香川真司 ドルトムント、マンUなどクラブ移籍の歴史 プレミアリーグで成功できなかった3つの誤算とは?

今や世界で最も成功している日本人サッカー選手と言っても過言ではない、香川真司選手。

同時に世界で最も有名な日本人フットボーラ―でもあります。

そんな香川真司選手の移籍の歴史を振り返ると同時に、これからについて考えてみたいと思います。

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高校卒業前にプロ契約を結んだ初のJリーガー・香川真司

まずは香川真司選手のプロ入りまでの簡単な経歴を振り返ってみましょう。

1989年3月17日生まれの香川選手は現在27歳。

兵庫県神戸市垂水区に生を受けた香川選手がサッカーを始めたのが幼稚園時代。その後は地元のサッカークラブに通いながら小学校四年生時には神戸市選抜に選ばれるほどになり、五年生の時には所属する神戸NKサッカークラブ(現センアーノ)監督から宮城県のFCみやぎバルセロナへのサッカー留学を勧められます。

中学生になると同時に宮城県へサッカー留学し、U-15日本選抜にも選ばれるなど、同世代ではトップクラスの選手へと成長。

高校は宮城県の黒川高校へと進学。二年生の時にはU-18東北代表に選ばれ、仙台カップで活躍するなど、プロに注目される存在となります。

そして高二の冬の2005年12月には若干16歳でJリーグのセレッソ大阪と仮契約を交わし、年明けに正式契約。

高校卒業前にプロ契約を交わしたのはこの時の香川真司選手が初であり、この頃からセレッソの選手獲得の先見性の凄さが際立ちますね(ユースチームからの昇格は除く)。どちらにせよ、プロ入り前からその実力と将来性は同世代の間では頭一つ抜きんでた存在だったという事ですね。

日本での恩師・クルピとの出会いで日本を代表する選手へと成長

セレッソ入団後の香川真司の最も大きな幸運は、レヴィー・クルピという、歴代のJリーグ監督の中でも屈指のブラジル人の名将と出会い、その才能を見出された事でしょう。

クルピによってレギュラーに抜擢された香川選手は、2008シーズンには16得点を記録し、日本代表デビューを飾りました。翌2009シーズンはJ2 ながらも27得点を挙げてJ2得点王を獲得し、チームのJI復帰への立役者となります。

翌2010シーズンにも開幕11試合で7ゴールを挙げる活躍を見せ、ヨーロッパの移籍市場真っ盛りの7月には、ドイツの名門、ボルシア・ドルトムントへの移籍が決定します。

移籍金はわずか4000万円。まあまだヨーロッパで未知数の日本の21歳の若者ですからこんなものでしょう。それにしてもこの移籍には本当に驚きましたね。この頃のドルトムントといえばどちらかというと過去の名門という位置づけであり、才能は疑う余地が無いものの、まだ海外移籍は無いだろうと思われていた香川真司に目をつけたという事が意外でしたね。

さすがは名将ユルゲン・クロップ!!というべきでしょうか。わずか4000万でドイツに渡った世界的には全く無名の日本人選手がいきなりレギュラーを獲得し、1年目からドイツブンデスリーガ制覇の原動力となり、2年目にも2連覇を果たしてしまうのですから・・

このドルトムントでの活躍によって、香川真司は世界で最も有名な日本人サッカー選手となるのです。

ゲーゲンプレスの生みの親、クロップによって見出された無名の日本人選手

香川真司選手の日本での躍進の恩師がクルピだったとしたら、海外での恩師は間違いなくドルトムントの指揮官であるユルゲン・クロップでしょう。

彼は前線からの熾烈なプレスによるショートカウンターで試合の主導権を握る「ゲーゲン・プレス」と呼ばれる戦術でドイツの頂点に立ったと言われていますが、才能あふれる若手の発掘も大きな特徴です。この若き名将と出会っていなければ間違いなく現在の香川真司はいなかったはずです。

クロップによって才能を見出され、世界的なフットボーラ―になった選手は、レヴァンドフスキ、ゲッツェ、ロイス、グロスクロイツ、オーバメヤン、フンメルス、ギュンドアン、シャヒン・・と枚挙に暇がないほどです。

しかしこれらクロップの門下生の多くは、世界的選手になると同時に世界各国のメガクラブへと巣立っていく事となります。皮肉な事ですが、経営的には肥大化する選手の年俸でメガクラブと張り合えるだけの経済力はドルトムントには無く、育てた選手の移籍金によってクラブの経営を安定化させるというのが現状でした。

そしてその波は香川真司にも押し寄せました。

ドルトムント移籍2年でブンデス2年連続優勝を果たし、不動のトップ下として中心選手の座を不動のものとしていた香川真司に触手を伸ばしてきたのは、世界一裕福なイングランドプレミアリーグの中でも最も歴史ある名門、マンチェスター・ユナイテッドでした。

マンUの至宝、ウェイン・ルーニーのトップ下での働きが期待された香川真司

ユナイテッドと4年契約を交わした香川の獲得を熱烈に希望したというのが、当時のマンU監督であったサー・アレックス・ファーガソンでした。ユナイテッドを率いて27年目、マンUの黄金期を作り上げ、幾多のタイトルを獲得してきた世界屈指の名監督です。

ファーガソンは前年のUEFAチャンピオンズリーグでグループリーグ負けを喫した時に、サッカーの根本を変える必要性を痛感し、当時最も先鋭的であり最先端とも言われたドルトムントのサッカーの中心であった香川真司に目をつけたと言われています。

ファーガソンのサッカーはハッキリ言って戦術的には近代的なものではなく、ファーガソンの監督としての凄さは巧みなターンオーバーと、選手のモチベーションを保つモチベーターとしての凄さでした。

そんな当時のユナイテッドのメンバーの中で違いを作り出せる選手といえば、ウェイン・ルーニーくらいのものでした(ライアン・ギグスやポール・スコールズは既に大ベテランの域に入っていたので省きます)。ファーガソンの獲得意図はハッキリしていましたね。

ルーニーとともに前線で創造性を発揮してほしいという事です。ルーニーをトップ、香川をトップ下に固定して二人のコンビで相手守備を切り崩すという役割です。クラシカルなサイド攻撃とロングパス戦術からの脱却ですね。

しかし、このファーガソンの戦略はある大きな誤算によって狂いが生じます。この誤算はファーガソンとユナイテッドにとっては嬉しい誤算だったのですが、マンチェスター・ユナイテッドで勝負をかけようという矢先の香川真司にとってはプレミアでのキャリアの全てを左右するほどの手痛い誤算となってしまったのです。

誤算その1 予定外のプレミア得点王・ファンペルシーのマンU移籍

香川真司がユナイテッドに移籍して直ぐに起きたこの誤算とは?

それは前年シーズンにアーセナルでプレミア得点王となった点取り屋、ロビン・ファン・ベルシーのマンU移籍が決まった事でした。

ユナイテッドのファン・ペルシー獲得は幸運ともいえるものでした。ファン・ペルシーの移籍先はマンチェスター・シティやイタリアセリエAのユベントスなどが有力とされており、ユナイテッドは本気で獲る気ではなかったのですが、ファン・ペルシーの移籍交渉が難航しているうちにユナイテッドが獲得出来てしまったという類いのものだったのです。

生粋のストライカータイプであり、ワントップの形で最も能力を発揮できるファン・ペルシーの予期せぬ獲得によって、当初はワントップ候補であったルーニーは自然とトップ下のポジションで起用される事となりました。

そしてトップ下候補であった香川真司は押し出されるように左サイドで起用されるようになったのです。

数試合だけ実現したフォワード・ルーニー、トップ下香川真司というユナイテッドの布陣は夢を見させてくれるに十分なほど魅力的でした。ルーニーと香川が縦に並ぶこの形は、二人がワンツーで崩したり、ポジションチェンジによって相手ディフェンダーを翻弄させるなど、昨年には無かったユナイテッドの攻撃を作り出していただけに本当に残念でしたね。

左サイドで試合出場を重ねた香川真司でしたが、ゴール前中央に陣取って足元でボールを欲しがるタイプのファン・ペルシーとは絶望的なほど相性が悪かったですね。香川の本質はセカンドストライカータイプであり、ゴール前のスペースに入り込み、狭いところで決定的な仕事をするのが持ち味です。決して決定的なラストパスでアシストを量産するタイプではありません。前線で複数の選手が動いて連携しながらゴールやアシストを量産していくタイプの選手です。そういう意味で「地蔵」と揶揄されるほどエゴイスティックで運動量の少ないファン・ペルシーとは合うわけもなく、次第に香川のプレーからは輝きが失われていきました。

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誤算その2 名将・ファーガソンの退任と迷将(笑)モイーズの監督就任

結局香川真司のプレミア1年目の挑戦はリーグ戦20試合出場で6得点と、不完全燃焼な結果に終わりました。

そしてプレミア2年目となる2013シーズン開幕前に香川真司を2つ目の誤算が襲います。

香川をマンチェスター・ユナイテッドに引き入れてくれたアレックス・ファーガソンが退任し、後任に前エバートン監督のデヴィッド・モイーズが就任したのです。

モイーズという監督は、エバートンをプレミア中位に押し上げてその座をキープさせるなど、プレミアの監督の中でもその手腕には定評のある監督でした。

しかしそれはあくまで下位チームを中位に導く手腕であり、ユナイテッドのようなヨーロッパでも有数のメガクラブを率いる手腕には最初から疑問符が付けられていました。

その大きな理由はただ一つ。とにかく志向するサッカーが古い、これに尽きます。イングランド伝統のパスアンドゴーを体現するような中盤省略のサッカーに加え、何とかの一つ覚えのように繰り返されるサイドからのクロスの嵐。サイドから、そして後方から最前線のファンペルシー目がけてボールを放り込むだけのあまりにも前時代的なサッカーに、当然チームは上位浮上のきっかけを掴めないままシーズンは過ぎていきました。

前年に引き続き左サイドでの出場がメインであった香川真司は得意とする中央への絞りやゴール前への顔出しを極度に制限され、サイドでの突破やクロスを強いられて光を失っていきました。終わってみれば2013-14シーズンは18試合出場でなんと得点なし。屈辱のシーズンとなってしまい、チームも7位に沈んでチャンピオンズリーグはおろか、ヨーロッパリーグの出場権まで逃してしまうという屈辱を味わう事となりました。

結局モイーズは1年で解任。指揮官としての名を地に落とす形でマンチェスターを去る事となったのです。

皮肉な事にユナイテッドで香川真司の指揮官となったモイーズは日本でカルト的な人気を誇る事となりました。「クロスの鬼」、「フットボール・ジーニアス(サッカーの天才)」などという異名をつけられ、ネットでは「モイモイ」と呼ばれて一躍お笑い要員となってしまいました(笑)。まあ確かに面白監督としてのスター性はありますよね。1年でここまでユナイテッドを壊す事が出来たのはまさに奇跡に近いと思います。

誤算その3 とどめはサッカー界一の嫌われ者、ルイス・ファン・ハールの指揮官就任

フットボール・ジーニアス、「モイモイ」の後任は、実績は超一流でありながらその人間性には常に疑問符がつけられていた問題児、オランダ人のルイス・ファンハールでした。

マンUから再建を託されたファン・ハールはクラブの後押しもあって就任直後から巨額の金額を投資して一流選手をかき集めます。完全にファン・ハールの構想外となっていた香川真司は、プレシーズンマッチではこれまでほとんど経験の無かったセントラルミッドフィールダーで試されるなど、完全に2列目の選手としては失格の烙印を押されてしまっていました。

そして遂に香川は夏の移籍期限ぎりぎりの2014年8月31日に古巣ドルトムントへの移籍を決意するのです。

この移籍は当然でしょう。ドルトムント移籍の結果がとうであろうと、ファン・ハールのもとではチャンスさえ与えられなかったでしょうから。

前線の選手との連携によって相手を崩すのに長けていた香川真司にとって、攻撃に人数をかける事を良しとせず、あくまで1対1の状況で違いを作り出せる選手を好むファン・ハールとは絶望的なまでに隔たりがありました。どちらがどうという事ではなく、監督が志向する戦術に合わない選手は使ってもらえない、ただそれだけの事です。

ですから香川真司にとってファンハールの要求を満たすようプレースタイルを変えるか、去るかの二択しかありませんでした。そして後者を選んだのです。

ちなみにファンハールについては以下の記事で詳しく記述していますのでよかったら参考になさって下さい。

マンU低迷の原因はファン・ハール?スコールズの大胆批判に見るユナイテッドの問題点を独断と偏見でw

ともかく、香川真司のマンチェスター・ユナイテッドにおけるイングランドプレミアリーグの挑戦はわずか2年で幕を閉じる事となったのでした。

ユルゲン・クロップが香川を最大限に評価している事を示したあるコメント

ドルトムント復帰後はいきなり復帰戦でゴールを決めたものの、その後は精彩を欠き、チームもクロップ就任以来最悪の成績で低迷、結局クロップは辞任となり、香川真司も不本意な復帰1年目となりました。

ちなみに恩師であったクロップは、プレミア移籍後の香川の動向を気にしていたことでも知られており、ドルトムント時代にトップ下で輝いていた愛弟子が慣れない左サイドで起用され続けているのを見て、メディアにこう答えた事がありました。

「シンジは世界でも最高の選手の一人だ。そして今彼はユナイテッドで左ウイングで使われている。涙が出るよ。彼の居場所は中央なんだ。シンジは今まで見た中でも最も得点能力に優れた攻撃的ミッドフィールダーなんだ。(中略)別れの時には彼と私は20分間も泣いてしまったんだよ。」

素晴らしい恩師ですよね。そして世界でも有数のこの名監督にここまで言わせてしまう香川真司。やっぱり彼の戻るべき場所はドルトムントにあったのだと再確認させられるようなコメントですね。

監督がトーマス・トゥヘルに代わったドルトムント復帰2年目は、4-3-3のインサイドハーフでの起用という難しいミッションもきっちりこなし、チームの2位浮上に大きく貢献しました。同時にユナイテッド移籍以降霞んでいた輝きが戻ってきたシーズンでもありましたね。

トップ下でもインサイドハーフでも出来るというユーティリティ性を示したシーズンでもあり、間違いなくサッカー選手としての幅が広がったシーズンとなりました。

こう見てみると、ユナイテッドでの失敗には大きく3つの誤算があったのは間違いありませんが、決してあの経験は無駄にはならないと思います。あの程度の誤算はユナイテッドクラスのメガクラブには日常茶飯事の事であり、熾烈なポジション争いやクセのある監督の下でのプレーなど、香川選手にとっては一回り大きくなるうえで非常に大きな経験値となったはずです。

次のドルトムントとの契約更新が年齢的にも移籍のラストチャンス?

香川選手にとっては次のドルトムントとの契約更新の時期が恐らく最後のビッグクラブ移籍のチャンスとなる事でしょう。

そこで香川選手がどういう決断を下すのか?

ドルトムントと契約延長してドルトムントに骨を埋める事を選ぶのか?

それとも年齢的に最後のチャンスと見て、もう一度新たな挑戦を仕掛けるのか?

もちろん移籍は相手クラブとの兼ね合いもある事ですし、そのシーズンの出来などにも左右されるので非常に流動的なものです。

しかしプレミアでの苦い経験によって間違いなく香川真司という選手は一皮剥けました。ビッグクラブへの挑戦のチャンスはやってくるはずです。

その時に香川選手がどんな選択をするのか?非常に楽しみですよね。

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