物であったのだという事です。まあ、自分亡き後、この秀吉によって織田家は天下人の座から追われるのですから、本当に歴史とは面白いものですね。
豊臣家を滅ぼした後継者の不在と家臣団の分裂による関ヶ原の戦い
この時代の戦国武将たちの間で流行っていたのが男色です。つまり、男を愛するという事ですね。もちろん、正室や側室を迎えて子は作りますが、それはあくまでお家のため。それとは別に、側に小姓を置いて可愛がるのが戦国武将の嗜み(性的志向?)とも言われていました。有名なのが、織田信長と森蘭丸、武田信玄と高坂昌信などですね。
しかしこの秀吉には男色の趣味は全くなかったといいます。その代わり、恐ろしいほどの女好きであったのです(笑)。
ある日、あまりの秀吉の浮気に堪忍袋の緒が切れた妻のねねは、夫の主君である信長の元へ赴き、その不満をぶちまけます。信長は怒るねねをなだめながら、秀吉に自ら手紙を書き、「この禿ネズミが!」と叱責しています。信長と秀吉・ねねの親密さと秀吉の女好きが伺えるエピソードとして有名ですね(この手紙は現存しています)。
しかし、それほど女好きであったにも関わらず、秀吉はたった一人の男の子しか残す事が出来ませんでした。しかも年を取ってからの子であり、秀吉が死んだときにはわずか6歳でした。もしも秀吉が若い時に嫡男を設けれていれば、豊臣家の滅亡もなかったかもしれません。そういう意味でも徳川家康は非常に運のよい男であったとも言えます。
あと、秀吉は信長ほどに家臣を育てる力、家臣の力を見極める眼力が無かったというのも致命傷だったのかもしれません。秀吉によって取り上げられた家臣と言えば、石田三成や加藤清正、福島正則が代表的ですが、どの武将もどれかに秀でていますが、どこかが決定的に欠けているという人が多いですね。バランスが非常に悪いのです。このことは、秀吉の死後に家臣団の分裂を招き、家康にそこを突かれて関ヶ原の戦いを招く最大の原因となります。結果論になりますが、せめて秀吉の弟である、大納言秀長が生きていればと思ってしまいますね。
小日向文世は善人役だけではない。悪役こそ彼の真骨頂
この真田丸で天下人・豊臣秀吉を演じるのは三谷作品の常連俳優・小日向文世。
大河ドラマは2012年の「平清盛」以来4年ぶり6作目の登場となります。前回の三谷幸喜大河「新選組!」でも土方歳三の義兄・佐藤彦五郎役で出演されていましたね。
もはや説明不要の演技派売れっ子俳優の小日向さんですが、どのような秀吉像となるのでしょうか。
大河ドラマでの豊臣秀吉は、作品によって善悪両極端に別れる人物です。
2011年の大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」などは本当に酷い秀吉でしたね。まあ、徳川に嫁ぐ江が主人公という設定上、秀吉が悪役的ポジションになるのは致し方ないのはわかりますが、あれはちょっと酷い。脚本家の田渕公美子さんは個人的に秀吉に恨みでもあるのかと勘ぐってしまいたくなるほどでしたね(苦笑)。
今回はこのような事は無いと思います。確かに秀吉は、清い人間でない事だけは確かです。腹黒い部分も多分にありますし、残虐な部分もあります。しかし、それと同時に非常に引き付けられる魅力的な人物でもあります。
このような人物を描かせると、三谷幸喜という人は本当に上手いのです。恐らく、単純に善悪だけでは判断できないような人間味あふれる秀吉にしてくるのではないでしょうか。
小日向さんは見るからに善人面ですよね。しかし、北野武監督作品の「アウトレイジ」シリーズで演じた悪徳刑事・片岡役こそが小日向さんの俳優としての本領発揮だと個人的には思っています。
表は善人の顔をして「人たらし」として振る舞いながら、裏ではしっかり計算して謀略をめぐらせているような秀吉を演じてくれそうな気がします。善悪両方の役をしっかり演じる事が出来る小日向さんのはまり役といってもいいのかもしれませんね。
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