毎年夏の恒例の一つとなっているのが日本テレビの「24時間テレビ‐愛は地球を救う‐」。
今年も8月27日(土)~28日(日)にかけて放送される事となります。
そしてこの時期になるとネットを中心として巻き上がるのが、24時間テレビの存在意義や内容に関しての議論。
そこでここではそれらの事柄について考えてみたいと思います。
24時間テレビの歴史と概要
まず、24時間テレビについて簡単な説明を。
1978年に始まった24時間テレビは、今年2016年で39回目を迎えます。毎年テーマを決めてそのテーマに沿った内容で番組が作られています(2016年のテーマは“愛‐これがわたしの生きる道‐”、2015年は“つなぐ‐時を超えて笑顔を‐”など)。
番組は毎年メインパーソナリティを中心として、チャリティーパーソナリティ、番組パーソナリティなどの芸能人が司会進行やコーナー担当を担って番組を進行します。
近年の番組の中心となるのが、障がいを持った人が様々な事にチャレンジする企画や有名人・アスリートなどと障がい者の人たちとのふれあい、さらにもはや名物となっている芸能人によるチャリティーマラソン等を中心に編成されています。
この24時間テレビは放送中に全国各地の日テレ系列放送局などが各地域で募金を募り、更にメイン会場でも募金を受付け、募金は経費を差し引くことなくそのまま各種の支援活動に寄付されています。
24時間テレビに毎年のように批判が浴びせられる原因とは?
上の概要を見ただけではなぜネットでそれほどまでに24時間テレビに対する議論が巻き上がるのか不思議に思われる方もいるでしょう。そこで、ネットニュースで非常に分かりやすいものがありましたので引用してご紹介します。
(一部抜粋)
ネット上では「まさか中止も?」という声や、「もう見たくないから中止しろ」という声も上がっているが、そんなことはあり得ないだろう。『24時間テレビ』は、日テレにとってトップクラスの「ドル箱」として知られている。
「制作費が4億円程度に対して、CM収入が22億円以上とされる同番組を手放すことはないでしょう。チャリティーという点でスポンサー受けは抜群ですからね。毎年10億円近い募金はさまざまな寄付に使われているようでその点では社会貢献度は高いのですが、チャリティー以外で使われているという疑惑も。出演者に高額のギャラが支払われているなど、視聴者が白けるような情報も多いのが実状です」(記者)
社会貢献度は高い、しかし、「チャリティー」をうたっているにもかかわらず出演者にギャラが支払われる状況には、やはり首をかしげざるを得ない。
ビートたけしや明石家さんまも、ギャラが振り込まれるならという理由で出演を辞退しているという話がある。ビートたけしにいたっては「24時間マラソンは車で移動」「偽善番組」とこき下ろしている。
「障がい者を無理に『がんばらせて感動』という演出は、いい加減止めたほうがいいのではと思いますね。障がい者がなぜがんばらねばならないのか、その点が曖昧です。チャリティーマラソンも感動を無理に押し付けている印象もある。感動を“呼ぶ”のではなく“作っている”という感覚はどうしても拭い切れません。福祉や震災の募金活動自体は意義があるので、震災の実状や福祉の実状を流すだけでいいのでは、とも思います。タレントや芸人が多数出演する番組内のコーナーに意味があるとも思えませんし。まあ、もしそういった番組をなくせば視聴率は下がるし、スポンサーもつかないということなのでしょうけど」(同)
この記事の中にほぼすべてのネットでの24時間テレビに対する批判が詰まっていると言えるでしょう。
24時間テレビの存在意義、メリットとは?
わたしなりに考えた24時間テレビの存在意義について述べてみたいと思います。メリットですね。
まず、実際にチャリティー募金が毎年10億円前後集められており、それが社会福祉活動や災害復興、環境活動などに役立てられているという事です。一部には「募金なんて24時間テレビだけではなくて、一年中どこでもやってんじゃん」という声もありますが、やはり24時間テレビというコンテンツの力は大きいですし、これだけの募金はそうそう集められるものではありません。
もう一つの大きな意義は、今まであまり世間に知られていなかった難病や、災害などによって被災した人たちの現状などを広く知らしめる事が出来るという事だと思います。
知る事によって、動く人も現れます。協力しようという人も現れます。知る機会を人々に与える事で困難な物事を動かしていくきっかけにもなります。そのきっかけを作る事が出来るという意味では、やはりこの番組の役割は大きいのではないかと思いますね。
24時間テレビの出演者にはギャラが支払われているのか?
では何が問題なのでしょうか。
わたしが思う一番の問題点は、出演者にギャラが支払われているという事です。
いや、正確に言えば、ほぼ間違いなくギャランティーが発生していると言うべきでしょうか。理由としては、出演者に高額ギャラが振り込まれているというのはあくまで推測、噂の域を出ないからです。日テレサイドでは出演者にはあくまでボランティアで出てもらっているという説明をしています。しかし、以前この番組でメインパーソナリティを務めたダウンタウンの松本人志は、ギャラが振り込まれたとハッキリと発言しています。
お笑いビッグ3の明石家さんまも以前この番組に出演した際、テレビ局に「ギャラは全額寄付する」と頼んだそうです。しかし他の出演者との兼ね合いなどもあって、日テレは寄付する事をせずにさんまさんにギャラを振り込んだそうで、それ以降さんまさんはこの番組に一切出演していません。同じくお笑いビッグ3のビートたけしさんに至っては、以前自身のラジオ番組「オールナイトニッポン」でこう発言しています。
ビートたけし
「24時間テレビから出演依頼がしつこく来てたんだけど全部断ってやったよ。
あんな偽善番組は大っ嫌いだ。誰がなんと言おうと俺は絶対出ないから。
ヨダレ垂らした芸能人どもがこの番組でめちゃくちゃ高いギャラ稼ぐくせに これ以上貧乏人から金巻きあげんな。
チャリティーって言うくらいなら おまえら全員ノーギャラで出ろよ!コノヤロー!!」
確かに海外のこの手のチャリティー番組では、どんな大物タレントやアーティストでもノーギャラでの出演が当たり前となっています。貰うギャラがあるんだったら寄付しなさいよ!!っていうのが世間一般の当たり前の声だからです。まあ当たり前です(笑)。
チャリティー番組を謳っておきながら、出演する芸能人には多額のギャラが支払われている(であろう)というこの矛盾が、この番組が「偽善」と批判される一番の理由だと思いますね。もしも本当にギャラが支払われていないのであれば、しっかりと番組の収支を明らかにして疑惑を晴らすべきだと思いますね。簡単でしょ?しないって事は・・ってみんなが思っちゃいますよね(笑)。
感動押し売り番組の側面が強くなっている近年 乙武洋匡氏のツイートの重要さ
次に批判が多いのが、障がい者の人たちのチャレンジ企画等に対する過剰演出。そのナレーションや企画内容、さらに演出方法、何から何までお涙頂戴感が満載なのです。
「さあ、泣け!」「これで泣けなきゃひねくれ者だぞ?」っていわれているような錯覚さえ覚えて来ます。前述したように、障がいを持つ人たちの苦労や頑張り、さらにおかれている現状やまだ世間一般には認知されていない問題点などが周知されるのは非常に有意義な側面も勿論あります。
ありますが、やはり製作者サイドの過剰な感動押し売り内容に辟易してしまうのも事実なのです。もっとナチュラルに、障がいを持つ人たちの苦労や現状に真摯に向き合う内容で作れないのでしょうか。
ちなみに、「五体不満足」でお馴染みの乙武洋匡さんは、以前24時間テレビに対してこういった内容のツイートを発信しています。
もう十年以上前の話だ。「24時間テレビでメインパーソナリティーを務めてほしい」という話があった。今年で言えば、嵐のポジションだ。「ビジネス」として考えれば、それはオイシイ話だったのかもしれない。だが、断ってしまった。あの番組では、障害者の扱いが一面的であるように感じたからだ。
僕が子どもの頃は、番組もいまより「貧困」に焦点を当てていたように思う。当時は僕も貯金箱の中身を持って、コンビニまで募金しに行った。だが、いつからかずいぶん番組のテイストが変わってきた。そこに登場する障害者は、あきらかに憐憫の情で見られている気がした。僕は、番組を見なくなった。
とかく、人はレッテルを張りたがる。日本人はこういう人、女性とはこういう性格、障害者とはこういう存在――それが無意味なことは、わかっているくせに。障害者だって、同情されたくない人もいれば、同情されたい人もいる。泣きたい人もいれば、泣きたくない人もいる。本当に、いろいろいる。
乙武洋匡ツイートより一部抜粋
これ以上ないほどの正論だと思います。確かに番組のテイストが年々変わってきていますね。以前は世界の難民問題や紛争地帯で障がいを負った子供たち、貧困や飢餓に苦しむ人たちにもスポットを当てていました。まさに「愛は地球を救う」というサブタイトルに相応しい番組だったと思います。そしてその頃にはわたしも24時間テレビのチャリティー募金を見かければ募金に協力していました。
しかし今では、ひたすら感動させる事のみに主眼を置く番組となってしまっている感がありますね。そしてそんな番組の趣旨に対して疑問を呈している人が多数いるという事です。わたしも自然と募金を見かけても足が向く事はなくなってしまいましたね。
やらない偽善か?やる偽善か?批判している人間が何もやっていないとなぜ決めつける?
24時間テレビをを偽善と批判する人に向けていわれる言葉で、
「やらない善よりやる偽善」
という言葉をよく聞きます。
偽善だろうが何だろうが、実際に世の中の役に立っているだろ?お前らは文句言ってるだけで、何か世の中の役に立ってる事やってんのか?
っていう意味ですね、ザックリ言うと(笑)。
わたしは基本的にここ10年くらいは24時間テレビの募金は一切協力していません。しかし、震災関連の募金などをやっていればほぼ必ず募金に協力していますし、難病支援やその他チャリティーのボランティアが駅前などにいれば、小銭が無い時を除いて(汗)、募金には協力するようにしています。
実際に東日本大震災の時や広島土砂災害の時などは募金集めのために奔走ましたし。
まあ何もせずに批判だけしている人も中にはいるでしょうが(苦笑)、ちゃんと何かしらの貢献はしていながら批判している人もたくさんいると思います。
問題は、ここまで書いてきたような番組の矛盾やあまりにも偏った制作サイドの意図などに対して拒否反応を示す人が多数いるという事であり、そういった部分からの批判だと思います。
近年の24時間テレビは、チャリティー番組というよりも、感動エンターテイメントの側面の方がかなり色濃く出ているのは間違いないと思います。
ネット社会となった今、テレビに向けられている目は以前よりもはるかに厳しくなっており、ユーザーのメディアやコンテンツに対するリテラシーも上昇の一途を辿っています。そういう意味ではこの24時間テレビは間違いなく大転換を迫られています。
しっかりと視聴者の批判や疑問に真摯に向き合い、時代に即した内容に変えていかなければ時代遅れのコンテンツとなって衰退していくばかりだと思いますね。
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