ついにハード・ロック界のマエストロこと、元Deep Purpleのギタリスト・リッチー・ブラックモアがレインボーを再結成して動き出しましたね。
このレインボー、ハードロックファンの間では、ディープ・パープル以上の存在と言ってもいいかもしれません。
ただし、ハード・ロックファン以外にはあまり馴染みがないかもしれません。ハードロック好きな人以外に説明するのに一番適当なのは
「あのディープ・パープルのギタリストが結成したバンドだよ」
と説明するのがベストです。
「ディープ・パープルって何?」
と聞かれたら
「デッデッデー、デッデッデデーのあの曲のバンドだよ」
と「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のリフを口ずさめばOKです。それでも分からなければ、会話を終えて別の話題に移りましょう(笑)
脱線しましたが、ともかく昔のハード・ロック好きにとっては期待せずにはいられない嬉しいニュースである事は間違いないです。
レインボーの歴史
レインボーは1975年にメンバー間の意見の相違などによってディープ・パープルを脱退したリッチーがロニー・ジェイムズ・ディオがヴォーカルを務めるアメリカのエルフというバンドを吸収するような形で結成したバンドです。ディオはリッチーのお眼鏡にかなうほどの実力派ヴォーカリストでありましたが、エルフの他メンバーにはあまり興味がなかったようで、1stアルバム「Ritchie Blackmore’s Rainbow」(邦題:銀嶺の覇者)をリリース後はディオ以外のメンバーを全て解雇してしまいます。
そして新たに加わったメンバーにあの「ロック界の渡り鳥」こと不世出の名ドラマー、コージー・パウエル(ds)がいるのです。他のメンバーはトニー・カレイ(key)、ジミー・ベイン(B)。リッチー、ディオとこの新メンバー3人であのロック界における歴史的名作「Rising」(邦題:虹を翔る覇者)を1976年にリリース。
その後、ジミーとトニーが脱退し、ボブ・デイズリー(B)とデヴィッド・ストーン(key)が加入し、1978年にアルバム「Long Live Rock ‘n’ Roll」(邦題:バビロンの城門)をリリース。この1976年から1978年頃のバンド状態は、リッチー・ブラックモアとロニー・ジェイムズ・ディオ、コージー・パウエルの実力派3人中心のメンバー構成から「3頭体制」と呼ばれることもあります。
しかし、その三頭体制も終わりを迎えます。
発端は当時最大のマーケットであったアメリカでの売り上げが伸び悩んだことでした。当時のレインボーの中世ヨーロッパの世界観を彷彿とさせる様式美のハード・ロックはヨーロッパや日本のファンには熱狂的に受け入れられたものの、アメリカの市場では市民権を得られていませんでした。このような状況からリッチーはバンドの音楽性の方向転換を模索し始めます。
「バビロンの城門」の次作に元ディープ・パープルのベーシスト・ロジャー・グローヴァーを迎えてプロデュースを依頼。曲調はもっとポップなものへと、ディオが作る歌詞は中性ヨーロッパ的で難解なものから、もっと現代的でアメリカにも受け入れやすいライトでストレートな物へと変更しようとしました。これにディオは猛反発。結局脱退してしまいます。ここにレインボーの三頭体制は終焉を迎える事となるのです。
そして脱退したディオの代わりに加入したのが、オーストラリアが生んだリーゼント野郎(笑)、通称「パワーシャウター」グラハム・ボネットなのです。このグラハムは4オクターブの広い声域とパワフルな声が特徴の素晴らしいヴォーカリストですが、コブシを効かせて歌うディオとは正反対のストレートなシャウトを持ち味とするヴォーカリストとも言えます。プロデューサーのロジャーがベースを担当し、キーボードに実力者のドン・エイリーが加入して1979年に「Down to Earth」(邦題:ダウン・トゥ・アース)をリリースします。
この「ダウン・トゥ・アース」からシングルカットされたラス・バラードのカヴァー曲、「シンス・ユー・ビーン・ゴーン」はこれまでのレインボーからは考えられないようなポップな曲で、イギリスチャートでトップ10入り、アメリカでもスマッシュヒットとなりますが、このようなポップな路線変更にコージーが不満を募らせて脱退してしまいます。この路線変更には少なからず、従来のレインボーファンからも批判が巻き起こりますが、アメリカでの評価という意味では一定の成果をあげたと言ってもいいかもしれません。
しかし、友人のコージーの脱退を受けてグラハムも脱退。後任にはルックスが良く、声質も前任者二人ほどのアクがない正統派ヴォーカリスト、ジョー・リン・ターナーが加入します。ジョーの加入によってリッチーのアメリカ市場向け路線はますます加速し、ジョー在籍時に1981年「I Surrender」(邦題:アイ・サレンダー)、1982年「STRAIGHT BETWEEN THE EYES」(邦題:闇からの一撃)、1983年「BENT OUT OF SHAPE」(邦題:ストリート・オブ・ドリームス)の3作を発表。リッチーのアメリカを意識した戦略によって、ラジオのオン・エアも増えてアメリカ市場の売り上げは伸びましたが、リッチーの思ったほどではなかったようです。
そして1984年3月の日本公演をもってレインボーは活動を休止し、リッチーとロジャーは再結成ディープ・パープルに参加するのです。
再度ディープ・パープルを脱退したリッチーが1994年にソロ・プロジェクトとしてリッチー・ブラックモアズ・レインボーとしてアルバムをリリースしますが、この1枚で再度活動休止し、現在に至る・・・という事になります。
ディープ・パープルとレインボーの違いって?
ハード・ロックファンの間でよく話題になっていたのが、リッチー・ブラックモアが共に在籍していたディープ・パープルとレインボーの比較です。
冒頭でも書きましたが、一般の音楽ファンの間の知名度はやはりディープ・パープルが圧倒していますが、リッチー・ブラックモアファンにはレインボーファンの方が圧倒的に多いような気がします。
理由としては、へヴィ・メタル専門誌である「BURRN!」において前編集長と現編集長がともに大のリッチーファンでレインボーを高く評価しており、BURRN!誌面においても過去の名盤として引き合いに出されたり紹介される事が多いというのがあります。
しかし最も大きな理由は、レインボーはリッチー・ブラックモアというアーティストが全て自分のやりたい音楽をやりたいように出来るバンドであるからです。
ディープ・パープルでのリッチーは、確かに中心メンバーでしたが、あくまでバンドメンバーの一員でした。現に方向性の相違などから2度の脱退を経験しています。
レインボーは全く違います。レインボーはリッチーがやりたい音楽を、リッチーのお気に入りのメンバーで出来るのです。だからレインボーからリッチーが抜ける事はないし、その時はバンドの終わりなのです。
そう、レインボーにおけるリッチーは独裁者なのです。
リッチー・ブラックモアの、リッチー・ブラックモアによる、リッチー・ブラックモアのためのバンド、それがレインボーなのです。
例えロニー・ジェイムズ・ディオだろうとコージー・パウエルだろうとグラハム・ボネットだろうとリッチー・ブラックモアが自身の理想の音楽を追及するための一つのコマに過ぎず、リッチーの意向に沿えなければバンドを去るしかないのです。
しかし、だからこそリッチー・ブラックモアを愛してやまないファンにはたまらないバンドと言えるでしょう。
ディープ・パープルのあの個々のメンバーのエゴがぶつかり合うような凄まじいバトルもいいですが、天才・リッチー・ブラックモアがタクトを振り、その才能を思う存分発揮する事の出来るレインボーの方がわたしも好きかもしれません。
レインボーおススメの名曲
レインボーを聴いた事の無い人におススメするアルバムが難しいバンドですね(汗)
ディオ在籍時とジョー在籍時のアルバムではまるっきり方向性が違うので・・・様式美系のクラシカルなスタイルが好きな人には迷わず2nd「Rising」を薦めますし、ポップでストレートなロックが好きな人には「I Surrender」や「Down to Earth」をおススメしたいのですが、ハッキリ言ってどのアルバムも素晴らしいです(ちなみに自分は「Rising」、ボン・ジョヴィやヴァン・ヘイレン好きな嫁は「Down to Earth」がお気に入りなのです)。
ベスト盤も何枚か出しているのですが、後期の曲が少なかったり、私の大好きな「Lost in HOllywood」が入ってなかったりで、初心者にお勧めできるものがありません。
前期と後期の転換期の作品である「Down to Earth」をとりあえず聴いてみるのが一番無難かもしれません。
ラスト8曲目の「Lost in HOllywood」は紛う事ない名曲であり、レインボーの曲の中でも最も好きな曲の一つです。
そこから前期に行くもよし、後期に行くもよし、ってな感じですかね(べ、別に説明放棄じゃないからねっ)
にしても、リッチー御大も齢70っすか・・・
あっしも年取るわけでさーね(遠い目)
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