2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の中では主人公・直虎の許嫁として物語前半の重要な役どころとなる井伊直親。
井伊氏第23代当主であり、徳川四天王として彦根藩の藩祖となった井伊直政を生んだ22代当主・井伊直親についてここではご説明したいと思います。
井伊直親の略歴
天文四年(1535年)、井伊谷に居を構える井伊家第十六代当主・井伊直平の息子である井伊直満の嫡男として生まれる。母については姓名など不明。幼名を亀之丞(かめのじょう)。
井伊氏は直満の兄である井伊直宗が第十七代当主であったが、天文十一年(1542年)の今川氏による田原城攻めに従軍して戦死。その後は直宗の嫡男であり、直満の甥にあたる井伊直盛が第二十二代当主となっていた。
しかし直盛には男子がおらず、直盛は従兄妹にあたる亀之丞(直親)を娘婿として養子に迎え、実娘である次郎法師(井伊直虎)と結婚させて井伊家第二十三代当主として迎えるつもりであったといわれている。
亀之丞が十歳であった天文十三年(1544年)、井伊氏が従属していた今川義元は、亀之丞の父である井伊直満に謀反の疑いありとして、直満を自害させてしまう。今川義元に直満謀反の嫌疑を吹き込んだのは、井伊家の家老・小野和泉守政直(別名:小野道高)であったといわれている。
父・直満の自害によって、自身の身にも危険が及ぶこととなった亀之丞は井伊谷を脱出し、龍潭寺の南渓和尚の勧めで信濃国伊那郡にある松源寺へと落ち延びる事となった。亀之丞の生死や行方は井伊家内においても極秘事項として扱われたといわれており、これより後は直親にとって長い苦難の時代となった。
松源寺で元服して成人した直親は、浜松脱出から11年後の弘治元年(1555年)に井伊直親として井伊谷へと戻る。ちなみにこの信濃・松源寺に落ち延びていた約10年の間に、地元領主の塩澤氏の娘との間に娘を一人設けたといわれており、その娘は後に井伊家家老の川手良則に嫁いだ高瀬姫(春光院)である。
定説によれば、直親は松源寺在住時に井伊家家臣・奥山朝利の娘・奥山しのを正室として迎えたといわれている(異説あり)。
井伊谷に戻った直親は、嫡男の無かった従兄弟である井伊直盛の養子となって、永禄三年(1560年)の桶狭間の戦いで義父・直盛が戦死した後に井伊家第二十三代当主となった。
しかし当時は今川家の大黒柱であった義元が桶狭間で織田信長に討たれ、今川家から三河の徳川家康が独立するなど、今川家内は大混乱に陥っており、さらに今川家臣である井伊家も家老である小野家が絶大な勢力を握っていた。
そんな矢先の永禄五年(1562年)、井伊家家老の小野政次(道好)が今川家当主・今川氏真に対して、井伊家当主の井伊直親が三河の徳川家康と内通しているという情報を流す事となり、これをきっかけとして井伊直親謀反の疑いが今川家内で持ち上がる。
疑いをかけられた直親は、今川氏真の疑いを晴らすために氏真の待つ駿河へと赴くが、その途中で今川家家臣・朝比奈泰朝(あさひなやすとも)の襲撃を受け、命を落とす事となった。享年29。
その後は直親の婚約者であった井伊直虎が実質的な井伊家当主となり、直親の嫡男・虎松(後の井伊直政)を養育し、井伊家を守っていったといわれている。
井伊直親の人生に立ちはだかる宿命の敵・小野政次・政直親子
徳川四天王と呼ばれ、徳川家康の天下取りに大きく貢献した井伊彦根藩藩祖である井伊直政は有名な武将ですが、その父である井伊直親についてはあまり知られていません。
それもそのはず、直親は幼少時から井伊家の勢力争いに巻き込まれ、さらには桶狭間の戦いによる今川家の内紛にも巻き込まれるという、実に波乱万丈の人生の中、わずか29歳という若さで非業の死を遂げたのです。
この大河ドラマ「おんな城主 直虎」では、若き日からの主人公・直虎と直親の恋愛感情などがクローズアップされる事となるのでしょうが、この井伊直親の人生にとっての一番のカギとなるのは、井伊家の宿老として井伊家で絶大な権力を誇った小野一族でしょう。
父の直満は小野政直の讒言(ありもしない事をでっち上げ、目上の人に告げ口をして人を陥れる事)によって今川義元の命で自害させられてしまいますし、この直親自身は小野政直の息子・小野政次の讒言によって徳川家康との内通を今川氏真に疑われ、命を落とす事となってしまいます。
特に井伊直親が当主になった後(桶狭間以降の)井伊家では、小野政直の嫡男である小野政次(道好)の権力が絶大であり、その力は当主である直親を凌ぐほどでもあったといわれています。
この井伊直親と小野政次。ドラマの中では主人公・井伊直虎を巡る恋敵という一面もあるような描かれ方でしたが、それを抜きにしても宿命の関係にあった事は間違いないのです。
桶狭間の戦いで没落する今川家と天下に名乗りを挙げた徳川家康 二大勢力の狭間で揺れる井伊家
この井伊直親が井伊家当主だった時期の井伊家が非常に難しい立場に置かれていたことは前述のとおりです。
天下取りさえも視野に入れる程に勢力を拡大していた今川家にとって、その今川家当主として全国にも名を轟かせた今川義元が尾張の弱小勢力であった織田信長に桶狭間の戦いで討ち取られたというのは今川家没落の大きな転機となりました。
今川義元の戦死をきっかけとして、三河の徳川家康は今川氏真を見限って独立、尾張の織田信長と同盟を結ぶという今川家にとっては非常の事態となります。さらに今川家に従っていた遠江の国人などにも次々と今川家を離反する動きが広がっていく事となったのです。
そんなさ中の小野政次による今川氏真への讒言が、文字通り井伊直親の命取りとなりました。隣国の徳川家康はこの時期の今川氏真にとっては直接の敵ともいえる脅威であり、その徳川に寝返られるくらいなら滅ぼしてしまえというのは、戦国時代の考え方としては当たり前といえば当たり前ともいえますね。
史実においては実際に井伊直親に今川家を離れて徳川につくという考え方があったのかどうかは分かりません。ひょっとしたら小野政次が今川氏真に告げた事は讒言ではなく事実だったという可能性もあるでしょう。井伊家が斜陽の今川家を見限って徳川家康につくという選択肢はこの状況では十分に考えられる事だからです。
どちらにせよ、井伊直親という悲運の武将は、井伊家と今川家、両家の激動の嵐に翻弄された事だけは確かだといえますね。
若手人気俳優の三浦春馬と、亀之丞時代を演じる藤本哉汰(ふじもとかなた) 天才子役の共演
井伊直虎の婚約者であり、井伊家の当主でもあり、さらに井伊直政の父でもある井伊直親。戦国の時代の渦に翻弄された直親を演じるのが若手人気俳優の三浦春馬。大河ドラマは2003年の「武蔵 MUSASHI」、2006年の「功名が辻」に続いて3作目の登場となります。
武蔵も功名が辻もどちらもリアルタイムで見ていましたが、どちらも物語の重要な役どころとなる人物を演じていましたね。武蔵では主人公・宮本武蔵の弟子として一緒に旅をしていた少年、城太郎役で、功名が辻では主人公の山内一豊・千代夫妻の養子となった湘南でした。
特に思い出深いのが武蔵での城太郎役ですね。まだ中学1年生(13歳)とは思えない堂々の演技でしたね。ハッキリ言って主人公よりも上手いんじゃないか(すんません笑)と思わされるほどの演技でした。これはとんでもない子役だわ・・と思っていたら、案の定、あっという間に主演級の人気俳優になりましたね。まあ実力通りだと思います。
というわけで、直虎の運命の人ともいえる重要な役どころとなる井伊直親を演じるに当たっては何の心配もいらないでしょう。むしろ前半で退場してしまうのがもったいないほどです(まあ忙しいでしょうからね・・)。
幼少時は亀之丞という幼名であった井伊直親は、主人公の直虎(おとわ)と同じく、子役時代からの出演となります。
直親の幼少時・亀之丞を演じるのは藤本哉汰(ふじもとかなた)くん。年齢は13歳。奇しくも三浦春馬さんが城太郎を演じたのと同じ年令となります。
13歳ですが、デビューは7歳の時とキャリアは長く、出演作も「家政婦のミタ」や「水戸黄門」などの国民的ドラマを初めとして様々であり、大河ドラマも2012年の「平清盛」で清盛の弟・平家盛の幼少時を演じた経験を持つ経験豊富な子役です。
この直虎の成功は、直虎、直親、そして小野政次の子役たちの演技によってスタートダッシュがかけられるかがカギとなりそうな気がしますが、キャリア豊富なだけにその心配も無用かもしれません。三浦春馬さんに繋いでいくにはうってつけの子役さんといえるかもしれませんね。
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