真田丸キャスト 信玄の後継者・武田勝頼 武田家を裏切った穴山梅雪と小山田信茂、木曽義昌と天目山に散った跡部勝資

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真田六文銭 真田丸
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武田勝頼(平岳大)

たけだ・かつより。甲斐の名門・武田家の第20代当主。

天文15年(1547年)生まれ。父は戦国屈指の名将・武田信玄。信玄の四男として生まれ、信濃の名門・諏訪家を継ぎ、諏訪四朗勝頼として信濃高遠城主となるが、やがて信玄の嫡子・義信が信玄への謀反の嫌疑をかけられ、廃嫡・切腹に追い込まれたことによって武田信玄の後継者となる。

信玄死後は武田家当主となり、信玄亡き後の武田家をまとめるが、織田・徳川連合軍と戦った「長篠の戦い」において惨敗を喫し、武田家は大きく衰退していく。

武田家の衰退に乗じて武田領に侵攻した織田軍に対して必死の抵抗を試みるが、日の出の勢いの織田軍へと寝返る武将が続出。甲府に迫った織田軍を前に、最後は本拠の新府城を捨てて譜代の家臣・小山田信茂の進言に従って岩殿城へと落ちるが、ここでも小山田に裏切られ、岩殿に近い天目山にて親族や付き従った家臣らとともに自害。享年37歳。

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まさに偉大過ぎた父・信玄の幻影に翻弄された悲劇の武将ですね。

岩殿城で小山田に裏切られる前に真田昌幸は自分の居城・岩櫃城に誘っているんですよね。もしも勝頼が小山田信茂の岩殿城ではなく、真田昌幸の岩櫃城に行っていれば歴史はどうなったのでしょうか。

勝頼自害の約2か月半後には織田信長が「本能寺の変」でこの世を去り、信濃・甲斐の織田勢は逃げ帰ってしまいます。

徳川の大軍を相手に籠城し、2度までも打ち破った昌幸であれば、信長が本能寺で倒れるまで岩櫃城で持ちこたえるのは十分可能だったでしょう。そうなれば名門・武田家の滅亡はなかったかもしれません。昌幸ではなく小山田を選んだのは勝頼の生涯最大の失敗と言ってもいいのかもしれませんね。

この勝頼を演じるのが平岳大。平幹二郎・佐久間良子を両親に持つ、芸能界のサラブレッドですね。

大河ドラマでは「篤姫」で徳川慶喜を演じ人気を博しました。この「真田丸」主演の信繁役・堺雅人とは同じNHKの時代劇「塚原卜伝」で共演しています。最近の役者さんには珍しく、時代劇が様になる花のある俳優さんですね。恐らく勝頼は序盤でいなくなってしまうので、もっと見たかったのですが仕方ありません。悲運の武将・勝頼をどう演じるのか楽しみです。

穴山梅雪(榎木孝明)

あなやま・ばいせつ。武田家譜代の家臣で一門衆にも名を連ねる武将。

母は武田信玄の姉であり、妻は信玄の娘であり、勝頼とは従兄弟であり義兄の間柄になる。

信玄の生前は有名な「川中島の戦い」で本陣の守備を務めるなど、一門衆として重要な任務を果たすが、信玄死後は後を継いだ勝頼と良好な関係とは言えず、いさかいが絶えなかったと言われている。

織田信忠の信濃・甲斐侵攻時にはかねてより不和だった勝頼を見限り、懇意であった徳川家康を通じて織田信長に寝返る。この梅雪の裏切りこそが勝頼の命運を決定づけたと言われている。

勝頼が自害して武田家が滅亡した後は所領を安堵され、徳川家康の配下となる。家康と共に上京し、堺から京都に向かう途上で「本能寺の変」にて信長が討たれたことを知る。信長を討った明智光秀の追撃を恐れて領国へ逃げようとした途中で一揆勢によって殺害されたと言われている。享年42。

 

うーん、歴史好きの人からはあまり評判の良くない武将ですね。やっぱり最後の裏切りがねえ・・

梅雪と同じく「本能寺の変」に遭遇して堺から生きて逃げ延びて後に天下人になった徳川家康に対して、一揆勢によって打ち取られてしまったってのも、なんか「持ってない」武将だというのを印象付けてしまいますね。

そんな梅雪を演じるのがベテラン俳優・榎木孝明。大河ドラマはもはや常連ですね。「太平記」「毛利元就」、「武蔵」などこれまで8作品に出演しています。最近では独自の絶食を断行した事でも話題になりましたね。

この榎木孝明さんは、真田家を描いたあの名作・「真田太平記」にも出演していらっしゃいました。役は真田家の家臣であり、昌幸の隠し子(実際には違っていた)でもある樋口角兵衛(架空の人物)。真田太平記におけるキーパーソンの一人と言ってもいい重要な役どころでしたね。真田家や周りに迷惑をかけまくる厄介な人物でしたが、どこか憎めないような不思議な武将を見事に演じられました。

今回は未熟ながらも真っすぐだった角兵衛とは真反対と言ってもいい、穴山梅雪での登場。まあ榎木さんなら安心して見ていられますね。

小山田信茂(温水洋一)

おやまだ・のぶしげ。武田家の名門・小山田家の当主で武田家譜代の家臣。

駿河の今川義元が「桶狭間の戦い」において信長に討たれたのを機に信玄が今川領に攻め込んだ「駿河侵攻」の際に先陣を務めたり、北条氏康との至上名高い「三増峠の戦い」や徳川家康を散々に打ち破った「三方が原の戦い」においても重要な役割を果たしたと言われる名将。

織田家の甲斐侵攻に際しては新府城を捨てる決断を下した勝頼に対して、信茂の居城・岩殿城に落ち延びるよう進言する。しかし、勝頼と共に岩殿城に着いた途端に反旗を翻し、勝頼の入城を阻止し城から追い返す。

信茂の裏切りによって行き場を失った勝頼は自害し、武田家は滅亡する。

その後、甲斐を平定した織田家に赴いた信茂だったが、主君への裏切りは許されず、一族もろとも処刑されてその生涯を閉じる。

 

これもまた切ない話ですね。信茂にしてみれば、小山田家を守るためにとった行動なのでしょうが、結局自身も処刑されて小山田家は滅亡してしまうのですから、結果論で言えば同じ滅びるのならば主君を守って滅びた方が後世に名は残ったのでしょうね。まあ難しいですけどね、未来なんて誰にもわかりませんしね。

演じるのは個性派俳優・温水洋一。大河ドラマは「平清盛」以来4年ぶり4作目の登場となります。2010年の「龍馬伝」では竜馬の姉・乙女の夫、岡上樹庵を演じていましたね。もはや押しも押されもせぬ名バイプレーヤーです。

武田家滅亡の最後の引き金を弾いたこの小山田信茂を、あのぬっくんがどう演じるのでしょうか。この信茂役に温水さんを持ってくるあたりも三谷幸喜ならではって感じの配役だと思いませんか?

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木曾義昌(石井 愃一)

きそ・よしあき。信濃の名族・木曾家の第19代当主で武田家所属の武将。

木曾家は平安時代末期に平家を京から追い落とし、征夷大将軍に任じられ、「旭将軍」とも呼ばれた木曾義仲の嫡流とも言われる名家。武田信玄の信濃侵攻によって武田家配下となる。義昌は信玄の娘を妻に迎えており、勝頼にとっては義弟の間柄である。

信玄死後、甲斐に新府城を築き始めた勝頼に対し、城建設の費用負担への不満などから織田に寝返り、勝頼を裏切る。勝頼の差し向けた軍を退けるなど、義昌は武田軍に対して一歩も引かずに対抗する。やがて織田軍が信濃・甲斐へとなだれ込み、武田家は滅亡。

その後、信長死後に起こった「天正壬午の乱」においても北条氏直、徳川家康、豊臣秀吉と従う人間を変えながら領地確保を狙うが、結局乱の前よりも領土を減らしてしまう事となる。この時に家康が抱いた木曾義昌に対する不信が後の木曾家の処遇に大きく関わったとされる(最終的には家康によって改易されて木曾家は取りつぶし)。

 

ここにもまた裏切者が・・(笑)

思うに信玄が偉大過ぎたのが最大の原因なのでしょうね。信長亡き後の織田家もそうでしたが、偉大なるカリスマ亡き後は組織は崩壊に向かっていくというのをよく示していますね。

演じるのは名脇役・石井愃一(いしいけんいち)さん。石井さんは大河出演は3作目ですが、なんと1999年の「元禄繚乱」以来17年ぶりの大河ドラマです。主人公・真田信繁役の堺雅人、主君・武田勝頼役の平岳大出演の「塚原卜伝」にも出演なさっていますね。

腹に一物も二物もありそうな石井さんの演技は、この武田家の裏切者レース(笑)の中では一番の勝者ともいえる曲者・義昌にはピッタリかもしれませんね。


跡部勝資(稲荷卓央)

あとべ・かつすけ。甲斐守護代も務めたほどの名家の流れを汲む跡部家の当主。

武田家中では、高坂昌信、山県昌景らと並んで最大の兵力動員数を誇った武田家でも屈指の武将であり、勝頼の側近中の側近。武田家衰退の原因ともいわれる家中の分裂を作った原因ともいわれるほど、信玄時代からの宿老たちとは仲が悪かったとされる。

織田家に大敗を喫した「長篠の戦い」においても、慎重論を唱える宿老たちに反対して強硬論を勝頼に進言して大敗の原因を作ったともされている。

織田家の侵攻に対して裏切りが続出した武田家の中で最後まで勝頼に付き従った人物であり、勝頼と共に天目山で自害したとされる。

 

信玄が重用してきた家臣たちと勝頼が重用していた家臣との不仲は有名ですが、この勝資はその対立の中心人物と言っていい存在です。何かとネガティヴな人物像が伝わっている勝資ですが、最後の最後まで勝頼を支えるという忠義の士の一面も持つ武将ですね。

演じるのは稲荷卓央(いなり たくお)さん。

1970年生まれで北海道出身。鬼才・唐十郎が旗揚げした劇団「唐組」の所属俳優として唐組の作品にほぼすべて出演しています。

大河ドラマは初出演との事ですが、舞台たたき上げの俳優さんの渋い演技に注目したいですね。

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