NHK大河ドラマ「真田丸」第45話「完封」史実から見たネタバレ予想と第44話「築城」視聴感想とMVP

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真田六文銭 真田丸
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「真田丸」誕生!その瞬間、挟土秀平の題字と三浦文彰のヴァイオリン・ソロがカットイン!!

第44話の真田丸は、オープニングタイトルがなくいきなりドラマから始まる変則の回でした。

お話は、大坂冬の陣開戦前夜のお話。難攻不落の大坂城の唯一と言ってもいい弱点である城の南側に出丸(砦)を築くという回です。

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大坂城内で二転三転したこの大坂城南側の出丸の建築でしたが、最後は豊臣家当主・豊臣秀頼(中川大志)の鶴の一声によって出丸は完成。

その出丸の建築を申し出た真田左衛門佐幸村(堺雅人)は、完成したばかりの出丸から大坂の町を見回しながら、出丸の名を尋ねる真田家重臣・高梨内記(中原丈雄)に対して力強く言い放ちます。

「決まっておるだろう・・真田丸よ!!」

同時に三浦文彰さんのヴァイオリンと挟戸秀平(はさどしゅうへい)さんの作った題字が・・いつもは18時00分(BSプレミアムの早丸の方ねw)きっかりには始まるこの風景、時計を見れば18時40分でした(笑)。

意表を突かれましたね。嫁は「今日はあの音楽ないんかなあ・・」と残念そうに言っていましたが、わたしは絶対にやると思っていました。18時40分とは思いませんでしたが(笑)。

真田丸では異例中の異例ともいえる、このオープニングの後回し。しかし制作の意図はもちろんわかります。ドラマタイトルともなっている「真田丸」。その真田丸がようやく誕生した瞬間なのです。ここにオープニング曲をかぶせないでいつかぶせるんだ??ってなもんでしょう。

ベタかもしれません。ベタかもしれませんが、わたしは素直に感動してしまいました。ここまで10か月間この真田丸を見続けてきた多くの人たちには同意してもらえると思うのですが、どうでしょう?

真田丸の戦いにおける本当の殊勲者は、幸村に築城を許可した人物?

真田丸の誕生は難産でした。ドラマ中ではその原因を、大坂城の重鎮たちが牢人衆である真田幸村らの裏切りを警戒したからであるという事になっていましたね。

実際に真田幸村が城の外側に出城を築くことを危惧していたという大坂城内の声があったというのは、資料にも残されています。まあ当然でしょう。真田は大野修理(おおのしゅり/演:今井朋彦)や木村長門守(きむらながとのかみ/演:白石準也)らのような豊臣家譜代の家臣ではありません。さかのぼれば、太閤秀吉の家臣ではありましたが、関ヶ原以降はただの牢人の身であったのですから。

劇中でも語られているように実の兄である真田信之(大泉洋)の息子・真田信吉(広田亮平)・真田信政(大山真志)兄弟は徳川軍として従っていますし、そんな真田幸村を城の外へ出すという事に対するリスクを議論するのは当然の事でしょう。むしろそれを考えない方がお花畑の世間知らずというものです。

ですから、当時の常識を鑑みれば、真田幸村に城の外側に出城を築かせるという事に反対があるのは当然の事なのです。だからこそ、ここに砦を築くことを許可した人間はなかなかの大人物であるといえるでしょう。

真田幸村が大坂城南側に築いた砦・真田丸。大坂冬の陣におけるこの真田丸での戦いは、「真田丸の戦い」として、大坂夏の陣における「天王寺・岡山の戦い」とともに真田幸村の代名詞ともいえる戦です。

実際に真田幸村に真田丸の築城を正式に許可した人間が誰なのかはわかりません(最終承認者はもちろん秀頼なのですが)。しかし、真田幸村がここに真田丸を築いた意味は、大坂冬の陣における真田丸での戦いではっきり証明される事となります。

真田丸の築城を許可した大坂城の人間こそが、本当の意味での真田丸の戦いにおける裏MVPといってもいいのかもしれませんね。

豊臣家内に潜む徳川家のスパイ・裏切者はあの人?

気になる場面と言えば、徳川家康(内野聖陽)が豊臣家の布陣を知る場面。

事前に大阪城の布陣を知ることができるということは、普通に考えれば間者が大阪城内にいると考えるでしょう。実際に大阪城には徳川家に内通しているものが何人かいました。

現在真田丸に出ている人物で徳川家の内通者だったのではないかと言われている人物、その人物こそ織田有楽斉です。ハッキリとした証拠は残っていません。

しかし、ここでは詳しく述べませんが、その後の大阪城内の主要人物の生涯を見てみると、織田有楽斉が最重要容疑者になるのは致し方ないといえますし、わたしも個人的には間違いなく織田有楽は徳川のスパイだったと思っています。

この真田丸で三谷幸喜はどう描くのでしょうか。裏をかいて別の人物ということも考えられますし、内通者の存在を臭わせながら実は一枚岩であったという展開もあり得ます。

歴史の解釈をどうするか?ここは脚本家にとってはワクワクするシチュエーションでしょうね。

甲斐・武田家の代名詞・赤備えとそのルーツ

真田丸とともに、真田幸村の名を後世にまで語り継がせる事となった大きな要因の一つ、「真田の赤備え」。

大坂の陣において、真田幸村率いる真田軍が鎧兜を赤で統一して戦ったことも非常に有名な話です。

この赤備えですが、元々は戦国最強の異名を取った武田信玄の重臣であった飯富兵部虎昌(おぶひょうぶとらまさ)が最初であると言われています。

この「赤備え」、飯富虎昌亡き後はその弟であり武田四名臣の一人として名を残す猛将・山県昌景(やまがたまさかげ)に引き継がれます。武田家屈指の名将・山県昌景の赤備えは、敵軍がその姿を見ただけで戦意を喪失するほどであったとも伝えられています。

そして武田亡き後も戦国最強の武田の赤備えは、勇猛の軍の代名詞として戦国の世に残ります。

その後滅亡した武田の赤備えを継承したのが徳川四天王と呼ばれた井伊直政。「関ヶ原の戦い」では徳川四天王の一人として徳川の勝利に大きく貢献するなど、井伊家の代名詞ともなりました。その後は直政の子・井伊直孝以降代々にその赤備えは受け継がれていきました。大坂冬の陣では、同じく赤備えで戦に臨んだ真田幸村と井伊直孝との赤備え対決も実現しています。

そして大坂の陣では、武田家の家臣でもあった真田安房守昌幸の次男・真田幸村が亡き信玄公の遺志を受け継ぐべくこの赤備えで奮戦したのです。まさに歴史に残るような鬼気迫るものでした。

偉大なる甲斐の虎・武田信玄。そしてその信玄を終生尊敬し続けた真田昌幸。信玄と昌幸は遠い雲の上からどんな思いで赤備えに身を包んだ幸村の戦いを見ていたのでしょうかね。

「築城」のMVP 蝉の一生に例えられる幸村の人生。孵化の時は来た!

先週・先々週とまさかの二週連続MVPを獲得した大野修理治長。三週連続MVPなるかに注目が集まる中(誰が注目?笑)、この「築城」では誰が一番輝いたのでしょうか。

今週は真田幸村以外にあり得ないでしょう。

え?先週の方がふさわしいって?まあ確かに先週も素晴らしかったですが、先週はそれ以上に大野修理に心を持ってかれたのですから仕方ありません。大体、主人公はMVP取って当たり前という意識が自分の中にはあるので、そうそう選ばないものなのです(ここではそうなんです)。

今週は全てあのシーン、あのセリフで決まりでしょう。そう、「決まっておるだろう・・真田丸よ!!」の場面です。

真田幸村という人間の生涯は、よく蝉に例えられます。蝉というのは孵化するまで何年も暗い地中の中でじっと時を待っています。そして長く耐え忍んでようやく一瞬だけ地上で羽ばたくのです。

真田幸村という人の半生は分からないことだらけです。知将・謀将として天下にその名を轟かせた父や、真田家の当主として徳川幕府内で大名として地位を築いた兄とは違って、幸村の人生は二人の影に隠れ続けた人生でした。

そして幸村は大坂の陣でそれまでの暗く長い地中での耐え忍んだ生活から解き放たれ、誰よりも強く眩しく光り輝くことになるのです。その光は400年経った現在でも語り継がれるほどに・・

そんな幸村が光り輝く一歩が、ようやく完成した瞬間、それがこの「真田丸築城」なのです。それだけでもうMVPです。いけませんか?いや開き直ってるわけではないです(笑)。

とにかく真田幸村という武将の人生を考えると、感傷的になってしまいましたね。一気に溜飲が下がる思いでした。まあこれから幸村無双が始まるのですが、どんどん溜飲を下げていきたいと思います(笑)。

三週連続MVPが期待された大野修理でしたが、今週はなかなか上げたり下げたりの週でしたね。大船に乗せられたかと思いきや、真田丸の築城ゴーサインにしらを切るという情けなさ(笑)。しかし等身大の大野修理っぽくってこんな描写も個人的には許容出来てしまいます。

大野修理という人物は決して名将ではないとわたしは思っています。しかし誰よりも豊臣家の為を思って働いた人物であることも確かです。官僚的な人物ですが、彼は彼なりに豊臣のために人生を捧げます。これからも大いに上げ下げしてもらって構いません。今井朋彦さんならばそれもありですから(笑)。

織田有楽斎(おだうらくさい/演:井上順)と大蔵卿局(峯村リエ)さんは大坂城内のヒールとして素晴らしい存在感を発揮していますね。特に井上順さんは素晴らしい食わせ物ぶりです。夜ヒットのイメージの強い私の世代ですが、役者さんとしても素晴らしい俳優さんですよね。



第45話「完封」のストーリー 挑発に乗る徳川軍、怒る家康、待ち構えるは・・

難攻不落の名城・大坂城に籠城して徳川の大軍と戦う事となった豊臣家。

城の最大の弱点と見る大坂城南側の城外に真田幸村が築いた出城・真田丸。

大坂城を蟻のはい出る隙もないほどの大軍で囲った徳川家康。しかし家康は真田丸を見てその存在を脅威と感じていた。

大坂城を包囲した徳川軍には、かつて越後での人質時代に世話になり、信繁の恩人ともいえる上杉景勝(遠藤憲一)とその家老・直江兼続(村上新悟)や幸村の甥である信吉・信政兄弟も加わっていた。

幸村は対峙する徳川軍をおびき寄せるために一計を案じる。

真田幸村の嫡男・真田大助幸昌(浦上晟周)が徳川軍を挑発。まんまとそれに引っ掛かった徳川軍は大挙して幸村らの籠る真田丸へと殺到する。しかし全ては幸村の謀略通りだった。

真田丸に襲い掛かる徳川軍に対し、大御所徳川家康は怒りを隠さない。

家康の杞憂とおり、真田丸には大坂城の牢人五人衆であり豊臣軍の最強部隊でもある後藤又兵衛(哀川翔)、毛利勝永(岡本健一)、長宗我部盛親(阿南健治)らが待ち構えていたのである・・

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史実から見た「完封」ネタバレと考察 真田丸の戦いでの主な布陣

いよいよ次週は豊臣と徳川が大坂城で激突する大坂冬の陣が始まります。そしてその冬の陣の中でも真田丸の戦いをメインとして放送されるはずです。

史実における真田丸の戦いが行われたのが、慶長十九年(1614年)12月4日。まさに真田幸村の名が歴史に残った日といってもいいでしょう。

真田幸村は城の南西に築かれた砦・真田丸に籠っていました。真田丸の前方にて真田軍と対峙するのが加賀の前田利常隊12,000、更にその隣には徳川家康の孫で徳川秀忠(星野源)の甥にあたる松平忠直隊10,000、そして真田軍と同じく鎧兜を朱色で統一した赤備えの井伊直孝隊4,000がちょうど真田丸の南側に陣取っていました。さらにその西側、大阪城南側の一番西寄りには東北の独眼竜・伊達政宗(長谷川朝晴)も布陣していました。

その南西に位置する茶臼山(ちゃうすやま)には大御所である徳川家康が本陣を構えていました。前田隊の真南の岡山には将軍・徳川秀忠の本陣もありました。

上杉景勝隊、真田信吉・信政隊は大坂城の東側に陣を張っていたと言われています。

真田丸の後方で大坂城の南側を守っていたのが長宗我部盛親や木村長門守重成、後藤又兵衛らであったと言われています。毛利勝永は城の北側、明石掃部頭全登(小林顕作)は城の東側を守備していました。

幸村の挑発に乗って攻めかかる前田利常、松平忠直隊 その時真田丸で爆発が・・

真田丸の南側、ちょうど前田利常隊との間には篠山という小高い山があったのですが、真田軍はそこに毎日現れては前方の前田隊に対して鉄砲を撃ちかけるなどの小競り合いがありました。そして真田勢は前田勢を盛んに罵って挑発したと言われています。

挑発に乗った前田隊は一気に真田丸へと攻めかかります。その時、真田丸の中から大爆発の音が聞こえたのです。実はこの音は真田軍の鉄砲隊の火薬が誤って爆発した爆音だったのですが、前田軍はこの爆発の音を真田丸の中の内通者が仕掛けた謀略だと勘違いしていしまいます。そう、徳川軍は内通者を多数大坂城に潜り込ませており、この爆発音は徳川家が大坂城に潜り込ませた内通者・南条元忠による内部工作だと思い込んでしまったのです(実際には南条元忠は内通がばれて切腹させられていた)。

爆発を内通者の工作だと思った前田隊は一気苛性に攻め込みます。これを見た前田隊以外の部隊も真田丸へと雪崩をうったように攻め込んできたのです。しかしこれは真田幸村の狙い通り。真田軍の鉄砲射撃は正確であり、殺到した徳川軍はその人数の多さゆえに身動きが取れずに真田の一斉射撃の格好の的になってしまいました。

さらに、相手からの鉄砲や弓矢から身を守るための竹束や鉄楯も持たずに攻城戦に入ったため、その被害はより一層拡大してしまいました。しかし戦況不利に気付いて撤退しようにも、殺到した味方の軍勢が邪魔をして撤退もままなりません。結果、徳川軍はこの日の真田丸の戦いで大量の兵士を失う事となったのです。

まさに父・昌幸譲りの奇策が炸裂した瞬間でした。徳川家康は第一次上田城の戦い、第二次上田城の戦いに続いて、またも真田に苦渋を飲まされる事となったのです。

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