大河キャスト 真田安房守昌幸(あわのかみまさゆき) 草刈正雄は真田太平記の丹波哲郎を超えられるのか?

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真田六文銭 真田丸

祖父・幸隆(幸綱)が切り取った信濃の領土を守り抜き、拡大し、武田家滅亡後はついに真田家を大名にまで引き上げた真田昌幸。

真田信繁に最も大きな影響を与えたであろうこの天才武将は、間違いなく「真田丸」の陰の主役と言ってもいい存在です。

なぜ信繁が敗色濃厚と言われた大坂の陣で徳川家康を追い詰める程の戦いが出来たのか。その答えはこの父・昌幸の人生を知る事で見えてくるのではないでしょうか。

信繁にとって昌幸のそばで昌幸の全てを吸収できたことはかけがえのない経験であったと同時に、信繁の人生にとって最も大きく、苛烈な宿題をも与えたのではないでしょうか。

そう、乗り越えるべき大きすぎる壁とも言える課題を・・

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表裏比興の者・昌幸

この昌幸の経歴についてはこちらの記事をご覧ください。

真田一族は信繁だけじゃない!祖父・幸隆と父・昌幸の天下人も狙えるほどの能力と凄さ

この昌幸のことを表現した言葉で有名なものがあります。

表裏比興(ひょうりひきょう)の者

という言葉です。

表裏比興とは、表と裏が違うとか何を考えているかわからないといった、まあネガティブな意味で使われる言葉ですね。

この言葉は越後の上杉景勝宛の書状で豊臣秀吉が昌幸を評した言葉です。

昌幸が第一次上田合戦で徳川と戦っている時に昌幸は秀吉に臣従を誓いました。

表向きの秀吉は昌幸に対して「近いうちに徳川を討つ」などと調子のいいことを言っておきながら裏では徳川家康と和睦へ向けて動いていたのです。そして昌幸の後ろ盾である上杉景勝に対して「昌幸は表裏比興のものであるから、昌幸が家康に攻められても助けなくても良い」という書状を送っています。

昌幸を表裏比興って、あんたが言うか!?って感じですよね(笑)秀吉も食わせ物ですな、人間不信になりそうです。

しかし昌幸の経歴を見てみれば、この「表裏比興」と言われるのはまあ仕方ないかなとは思いますが(苦笑)

昌幸をこのように評した秀吉ですが、昌幸とは同じ穴のムジナ(?)同士、とてもウマが合ったようです。二人とも花も実もある武将ですよね。ちなみに大阪城で人質となっていた若き日の信繁も秀吉には可愛がられていたという話が残っています。


「真田太平記」の幸村が「真田丸」で昌幸へ

このブログで何度か紹介しているように、真田を描いた作品の最高峰は池波正太郎原作の「真田太平記」であると思っています。

その真田太平記で真田幸村(信繁)を演じた草刈正雄がこの真田丸では父の昌幸を演じる事となります。

真田太平記に関してはこちらの記事も参考にしてみてください。

 名作・池波正太郎の「真田太平記」を「真田丸」は超えられるか?比較すると見えてくる三谷幸喜の自信と覚悟と遊び心

それはそれは真田太平記での草刈幸村はカッコよかったです。赤備えの真田隊に下知(命令)を下すときの精悍な幸村、普段は穏やかで家臣や家族を思いやれる静の幸村を青年期から壮年期まで見事に演じ切りました。大坂夏の陣においての幸村の最期のシーン、上田の頃からの家臣である向井佐平次(木之元亮)の最期を看取り、亡き父へ語りかけながら自害するシーンは時代劇史に永遠に残るであろう名場面です。

あの幸村が昌幸を・・「真田太平記」ファンであれば特別な思いがこみ上げてくるのではないでしょうか。名優・丹波哲郎が演じた昌幸の壁は勿論高いのですが、今の草刈正雄ならいとも簡単に超えてくれるのではとも期待してしまいます。

デビュー当初、モデル出身のイケメン俳優であった草刈正雄は間違いなくこの幸村役で俳優としてのステップを何段も上がったとわたしは思っています。周りにそんな雑音をシャットアウトさせるだけの説得力を持った幸村だったからです。そして、その後悪役やくせ者を演じる機会も増えていき、今では誰もが認める実力派俳優の地位を揺るぎないものとしました。

今の草刈正雄ならば、当時の丹波昌幸を超える昌幸も演じられるのではと思いますね。

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草刈昌幸は感性の男?

今回の「真田丸」での昌幸はどのような人物として描かれるのでしょうか。演じる草刈正雄さんや脚本家の三谷幸喜さんのインタビューなどを基に推理して見たいと思います。

まず三谷さんが言っているのは、「色々な大名の間を短期間で渡り歩く無茶苦茶な人物であり、描くのがとても難しい」という事。しかしこれはある人物を思い浮かべる事で解決したと言います。その人物とは

ミスター・ジャイアンツ、長嶋茂雄

理屈ではなく感性の人、という意味だそうです。長嶋さんも動物的な勘の持ち主と評されるほどの感性の人だというのは有名な話ですね。

これに関しては草刈さんも「俺はカンだけで生きている」という昌幸のセリフがあると言っています。と同時に「丹波さんの昌幸とはまた少し違う」ともおっしゃっています。

どう違うのかというと、丹波昌幸よりもより人間臭い昌幸であるとの事です。

「やるときにはやるが、普段はだらしなかったりお茶目な面も見せる」昌幸なのだそうです。

確かに、真田家は大名と言っても元は信濃の小豪族であり、大名となった後も周りの豊臣、徳川、北条、上杉などといった大大名とはケタが違うほどの小大名です。お殿様のような大名よりもより庶民には近く、親しみやすく人間臭い武将であったというのは一理ありますね。

そんな人間が後の天下人・徳川家康を相手に回して振り回したのですから、これほど痛快な事はありません。

そんな昌幸の意志は信繁と信幸という二人の息子に受け継がれ、信繁は真田の武勇を天下に示し、信幸は真田の家名を明治まで守るのですから、まさに昌幸という男は凄い男ですね。

草刈昌幸がどのようにこの戦国乱世を生き抜き、二人の息子へ何を残すのか、今から楽しみで仕方ありません。

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