コサキン伝説のTBSラジオ「スーパーギャングコサキン無理矢理100%」小堺一機と関根勤の裏の顔が・・

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コサキンって何?

「コサキン」って何?と問われれば、我々の世代では小堺一機・関根勤の二人を指すものとしてノータイムで答えられる人が多いと思います(さーせん、うちの嫁は知りませんでしたが笑)。

コサキンのコサは小堺一機さんの苗字の頭二文字、キンは関根勤さんの勤を音読みして、併せてコサキンと呼びます。

関根勤さんはバラエティ番組に欠かせないお笑い界のベテランとして数々のバラエティ番組に出演していますが、最近小堺一機さんがバラエティに出演する機会が増えて来ましたね。

25年続いた小堺さんの代名詞ともいえるフジテレビの長寿番組、「ライオンのごきげんよう」が今年3月で終了した事が大いに関係しているのでしょうね。なんたって平日の帯番組でしたから、拘束時間が長かったことでしょう。

しかし、わたしのようなコサキンとともに青春時代を過ごした世代にとっては、これで「コサキン」の仕事が増えるのでは??と期待してしまうんですよね。

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小堺一機・関根勤のプロフィール

ここで簡単な二人のプロフィールをご紹介しましょう

関根勤(せきねつとむ)

本   名:関根勤
呼 び 名:ラビー
生年月日 :昭和28年(1953年)8月21日生まれの63歳
出 身 地:東京都港区
血 液 型:A型
身   長:168cm
芸   風:モノマネ
師   匠:萩本欽一
旧 芸 名:ラビット関根
著名な家族:関根麻里(娘)、K(麻里の夫)

小堺一機(こさかいかずき)

本   名:小堺一機
呼 び 名:ムックン
生年月日 :昭和31年(1956年)1月3日生まれの60歳
出 身 地:千葉県市川市
最終学歴 :専修大学経営学部
血 液 型:A型
身   長:165cm
芸   風:モノマネ
師   匠:萩本欽一
著名な家族:小堺翔太(長男)

欽どこのクロ子とグレ子で人気が爆発したコサキン。関根勤改名以前はコサラビとも

小堺一機・関根勤の二人といえば欽ちゃんファミリーとして有名ですね。特に欽ちゃんのどこまでやるの?(通称:欽どこ)での黒子とグレ子の競演で一躍有名になりました。

この二人のデビューはどもに素人時代に出演した「ぎんざNOW」の素人コメディアン道場。二人ともそこでチャンピオンとなって芸能プロダクション・浅井企画に入社し芸能界入りを果たしました。

関根勤さんは当時はまだラビット関根と名乗っており、わたしの関根勤さんの初見は、「カックラキン大放送」のカマキリ拳法。この頃はラビット関根というよりも完全に「カマキリ拳法の顔の濃い人」という認識でした(笑)。

関根勤さんが芸名のラビット関根から関根勤と名を改めるまでは二人のコンビは「コサラビ」と呼ばれていましたが、関根さんの改名によって「コサキン」と呼ばれるようになったのです。

現在は「コサキン」名義でのレギュラー番組は無いものの、「ごきげんよう」終了以降、積極的にバラエティー番組出演が増えている小堺一機さんの活動を見ていて、再びコサキンでの活動が活性化するのではないかと期待する今日この頃なのです。

ナンセンス世界の最高峰、ブラックコサキンが出現するTBSラジオの「コサキン無理矢理100%」

コサキンといえば、わたしの中では何といってもTBSラジオで毎週放送していた二人の人気番組、「スーパーギャング コサキン無理矢理100%」ですね。

この番組、何度か題名が変わっており、若いリスナーの人々には「コサキンDEワァオ!」といった方が馴染み深いかもしれません。

しかしわたしがヘビーリスナーだった時代は「コサキン無理矢理100%」だったので、この名前で行かせていただきます(笑)。

このコサキン無理矢理100%は、わたしの中で神ラジオ四天王の一つとして欠かさず聴き続けていた番組です(後の3つはビートたけしのオールナイトニッポン、とんねるずのオールナイトニッポン、ダウンタウンのヤングタウン)。

コサキンの二人は欽ちゃんファミリーらしく、普段テレビでは毒舌を吐いたり下ネタを言ったりしない芸風なのですが、このスーパーギャングコサキン無理矢理100%では少し違いました。

下ネタあり、毒舌ありの、正に裏コサキンといっていい小堺・関根コンビが見られるのが一番面白かったですね。まるでテレビでのうっ憤を晴らすかのように(笑)。しかもそれが腹がよじれる程面白いんです。

基本はナンセンスなギャグ。二人のツッコミのメインセリフは「くだらねぇーwww」「ひっでぇwww」「意味ねぇぇっwww」。

本当にそのツッコミ通りの内容であり、恐らく面白くない人には全然面白くなかったのでしょう。てか本当に意味わからなかったと思います。ゲストがたまに来てましたが、大爆笑する二人に置き去りにされて戸惑っている気の毒なゲストを何組も見ましたから(笑)。

しかしハマる人間には抜けられなくなる中毒性を持った番組であり、わたしもそのうちの一人でした。本当に水曜深夜が待ち切れなかったものです。

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アニソン界のアニキ再ブレイク、そしてラビーの替え歌は抱腹絶倒の名作揃い(笑)

わたしの記憶が確かであれば、今やアニソン界のアニキとして君臨している水木一郎さんにいち早く注目したのはこのコサキンラジオでした。

「ゼェェェェェット!!!」「ブロロロロォォォォォッ!!」「ズババババァァッン!!」

といったアニキ渾身のシャウトを頻繁に流しており、アニキもたまにゲストで来ていましたね。今のようにブレイクする前でした。先見の明ですよね。

一番印象に残っているのはラビーの替え歌コーナー。

例えば、谷村新司さんの「昂」の替え歌で「トーテムポールの上から二番目の顔」(笑)。

もういきなり出だしからメロディ関係なくラビーの朗読絶叫状態(笑)「ワァオッ!お前はとても無口な奴だったぜ・・ワァオッ!」で始まり(笑)、

サビの「あぁ、砕け散る~」の部分だけ急に真面目に歌い始めます。

「あぁぁ、トーテムポールの 上から二番目の顔~イェーイジャーン」

で突然終了。もう意味わかりませんし(笑)。あ、ちなみに確かこの曲って高島忠夫さん(高嶋政宏・政伸兄弟のお父さん)の事を歌った替え歌でした。だから頻繁に高島さんの口癖のイェーイがカットインしているのです(笑)。高嶋忠夫さんの顔がトーテムポールの上から二番目の顔に似ているというだけの歌です。ひでーwww

あと、印象深いのはコサキンラジオの構成作家陣の一人、有川周一氏の事を歌った替え歌、かぐや姫の「神田川」の替え歌で「有川」www

「ぼくの名前は有川周一。舘川や楠野(コサキン構成作家陣の二人)とは違うのさ。三人一緒に写真を撮るなんて、僕のなんだかわからないプライドが許さない・・」

で始まり、「顔が大きい」「昔は体重110kgでやせた今でも妙に腹だけは出ている そのくせ手足は妙に細いのさ」「襟足が汚い」「襟足が背骨まで繋がって尻毛と繋がってステゴザウルスと呼ばれている」「そういえばステゴザウルスも妙に手足が細い」www

と、有川氏をディスりまくりwwwムックンとスタッフは大爆笑。歌っているラビーも笑っちゃってまともに歌えないというカオス状態(笑)。でも死ぬほど面白いと。深夜に何度大笑いしすぎて下に寝ていた親父とおふくろに怒鳴られた事か(遠い目)。

とにかく、このコサキンラジオは全方位的に受ける世界ではない事は間違いないでしょう。コサキンにもそんな気はさらさらありませんし。ただし、この世界を面白いと感じた人間には極上の空間となる事請け合いです。笑い死にを覚悟しなければならないかもしれません。わたしはこの世界に入門できたことを心から誇りに思っています(笑)。

衰退するラジオ文化 今の若者にもコサキンワールドを体験してほしい

思えば、ルー大柴さんをいち早く人気者にしたのもこのコサキンラジオでしたね。まだ全然テレビでブレイクする前のルーさんを頻繁にネタにしてゲストにもたびたび来ていました。ラッキィ池田さんもこの番組で人気が出ましたよね。剛州さんは顔知らなかったけど、このラジオで頻繁に名前を呼ばれて興味をもって調べましたね。いい思い出ですな(笑)。

他にもコサキンの冠のつく番組はテレビなどでもいくつかありましたが、やはり私の中でコサキンといえば、TBSラジオのコサキン番組ですね。

高校を卒業して東京に出てからは忙しくなっちゃってほとんど聞けなくなり、就職してからは完全にラジオから遠ざかって久しいですが、コサキンラジオは2009年で終了していたんですね。

一つの時代が終わってたんだという事を知ったのはほんの数年前でした。

機会があれば是非もう一度コサキンのラジオを聞いてみたいと何年も前から思っていたので、この事実を知った時は少しショックでしたね。

今は昔と違ってラジオもインターネットやゲームに押されて聞く若者が少なくなっているといいます。我々の時代は次の日が学校でも無理矢理眠らないようにしてでも深夜ラジオにかじりついていたものです。

間違いなくラジオはわたしたちの世代の欠かせない必須ツールの一つでした。

もう一度ラジオの素晴らしさを若者たちに伝えるためにも、コサキンラジオの復活を提言したいですね。そしてこの二人のあの世界へと入門してくる若者が一人でも多く増える事を願いたいものです。何度も言いますが、笑い死にする覚悟で入門しないといけませんけどね(笑)。

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