戦国乱世の真っ只中で苦難の井伊家を守り抜き、彦根藩を築き上げた井伊直政を育て上げた井伊直虎。
出家して次郎法師とも名乗っていた井伊直虎を産み育てた父・井伊直盛と母・祐椿尼(ゆうちんに)についてここではご紹介したいと思います。
おんな城主・直虎の父、井伊直盛(いいなおもり) 演:杉本哲太
井伊直盛の略歴
井伊氏第二十二代当主。別名を井伊次郎。官職は信濃守(しなののかみ)。
井伊家第二十一代当主の井伊直宗の嫡男として大永六年(1526年)に生まれる(異説あり)。
直盛が弱冠十七歳であった天文十一年(1542年)、父の井伊直宗が今川家による三河国田原城攻めに従軍して戦死し、直盛が井伊家当主の座を継ぐこととなる。
詳細は不明であるが、直盛が井伊家当主の座に就いた時には既に直盛は妻である祐椿尼と結婚していたという説が有力であり、娘の井伊直虎も既に生まれていたといわれている。
井伊谷の領主となった直盛であったが、直盛には男子がいなかった。そこで直盛は父・直宗の弟であり叔父にあたる井伊直満の息子・鶴丸(井伊直親)を養子に迎えて井伊家の跡継ぎとする事を決める。しかし井伊家の家老である小野政直の讒言によって直満は今川義元によって自害させられ、鶴丸は政直の手を逃れるべく井伊谷から信濃へ落ち延びるを余儀なくされてしまう。
政直死去後の弘治元年(1555年)、井伊谷に戻った井伊直親を晴れて養子に迎え入れ、井伊家はひとまず落ち着く事となった。
井伊谷(いいのや)の領主として、そして今川家に仕える国人として働いた直盛であったが、永禄三年(1560年)の今川義元による尾張侵攻に従軍した際に、織田信長による奇襲を受け(桶狭間の戦い)、主君今川義元らとともに討死。享年は36であったといわれている。
なお、直盛は死に際し遺言を残しており、その遺言の中では井伊家の重臣である中野直由に井伊家の舵取りを任せる事が記されていたといわれている。これは直盛の死後の小野道好の井伊家内での台頭を危惧し、直親と道好の対立を案じたためという見方もある。
直盛死後は直親が井伊家の後を継ぎ、その後は娘の直虎を経て直親の息子・井伊直政へと受け継がれていく事となる。
“大河常連”杉本哲太が演じる井伊谷の領主は隠れた名君?
「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎の実父であり、井伊直親の義父となる井伊家にとって非常に重要な人物、それがこの井伊直盛です。
直盛が当主となっていた時期は、今川家が義元という名君主の元で最も勢い盛んであった時期であり、遠江国井伊谷の国人に過ぎなかった井伊家にとっては、今川家の傘下に入る以外に生き延びる選択肢はなかった時代であることは間違いないでしょう。その意味では井伊家にとっては最も苦しかった時代ともいえるかもしれません。
家臣団も決して一枚岩ではなかったという事は、小野道高(政直)が井伊一族の直満の逆心を今川義元に告げて自害に追い込んだ事件や、直盛が死に際して家臣団のかじ取り役を定めなければならなかったことからも見て取れますね。
そんな中、非常にバランスよく立ち回っていた主君といってもいいのかもしれません。それだけに、この直盛が桶狭間で死して以降は井伊家内が揺れ動き始めるという側面もあったでしょう。もし直盛が桶狭間で倒れなかったら・・。井伊家の運命はどうなっていたのでしょうか。でもそうであればほぼ間違いなく「女城主・直虎」は生まれていなかったでしょうね(笑)。
良き井伊谷の領主であった井伊直盛を演じるのが、杉本哲太さん。過去の大河ドラマ出演は1989年の「春日局」、1990年の「翔ぶが如く」、1992年の「信長KING OF ZIPANGU」、1999年の「元禄繚乱」、2010年の「龍馬伝」の五作品。この「おんな城主 直虎」で大河6作目となります。
過去の作品がまたいい役どころばかりなんですよね。「翔ぶが如く」では人斬り半次郎の異名を持つ桐野利秋、「信長」では織田四天王の丹羽長秀、「元禄繚乱」では四十七士屈指の猛将・不破数右衛門、「龍馬伝」では坂本龍馬の兄の坂本権八役。どれもいい役ですよね。どの役もしっかりハッキリと覚えてますよ(笑)。
横浜銀蝿の弟分であるツッパリ(死語w)グループの紅麗威甦(グリース)でデビューしたのがわたしが小学生だった時代。あの時はまさかこんな素晴らしい名バイプレーヤーになるなんて思っていませんでした、すみません(泣)。
とにかく今では善人、悪人、癖のある人物や影のある人物、コメディなどどんな役でもこなしてしまえる杉本哲太さん。大河ドラマ「杉本哲太」の歴史にまた新たな1ページが刻まれる事は間違いないでしょう。
次郎法師の母・千賀(ちか/祐椿尼) 演:財前直見
千賀(祐椿尼“ゆうちんに”)の略歴
生年は不明。出自は駿河の戦国大名・今川家の一族である新野氏で、兄に今川家臣の新野親矩(にいのちかのり/通称:左馬助)がいる。
今川家に従属する井伊谷の領主・井伊氏の第22代当主・井伊直盛に嫁ぐ。
直盛との間に男子はなく、女子を一人設けた(後の井伊直虎)。
男子の無かった夫・直盛は、叔父・直満の男子・井伊直親を養子に迎えたが、直盛は桶狭間の戦いで討ち死にし、後継者の直親は井伊家家臣である小野政次の讒言によって今川氏真に誅殺されてしまう。そこで井伊家は直盛と祐椿尼の間に出来た、次郎法師を還俗させ、名を井伊直虎と改名して、直親の遺児・虎松(後の井伊直政)が成人するまでの井伊家当主としたといわれている。
永禄十一年(1568年)の武田信玄の駿河侵攻により、家臣の小野政次は今川氏真の命令により井伊谷を占拠。直政の命を狙ったが、直政は龍潭寺(りょうたんじ)へ逃れて難を乗り切った。危機に陥った祐椿尼と直虎も龍潭寺へと逃げ延びた命の危機を脱出した。
この後、祐椿尼は松岳寺という後に自身の菩提寺となる寺へと移り住み、そこで余生を送ったといわれている。天正六年(1578年)に死去したという。
物語終盤まで直虎と絡む重要な役 演じるのは三度目の大河となる財前直見
ドラマ内では千賀(ちか)という名で呼ばれている、直虎の母がここに紹介する祐椿尼(ゆうちんに)です。祐椿尼という名は、いわゆる出家名であり、出家する前の名などについてはハッキリとわかってはいません。
戦乱の中で夫を失い、後を継いだ養子も殺され、一人娘をおんな城主として見守り、そして井伊家を天下に名だたる大名家へと導く孫の井伊直政の成長を見守りながら天寿を全うした女性です。
ハッキリとその人物像は分かってはいませんが、当然芯の強い女性であったことは想像に難くはありませんね。そうでなければこの戦乱の世を生き抜いていく事さえできなかったでしょう。この時代、とかく戦に明け暮れた男性の勇猛さにスポットライトが当たりがちですが、本当に強かったのは女性の方だったのではないかと思いますよね。まあこれは今の世も同じなんですけどね(笑)。女は強し!ってやつです。
主人公である直虎の死が天正十年(1582年)ですから、直虎の死の4年前まで存命だったんですよね。という事は、ドラマ的には最終盤あたりまで出番のある重要な役どころとなりそうです。
そんな千賀を演じるのが、財前直見さん。大河ドラマは1993年の「炎立つ(ほむらたつ)」、2005年の「義経」に次いで、12年振り3作目の登場となります。
「炎立つ」では、主人公・藤原経清の盟友・安倍貞任の妻・流麗(るり)役、「義経」では主人公・源義経の最大の敵となる源頼朝の妻・北条政子を演じられました。どちらも一癖も二癖もある女性という役回りでしたね。
今回はこれまでの役とはガラッと変わりそうな芯が強くて皆を温かく見守る、まさに「日本の母」といった女性となりそうです。久々の大河登場となる財前さんの演技に要注目ですね。
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