三谷幸喜お得意の密室劇が炸裂しそうな秀吉による沼田裁定
真田丸第21話「戦端」。このタイトルの戦端とは、やはり豊臣政権時代の最大の戦である「小田原攻め(北条攻め)」でしたね。この真田丸においては、北条氏政(高嶋政伸)上洛の条件として上州・沼田領の引き渡しを求めた氏政に対して、現在の沼田領主である真田昌幸(草刈正雄)が反発。どちらの言い分が正しいか豊臣秀吉(小日向文世)の判断を仰ぐため、当事者の真田家次男・真田源次郎信繁(堺雅人)と北条家の外交僧・板部岡江雪斎(山西惇)、そしてかつては沼田を巡った争いの当事者であった徳川家の重臣・本多佐渡守正信(近藤正臣)の三者が秀吉立会いの下で論議する・・というところで終わりました。
実際にこの三者が沼田に対する秀吉裁定を仰ぐために討論したという事実は残っていません。板部岡江雪斎が北条家の使者として上洛し、豊臣家と交渉したというのは史実ですが、真田信繁が関わっていたという事実はないです。これは三谷幸喜の創作によるものでしょう。
ともかく次週は三者の駆引きが見どころになりそうですね。こういう密室劇というのは三谷幸喜の最も得意とするところですので非常に楽しみです。
存在感が際立つ高嶋氏政と、気になる豊臣秀次事件の真相
今週の第21話では久々に北条氏政、氏直(細田善彦)親子、板部岡江雪斎らの北条家の人たちが登場しましたね。相変わらず高嶋政伸の氏政もいいですね。プライドが高く、そのプライドの高さ故に北条家を滅亡に導く様子がよく描かれています。今作の氏政には「秀吉ごときの下につけるか」という自尊心の高さと秀吉を見下す様子がありありですね。名門・後北条家の四代目ですからそれも当然なのかもしれませんが、先見の明があるとは思えません。滅びるべくして滅びたというべきでしょうか。
本多平八郎忠勝(藤岡弘、)の親バカ振りも相変わらずです。あれが名槍・蜻蛉切(とんぼきり)を片手に戦場の兵を恐れおののかせた戦国時代随一の猛将かと思うほどですね(笑)。しかし、三谷幸喜は本多平八郎の戦場での勇猛ぶりを一度くらいは描かなければいけないのではないでしょうか。でないとただの親バカで終わってしまいます(苦笑)。まあ関ヶ原の戦いに期待ですかね。本多平八郎は関ヶ原本戦でも戦いましたから、秀吉に「東の本多平八郎」と呼ばれたほどの武勇を関ヶ原で期待しましょう。
今週は秀吉の露出が抑えめでしたね。代わりに信繁、石田三成(山本耕史)、大谷吉継(片岡愛之助)の三人が活躍する回でした。個人的に大満足です(笑)。
気になったのが豊臣秀次(新納慎也)がきり(長澤まさみ)に言った言葉。「捨(後の鶴松)の誕生で肩の荷が下りた。わたしは殿下の跡継ぎの器ではない。」と心底ほっとした様子で心情を吐露していました。これを見る限り、昔から言われていた豊臣秀次が秀吉の世継ぎ誕生で心身ともに荒んで乱暴狼藉が酷くなったという説は三谷幸喜は採用しないと思いました。だとすれば、秀次の悲劇の原因を何に求めるのか・・個人的には今一番気になるところですね。
「戦端」のMVP
今週のMVPは・・これがまた難しい(苦笑)。
今週はそれぞれ見どころが分散してましたね。色々な人が出て、それぞれに見せ場がありました。その中で敢えて選ぶとすれば、このサイトでは久々のMVPとなる、神君徳川家康公(内野聖陽)で行きましょう。
腹黒くて猜疑心が強く、心配性で常に利のある方へしか動かない家康がふと見せた人間的な部分。北条氏政との会談の後、本多正信にふと漏らした家康の本音は家康という男の人間臭さを感じさせました。と同時に、本来たぬき親父と呼ばれた家康よりも、少なくともこの時点では豊臣秀吉の方がよっぽど恐ろしい人間である事を示唆していましたね。この真田丸での家康というのは、本来であれば真田家の仇敵であり、ラスボスであるのですが、何か憎めないんですよね。人間臭いんです。等身大の家康を上手く描いているし、内野さんの名演も相まって完全に新たな家康像を作り出す事に成功しています。この真田丸で家康ファン増えるでしょうね、間違いなく。アンチ家康だった自分がそうなんですから(笑)。
おとりばあさん(草笛光子)も相変わらず良かったですね。久々に信幸に対して「あぁっ!?」も聞けましたしね(笑)。ただ体調を崩してしまったのが気がかりです。もう少し見ていたいキャラですよね。
相変わらずの北条氏直の小物ぶりも北条家の行く末を暗示しているようで良かったですね。わたし個人は氏直自身はそれほど暗愚ではなかったと思っているのですが、この真田丸ではひ弱なボンボンという感じで描かれています。まあ、歴史の結果を見ればそれも致し方ないのですが・・。
千利休(桂文枝)がけっこうブラックな感じなのも興味深いです。このまま行くと、利休VS三成の対立の末・・という結論になりそうです。利休の最期も諸説あるんですけど、三成との対立説を採用するのでしょうか。
これくらいでやめときましょう。どんどん先のネタバレになっちゃいそうなんで・・(汗)
第22回「裁定」のストーリー
豊臣秀吉の上洛要請になかなか従わない関東の覇者・北条氏政。氏政が上洛の条件として秀吉に出したのが、長年真田家と領有を争ってきた上野国・沼田城。しかし、苦労して自力で勝ち取った沼田をやすやすと渡す気など昌幸にも毛頭ない。
豊臣秀吉の御前で沼田の領有を巡って火花を散らす真田家の次男・源次郎信繁と北条家の外交僧・板部岡江雪斎。沼田領争奪の様子を良く知っている徳川家参謀・本多正信も巻き込んだ論戦はますます過熱し、いよいよ秀吉の裁定が下されるのを待つこととなるが、そこで場に居合わせた豊臣秀次が裁定に大きく関わる発言をする事に・・
後日秀吉の裁定が下り、その結果を持って江雪斎は主君・北条氏政の待つ相模国・小田原城へと帰参。成果を報告するが、氏政はその裁定に納得がいかない。名門・後北条家の四代目という強烈な自信と自負が北条家の運命を破滅へと導いてゆくのであった・・
北条早雲を初代とする後北条家の名門ゆえのプライドが招いた小田原攻め
小田原攻め(北条攻め)は、豊臣秀吉による天下統一の総仕上げの戦として現代でも有名な戦です。豊臣秀吉は全てにおいて派手好きな男であり、この小田原攻めもそれはもうど派手な戦でした。それはもう戦というよりは、秀吉による天下統一記念イベントといってもいいのかもしれません。秀吉が己の強大な軍事力と権力と財力を天下万民に知らしめるための戦いといってもいいでしょう。北条家はその生贄となったといういい方も出来るかもしれません。
実は北条家は最後の最後まで秀吉と対立する気はなかったという説もあります。特に北条家五代目当主・北条氏直は豊臣家の家臣となる事に積極的だったとも言われています。しかし、四代目で実質的な北条家当主の北条氏政をはじめ、氏政の兄弟である北条氏照、氏邦という、氏直にとっては父と叔父が軒並み主戦派であり、同じく氏直の叔父でもある北条氏規の穏健派は結局、氏政、氏照、氏邦の主戦派に押し切られたというのが正しいのではないでしょうか。
巷で言われているように、やはり名門ゆえのプライドの高さ、特に下級身分からのし上がった秀吉ごときの臣下になどなれるか、という意識はかなりあったのではと思われます。時勢を見誤ったとしかいいようがないですね。やはりここに氏政の限界を見てしまうのはわたしだけでしょうか。
この真田丸ではナレーションなどで度々、豊臣家滅亡を示唆する言葉が入りますが、下剋上の元祖とも言われる北条早雲から始まった関東の覇者・後北条家にも確実に落日が近づいてきているのです。
名胡桃城(なぐるみじょう)奪取事件は猪俣邦憲の独断単独行動なのか?
史実では秀吉による沼田問題の裁定は、沼田城を初めとする沼田領の三分の二を北条家の領地とし、西側三分の一を真田家の領地とするという裁定が下りました。そして、真田家が失った領地は、その相当分を別の領地で真田にあてがう、というものでした。
落としどころとしては、まあこんな感じしかないのかなと。双方が納得する条件ではあったと思います。
しかしこの裁定が下った後、北条家の家臣、猪俣邦憲(いのまたくにのり)は真田家の領土である名胡桃城(なぐるみじょう)を秀吉の許可なく攻め取ってしまいます。これが発端となって「小田原征伐」へと繋がります。自分の裁定を破られた秀吉の怒りたるや想像に難くないですよね。まさに面目丸つぶれってやつです。
北条家の言い分としては、猪俣邦憲が独断でやった事だという事ですが、それは有り得ないと個人的には思います。猪俣邦憲という武将は、城代にまでなっている武将。そんな武将が、上司の命令もなく勝手に城を攻め取るるなど戦国時代では有り得ないと思うのです。実際に単独であるとすれば、重大な規律・軍律違反です。秀吉の命に背いて北条家を窮地に陥れているのですから普通であれば切腹ものです。しかし、この名胡桃城攻めの後も猪俣邦憲は北条家から何のお咎めもなく北条家に仕えています。これは猪俣邦憲単独犯説を否定する何よりの状況証拠だといえます。
つまり、北条家滅亡のきっかけとなった名胡桃城強奪は、氏政、氏照、氏邦の反豊臣派の誰かか、もしくは全てからの命令であったとわたしは考えます。
この解釈を三谷幸喜はどういう説でいくのか?個人的にはそこが次週「裁定」の一番の見どころですね。
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