1991年11月24日、一人の天才ミュージシャンがその生涯を終えました。
クイーンのヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーが45歳の若さでこの世を去ったのです。
以前からHIV感染の噂が根強くあり、前日にはHIV感染を公表したというニュースが駆け回っていたのである程度は覚悟していたものの、実際に訃報に接した時はやはりショックでした。ニュースでフレディ逝去の報に接した時は、驚き、悲しみと同時に
「ああ、これでクイーンは無くなったんだ・・」
と思いました。
フレディ無しのクイーンはあり得ないものでしたから。その思いはクイーンファン全てが同じだと思います。ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコンもそれぞれがソロで活躍できるほど優れたミュージシャンでしたが、フレディは天才でした。陳腐な表現かもしれませんが、まさに100年に一人の天才と言ってもいいかもしれません。
フレディ亡き後もクイーンは解散はせずに続いていますが、やはりフレディの代わりはいません。当然です、不世出のミュージシャンですから。
今回はそんな偉大なるバンド、クイーンの個人的ベスト10を選んでみたいと思います。
が、最初に言っておきます。独断と偏見です。それに、わたしがハード・ロック、へヴィ・メタル好きという事もあり、恐らく(いや間違いなくw)ハードロック要素が強かった初期の曲が多いと思いますがご容赦ください。何せ独断と偏見ですから(笑)。
あと、タイトルはフレディ・マーキュリーの名曲となっていますが、ブライアン・メイ作曲のナンバーも何曲かありますので悪しからず(汗)。あくまでフレディ在籍時のクイーンって意味ですんで。
10位 ストーン・コールド・クレイジー Stone Cold Crazy
1974年発売の3rdアルバム「シアー・ハート・アタック(Sheer Heart Attack)」収録。
最初に書きましたが、クイーンの初期はハードロックバンドにカテゴライズする人もいるほどに、ハードなサウンドを聞かせていました。
この曲はへヴィ・メタルファンにはお馴染みの曲です。
というのも、アメリカのHMバンドの大御所・メタリカがこの曲をカヴァーしているのです。これがまたカッコよくって、改めて初期クイーンのハード・ロック、へヴィ・メタルとの親和性の高さを思い知る事が出来ます。機会があれば是非メタリカヴァージョンも聞いてみてください。
ブライアンのハードなギターリフで幕を開けるこの曲は、フレディの早口ヴォーカルとともに駆け抜ける疾走ナンバーです。2分20秒という短さですが、息を突かせぬ緊張感です。クイーン史上最も速い曲の一つと言ってもいいでしょう。ただし、非常に中身は濃いです。
早口すぎてカラオケで歌うのは絶対無理だと思わせる曲でもあります(笑)。
9位 ネヴァーモア Nevermore
1974年発売の2ndアルバム「クイーンⅡ(QueenⅡ)」収録。
この「Nevermore」が収録されているクイーンⅡは、1~5曲目がホワイトサイド、6~11曲目がブラックサイドと名付けられています。ホワイトサイドはブライアン・メイの曲が中心で構成されており、ブラックサイドはフレディの曲のみで構成されています。
この曲はブラックサイドの3曲目(全曲では8番目)に収められた1分少々の短い曲です。
クイーンⅡは個人的にクイーンのアルバムの中でも最も好きなアルバムです。中でもブラックサイドは凄まじいほどの出来であり、フレディの鬼気迫るほどの才能が散りばめられている最高傑作です。このネヴァーモアは短編ですが、まさにフレディ節満載の美しい曲です。
ピアノの美しい旋律に乗ってフレディの珠玉のメロディが聴く者の心を打つはずです。
大傑作のブラックサイドでは一際短い曲ながら、その美しさは際立っています。クイーンの全ての曲の中でも最も美しい曲といってもいいかもしれません。その短さと美しさはまさに「美人薄命」という言葉そのものかもしれませんね。
8位 グレイト・キング・ラット Great King Rat
1973年発売の1stアルバム「旋律の女王(Queen)」収録。
クイーンの記念すべきデビューアルバムに収められている、5分以上の超大作です。ドラマティックな曲展開、強靭なギター・リフ、キャッチ―なメロディと、初期クイーンのひな型のようなナンバーです。既にこの後の飛躍を予感させるに十分な名曲ですね。若さゆえの勢いと溢れる才能が同居していて、それがこの曲の特徴とも言えるかもしれません。
後にスーパーバンドとなるクイーンですが、デビュー当初は本国イギリスの音楽評論家などに酷評されていました。「女子供向けバンド」のレッテルを貼られ、「時代遅れのグラムロック崩れ」という有り難くない形容もされていました。そんな中、クイーンは日本で熱狂的な支持を受けます。その日本での熱狂ぶりにメンバーたちは大感激し、以降は世界的バンドとなった後も、
「日本は僕たちにとって特別な国なんだ」
と言い続けて来ました。クイーンにとってはこの言葉は決して社交辞令などではないのです。
7位 ボヘミアン・ラプソディ Bohemian Rhapsody
1975年発売の4thアルバム「オペラ座の夜(A Night At The Opera)」収録。
クイーンの数ある名曲の中でも最も有名であろう曲の一つです。イギリスでは史上最高の売り上げを記録した曲であり、その記録は今なお破られていません(チャリティーソングを除く)。まさに母国イギリスのアンセムと呼んでもいいほどの曲ですね。
たまにこの曲を「バラード」と呼ぶ人がいますが、個人的には「バラード」でくくれるほど底の浅い曲では到底ありません。確かに前半はバラード調なのですが、そこから二転三転していきます。ブライアンの感動的なギターソロからオペラ調の重厚なコーラスが入り、再びブライアンの感動的なギターで最高潮へと駆け上り、最後は再び静かなピアノとともに幕を閉じます。
この曲を聴いてると、何かと音楽をカテゴライズしようとする自分がとても小さい人間に思えてきます。つか、この曲はカテゴライズできません。てか、クイーン以外にこんな曲作れまへん(笑)。
フレディ・マーキュリーという男の恐ろしさを初めて世界中が認めた曲であるともいえるのかもしれませんね。
6位 ショウ・マスト・ゴー・オン The Show Must Go On
1991年発売の14thアルバム「イニュエンドゥ(Innuendo)」収録。
フレディ・マーキュリー生前の最後のスタジオアルバムであり、実質上のラスト・アルバムのラストの曲です。フレディの死後、フレディの残した未完成の4曲の音源を編集して収められた「メイド・イン・ヘヴン」がクイーンのラスト・アルバムとして発売されましたが、やはりクイーンの、いやフレディの最期のアルバムはこの「イニュエンドゥ」だと思います。
フレディのキャリアの最後を飾るにふさわしい、言いようもないほどに美しくて儚くて切ない曲が、ラストアルバムの最期の曲である、この「ショウ・マスト・ゴー・オン」なのです。
この曲の中でフレディは、
どんなに困難に陥っても、化粧がはがれても、心は折れそうになっても、ショーを続けなければならない、ショーは続けてゆかねばならない・・
と繰り返し歌っています。
病魔に侵されたフレディがどのような心境でこの歌詞を書き、歌っていたのかを考えただけで胸が張り裂けそうになります。まさに唯一無二の天才アーティスト・フレディ・マーキュリーの魂の咆哮がここにはあります。
この曲のプロモーション・ビデオは、フレディの体調悪化によって、これまでのクイーンの映像を散りばめた内容になっていますが、それが逆にまた悲しさを際立たせます。元気なころのフレディの姿やブライアン、ロジャー、ジョンとの仲良さげなショットが何とも言えません・・
最後の最後まで天才は天才のまま、見事にショーをやり遂げてあの世に旅立っていきましたね。
5位から1位編に続く
5位から1位編はこちらをご覧ください
コメント
本日初めてこのサイトを開き,あなたがフレディのファンかと思い喜んで読んでいたら(私もフレディ大好きなもので)、6位ショウ・マスト・ゴー・オンで「えっ?」てなってしまいました。
ショウ・マスト・ゴー・オンはブライアンの曲です。フレディが書いたものではありません。
病魔に侵されたフレディがこの曲をブライアンから見せられた時のことを思うと私は胸が痛みます。どんな思いでフレディがこの曲を受け止めたのだろうと。どんなにつらかっただろうと。
ブライアンはフレディ亡き後の事を想定して書いているわけで(まだフレディは生きているというのに)、、、
だから、今でも私はこの曲を聞くことができません。出てきたらいつも飛ばしてしまいます。フレディの痛みを感じてしまい、この曲を聴けません。
ご指摘ありがとうございます。
思いっきり勘違いしていたみたいですね。20数年間も・・(笑)
確かにこの歌詞を書いたのがブライアンだったと知ったら、この曲に対する思いは全く違ったものになってしまいますね。今のわたしがまさにその心境・・(涙)
クイーン無しのフレディはあり得ないものでしたから。
ここは、
フレディ無しのクイーンはあり得ないものでしたから。
ではないでしょうか。。蛇足。
ご指摘ありがとうございます、おっしゃる通りです。
訂正しておきました。失礼しました(爆汗)
旋律の王女は、戦慄の王女の間違いですよね?
それと、これは人によって感じ方は違うのですが、
『The Show Must Go On』の歌詞などはブライアンメイが書き、フレディマーキュリーに捧げましたが、
勿論、フレディもこの歌詞について考えた上で、歌いました。
当初、体調の尋常ではないほどの悪化により高音がでないよね、と聞いたブライアンメイに歌える、とあの素晴らしい歌声で返したのは有名です。
ブライアンメイが悪いような言い方はあまりよくないのではないでしょうか。
それと、この曲を歌った頃(1988-1991頃)は、フレディが、もう先が長くないからとにかく歌をつくって(歌詞を書いて)とメンバーに言ったそうです。
また、私にとってはフレディがエイズにより認知症を患いながら歌った『I’m Going Slightly Mad』(私は少し狂っている)を聴くと他の『These Are The Days Of Our Lives』や『The Show Must Go On』を聴くときよりも涙が出ます。