またも「ナレ死」・・母・真田薫が有働由美子アナウンサーのナレーションで退場(涙)
真田昌幸(草刈正雄)が死去した後の九度山での真田信繁(堺雅人)らの生活の様子などを描いた真田丸第39話「歳月」。
真田丸の中において、死の場面が描かれずに有働由美子アナウンサーのナレーションで死が報告される事を俗に「ナレ死」というそうです。
これまでも、先週「昌幸」での加藤清正(新井浩文)、本多平八郎忠勝(藤岡弘、)がそうでしたし、さらには小早川秀秋(浅利陽介)やおとり(草笛光子)、穴山梅雪(榎木孝明)なども「ナレ死」の犠牲者(?)となってきましたが、今回の「歳月」でもまた「ナレ死」が発生しました(笑)。
真田安房守昌幸の妻であり、真田信之(大泉洋)、信繁兄弟の母である真田薫(山手殿/演:高畑淳子)です。
薫は史実において昌幸の死の約2年後の慶長十八年(1613年)に死去しています。薫のナレ死は意外でしたが、最後は娘の松(木村佳乃)や嫁の稲(吉田羊)、孫のすえらに囲まれて幸せそうでしたね。
真田紐のルーツは「サナール」 史実とは若干違う真田丸での信繁の妻や子
今回は久々にたか(岸井ゆきの)が登場しました。真田紐の発案のヒントがたかの持ち帰ったネパール原産の紐であったという物語でしたね。
真田紐のルーツがチベット言語圏(ブータン、インド、ネパールなど)にあるというのは有力な説となっています。劇中でも出てきたように、チベット語で紐の事を「サナール」と言い、現地の紐が日本に入ってきてサナールが真田となったという説が有力とされています。
九度山の真田一族が真田紐を作って売って生計を立てていたというのは事実なのですが、真田紐を生み出したのが真田家というわけではなく、真田信繁たちはサナールを作ってそれを真田紐として売り出していたという事ですね。
実は、史実ではたか(隆清院)ときり(長澤まさみ)は信繁の側室であったといわれており、たかは九度山で信繁とともに生活して少なくとも二人の子を設けています。きりも信繁との間に娘である梅(大出菜々子)を生んだと言われています。梅は真田丸の中では春(松岡茉優)の娘となっていますが、きりの娘であるという説と春の娘であるという説とどちらもあり、ハッキリとしたことはわかっていません。
このように、信繁は史実では九度山に正室の春、側室のきり、たかと一緒に住んでおり、それぞれとの間に九度山で子を設けたと言われています。
ドラマの中で兄・信之に語ったように、信繁は本当に九度山での暮らしを満喫していたのかもしれません。暮らし向きに不自由していたというのもドラマの中と同じですが、心の平穏という意味では、この時期が信繁にとって最も幸せな時期だったのかもしれませんね。
大坂城からの使者・明石全登。信繁は伝説となった大坂の陣の戦いへ・・
ドラマでは最後の場面が慶長十九年(1614年)となっていましたね。史実では大坂冬の陣が勃発した年です。
そう、最後に信繁の前に現れたのは大坂城を治める豊臣秀頼(中川大志)からの使者。信繁を豊臣の家臣に迎えるための使者です。真田丸では信繁、後藤又兵衛(哀川翔)、毛利勝永(岡本健一)、長宗我部盛親(阿南健治)とともに大坂城五人衆と呼ばれた名将・明石掃部頭全登(あかしかもんのかみてるずみ/演:小林顕作)が使者として現れましたね。
史実ではこの時期には豊臣家と徳川家の仲は決定的に悪化しており、戦となるのは避けられないという状態に陥っていました。
徳川は豊臣征伐を決め、豊臣家は徳川を迎え撃つために各地の大名や浪人たちに使者を送って味方となる人材を集めていました。
しかし強大な徳川に歯向かおうという大名はおらず、豊臣の期待は名を成しながら浪人となっていた各地の名武将だったのです。そして、父・昌幸とともに徳川を二度までも打ち破った浪人の信繁にもその白羽の矢が立ったという事です。
九度山に骨を埋める覚悟を決めていた信繁の、まさに人生を懸けた戦いの幕が開いた瞬間でもあったのです。
「歳月」のMVP 縁の下の力持ち、高梨内記とウザキャラきり親子の本領発揮
今回は難しいですね。昌幸の死後、大坂の陣前の中休みといった感のあるアットホームな回だったので、それぞれの素の部分が出ていてとても興味深い回でもありましたね。
今回は悩みましたが、高梨内記(中原丈雄)ときり(長澤まさみ)親子に決定します。
高梨内記は真田家臣の中でも個人的に最も好きな武将ですね。正直これまでは真田ものであまり大きく取り上げられる人物ではなかったのですが、中原丈雄さんの名演によって一気に脚光を浴びる事となった人物ですね。
昌幸と信繁に人生の全てを捧げた、まさに真田家の忠臣中の忠臣でしょう。真田大助(浦上晟周)のもり役に抜擢したという真田丸の設定はすごくいいと思います。内記の囲碁での大人げなさも良かったですね。高梨内記と言う人物は、忠臣でありながら非常に人間臭く、感情移入できる武将として描かれていますね。三谷脚本と中原さんの演技の賜物だと思います。
きりも良かったですね。ネットでは「ウザい」の連呼で、まさにウザキャラとして君臨していますが(笑)、わたしはきり大好きなんですよね。長澤まさみさんの演技はまさにきりのキャラにハマりすぎだと思うんですけどね。信繁にとってはまさに空気のような存在になりつつあるきりの存在感が発揮された回でしたね。
初登場となった真田大助(浦上晟周)も期待通りでしたね。
ナイーヴそうな見た目ながら、やはり真田の一族らしく芯の通った男に描かれていました。大助を演じた浦上晟周くんはまだ16歳。しかしその目には漲る力が溢れていますね。幼さの中に大器としての将来性が同居する、とても魅力的な若武者像となっていましたね。大坂の陣がとても楽しみですね。
春はすっかり面倒くさい女としてのキャラが立ってましたし(笑)、佐助(藤井隆)のブラックな一面も垣間見えましたし(笑)、たかは長い海外生活で日本語がカタコトになってすっかりスキンシップが海外仕様になってましたし(笑)、どのキャラもしっかりとキャラ立ちさせる手腕はさすが三谷幸喜だと思いましたね。
次週からは大坂決戦に向けて、恐らく怒涛の展開となるであろう真田丸。今回はその意味では箸休めとして非常に秀逸な回であったと思いますね。
第40話「幸村」のストーリー
父・昌幸の死後、紀州九度山で貧しいながらも家族や家臣たちと幸せに平穏な日々を過ごしていた信繁。
そんな信繁の前に大坂城の豊臣方の使者として、元宇喜多秀家家臣の明石掃部頭全登が現れた。全登は九度山で流人として生活している信繁に対して、豊臣秀頼の家臣となって大坂城に入り、徳川家康(内野聖陽)と戦ってほしいと呼びかける。
信繁は全登の誘いを断るが、そこに豊臣恩顧の片桐且元(小林隆)が現れる。
且元は現在豊臣家が窮地に陥っている現実を信繁に伝える。方広寺の鐘銘(しょうめい)を巡って豊臣と徳川は一触即発の事態となっていたのである。
かつて大きな恩を受けた豊臣家の苦境を知り、苦悩する信繁に対してきりは・・・
そして人生最大の選択を迫られた信繁は嫡男・大助にくじを引くよう迫るのであった・・
史実から見た「幸村」ネタバレと考察 真田信繁から真田幸村へ?
次回で最も気になるのがそのタイトル。その名も「幸村」。
真田幸村といえば、日本人ならほとんど知っているほどの有名武将です。もちろん真田信繁の事ですね。真田丸では真田信繁となっていますが、それまではほとんどの人は信繁の事を真田幸村と呼んでいました。
この辺りの経緯については、以下の記事で詳しく語っていますのでご参照ください。
2016年大河ドラマ「真田丸」主人公は真田信繁!幸村じゃねーの??いや、敢えてそうするのが三谷幸喜なんですよ
この記事で述べられているように、現在残っている同時代資料ではほとんど真田信繁として登場しているのですが、信繁の兄・信之の松代藩の資料では真田幸村となっています。松代藩が大坂の陣から200年近く経った後世に語った話によれば、幸村という名は信繁が大坂の陣の頃から使い始めた名前だとの事です。しかし、この頃には既に講談などで信繁という名よりも幸村という名の方が有名になっていたので、松代藩の方がそちらに寄せていったという説が一般的となっています。
恐らく次回の「幸村」では、後世のこの真田松代藩の見解と同じ説をとるのではと思われますね。つまり、大坂からの誘いを受けて、信繁は幸村と名乗り始めるのではないでしょうか。
いよいよ日本人のよく知る「真田幸村」の誕生という事になりそうです。
片桐且元が失脚させられ、大坂の陣の発端となった方広寺鐘銘(ほうこうじしょうめい)事件
次週はいよいよ信繁が豊臣家に味方する事を決断する様子が描かれるのだと思われますが、その前になぜ豊臣と徳川が合戦寸前までいったのかを簡単にご説明させていただきます。
発端は方広寺というお寺の豊臣家による再建。方広寺再建に際しての方広寺の釣鐘の銘文を徳川家が問題視したのです。
その銘文の一文に「国家安康」「君臣豊楽」という文字があり、その文章こそがまさに大坂の陣の発端となったのです。
徳川家は「国家安康」という文章が、前征夷大将軍の家康の家と康を分けた事であると問題視します。意図的であれどうであれ非常に不謹慎極まりないという事です。
対して、「君臣豊楽」という豊臣家を主君として楽しむという意味合いの豊臣家に対しては肯定的な文言があるため、余計に意図的ではないかという事となるのです。特に豊臣に関しては姓が用いられているのに対して、徳川と言う姓ではなく、家康と言う諱(いみな)が使われているのも大きな問題だったのです(当時の諱は、特に高貴な人間になればなるほど、現在の名とは全く違う価値観に基づくものであったため)。
この方広寺鐘銘事件(ほうこうじしょうめいじけん)によって、豊臣家は窮地に立たされ、そんな豊臣家と徳川家の仲を取り持ったのが片桐且元です。
しかし且元は徳川家の策謀(諸説あり)によって豊臣家中から徳川家への内応を疑われ、豊臣家から改易を言い渡されて豊臣家を去ります。徳川家臣でもあった且元を徳川家の許しも得ずに独断で処分した豊臣家に対して、徳川家康はついに征伐する事を決定したのです。
最後の最後まで豊臣家のために奔走した片桐且元は、皮肉な事に豊臣家を滅亡へと導く大坂の陣の引き金となってしまったのです。
豊臣秀頼、茶々に次ぐ大坂城の実力者、今井朋彦演じる大野修理治長が初登場
次週の「幸村」は、ほのぼのとした今週の「歳月」とはうって変わって時代の波の潮流が一際大きく揺れ動き始める激動の回となりそうです。
そして大坂城のこれからの最重要人物の一人でもある大野修理治長(おおのしゅりはるなが/今井朋彦)が登場します。
大野修理といえば、大坂城の実質上の最高責任者であり、大坂の陣では豊臣秀頼、茶々(竹内結子)とともにキーパーソンとなる武将です。
大野修理治長の母親は、茶々の乳母である大蔵卿局(おおくらきょうのつぼね/演:峯村リエ)。俗説ですが、この大野治長こそが豊臣秀頼の本当の父親であるという説さえあります。つまり、茶々とはそれ程の仲であったという事ですね。
大野治長と言う人物は現在でもかなり評価の別れる人物となっています。豊臣に最後まで忠誠を尽くした忠臣であるという評価と、豊臣家を滅亡至らしめた張本人であるという評価です。
三谷幸喜はどちらの説をとるのか、次週の方広寺鐘銘事件の件辺りで見えてくるのではないでしょうか。
わたしの予想?俳優が今井朋彦さんですからね、まあ小物っぽく描かれるのではないでしょうか(笑)。
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