新田恵利と国生さゆり、昔懐かしおニャン子時代のライバル関係や人気は?バレンタインKISSか冬のオペラグラスか(笑)

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現在の40代男性世代を熱狂させた1980年代のスーパーアイドル、おニャン子クラブ。解散から30年経った現在でも多くの卒業生が芸能界で活躍している事からもその影響力の大きさが計り知れるところでもあります。

そんなおニャン子クラブ時代の事で未だに何かと比較されがちなのが、初期の人気メンバーでもあった新田恵利と国生さゆりの関係でしょう。

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会員番号4:新田恵理(にったえり) 冬のオペラグラスで一気にスターダムへ

新田恵利と国生さゆり、この二人の人気メンバーについてかんたんにプロフィールをご紹介しましょう。まずは新田恵利さん。

名  前:新田恵利
会員番号:4番
生年月日:1968年(昭和43年)3月17日生まれの48歳
出  身:埼玉県上福岡市
身  長:156cm
3サイズ:B82-W58-H82
加入日 :1985年4月1日
卒業日 :1986年9月26日

ぶっちゃけもの凄い人気でした。個人的にみれば初期の頃は新田恵利と河合その子が断トツのツートップだったと思います。お人形さんぽい正統派美形アイドルの河合その子と笑顔が可愛い普通の女子高校生にいそうな庶民的な新田恵利といった棲み分けだったような気がしますね(個人的には断トツで新田恵利派でした汗)。

デビュー曲の「冬のオペラグラス」もスーパーヒットとなってその後もヒット曲を連発しましたね。おニャン子解散後しばらくは芸能活動休止期間もありましたが、今では活動しています。結婚もしてらっしゃいますね。ちなみに歌唱力は・・・かなり評価が分かれるところではありましたね(苦笑)。

会員番号8:国生(こくしょう)さゆり 現在でも芸能界の売れっ子タレント

続いては現在の芸能界での露出という点ではおニャン子クラブOGの中でも一二を争うといってもいいほどの売れっ子タレント、国生さゆりさんです。

名  前:国生さゆり
会員番号:8番
生年月日:1966年(昭和41年)12月22日生まれの50歳
出  身:鹿児島県鹿屋市
血液型 :A型
加入日 :1985年4月1日
卒業日 :1987年3月30日

新田恵利さんもそうですが、このおニャン子加入日が1985年の4月1日となっているメンバーこそがいわゆるおニャン子のオリメン(オリジナルメンバー)という事になっています。4月1日といえば彼女たちの戦場でもあった人気番組、「夕焼けニャンニャン」の放送がスタートした日なのです。

そんなオリジナルメンバーの一人でしたが、決して国生さゆりさんのおニャン子での活動は順風満帆とはいきませんでした。おニャン子デビューシングルの「セーラー服を脱がさないで」や2ndシングルの「およしになってねTEACHER」ではメインボーカルを務める4人のフロントメンバー入りを逃すなど(フロントメンバーは新田恵利、福永恵規、内海和子、中島美春)、後に国生さん自身も話しているように、焦りにも似た当時の状況は端から見ても分かるような気がしましたね。

新田恵利と国生さゆりの派閥抗争?犬猿の仲だったというのは真実?ガセ?

新田恵利と国生さゆり、この二人のライバル関係というのはおニャン子クラブ在籍時にもファンの間では薄っすらとあったのですが、本格的に再燃したのは結構最近の話ですね。国生さんと新田さん双方の口から当時の状況が色々なバラエティ番組などで語られていき、二人が共演して世間の噂や当時の真実について語る!!なんていう流れになって色々な話が出てきました。

一番有名だったのが当時のおニャン子クラブのメンバー内で国生派と新田派という二つの派閥があり、その派閥同士が対立しておりその派閥のトップである新田と国生も仲がバチバチであったというものです。

これについては、新田恵利さんがそれとなく認めていますね。完全なアルバイト感覚でおニャン子活動をしていた新田恵利さんたちと、芸能界での成功を目指して頑張っていた国生さゆりさんたちとの温度差は確かにあったと。そんなそれぞれのスタンスに近いメンバーたちが集まっていたという事が派閥事件の真相であったという事ですね。

さらには写真集政策に際しての水着撮影を拒否していた新田恵利さんに対して国生さゆりさんがメンバーの前で一喝した事が原因となってお互いの派閥同士の対立が決定的になってしまったとも言います。

しかし最近になって二人はバラエティでの共演なども多く、お互いは水と油の性格ではあったがお互いを認め合っていたとも認めており、その雰囲気は仲良しこよしというようなものではなく、プロであるがゆえのプロとしてのライバルといった色合いが強かったものであった印象も受けます。

おニャン子を代表する素人っぽさの代表格でもあった新田恵利と、上昇志向やプロ意識の強かった国生さゆりとの芸能界やおニャン子クラブにおけるスタンスの違いによって起きた対立劇ともいえるでしょう。まあでも女の子がこれくらいいればどこでもこれくらいの事は起きますよね?ていうかもっとドロドロしそうな気がしますしね(笑)。

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ソロデビューが早いのは?意外にも新田恵利は3番手、国生さゆりは?

さあこの二人の関係でもう一つ気になる事といえば、おニャン子クラブ時代の人気でしょう。

これについてザックリ言うと、わたしの周りでは圧倒的に新田恵利ファンが多かったです。あくまでわたしの周囲という意味なので、参考程度にお聞きください(笑)。

国生さゆりに関しては前述したとおり、フロントメンバーとしておニャン子のリードボーカルを任せられたのが、新田恵利、中島美春、内海和子、福永恵規の4人で国生はフロントメンバー入りを逃します。ソロデビューの順番に関しては以下の順番となっています。

1.河合その子     涙の茉莉花LOVE

2.うしろゆびさされ組 うしろゆびさされ組

3.吉沢秋絵      なぜ?の嵐

4.新田恵利      冬のオペラグラス

5.国生さゆり     バレンタインキッス

河合その子や新田恵利といったオリメンどころか、後発組のうしろゆびさされ組の二人(高井麻巳子、岩井由紀子)や吉沢秋絵にも先を越されてソロデビューの順番は5番目。後に国生さゆり自身が、同じオリジナルメンバーの河合その子や新田恵利にソロデビューで先を越されたのは嫉妬心なども混ざり合ったかなり複雑なものであったと述懐しています。

このような状況から見るに、少なくとも国生さゆりのバレンタインKISSによるソロデビューまでに関して言えば、人気的には新田恵利に軍配が上るような気がしますね。

記録を作った冬のオペラグラス、アンセムソングとなったバレンタインキッス

新田恵利のソロデビュー曲の「冬のオペラグラス」はオリコン初登場で1位を獲得し、その後4週連続で1位を維持したのに対して、国生さゆりの「バレンタインキッス」はオリコンチャート2位どまりでした。売り上げ的にもソロデビュー対決は新田の勝ちといった感がありますね。でも仕方ありません、冬のオペラグラスはデビュー作の売り上げとしては当時では最高記録を作ったほどの大ヒットだったのですから。

しかしバレンタインキッスは未だにバレンタインデーが近づけば色々なところで聴く事の出来る、いまやバレンタインのアンセムソングといっても過言ではない曲へと育ちました。

様々な歌手などによってカヴァーされたりもし、現在での知名度では大きく国生さゆりのバレンタインキッスに軍配を上げる事なのは誰も異論がないでしょう。

まあ二人の人気に優劣をつけるなんて全く意味のない事でもあります。二人がお互いを認め合ってライバルとしてお互いにいい緊張感をもって芸能活動をしていたからこそ今の二人があるともいえますしね。

一つだけ言えることは、あの頃のおニャン子に熱狂した世代の人間にとって、未だに新田と国生の二人が芸能界で活躍し、二人ともがあの時代のおニャン子を語ってくれるという事こそが至福であるという事ですね。

それだけの決定的な影響力を誇っていた人気メンバーであった事だけはゆるぎない事実なのですから・・

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