真田丸に襲い掛かる前田、井伊、松平の大軍、その時真田丸で爆発が!
ついに火蓋を切った大坂冬の陣。そして真田左衛門佐幸村(さなださえもんのすけゆきむら/演:堺雅人)の名を天下にとどろかせた真田丸の戦い。
NHK大河ドラマ「真田丸」の中で描かれていたように、真田丸の戦いは大坂冬の陣を代表する激戦であり、徳川軍の惨敗ともいえる結果に終わりました。
個人的に嬉しかったのは、大好きな毛利豊前守勝永(もうりぶぜんのかみかつなが/演:岡本健一)が真田丸で戦ってくれたことです。美味しいところ持っていきましたよね(笑)。史実では北の守りを固めていたとされる勝永でしたが、あの演出は個人的に「三谷幸喜、グッジョブ!!」って感じでしたね。
後興味深かったのは、佐助(藤井隆)が火薬を爆発させて前田利常隊を暴発させた場面。通説では真田丸での爆発は真田軍の鉄砲の暴発であったと言われています。真田丸では幸村の策であるという説を取りました。これもドラマとして十分ありでしょう。実際には真田の謀略であった可能性も十分あるとわたしも思っていますし。
真田大助(浦上晟周)が、父幸村が「第一次上田合戦」の時に囮になった時と同じように「高砂」を舞い踊って敵を挑発しましたが、実際に真田軍は篠山(ささやま)から前田軍を挑発したと言われています。それが大助かどうかはわかりませんが、父と同じく高砂を舞ったところが憎い演出ですよね。
エキストラやセットなどもすごかったですね。ここに予算全部かけたのか??って感じで、個人的には大満足でしたね。
史実における真田丸の戦いについては、NHK大河ドラマ「真田丸」第45話「完封」史実から見たネタバレ予想と第44話「築城」視聴感想とMVPにて詳しく述べていますので、そちらをご参照ください。
ただし、真田丸の戦いについては現代でも研究が進められている真っ最中であり、実を言えば真田丸がどのような形であったのか、またハッキリとどこにあったのかを示す資料もごくわずかしか残っていないため、識者の間でも様々な説が唱えられているのが現状です。今年7月にも松江から真田丸を描いたと思われる絵図が発見されました。研究はこれからとなってきますが、この先どんどん詳細が明らかになっていってほしいものですね。
徳川への内通者は織田有楽斎(おだうらくさい)?台所番の大角与左衛門?
みなさんが気になっているのが、今週幸村がはっきりと口にした、大坂城内の豊臣家の中にいるであろう徳川家への内通者の事なのではないでしょうか。
史実においては、大坂方に味方した牢人衆の一人である南条元忠が徳川に内通して切腹させられたという事実が明らかになっています。しかし真田丸には南条元忠は登場しません。よって、真田丸で描かれる内通者は恐らく別の人物という事になるでしょう。
真田丸に出演している人物で豊臣家を裏切る可能性の最も高い人間、それは主要人物の大坂の陣後の人生を見てみればある程度目安がつくかと思われます。
ハッキリ言いましょう。それは織田有楽斎(演:井上順)です。
ネタバレしますと、織田有楽斎は大坂の陣後は大坂城の主要人物の中で唯一悠々自適の老後を送って天命を全うした人物なのです。その他の人物は豊臣家に殉じたと言ってもいい人生を歩んでいますので、状況証拠からしてみれば、織田有楽斎が一番怪しいというのは当然でしょう。
状況証拠と言いましたが、織田有楽斎が大坂城内の裏切者であるという証拠はありません。ですから、あくまで状況証拠なのです。
視聴者の方々も、恐らくは織田有楽斎が大蔵卿局(おおくらきょうのつぼね/演:峯村リエ)辺りが怪しいとお思いでしょうが、大蔵卿は最期まで豊臣秀頼(中川大志)や茶々(竹内結子)に付き従っています。状況証拠的に彼女が徳川の内通者であることは考えづらいですね。個人的には豊臣家滅亡の一因である人物だとは思いますが、裏切者、内通者、スパイの類ではない事だけは確かでしょう。
関ヶ原の戦いの折に、調略によって西軍にあれだけの裏切者を出させた徳川家康(内野聖陽)。当然大坂の陣においても活発な裏工作をしていたことは間違いないでしょう。内通者が南条元忠だけであったとは到底思えません。
当然歴史の勝者である徳川方の汚い証拠は江戸時代に徹底的に隠滅された事でしょう。よって、あくまで推測に頼る他はありませんが、状況証拠から見て大坂城内の大物で徳川に寝返った人物がいたのであるとすれば、それは織田有楽斎以外に考えられないとわたしは思います。
もう一人、実は非常に怪しい人物がいます。大坂城の台所を取り仕切る大角与左衛門(樋浦勉)がその人です。大角与左衛門もまあ最終的には裏切るのですが・・
ここでは犯人探しを混乱させる三谷幸喜のミスリード要員だと個人的には思っています。さすがに台所番では詳細な陣立て表までは入手不可能でしょう。というわけで、ここでの裏切者は織田有楽だと思うわけです。
福島正則、平野長泰よ、何故今さら・・そしてきりを待ち受ける運命とは?
その他についても見ていきましょう。
まずは茶々が鎧を着て城内の兵たちを励ます場面。これも有名な話ですね。江戸初期に編纂されたと言われる「当代記」に残っている逸話です。茶々(淀殿)はしばしば大坂の陣において悪役風に描かれる事が多いのですが、このように、かなりアグレッシブで愛嬌のある一面も持ち合わせていたのです。
福島左衛門大夫正則(深水元基)、平野長泰(近藤芳正)という賤ヶ岳七本槍の懐かしい面々も久々に登場しましたね。
二人とも豊臣恩顧の大名という事で、大坂に参陣する事は許されずに江戸にて留守居役を任されたというのも史実です。正則は劇中でもあったように、豊臣家に大坂屋敷の兵糧をわざと渡しましたし、平野長泰に至っては豊臣軍に加わろうと大坂に向かうつもりでした(家康に止められましたが笑)。
大坂の陣で豊臣に味方するくらいだったら、何で関ヶ原で徳川に味方したの??などという野暮なツッコミは敢えてしないでおきましょう(苦笑)。
きり(長澤まさみ)は茶々の侍女となってしまいましたね。茶々の侍女・・という事は・・
いや、この先はここでは触れないでおきましょう。ただ一つ言える事、それはきりに関しては詳しい事がほとんどわかっていないという事です。どういう事かというと、きりの運命は脚本家である三谷幸喜にゆだねられている・・という事です。
初恋の女性である梅(黒木華)を失った「第一次上田合戦」、上田で勝ちながら関ヶ原本戦で負けた「第二次上田合戦」に続いて、三度目となる真田による徳川撃破。三度目の大坂の陣はどのような結末を迎えるのか楽しみに待ちましょう。
「完封」のMVP 景勝は「源次郎」ではなく「左衛門佐」と呼んだ・・
では真田丸第45回「完封」のMVPに参りましょう。
先週の「築城」に続いて真田左衛門佐幸村で決まりです。文句なしです。ここで選ばずにどこで選ぶ?という感じでしょう。
ようやく訪れた真田幸村の一世一代の晴れ舞台です。どれほど長かったことか・・上杉景勝(遠藤憲一)の
「日本一の兵(つわもの)、真田左衛門佐!!」
という絶叫を聞いて涙したのはわたしだけではないはずです。第1話から見続けていたファンにとっては待ち望んだ瞬間でした。
と同時に、真田幸村という男の凄さはもちろんの事、人間臭さや弱さなど、左衛門佐という人間の全てをさらけ出してくれました。まさにこれまでの人生の集大成ともいえる場面でしたね。父・真田安房守昌幸(草刈正雄)が用いた「高砂」の舞いでの挑発を用いたところなどは、まさにこれまでの事が幸村の血となり肉となっていたという事を証明していましたね。
もう一度言いましょう。文句なしのMVPです。
次点は幸村以外すべて!といってもいいですね。
後藤又兵衛(哀川翔)も長宗我部盛親(阿南健治)も、毛利勝永(岡本健一)も明石全登(あかしてるずみ/演:小林顕作)も、大阪五人衆全員に見せ場が用意されていましたし、敵役である家康、本多佐渡守正信(近藤正臣)、徳川秀忠(星野源)、本多正純(伊東孝明)らも存分に個性を発揮していましたしね。弓矢を構える高梨内記(中原丈雄)、槍を手に無双する堀田作兵衛(藤本隆宏)も本当にかっこよかったです。大助の「高砂」の舞いと唄は父幸村以上でしたね(笑)。
個人的には木村長門守重成(きむらながとのかみしげなり/演:白石準也)が良かったですね。彼は大坂城牢人五人衆に比べればかなり知名度は劣るのですが、木村重成も豊臣家にその若き命を預けたあっぱれな若武者です。その戦功は五人衆に勝るとも劣らない見事なものでした。白石さんの熱演によって木村重成という大坂の貴公子にもっとスポットライトが当たってくれればうれしいですね。
そして外せないのがやっぱり上杉景勝と直江兼続(村上新悟)の上杉家の面々でしょう。家康にねちねち嫌味を言われる場面は、関ヶ原以降上杉家が辿ってきた苦難の道を全て現していましたね。関ヶ原で西軍の石田三成(山本耕史)に味方した上杉家は会津120万石から米沢30万石に、4分の1となる大減封となります。関ヶ原の折に家康に「直江状」を送り付け、敢然と徳川にケンカを売った上杉家。しかし関ヶ原で敵対した徳川の軍勢としてかつての主君と対峙する彼らの心中はいかばかりだったでしょうか。
最後の上杉景勝の叫びには様々なものが込められていたことでしょう。
そして一際感慨深かったのが、常に幸村の事を「源次郎」という幼名で呼び続けていた上杉景勝が、「真田左衛門佐!!」と叫んだことです。
徳川を一蹴するほどの武者に成長した真田幸村に対する景勝の最大の賛辞でしたね。
第46話「砲弾」のストーリー
真田左衛門佐が大坂城南側城外に築いた真田丸。その真田丸での戦いで惨敗を喫した徳川軍の総帥・徳川家康は大坂城を攻略するために新たな策を用いてきた。
家康は大坂城にあって獅子奮迅の働きを見せる真田幸村を調略によって味方に引き入れる策を用いてきたのである。
徳川家康は真田幸村の叔父である徳川家臣・真田信尹(さなだのぶただ/演:栗原英雄)を使って10万石を約束するなどという破格の条件を幸村に提案していく。
一方、大坂城内では重鎮の織田有楽斎や大蔵卿局らが豊臣家君主・豊臣秀頼に徳川との和睦を薦め、秀頼も押し切られる形で徳川と和睦を結ぶことへと傾いていく。
しかし幸村は茶々の叔父である織田有楽斎の言動に不信を抱き、茶々に直談判することになるのであった。
そんな折、大坂城を取り囲む徳川軍にイギリス製の大砲が届けられる。
その大砲から放たれた一発の砲弾こそ、大坂の陣を、そして豊臣家と幸村らの運命を決するのであった・・
史実から見た「砲弾」ネタバレと考察 精神的ダメージを狙った徳川家康の大砲攻撃
真田丸の戦いの快勝によってカタルシスは最高潮に達したのですが、その次週のタイトルは「砲弾」。
歴史ファンであればこれが何を意味するのかはよくご存じの事と思います。そうです、大阪城本丸にある茶々の居室に命中した徳川軍による砲弾の事とみて間違いないでしょう。この砲弾によって豊臣家の運命は暗転してしまいます。
難攻不落の大坂城において力攻めは得策ではないと判断した徳川軍は、徐々に守備に重きをおいていきます。竹束や鉄楯などで鉄砲隊からの被害を減らし、堤防を築いたり川を堰き止めたりして堀の水位を減らす等、徐々に大阪城の守備力を削っていきました。
さらにイギリス製のカルバリン砲(この時代の大砲の中では射程距離が最長クラス)や、オランダ製のセーカー砲(小型長射程砲)などを含む大筒100門以上で大坂城に一斉射撃を加え始めます。
この大砲による大坂城攻撃は昼夜問わず行われたと言われており、その轟音は京の都にまで聞こえたと伝えられています。
この徳川軍による砲撃ですが、大坂城に物理的ダメージを与える事はもちろんですが、もう一つの狙いもあったというのが通説となっています。それはストレスです。京都にまで響くほどの大音量の砲撃を昼夜問わずに加えられてる事で、大坂城内の人たちは不安と騒音によって眠る事も出来ず、精神的ダメージが蓄積していきました。
徳川軍の攻城戦設備や戦略が整い始めて豊臣方は攻めあぐね始めた上に、この大筒による遠距離一斉攻撃。豊臣方は明らかに劣勢となっていったのです。
そして大砲の攻撃によって櫓や陣屋が破壊されるなどの被害を受けていた豊臣方ですが、大坂城本丸を目がけて放った徳川軍の大砲の一発の砲弾が茶々(淀殿)の居室に命中します。この砲弾によって大坂城の侍女8名が無残な最期を遂げたと言われています。
そしてこの悲劇によって豊臣家と徳川家は一気に和睦へと向かう事となったのです。
夜討ちの大将・塙団右衛門(ばんだんえもん)の大暴れが見られるか?
次週で豊臣家の命運は決することになります。
しかし、豊臣方の運命を一発の砲弾が変えたとは思いません。淀殿の居室に着弾したあの一発の砲弾が無かったとしても、戦況的には和睦やむなしとなっていたでしょう。それほどじりじりと徳川軍は豊臣を真綿で首を締める様に追い詰めていっていたのです。あくまで大坂城の侍女たちの命を奪った砲弾はきっかけにすぎません。家康の方がやはり一枚も二枚も上手だったというのは間違いありません。
歴史を結果として知っているからこそ見えてくることなのですが、やはり最初に籠城と決まった時から豊臣家にとっては勝ち目のない戦であったのだと改めて感じざるを得ませんね。
次週の「砲弾」では、大坂冬の陣では真田丸の戦いと同様に有名である塙団右衛門直之(ばんだんえもんなおゆき/演:小手伸也)の夜襲も描かれるようです。
劣勢となる豊臣軍にあって、塙団右衛門は徳川軍の蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)隊に夜襲を仕掛けます。夜襲という事で、目印として肩の部分に白い布を縫い付け、合言葉を「麾か(さいか)」に対して「麾」と決めるなどして同士討ちを避けたと言われています。
そして蜂須賀軍の武将中村右近など多くの将兵の首を挙げる活躍を見せた塙団右衛門は、大暴れしながらある木札をばらまいたと言われています。その木札には、
「夜討ちの大将 塙団右衛門」
と書かれていたそうです。塙団右衛門も後藤又兵衛と同じく、かつての主君と喧嘩別れしてどこにも仕官する事が出来ずに不遇を囲った武将です。彼はこの夜襲で一躍その汚名を晴らしたといえるのかもしれません。
真田信尹(さなだのぶただ)が久々の登場!叔父の説得に幸村の決断は?
次週は徳川家康が真田幸村を徳川の見方に引き入れようと動きます。
これも実に有名な話ですね。
池波正太郎の「真田太平記」では、徳川家康(中村梅之助)の意を受けて真田幸村(草刈正雄)の説得にあたったのが、兄である真田信之(渡瀬恒彦)という設定となっていましたが、真田丸ではその役目を負うのは叔父である真田信尹となるようです。
通説では徳川家からの使者として幸村説得にあたったのは叔父・信尹と言われているので、真田丸は通説を採用したという事ですね。
信尹は10万石を条件に幸村説得に当たったといわれており、それでも首を縦に振らなかった幸村に対して、今度は信濃一国を条件としたともいわれています。
信濃一国といえば、父昌幸でさえ成し遂げられなかった大出世。この話が本当だとすれば、豊臣家にとっては本物の忠臣ですよね。まあだからこそ現在でもこれだけの人気を誇る武将なのですが。
個人的には久々の登場となる真田信尹に大いに期待したいですね。なんといっても幸村が幼いころから尊敬してやまない人物ですからね。
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