ロック史に残るモンスターバンドとして未だに多くのミュージシャンやファンに影響を与え続けているレッド・ツェッペリン。
そんなレッド・ツェッペリンの前期(アルバム「レッド・ツェッペリンⅠ」から「レッド・ツェッペリンⅣ」の4作品)の代表曲を集めた記事、
前期レッド・ツェッペリン代表曲(ライブ動画有) 名曲“天国への階段”“移民の歌”“胸いっぱいの愛を”・・やっぱ凄いね(涙)
ではゼップ前期の代表曲などをご紹介しましたが、ここでは後期ツェッペリンの作品や代表曲などをご紹介したいと思います。
1973年「聖なる館」 永遠の詩、ノー・クォーター
1973年発売のレッド・ツェッペリン通算5枚目のアルバムがこの「聖なる館(Houses of the Holy)です。
んでもって、このアルバムのオープニングを飾るのが、後期ゼップのライブでも定番となっていたこの「永遠の詩(The Song Remains the Same)」なのです。
いやあ、カッコイイっす。とにかくこの曲のこのイントロは何回聞いても鳥肌立つくらいカッコいいです。ライブヴァージョンはアルバムよりも早くて特に最高ですね。ボンゾのドラムは凄すぎる。ホントに鳥肌ものです。ちょいとカントリーチックな(笑)ペイジのギターも疾走感溢れてサイコーですし、ジョンジーのベースラインは相変わらずうねりながらハッキリと自己主張しています。うーん、何回も言うけど最高にカッコいい(笑)。
てか、ペイジやっぱカッコいいっすよね?一部ファンの間ではノッポさん(NHKの“できるかな”に出てくる帽子被ったおじさんね)呼ばわりする不逞の輩(確かに似てますがw)もいましたが、こうやって見るとやっぱりカッコいいです。なんつっても華がありまさーね。
このアルバム「聖なる館」ですが、明らかに前作「レッド・ツェッペリンⅣ」までとは違います。ファンクやレゲエといったこれまで見せた事の無かった新しい要素を取り入れ、さらにメロトロンやシンセサイザーなどを効果的に使って作られています。この変化こそ、まさにツェッペリンが前期と後期に色分けされる大きな要因であり、その境目が「レッド・ツェッペリンⅣ」とこの「聖なる館」との間のラインなのです。
ちなみにこの「永遠の詩」の次にはこれまた名曲「レイン・ソング (The Rain Song)」が続くのですが、この「永遠の詩~レイン・ソング」という流れは後期ツェッペリンのライブにおいても再現されていましたね。特に12弦のダブルネックギターで演奏するが印象深いです。とにかくこの永遠の詩からレイン・ソングの流れがまた最高なのですよ。この曲の流れはゼップのアルバムの中でも一番好きな流れです、個人的に。
レイン・ソングもそうなのですが、後期ツェッペリンの変化を際立たせる名曲の一つがこの「ノークォーター(No Quarter)」です。
ジョン・ポール・ジョーンズのセンスが光る佳曲ですねえ。この曲もアルバムよりライブヴァージョンの方が好きですね。なんというか、このミステリアスさというか、無国籍感というか、幻想的な雰囲気というか・・とにかく聞けば聞くほどハマっていくという、とにかく怪しい魅力に溢れた曲ですね。病みつきになってしまうので聞きすぎにはご用心を(笑)。
まあ当たり前のようにこのアルバムも全米・全英1位を獲得しました。全米での総売り上げは1300万枚以上。「Ⅳ」には及びませんが、これも凄い数字ですよね。
1975年「フィジカル・グラフィティ」 カシミール、トランプルド・アンダー・フット
このアルバムを代表する、いやレッド・ツェッペリンを代表する大作であり名曲がこのフィジカル・グラフィティB面ラストを飾る「カシミール」です。
ああ、この怪しげなメロディ、得も言われぬグルーヴ感、そしてゆっくりと最高潮に達するダイナミズム・・まさにツェッペリンがハードロックの範疇では到底括る事の出来ない存在であることを自ら証明している曲の一つです。同時に、彼らの頂点はまだまだ先にあるという事をファンに知らしめた曲と言い換えてもいいでしょう。
まあこのスケール感や圧倒的存在感はツェッペリン以外に出せないでしょう。まさにツェッペリンがツェッペリンたる所以とも言える曲でしょうね。一見リフを中心とした単調な曲なのですが、聞けば聞くほど色々な発見があると同時にいつの間にかハマってしまっているという曲ですね。
この「フィジカル・グラフィティ」は2枚組アルバムとして発売されたのですが、新たにこのアルバムのためにレコーディングされた新曲は全15曲中8曲。残りの7曲はこれまで(レッド・ツェッペリンⅢから聖なる館までの間)にレコーディングされていた未発表音源であり、このアルバムも当たり前のように全米・全英チャートで1位を獲得し、現在までアメリカだけで1600万枚以上を売り上げています。
前作以上に幅広い音楽性を誇示したこのアルバムは、後期ツェッペリンの最高傑作と評するファンも多いですね。とっつき易さは間違いなく無いアルバムですが、わたしの場合は聞けば聞くほどに「あ、この曲・・あ、これも・・」とどんどん好きな曲が増えていくという感覚でしたね。
ところで、このアルバムで「カシミール」とともに名曲とされているのが、イギリスで発売された2枚のシングルのうちの一つ、「トランプルド・アンダー・フット」です。
この曲の場合、日本では別の意味合いでZEPファン以外にも結構知られている曲でもあります。
その理由は、某日本のロック・ミュージシャンの超有名な曲がこの曲に激似だといわれているからです。まあ聞き比べてみればなるほどなのですが、イントロとAメロはこのツェッペリンの「トランプルド・アンダー・フット」のリフのメロディそのままなんですね(苦笑)。ちなみにこの件に関しては、某日本のロックミュージシャンファンやツェッペリンファン、それにどちらのファンでもない音楽ファンを巻き込んで一時期は結構な論争にまで発展していたと記憶していますね。「パクリ」か「オマージュ」か、それとも「引用」か。まあこれに関しては本当に線引きが難しいですよね。
まあ、とにかくツェッペリンの曲をお聞きください。リフメロに注目しながら(笑)。
1976年「プレゼンス」 アキレス最後の戦い
1976年3月に発売されたのが、ツェッペリン通算7枚目のスタジオアルバムとなったこの「プレゼンス(Presence)」。
当然のようにこのアルバムも全米・全英ともに1位を獲得。しかしアメリカでの総売り上げは350万枚にとどまっているというのが現状です。
しかし売り上げとは反比例するように、ツェッペリンファンの間での人気はとても高く、ジミー・ペイジ自身も一番のお気に入りであると評価しているアルバムです。
前作ではしばしばツェッペリンの形容詞ともいえる「拡散美」という言葉がピークに達したといえるような内容でしたが、このアルバムでは一転、極力音を最小限に絞り切ったようなシンプルで骨太なハードロックが展開されています。ギター、ベース、ドラムス以外の音は全くなく、その様はまさにビッグバンによって拡散拡大していたツェッペリンの音楽性が、一転収縮に転じてビッグクランチに向かっていくかの様な雰囲気さえ漂わせています。
んでもって、そんなシンプルなツェッペリンサウンドが聞けるこの「プレゼンス」もいいんですよねえ。ペイジが中心となって作ったアルバムだけにペイジのギターが前面に押し出されたアルバムとなっており、その意味ではハードロックファンにも非常に評価が高いのですが、生粋のゼップファンからの評価も非常に高いというのがこのアルバムの凄さを物語っていると思います。
特にアルバムの1曲目を飾る「アキレス最後の戦い(Achilles Last Stand)」。この曲には何度聴いても圧倒されてしまいます。
10分以上にもわたる超大作なのですが、全くといっていいほどに長さを感じさせることがありません。
ジミー・ペイジの力強くブリッジの効いたリフと哀愁漂うソロ、そして魂の叫びともいえるロバート・プラントの硬軟使い分けたエモーショナルなヴォーカルとシャウトも凄すぎるんですが、この曲のハイライトはなんといってもジョン・ボーナムのドラムでしょう。
とにかくこの曲を聴いて頂ければ、なぜジョン・ボーナムが死後40年近く経った今でもベストドラマーに名が挙げられるのかを理解できると思います。ペイジとの掛け合いはまさにバトル。お互いがガチ喧嘩?と思うほどに自己主張してぶつかり合っています。これほど最高なギターとドラムのバトルは後にも先にもお目にかかれていません。まさに鳥肌ものです。
そして後半にはそのバトルにロバート・プラントも参加。三つ巴のバトルが繰り広げられます。それもロック界最高のバトルが。そしてこの三人を支え続けるかのようにベースラインを刻むジョン・ポール・ジョーンズの正確なプレイ。
いや本当にこの四人が同じバンドに在籍していたという事自体が奇跡ですよね。
1979年「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」 イン・ジ・イヴニング
前作「プレゼンス」から約3年半という長い期間を経て発表されたのが、このツェッペリン最後のスタジオアルバムとなった「イン・スルー・ジ・アウト・ドア(In Through the Out Door)」です。
プレゼンスとこのアルバムの間にはライブアルバムの「永遠の詩(熱狂ライヴ)」が挟まれていますが、それでもツェッペリン史上最も長いインターバルを空けて作られたアルバムですね。
アルバムとしては、ジミー・ペイジが主導権を握って作られた前作「プレゼンス」の硬派なサウンドとはまたうって変わり、このアルバムは大々的にキーボードがフィーチャーされており、その意味では非常にこの時代のサウンドというか、迫りくる80年代を見据えたサウンドといってもいいかもしれません。そしてその音楽性の変化は、このアルバムでジョン・ポール・ジョーンズが大きな貢献を果たしたというのも大きいでしょう。
ハードロック色が薄まり、より多様なロックの形態を取り入れた作品という事で当時のメディアの間での評価はかなり賛否両論を呼んだようですが、ファンの間でも非常に評価が分かれるアルバムとなっているのは確かです。個人的には圧倒的にジョン・ボーナムが足りません(苦笑)。やはりこのバンドの大きな核はボンゾのパワフルなドラミングだと思っているので、その意味ではやはりこのアルバムは物足りないんです。
とはいえ、楽曲は粒ぞろいであり、アルバムとしての完成度はさすがの一言に尽きます。
セールス的には全米・全英1位を記録(この情報いらないような気がするw)し、アメリカでは前作「プレゼンス」のほぼ倍となる650万枚以上のセールスを記録しています。
このアルバムを発売した約1年後の1980年9月24日、レッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムは就寝中の窒息死によってこの世を去り、ロック史に残るドラマーの死をきっかけにレッド・ツェッペリンはその歴史に幕を閉じる事を決断しました。
ちなみにこの「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」完成後、ジミー・ペイジとジョン・ボーナムは次回作について、ギターとドラムを大幅にフィーチャーした作品にしようと構想を話していたといわれています。しかしその構想は実現しないままバンドはその活動に終止符を打たざるを得なくなってしまいました。
しかしボンゾの死とともにバンドを解散したのは流石というしかないですね。ビジネス的に考えれば代わりのドラマーを入れて活動継続という選択肢もあったのでしょうが、残った三人はその道を選択しませんでした。それほどジョン・ボーナムのドラムというのはこのバンドの核であり、余人に代えがたいほどのものだったのです。恐らく別のドラマーを入れれば、その時点で既にツェッペリンでは無くなっていたことでしょう。ツェッペリンが今まで伝説的なバンドとして崇拝されているのは、この時にバンドの歴史に終止符を打ったからというのも大きかったと思いますね。
「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」を代表する曲、「イン・ジ・イヴニング(In the Evening)」です。
まとめ
ジョン・ボーナムというバンドの核の一つを失ったレッド・ツェッペリンは、彼の死から約2か月後の1980年12月4日にバンドの解散を発表します。
その後、ジョン・ボーナムの追悼盤として未発表曲を集めた「最終楽章(コーダ)」を発表します。
その後は残った各メンバーがソロ活動や新プロジェクトなどで活躍していく事となるのですが、解散後から現在に至るまで、レッド・ツェッペリンからの影響を公言する有名ミュージシャンは後を絶たないという状況が続いています。
個人的な感想をいわせてもらうと、その功績に比べればレッド・ツェッペリンというバンドの知名度はここ日本においては過小評価されていると思わざるを得ません。それはツェッペリンの時代となる前にロック界の寵児であったビートルズの人気や知名度と比べると明らかでしょう。
日本の洋楽ファンの間では熱狂的なファンを誇るツェッペリンですが、では一般的な人の知名度という点では、ビートルズの足元にも及ばないというのがここ日本での現状ですよね。
まあそれについては基本的にそれほど気にしていないのですが、不当なほどに知名度無いよなあというのは感じますね。
まあそんなことは当のツェッペリンメンバー自体が気にしてないでしょうけどね(笑)。とにかく凄い曲やアルバムを残してくれたことに感謝感謝です。未だに楽しませてもらっているわけですからね。これからも永遠に語り継がれていくバンドでしょう。
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