[おんな城主直虎]今川氏真の妻・春(早川殿) 三国同盟の政略結婚で嫁いだ北条氏康の娘は心優しき賢女

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おんな城主直虎

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で主人公・井伊直虎の井伊家の属する太守として大きく描かれる、駿河・遠江の覇者・今川家。

武田信玄徳川家康、北条氏康といった列強に囲まれた今川家は、今川氏真の時代に衰退を招きますが、そんな氏真を支え続けたのが、氏真の正室であった早川殿だといわれています。ここではそんな早川殿についてみてみましょう。

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今川氏真(うじざね)の正室・早川殿(早河殿/蔵春院)の生涯・略歴

生年と母親は不明。父は後北条家三代目当主の相模国の戦国大名・北条氏康。早川殿の母は氏康の側室の女性であるというのが通説ではあるが、正室・瑞渓院殿(ずいけいいんどの)の娘であるとの説もあり、そうであれば弟である北条家四代目の北条氏政とは同母姉弟という事となる(氏政の同母妹という説もあり)。

北条氏康の娘として育てられた早川殿が他家へと嫁いだのが天文二十三年(1554年)。河東の乱など、決して友好的とは言えなかった駿河の今川義元の嫡男・今川氏真との婚姻であった。北条氏康の娘・早川殿が今川義元の嫡子・今川氏真に嫁いだことによって、甲斐の武田晴信(信玄)、相模の北条氏康、駿河の今川義元の三者による甲相駿三国同盟が完成、各勢力とも後顧の憂いを無くしてそれぞれ勢力を拡大する下地が整ったのであった。

駿河に加えて遠江、三河も支配下に置いて盤石に思えた今川家であったが、暗雲が漂い始めたのが永禄三年(1560年)。今川家当主・義元が尾張国の若き織田家当主・信長に桶狭間の戦いで敗れて敗死したのである。

今川義元を失った今川家は早河殿の夫・義元の嫡男である氏真を当主としたが、三河国の松平元康は独立し、遠江の国人衆たちも今川家からの離反が相次いだ。さらに今川家の女傑・氏真の祖母である寿桂尼が没すると、永禄元年(1568年)ついに武田信玄は今川との同盟を破棄して駿河へと侵攻する。精強な武田軍の前に氏真は駿河を捨てて遠江国掛川城への撤退を余儀なくされることとなった。この時、早川殿は徒歩で逃げ出さなければならなかったと伝えられている。

早河殿が夫・氏真とともに逃げた遠州掛川城も翌年永禄二年(1569年)に遠江に侵攻していた徳川家康に開城し、大名家としての今川家はここに滅亡。氏真は早川殿の父である北条氏康を頼って北条の両国である伊豆国戸倉城へと落ち延びた。しかし、元亀二年(1571年)にはその氏康も死去して早川殿の弟である北条氏政が家督を継ぐと、北条家は武田家と同盟を復活させる。この同盟によって武田が支配する駿河帰還が困難になると氏真家族は北条家を出奔して仇敵の徳川家康を頼り、徳川家に庇護される。

その後の早川殿の動向は定かではないが、夫である氏真とともに生活をしていたと思われ、徳川家康を頼って浜松、京都と移り住み、氏真との間には五人の子を産んだ(一男四女)。

慶長十八年(1613年)2月15日、江戸にて死去。没落しても支え続けた夫・氏真の死去の2年前の事であった。

「バカ殿(?)」今川氏真を内助の功で支え続けた名将・北条氏康の娘、早川殿

ハッキリ言って、今川氏真という武将は歴史上の評価は非常に低いというのが実情です。某有名歴史シミュレーションゲームのこの氏真の能力値は、もはや「バカ殿」といってもいいほど笑っちゃうくらいに低いです(涙)。その低さは“あの”織田信雄と双璧を成すほどです(爆汗)。歴史ファンや識者の評価もまあ概ね同じように低いです。

しかしそんな低評価も致し方のないところでしょう。父・義元亡き後は領国の騒乱を収めきれずに国人衆や家臣らの離反を招き、外交も失敗して武田信玄と徳川家康の侵攻を招いて天下人に最も近いといわれた今川家を滅亡させ、その上最終的には今川家を裏切った徳川家の捨扶持で余生を送った・・まあこの経歴を考えたら評価が低いのも致し方なしという感じです(あくまで大名家の当主として、という意味です)。

しかしそんな氏真を生涯支え続けたのが、武田家・今川家・北条家の三国同盟の政略結婚によって北条家から嫁いできた早川殿です。北条氏康の姫君という高貴な女性でありながら、大名家から没落した氏真を見限って離縁することもなく仲睦まじく生涯付き添ったという、まさに夫唱婦随、内助の功の見本ともいえる理想の妻ともいえる女性です。

大名から流浪の身となった氏真は結局生涯大名として返り咲くことは出来ませんでしたが、氏真と早川殿との間に生まれた子は、旗本として名門・今川家の血脈を後世まで残す事となりました。早河殿という女性は、名門・今川家の妻として最大限にやれることを成し遂げた偉大な女性だと思いますね。

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死別・離縁等悲劇の三国同盟政略結婚の中での例外、今川氏真と早川殿

早川殿の略歴・生涯の欄で多少触れたのですが、この早川殿という女性は歴史的にも有名な今川・北条・武田による甲相駿三国同盟(こうそうすんさんごくどうめい)による政略結婚の一環として北条から今川へと嫁いできました。

最終的にこの甲相駿三国同盟は今川義元の死後に武田信玄が今川領である駿河に攻め込んだ事によって完全に破綻しました。この甲相駿三国同盟は今川氏真と早川殿以外にも政略結婚が成立しています。以下がこの三国同盟で成立した婚姻関係です。

今川義元の娘・嶺松院→武田信玄の嫡男・武田義信

武田信玄の娘・黄梅院→北条氏康の嫡男・北条氏政

北条氏康の娘・早川殿→今川義元の嫡男・今川氏真

この3組の夫婦の中で離縁せずに生涯を添い遂げたのは今川氏真と早川殿のみです。

今川義元の娘・嶺松院(れいしょういん)と武田義信の場合は、武田義信が廃嫡となって自害した後に嶺松院は子供を連れて駿河へ帰り、剃髪して出家しました。

武田信玄の娘・黄梅院(おうばいいん)と北条氏政の場合は、武田信玄の駿河侵攻に激怒した北条氏康が息子の妻である黄梅院を甲斐の信玄の元へと送り返してしまいました。失意の黄梅院は甲斐に戻ってしばらくして、27歳の若さでこの世を去りました。

早川殿以外の二組の夫婦も決して夫婦仲は悪くなかったといわれていますが、お家の事情や歴史の流れなどから引き裂かれる事となってしまいました。武田義信は父・信玄から廃嫡された上に自害(病死説もあり)、北条氏政は豊臣秀吉による小田原征伐に敗れて切腹死‥という運命を考えれば、確かに大名から一介の浪人へと身をやつしたとはいえ、半ば悠々自適の半生を送って子孫も家系もしっかり残した今川氏真は幸せだったのかもしれません。もちろんその氏真と添い遂げる事の出来た早川殿にとっても・・


春(早川殿)を演じるのは「天地人」以来2度目の大河ドラマ出演となる西原亜希(にしはらあき)

この今川氏真に嫁いだ早川殿ですが、NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」の中では“春”という名となっています。実を言うとこの早川殿の生前の実名は明らかではありません。ただおそらくは早川殿の法名が「蔵春院」であることから、法名に用いられている一字で“春”という名にしたのではないかと思われますね。

そんな斜陽の今川家に嫁ぎ、大名から転落して流浪の身となった今川氏真に生涯付き添った春を演じるのが西原亜希さん。大河ドラマには2009年の「天地人」以来8年ぶり2度目の登場となります。天地人では主人公・直江兼続(妻夫木聡)の父である樋口惣右衛門(高嶋政伸)の後妻である、ちょっと天然でありながらとてもかわいい妻、「よし」を演じていましたね。

この「おんな城主直虎」の中でもまた良妻賢母の鏡のような女性、春を演じる事となります。

この「おんな城主直虎」は女性が主人公のドラマですが、過去の女性主人公の大河ドラマにありがちな「女性がこれでもかとぐいぐい前に出てくる」作品とは少し趣が違うような気がします。もちろん、寿桂尼のような女傑もいますが、戦国の世に生きる男性を支える女性が多いような気がしますね。恐らく春もそんな女性として描かれるのではないでしょうか。悲劇の運命をたどる駿河の名門・今川家ですが、そんな中に咲いた一服の清涼剤的な存在となって欲しい女性キャラですね。

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