伝説の27クラブとは?メンバーはジミヘンやジャニス、カート・コバーンにジム・モリソン…(動画有)

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ロック

「ロックは死んだ」

元セックス・ピストルズのジョニー・ロットンら数々の大物の口から発せられた有名な名言ですが、なんだかんだでロックは生き続ける事でしょう。

そんなロック界で有名なクラブがあります。

その名も「27クラブ(トウェンティセヴン・クラブ)」。別名を「愚か者のクラブ」とも言います。

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「27クラブ」とは?ある条件を満たしたミュージシャンのみが入会できる理由

洋楽ロック好きなら誰でも一度は聴いた事があるであろう「27クラブ(愚か者のクラブ)」。

一体「27クラブ」とは何なのでしょう。

元々27クラブとは、とある同じ条件を持った5人のレジェンド級の大物ミュージシャンを指す言葉でした。そしていつしかその「ある同じ条件」を満たしたミュージシャン・アーティストはこの27クラブのメンバーとして認定されるという非常に漠然としたものでもあります。

その「ある同じ条件」とは・・

27歳で他界したミュージシャンたち

です。

27歳で他界したミュージシャンたちの事を総称して「27クラブ」と呼びます。死因に関しては自殺・他殺・病死・事故死・オーバードース、特に規定はありません。とにかく27歳という若さであの世へと旅立ったミュージシャンであれば、強制的にこの「27クラブ」に括られるという訳です。

27クラブ(愚か者の会)の創始者でもある5人の超大物アーティスト

なぜ27クラブは別名で愚か者クラブと呼ばれるのでしょう。

そのことに関しては、27クラブの各メンバーたちの経歴を簡単にご紹介してから説明したいと思います。

まずは27クラブの創設メンバー(?)・正会員(?)ともいえるレジェンド5人からご紹介しましょう。

ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix) 没年令:27歳と295日

ご存知ジミヘンです。エレキギターの神様とも言われ、彼のギタープレイはロックそのものを変えたとまで言われるカリスマです。

死後40年以上経った今でも彼の熱烈な信奉者は世界中におり、現在でも彼の残した作品や影響力は衰えるどころかますます神格化されているとさえいえます。わたしの知り合いにも熱烈なフォロワーがおり、彼はジミヘンに憧れるあまり、右利きのくせに右効き用のギターをひっくり返して左利きで演奏しているほどです(笑)。

彼が他界したのは1970年9月18日。

死因は就寝中の嘔吐による窒息死。睡眠前には大量のアルコールと睡眠薬を飲んだといわれています。当時のミュージシャンの多くと同様に生前はジミもドラッグを使用していたといわれていますが、死因にドラッグは関係ないと言われています。

他の大物ミュージシャンの死と同じく、ジミの死に関しても自殺説や他殺説などが取り沙汰されていますが、どれも陰謀論の域を出ておらず、正式な死因は窒息死ということになっているというのが現状です。

The Jimi Hendrix Experience – Purple Haze (Live at the Atlanta Pop Festival)

ブライアン・ジョーンズ(Brian Jones) 没年齢:27歳と125日

ロック界のレジェンド、ザ・ローリング・ストーンズのオリジナルメンバーであり、リーダーでもあったギタリストがこのブライアン・ジョーンズです。

ミック・ジャガーやキース・リチャーズとともに、初期のストーンズにおいてブライアンの存在は彼無くしては語れないというほどだったのですが、1960年代半ばからはドラッグ依存が強まり、次第にバンドの中では浮いた存在となっていき、1969年にはついにストーンズ脱退という事になってしまいます。

脱退から一月も経たない1969年7月3日深夜に自宅のプールで沈んでいるブライアンをガールフレンドが発見。病院に運ばれましたが既に死亡していました。

医師による検死の結果は「ドラッグとアルコールの影響による不慮の事故」。

しかし近年になってブライアンの死が大きくクローズアップされてきています。2005年に公開された「ブライアン・ジョーンズ~ストーンズから消えた男」ではブライアンの死を他殺として世間を騒がせました。

さらに2009年に入ってイギリス警察がブライアンの死亡について再捜査の可能性を示唆。一気にブライアン・ジョーンズという男に脚光が当たります。それ以降この件に関して大きな動きは無いのですが、未だに他殺説を信じるファンは多く、ブライアンは音楽の功績ではないところで皮肉にも脚光を浴びる事となっています。

The Rolling Stones – (I Can't Get No) Satisfaction (Charlie is my Darling: Ireland 1965)

ジャニス・ジョプリン(Janis Lyn Joplin) 没年齢:27歳と258日

わたしが思うに彼女こそ史上最高のブルースロックシンガーでしょう。

魂の叫びと言われるほどのその圧倒的な表現力と歌唱力で一気にトップシンガーに上り詰め、あっという間に去っていったロック界の伝説です。

ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー(Big Brother and the Holding Company)の一員としてデビューして以来、彼女が生前に残した作品はわずか3枚のアルバムに過ぎません。ジャニス最大のヒットとなった「パール」は彼女の死後発表されたアルバムです。ジャニスはアルバム「パール」制作中の1970年10月4日、滞在中のロサンゼルスのホテルで死亡しているのを発見されました。

死因はオーバードース(薬物等の過剰摂取による中毒死)。彼女が使用していたのはヘロインだったと言われています。

学生時代から自分の容姿の劣等感などから孤立していたというエピソードが有名なジャニス・ジョプリン。どれほど有名になって富と名声を得てもその孤独からは一生逃れられなかったのかもしれません。

ジム・モリソン(Jim Morrison) 没年令:27歳と207日

オリバー・ストーン監督の映画「ドアーズ」によって90年代に一躍再ブレイクを果たし、1960年代後半から70年代初頭にアメリカンサイケデリックロックの第一人者として活躍したザ・ドアーズのヴォーカリストがこのジム・モリソンです。

ジム・モリソンといえば、その音楽性やカリスマ性もさることながら、甘くワイルドなルックスでアメリカのセックス・シンボルとして女性人気の高いアーティストでもありました。

実力も兼ね備えており、「ライト・マイ・ファイア」や「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」などの全米ナンバーワンヒット曲も出したドアーズは、間違いなく当時のアメリカを代表するバンドでした。

そこに圧倒的なカリスマ性を誇るジム・モリソンのキャラクターと独特のアーティスティックな歌詞が乗っかり、まさにドアーズは時代の寵児となったのです。

しかしそんなドアーズの歴史は一瞬にして終わりを迎えます。バンドの顔ともいえるジム・モリソンの死です。

ジムは1971年の7月3日、恋人のパメラ・カーソンとともに移住していたパリの自宅の浴槽で遺体となって発見されました。パリ警察の発表では心臓発作とされていますが、第一発見者である恋人のパメラによると、薬物の大量摂取の可能性もあるとの事。パリ警察が検死を行っていないという事実をもってして、政府による暗殺説や偽装工作によるモリソン生存説を唱える人もいます。

これだけの陰謀論が渦巻く事自体、ジム・モリソンという男の死が世界に与えた影響を垣間見ることが出来ると言えますね。

The Doors – Touch Me (R-Evolution)

カート・コバーン(Kurt Cobain) 没年令:27歳と44日

世界中にオルタナティブ・ロック旋風を巻き起こした1991年発表のアルバム「ネヴァーマインド」。

このネヴァーマインドこそニルヴァーナの2ndアルバムです。現在まで全世界で4000万枚以上を売り上げている、まさにロックのアンセムのようなアルバムですね。

このニルヴァーナの登場によってそれまで世界のロック界を席巻していたハード・ロック/へヴィ・メタルバンドは軒並み壊滅状態に近いほど低迷します。代わりに来た新たな時代がオルタナティブムーヴメントなのです。

まさにロック史を変えたニルヴァーナのヴォーカリスト兼ギタリストであり、ほとんどの曲を作っていたバンドのアイデンティティともいえる存在なのがカート・コバーンです。

しかしこの大成功はカートを精神的に追い詰めたと言われています。メインストリームへと上り詰めた自身の成功を良く思わない発言なども残しており、思えばこの成功が彼の運命を暗転させたという皮肉な結果にもなったのかもしれません。

少年時代からうつ病を患っていたとされるカートの苦悩は成功によって増幅され、薬物依存への傾倒も深刻になっていったといいます。

そして1994年の4月8日、シアトルの自宅で頭から血を流して死亡しているカートの姿が発見されます。警察の発表ではカートの死亡は約3日前の4月5日で、死因はショットガンで頭部を打ち抜いた自殺とされています。自殺前には薬物を使用していたとも発表されています。

遺書にはニール・ヤングの曲の歌詞にもなっているこんな文章がつづられていたそうです。

「It’s better to burn out than to fade away(錆びつくより今燃え尽きる方がいい)」

「愚か者のクラブ」の命名者はカート・コバーンの母親

この5人こそ27クラブの名誉会員(?)と言われている5人です。どのアーティストも凄いビッグネームばかりです。まさに歴史を作った人たちですね。

そして、ここまで読んでいただいた方にはなぜ「27クラブ」が別名「愚か者のクラブ」と呼ばれているのか理解できたかと思います。

そう、どのミュージシャンもドラッグを使用していたと言われており、その無茶なライフスタイルで死亡した人たちばかりなのです。ロックといえば、「セックス、ドラッグ、&ロックンロール」と呼ばれた時代もあり、今でもそんなアウトローなライフスタイルの名残は残っているとも言えます。

彼らはそんなロックの悪しきライフスタイルを踏襲して死んでいったといってもいいミュージシャンたちなのです。まさに「俺たちに明日はない」と言わんばかりの刹那的な人生。愚かだと思う人が多いでしょうが、だからこそ多くの人を惹きつけるという側面もあるのかもしれません。

実は27クラブという名はカートが自殺した後で付けられた名前です。それまでは単にジャニス、ジミヘン、ジム、ブライアンの天才たちが偶然にも27歳で亡くなったという認識であり、27歳は破滅型ミュージシャンの厄年くらいの考え方でした。

しかしカートが自殺した後、彼の母親はこうコメントしたのです。

あの子は愚か者のクラブの仲間入りをしてしまった・・

と。

それ以降、この27歳で世を去ったミュージシャンたちの事が「27クラブ」と呼ばれるようになったのです。別名「愚か者のクラブ」として。

エイミー・ワインバーグやマニックスのリッチー・エドワーズらの名も

27歳でこの世を去ったミュージシャンたちの事を「27クラブ」と呼ぶようになったのですが、本来は上記の5人の事であった27クラブは次々とその会員(?)を増やしていく事となりました。

彼ら5人だけではなく、これまでに27歳で亡くなった他のミュージシャンたちもこの27クラブとしてカウントするようになったのです。

つい最近ではイギリスの女性歌手、エイミー・ワインハウスがこのクラブの仲間入りを果たしました。彼女もドラッグでの逮捕歴が2度あり、2011年に自宅で死去していた際にもドラッグとアルコールを摂取していたといいます(正式な死因はアルコール中毒)。

変わった例ではイギリスを代表する国民的人気バンド、マニック・ストリート・プリーチャーズ(通称マニックス)のギタリスト、リッチー・エドワーズ(リッチー・ジェームスとも)。

うつ病やドラッグ、アルコール問題を抱えていたマニックスのリッチーは、アメリカツアー出発の直前の1995年2月1日に宿泊先のホテルから突如失踪。家族などが警察へ捜索願を出しますがリッチーの行方はようとして知れず、バンドは解散の危機に陥ってしまいます。

結局、作詞やバンドのコンセプトにおいて重要であったリッチーを欠いたままマニックスは活動を再開し、リッチー抜きのマニックスはそれまで手にする事の出来なかった大成功をおさめてイギリスを代表するバンドとなりました。なんとも皮肉な話です。

その後、リッチーは結局見つかる事なく、失踪から約14年経過した2008年11月23日にイギリスから正式に死亡宣告がなされました。死亡日は失踪当日となっており、それによって没年令は27歳と41日となって27クラブのメンバーとなったのです。

その他にも世界中の数え切れないほどのミュージシャンが名を連ねているこの27クラブ。

これからもロックが有り続ける限り、この27クラブの会員は増え続けていく事でしょう。ロックが死なない限りは永遠に・・

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