「海道一の弓取り」と呼ばれた二人の東海道の覇者・今川義元と徳川家康という大勢力に挟まれた遠江国井伊谷(いいのや)の国人領主、井伊氏。
今川家から徳川家へと主君を変えていく井伊氏の歴史の流れの中で大きなカギを握
るのが、ここでご紹介する近藤康用(こんどうやすもち)、鈴木重時(すずきしげとき)、菅沼忠久(すがぬまただひさ)という、のちに井伊谷三人衆と呼ばれることとなる武将たちなのです。
徳川家康の遠江国支配に貢献した井伊谷三人衆(いいのやさんにんしゅう)とは?
井伊谷三人衆の面々をご紹介する前に、まずは井伊谷三人衆とは何ぞや??という事で、何故そう呼ばれているのかなどを簡単にご説明しておきましょう。
井伊谷三人衆とは、簡単に言えば徳川家康の遠江国制圧に多大なる貢献をした三人の武将の事を言います。
永禄十一年(1568年)、駿河と遠江を支配していた今川氏真と甲斐の武田信玄との同盟が破棄され、信玄が駿河に攻め込みました。ほぼ同時に三河の徳川家康も遠江国へと侵攻します。
すると、今川氏真は遠江国井伊谷を支配する今川派の井伊氏の家老・小野但馬守政次(おのたじまのかみまさつぐ)に井伊氏の全軍を制圧して武田・徳川軍に当たるよう命じます。
この今川氏真の命に反旗を翻し、徳川家康に合力して徳川家康の遠江国支配、さらに今川家の滅亡に大きく関与した人たちこそが井伊谷三人衆だったのです。
今川家家臣から徳川方へと離反した井伊谷三人衆の蜂起によって小野政次は井伊谷制圧に失敗し、さらには徳川家は井伊谷を拠点として遠江国統一へと歩を進めることとなったのです。
いってみれば、井伊谷三人衆は井伊氏の危機を救い、家康の天下人への道を後押しした武将ともいえるのです。
近藤康用(こんどうやすもち) 演:橋本じゅん
近藤康用(こんどうやすもち)の略歴
戦国時代の国人領主、戦国武将で今川家、徳川家に仕えた。別名を平右衛門、石見守、勘助など。
永正十六年(1517年)に国人領主であり今川家臣でもあった近藤忠用の子として生まれた。今川家から宛がわれていた知行は221貫であったと伝わる。
永禄三年(1560年)の桶狭間の戦いで主家の今川義元が討たれて今川氏真が後継者となり、遠州の国人が今川から離反し始めても今川に忠誠を尽くすが、永禄十一年(1568年)の徳川家康による遠江攻略戦の折には、同じく井伊谷三人衆と呼ばれることとなる菅沼忠久の誘いを受けて今川家から離反、徳川家康の軍に加わる。
既に老齢であった康用は子の秀用に家康軍に加わらせていたという。天正十六年(1588年)死去。享年72。
子の秀用は井伊直政の家臣となったがその後は直政の元を離れ、浪人となったが、のちに大名として復活し、遠江国井伊谷で井伊谷藩藩主として帰還した。
劇団☆新感線の人気俳優、橋本じゅんが2年ぶりに大河ドラマ登場!
井伊谷三人衆として井伊氏の危機を救い、徳川家康の遠江支配に大きな働きをした近藤康用。これまでは歴史好きの間での知る人ぞ知る存在でしたが、この「おんな城主 直虎」で大きくその存在がクローズアップされることとなるのは間違いないでしょう。
しかもこの近藤康用の子の近藤秀用という人は、江戸時代になってから大名として井伊谷に井伊谷藩を築いたという、井伊谷にとってはまさに重要人物なのです。
そんな近藤康用を演じるのが劇団☆新感線の人気俳優・橋本じゅんさん。大河ドラマの出演は2004年の「新撰組!」2007年の「風林火山」、2015年の「花燃ゆ」に続いて2年ぶり4度目の出演となります。
いやあ、大好きな俳優さんの登場で個人的にはかなりテンション上がっちゃってます(笑)。これほどどんな役をやってもハマってしまう俳優さんも珍しいでしょう。それ程役に憑依してしまう・・というか役がこの人の色に完全に染まってしまうというか・・どっちかよくわかんないんですが、とにかく大好きな俳優さんですね。間違いなく名優の範疇に入る俳優さんです。
というわけで、この近藤康用に関しては何の心配もしてませんし、楽しみしかありません。本当に登場が待ちきれないですね。
鈴木三郎太夫重時(すずきさぶろうだゆうしげとき) 演:菅原大吉
鈴木重時(すずきしげとき)の略歴
享禄元年(1528年)に今川家臣の鈴木重勝の子として生まれた。通称は三郎太夫。
成人して遠江国井伊谷の国人領主・井伊氏と血縁関係にもある井伊家重臣・奥山朝利(おくやまともとし)の娘を正室として迎えるなど、井伊谷三人衆の中では早い時期から最も井伊氏に近い存在であったといわれている。
永禄十一年からの徳川家康による遠州制圧戦には他の井伊谷三人衆とともに参加。家康の命により大沢基胤の守る遠江国堀江城攻略に参加するが、城攻めの最中に戦死した。享年42。菩提寺は満光寺(まんこうじ)。
重時の子、鈴木重好はその後、徳川家康の命によって井伊直政に仕えるが、後に井伊家を退去し、その後は水戸藩家老として活躍した。
志半ばで非業の死を遂げた武将を菅原大吉さんが演じる
井伊谷三人衆として活躍しながら、徳川家康の遠州攻略戦の最中に非業の死を遂げた鈴木重時。しかしこの重時の決断によって鈴木家は天下人・徳川家康に取り立てられ、名家としてその名を残していくこととなったのです。
井伊直親の妻であり井伊直政の母でもある奥山ひよ(しの)の姉妹を妻に持つという、井伊氏にとっては血縁的にもかなり近い存在であるこの鈴木重時の動向は「おんな城主 直虎」の中でも大きなキーパーソンになるかもしれませんね。
そんな鈴木重時を演じるのが、ベテラン売れっ子俳優である菅原大吉さん。名脇役としてテレビで見ないクールはないというほど売れっ子の菅原さんですが、意外なことに大河ドラマはこの直虎が初出演となります。
井伊谷三人衆としては最も出番が短いことが予想されるこの鈴木重時役の菅原大吉さんですが、その独特の存在感でしっかり爪痕を残してくれることを期待したいですね。
あ、ちなみに菅原さんのプチトリビアですが、この菅原大吉さんの奥様はお笑いコンビ・ピンクの電話のミヤちゃんこと竹内都子さんです(知ってる方は失礼しました)。
菅沼忠久(すがぬまただひさ) 演:阪田マサノブ
菅沼忠久(すがぬまただひさ)の略歴
生年は不詳。通称は次郎右衛門尉。
菅沼元景の子として生まれ、後に正室として鈴木重時の娘を迎えた縁で鈴木家とは血縁関係にあったといわれている。
桶狭間の戦いで尾張の織田信長によって今川義元が討たれた後も引き続き今川家に属していた忠久であったが、同族の菅沼定盈(すがぬまさだみつ)は既に今川家から独立を果たした松平元康(徳川家康)に属しており、永禄十一年(1568年)の徳川家康による遠州攻略ではその菅沼定盈を通じて今川離反を持ちかけられて徳川家への帰属を決意。
同じく遠州国人で今川家家臣の立場であった鈴木重時と近藤康用にも忠久が話を持ち掛け、二人も忠久に同調、徳川家康の遠江国攻略の糸口となったこの三人は井伊谷三人衆と呼ばれることとなった。
徳川家康が遠江国を攻略し、井伊家の井伊直政が徳川家に仕えると忠久も井伊直政の配下となったが、直政家臣となって間もない天正十年(1582年)に死去。その遺体は井伊氏の菩提寺である龍潭寺(りょうたんじ)に葬られたという。
忠久の嫡男の菅沼忠道は井伊直政家臣として関ケ原の戦いを始めとする様々な合戦などでも活躍した。
菅沼忠久は人気お笑いコンビ、元Z-BEAM(ズ・ビーム)の阪田マサノブが
生年は不詳、死の詳しいいきさつも不明という、三人衆でも最も謎の多い男といえるのがこの菅沼忠久という武将なのかもしれません。
菅沼氏といえば、三河・遠江の名門一族であり、徳川家でも多くの家が出世を果たした一族でもあります。そんな菅沼氏の中でも忠久という人は、家康にとって大事な遠江国統治における大きな役割を果たした人物であることは間違いありません。井伊谷三人衆という呼び名も、この忠久がいなければその言葉さえ存在していなかったでしょう。
そんな井伊谷三人衆の中でも最も大きな働きをしたともいえる菅沼忠久を演じるのが、他の井伊谷三人衆を演じる俳優さんと同じように売れっ子名バイプレーヤーの阪田マサノブさん。大河ドラマは2010年の「龍馬伝」以来7年ぶり2度目の登場となります。
阪田さんといえば、わたしの世代的にはやっぱりお笑いコンビ「Z-BEAM(ズ・ビーム)」のイメージが強いですね。オシャレなコントスタイルはまさに当時のお笑い界では新進気鋭のコントグループとして期待された存在でしたね。個人的にも大好きなコンビでした。
Z-BEAM(ズ・ビーム)解散後、阪田さんは俳優として確固たる地位を築いていたというわけですが、Z-BEAM時代のコントでの阪田さんの表現力の凄さを見ればそれも納得といえるものでしょう。個人的には非常にうれしいですね。
井伊谷三人衆を結びつけるきっかけとなり、結果的に徳川家康の天下取りに大きく寄与した菅沼忠久を実力派の阪田さんがどう演じるのか楽しみにしましょう。
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