【大河キャスト】今川義元は名将?愚将?駿河の大名として武田信玄や北条氏康と互角に渡り合った“海道一の弓取り”

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おんな城主直虎

NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公である井伊直虎の井伊氏は、遠江国井伊谷(いいのや 現在の静岡県浜松市)の国人でした。

直虎たちの時代、遠江国は「東海一の弓取り」とも呼ばれた天下に名を轟かせた名将の支配下にありました。その名将こそ、井伊家に最初に立ちはだかる大きな壁、今川義元だったのです。

ここでは遠江国と駿河国、そして三河国も支配下に治め、今川家の最盛期を築いた今川義元をご紹介しましょう。

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今川義元(いまがわよしもと)の略歴

永正十六年(1519年)、駿河今川家第九代当主・今川氏親とその正室・寿桂尼の五男として生まれる。幼名を芳菊丸という。

義元誕生時、既に今川家は嫡男である今川氏輝が後継者となる事が決まっており、五男であった芳菊丸は駿河国の臨済宗の寺、善得寺に預けられ、名を栴岳承芳(せんがくしょうほう)とした。

その後栴岳承芳は今川家から教育係として遣わされた太原雪斎(たいげんせっさい)とともに京都五山で学んだといわれている。

今川家第十代当主となった実兄・今川氏輝の命によって京から領国・駿河へと戻った栴岳承芳であったが、その直後に氏輝が24歳という若さで死去。さらに次男である彦五郎も氏輝と同じ日に死亡するという緊急事態となり、一転して栴岳承芳に今川家の当主継承権が回ってきた。

栴岳承芳は名を今川義元と改めて還俗。しかし義元の兄であり、同じく花倉の遍照光寺で出家していた兄・玄広恵探(げんこうえたん)(兄であるが母は違う)も後継者を譲らず、今川家は義元と玄広恵探で家督争いが起こり、今川家の家臣も二分する戦いとなった(花倉の乱)。

今川義元側には太原雪斎や岡部親綱らの有力家臣が集い、玄広恵探側は親族の福島氏がついた。しかし、関東の有力大名であった後北条氏の当主・北条氏綱が今川義元支援に回るなど、徐々に義元派が優勢となり、最後は玄広恵探が籠る花倉城を陥落させ、玄広恵探は自害して乱は終息。今川義元が晴れて今川家第十一代当主の座に就いた。

義元が太守になった今川家は、長年の抗争相手であった甲斐の武田信虎と同盟を結び、関係を修復。一方で関東の北条氏綱と手切れとなり駿河東を北条に奪われ、さらに遠江の国人、井伊氏や堀越氏も反今川として北条支援に回るなど、領国経営は危機に陥った。

北条氏は氏綱が亡くなって北条氏康が家督を継ぎ、武田家は信虎が追放されて武田晴信(後の信玄)が後を継いだ。

すると、義元は関東管領の上杉憲正らと連携して北条攻めを激化。追い詰められた北条氏康は武田晴信の仲介により、駿河東部を義元に割譲する条件で和議を結び、北条家との抗争は収まる事となる。

一方、遠江国の西に位置する三河国では、三河城主であった松平広忠が今川家に帰順し、広忠の嫡男である竹千代(後の松平元康/徳川家康)を人質にとるなど、三河国の大半の実質的支配権を握るなど、大きな影響力を及ぼしていた。

松平広忠が死去すると、今川家は岡崎城に軍師の太原雪斎と重臣・朝比奈泰能を送り込み、三河国の支配権を強化。松平家は完全に今川に乗っ取られる事となる。こうして三河国の支配権を確立した今川義元は、三河国の織田信秀勢力を一掃し、三河国を制圧。次第に織田家の本拠地である尾張国にも圧力をかけ始める。

天文二十三年(1554年)には、長年の宿敵でもあった、甲斐の武田信玄、相模の北条氏康と三国同盟を結び(甲相駿三国同盟)、娘の嶺松院(れいしょういん)を武田義信へと嫁がせ、嫡男の氏真には北条氏康の娘・早川殿を正室として迎え入れ、北と東の脅威を取り除くことに成功する。

永禄元年(1558年)、義元は隠居して、家督を嫡男の今川氏真に譲った。しかし依然として実権は義元が握っており、北の武田信玄、東の北条氏康との同盟によって今川家は西の尾張織田家討伐に集中できる環境が整ったこともあり、義元は西へ勢力を広げる意図が強かったといわれている。

永禄三年(1560年)五月、義元は尾張を制圧すべく、二万の大軍を率いて西上する。

圧倒的兵力を誇る今川軍は、松平元康が落とした大高城へ入るべく進軍を続けていた途中の桶狭間で兵の休息中に織田信長の奇襲に会い、今川義元は討ち死にする。享年42。義元の首を討ち取ったのは織田家の侍大将の毛利良勝であったといわれている。

「東海一の弓取り」と呼ばれ、今川家の最盛期を築き上洛に最も近い存在であったとまでいわれた今川義元の死により、今川家は急速にその勢力を衰えさせていくこととなった。

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桶狭間の戦いで評価を下げている今川義元の本当の能力とは?

今川義元。皆さんはこの武将にどういうイメージをお持ちでしょうか。

歴史に詳しい人たちの間では名将と評価する声も多い武将ですが、やはり最後呆気なく桶狭間の戦いで織田信長に討ち取られた印象から、あまり強い武将というイメージをお持ちでない方も多いのではないかと思います。

これまでのドラマや映画などでも、義元のイメージは白粉にお歯黒の京ことばを使う公家っぽい描写が多く、どちらかといえばひ弱な戦国大名という印象も強いかもしれません(自分はそうでした汗)。

しかし、実際の今川義元という人物は、これ以上ないという程に有能な人物でした。領国経営は非常に優秀で今川家は戦国大名の中でもトップクラスの富を誇っていましたし、戦も強く、権謀術数も巧みで、外交や調略によってどんどんその版図を広げていきました。

今の世では同時代の戦国ヒーローといえば、越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄、相模の北条氏康などが有名ですが、今川義元はこれらの戦国大名と同等、いやそれ以上の存在といっても過言ではありません。実際にこれらの偉人たちと互角以上に渡り合い、今川家の最盛期を築いているのです。

もしも桶狭間で義元が油断しなければ、織田信長の天下統一は無かったでしょう。もちろんその後の豊臣秀吉の天下統一や徳川家康の江戸幕府も無かったはずです。逆にいえば、全ては桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にした事から始まったと言ってもいいのかもしれません。実際に義元の死によって信長は九死に一生を得ましたし、家康は今川家の奴隷状態から脱し、独立して戦国大名となったのですから。

この時代、各地に乱立していた戦国大名の一番の目標は上洛すること。つまり、大軍を率いて京に上り、足利将軍家を保護する立場となる事によって、日本にその権威を轟かす事でした。武田信玄も上杉謙信も、悲願でありながら終生果たす事の出来なかった上洛を果たす位置に最も近いといわれたのが、この今川義元だったのです。その事実をとってみても、この今川義元が凡将でない事の証明となるのではないでしょうか。

井伊谷の運命を左右する巨大な敵、そして今川を巡って二分する井伊家

この「おんな城主 直虎」の中で描かれる今川義元は、義元が最も強大な存在であったころの、いわば今川義元という戦国武将の最盛期が描かれる事となるでしょう。

井伊氏は遠江国井伊谷(いいのや)に拠点を置く国人領主です。独立色が強い国人でしたが、この時代の井伊氏は、駿河・遠江・三河に強大な勢力を築いていた今川義元の軍門に降る事を予後無くされていた時代だったのです。それほど今川義元という人物の影響力が大きかったという事です。

井伊家の内部でも、今川家に従順な親今川派と、今川家に従属することを良しとしない強硬派で分かれていたといわれています。

井伊家第二十二代当主であった井伊直盛の叔父であり、二十三代当主・井伊直親の実父である井伊直満が、今川家に近い存在であった井伊家家臣の小野政直の讒言(ざんげん)によって今川義元に自害させられたのはその典型ともいえるかもしれません。

とはいえ、井伊谷のあった遠江国だけではなく、その隣国である駿河と三河も支配下に置いていた今川義元の勢力下に入る以外には義元存命時の井伊家の生き残る術はなかったともいえるでしょう。

そんな井伊家に今川家従属以外の道が開けるのは、義元が桶狭間で信長に討たれて、隣国三河国の徳川家康が独立した後の事です。とはいえ、家康に接近するか今まで通り今川につくかという問題で井伊家には新たな悲劇も生まれるわけですが・・

とにかく井伊家にとっても、今川義元という巨大な存在は家名の存続を大きく左右するほどの壁だったのです。


寡黙が故の恐怖、名落語家・春風亭昇太が演じるニュー今川義元

この今川義元という人物ですが、大河ドラマでも多くの名優が演じてきた人物でもあります。

出番の多かった大河ドラマとしては、1983年の「徳川家康」ではあの超個性派俳優、「工藤ちゃ~ん」でお馴染みの服部刑事こと(笑)、成田三樹夫さん。1988年の「武田信玄」でも歌舞伎界の名優・中村勘三郎(当時は中村勘九郎)さん。2007年の「風林火山」では、「アタックチャンス」でお馴染み、広島カープ党の谷原章介さんが演じてこられました。どの義元も本当に魅力あふれる人物でしたよね。どの義元も遜色ないほどに素晴らしくてどれがいいとか選べないほどです。

先ほども言ったように、ドラマなどの映像作品においては過小評価されるきらいのある今川義元ですが、逆にいえば俳優さんにとっては非常に演じがいのあるキャラクターといえるのかもしれませんね。

「おんな城主 直虎」の中でそんな“東海一の弓取り”を演じるのが、落語家の春風亭昇太さん。日本テレビの長寿人気番組「笑点」の司会者として有名な噺家さんですね。大河ドラマは2014年の「軍師官兵衛」、2015年の「花燃ゆ」に続いて三度目の出演となります。これまでの二度の出演は1話限りのゲスト的な扱いでしたが、今回は正真正銘の大物の役回りとなります。

春風亭昇太さんといえば、今川義元が本拠を置いた駿河国の出身(静岡県清水市)。「なんだ、ご当地枠ね」などと言う声も聞こえて来そうですが、この春風亭昇太さん、実はかなりの戦国マニアであることはかなり有名な話です。特に城に関してはマニアの域を超える程の知識を誇っており、そういう意味では大河ドラマに最も相応しい人選ともいえるかもしれません。

噺家さんなのでセリフ回しは心配ないだろう・・などと思っていたのですが、今回の義元はほとんどセリフがないのだそうです。ほとんどは家臣や近習たちに小声で耳打ちをし、第三者の口から語らせるという役なのだとか。故に表情や仕草などで演技をしなければならない大変さがあるのだそうです。

うーん、これは新しい義元像がつくられそうな雰囲気が満載ですね。この話を聞いてみるのが楽しみになってきたというのが正直なところです。

話さないが故の恐怖。まさに井伊氏に立ちはだかる敵キャラとしては申し分ない武将となりそうです。昇太さんの義元によって、この戦国を代表する名将の評価が上ってくれればうれしいですよね。

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