鳥居元忠(とりいもとただ) 演:大堀こういち
徳川家康が今川家の人質だった時代からの側近中の側近。
天文八年(1539年)、岡崎奉行も務めた松平家譜代の家臣である鳥居忠吉の三男として、現在の愛知県岡崎市に生まれる。
長兄の戦死、次男の出家によって鳥居家の家督を継いだ元忠は、「三方が原の戦い」や「長篠の戦い」、「髙天神城の戦い」などの徳川家の対武田家の主要合戦に主力として参戦。天正壬午の乱において北条家と争った際には、黒駒合戦で北条の大軍を打ち破る戦功を立てた。北条家と和睦した後の真田昌幸との「第一次上田合戦」には主力部隊として参戦するが、昌幸のゲリラ戦によって大敗を喫した。
小田原征伐後は関東に移封した家康に従って関東入り。下総香取郡矢作村に領国4万石を与えられ、矢作藩の藩祖となる。
慶長五年(1600年)に上杉景勝討伐のために東上した徳川家康の留守中に石田三成が家康打倒のために挙兵する。三成はまず元忠の籠った伏見城へ、宇喜多秀家や小早川秀秋らの指揮する40000の大軍を差し向けた。三成の降伏勧告の使者を斬殺した元忠は徹底抗戦の構えを取り、城兵1800人とともに籠城。
家康と別れた時から討ち死にを覚悟していた元忠は20倍以上の大軍に一歩も譲らず善戦する。しかし13日間の攻防の末、城内の裏切りなどもありついに伏見城は落城。元忠は雑賀衆の鈴木重朝との一騎討ちの末に討ち取られたと言われている。享年62。
「主君のためなら火の中水の中」とも言われる三河武士。まさに忠義の士を絵にかいたような三河武士を代表するような人物が、本多平八郎忠勝とこの鳥居元忠です。
何といっても元忠の名を現在にまで知らしめているのが伏見城での最後の戦い。家康を描くドラマではこの戦いは欠かす事の出来ないものですね。家康は上杉討伐に向かう時には三成の挙兵を予想していたと言われています。そうなると真っ先に攻められるのが伏見城であろうことももちろん想定内でした。それを承知のうえで鳥居元忠に伏見城居残りを命じたと言われています。そして元忠も討ち死にを覚悟で伏見城に残りました。
老体に鞭打って家康のために時を稼ぎ、家康の天下取りのために犠牲となった忠臣ですね。歴史シミュレーションゲームの信長の野望シリーズでは義理堅さがほぼマックスなのでまず寝返りには応じてくれない事でも有名な武将です(笑)。
そんな三河武士の権化とも言うべき忠臣・鳥居元忠を演じるのが大堀こういちさん。舞台を中心に活躍されている俳優さんですね。大河ドラマは初登場ですが、ドラマ「古畑任三郎」出演があり、三谷幸喜さんとは接点があるようですね。上田合戦では真田の敵を演じる大堀さんがどのように忠義者の元忠を演じるのか楽しみですね。
平岩親吉(ひらいわちかよし) 演:東武志
官位は従五位下・主計頭。今川義元の人質時代からの家康の腹心。
天文十一年(1542年)、平岩親重の次男として三河国坂崎に生まれる。主君である徳川家康とは同い年である。
十七歳で初陣を飾った親吉は同年である家康の信頼を一身に受け、家康の嫡男・信康の傅役(もりやく)を任された。しかし信康は家康の同盟者である織田信長の意向によって切腹を命ぜられ(切腹が信長の意向であったかどうかは諸説あり)、親吉は信康の代わりに自分の命を差し出そうとしたと言われている。しかし親吉の願いも虚しく信康は切腹。親吉は責任を取って蟄居謹慎となるが、その後許され家臣団に復帰。
武田勝頼の死去によって空白となった甲斐の統治を任された親吉は、甲府城築城など領内整備に努め、徳川家の甲斐統治に大きく貢献した。
関ヶ原の戦い後は、徳川家康の九男・徳川義直を補佐して甲斐を統治、義直が尾張徳川藩初代藩主となると親吉も終わりに赴き、尾張犬山に12万石を与えられた。
慶長十六年(1611年)に名古屋城にて死去。享年70。
これまた忠義の三河武士の鏡とも言われている武将ですね。
真偽は別として、豊臣秀吉からの褒美の金子を突っ返したり、凡庸な自分の弟を犠牲にして徳川家四天王の一人、榊原康政を守ったりしたという逸話が残っている骨太な男ですね。さらに有名なのが加藤清正の毒殺に関わったという逸話です。清正は大坂の陣の前に急死しますが、これが豊臣秀頼を慕う清正を危険視した徳川家の毒殺であったという説は今なお根強く囁かれている疑惑です。親吉は遅効性の毒を自らが飲むことで清正を道連れにしたという逸話ですね。三河武士の忠義を示す逸話の一つとして有名なものです。清正とほぼ同時期に親吉も死亡している事から生まれた疑惑です。親吉は以前にも家康の母方の叔父である水野信元を暗殺した経緯があり、この時も主君の命により、泣いて信元を斬ったと言われています。
平岩親吉を演じるのは東武志さん。殺陣やアクションを得意とする肉体派の俳優さんですね。大河ドラマは「篤姫」、「八重の桜」に続いて3度目の登場となります。個人的には親吉というと、どちらかというと知将のイメージがあったのですが、今回は武闘派としての親吉が見れそうですね。新たな平岩親吉像に期待したいですね。
大久保忠世(おおくぼただよ) 演:中野剛
天文元年(1532年)、徳川家譜代の家臣である大久保忠員(おおくぼただかず)の長男として生まれた。
家康の家臣として、家康の今川家独立から間もなくして起こった「三河一向一揆」の平定や、武田家との「三方が原の戦い」、「長篠の戦い」などで戦功を挙げ、遠江国・二俣城の城主を任された。天正壬午の乱の時には信濃・小諸城にあって徳川家の信濃統治に大きく寄与した。
家康の関東移封の際には相模国・小田原に45000石を与えられたという。
文禄三年(1594年)死去。享年63。
家康が天下を取る前に亡くなってしまったため、徳川家臣団の中ではそれほど知名度はないですが、家康の右腕として黎明期から支え続けた重臣中の重臣がこの大久保忠世です。
大久保忠世自身は歴史愛好家以外にはそれほど知名度がありませんが、忠世の兄弟には大有名人がいます。それが徳川家の2代将軍である秀忠や3代将軍・家光の時代に徳川家の重鎮として「天下のご意見番」と呼ばれたあの大久保彦左衛門(大久保忠教)です。
彦左衛門は忠世の28歳年下の弟なのです。若き日は兄・忠世の下で戦などに活躍していたと言われています。忠世らの活躍によって大久保家は徳川家の家臣の中でも大きな勢力となっていったのです。
大久保忠世を演じるのが、自らが主宰する中野笑店の代表も務める俳優・中野剛さん。大河ドラマは「龍馬伝」や「平清盛」などの出演に続いて5作目となります。真田家の名を高める事となる「第一次上田合戦」において、どのような忠世を演じてくれるのかが見ものですね。
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