プロ野球史上完全試合達成投手一覧➂平成初の巨人投手や阪急のエース、ロッテや近鉄、東映のMrパーフェクト達

野球における大記録の一つであり、投手にとっての夢ともいえるのが「完全試合」。「パーフェクトゲーム」とも呼ばれる、投手にとっては最高の栄誉であり夢の記録、しかしそれ故にとんでもなく高い難易度を誇っている大記録、それが「完全試合」なのです。

ここではそんな夢の大記録、「完全試合」を成し遂げた日本プロ野球界の大投手たち15人のうちの5人(6人目~10人目)をご紹介したいと思います。

完全試合達成投手の1人目から10人目についてはそれぞれ以下の記事をご覧ください。

日本プロ野球界の完全試合達成投手➀1人目から5人目

日本プロ野球界の完全試合達成投手➁5人目から10人目

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佐々木宏一郎(ささきこういちろう/近鉄バファローズ) 1970年(昭和45年)対南海ホークス

スコア :近鉄3-0南海ホークス
達成日 :昭和45年10月6日
球  場:大阪球場
達成投手:佐々木宏一郎(ささきこういちろう)
生年月日:1943年(昭和18年)8月30日
没年月日:1989年(平成元年)5月12日(満45歳没)
通算成績:132勝152敗4S

日本プロ野球における完全試合達成投手にはアンダースロー投手(下手投げ)が多いのですが、この佐々木宏一郎投手もそのうちの一人です。そしてこの佐々木宏一郎投手の人生には不思議と完全試合達成者との縁がついて回ります。

まず、この佐々木宏一郎投手は岐阜短大付属岐阜高校卒業後に入団した大洋ホエールズをたったの1年でクビ(解雇)になってしまいます。現在では信じられませんが、その理由は佐々木という投手が新たに入ってきて佐々木姓が二人になってしまうという事だったからだといわれています。そのもう一人の佐々木投手こそ、1966年(昭和41年)にパーフェクトゲームを達成した佐々木吉郎投手だったのは運命のいたずらというべきでしょうか。

そして大洋を1年でクビになった佐々木宏一郎投手を拾ってくれたのが近鉄バファローズ。当時別当薫監督の下で投手コーチを勤めていたのが現役時代には同じ右のアンダースローだった武智文雄投手コーチ。同郷の岐阜県出身で同じアンダースローだった武智投手コーチは別当監督に「責任は自分が取る」といって近鉄の入団テストを受けた佐々木投手の入団を直訴したといわれています。そして入団した佐々木投手はサイドスロー気味だった投球フォームを武智コーチの指導によってより下手投げへと改造。これが功を奏して球威を増した佐々木投手は近鉄入団2年目にして早くも2ケタ勝利を奪う程の投手に成長します。そして愛弟子の成長に対して武智文雄コーチは自分がつけていた背番号「16」を佐々木宏一郎に譲り、自身は佐々木のつけていた「62」を貰い受けました。

そして佐々木がキャリアハイとなる17勝を挙げた昭和45年に完全試合という大記録が達成されたのです。これをプロでの恩師である武智がどのような想いで見ていたかは想像に難くありませんよね。

ちなみに佐々木宏一郎を育てた武智文雄は、プロ野球史上2人目の完全試合達成者でした。本当に運命というものは存在するのだと思ってしまうような巡り合わせですよね。

高橋善正(たかはしよしまさ/東映フライヤーズ) 1971年(昭和46年)対南海ホークス

スコア :東映4-0西鉄ライオンズ
達成日 :昭和46年8月21日
球  場:後楽園球場
達成投手:高橋善正(たかはしよしまさ)
生年月日:1944年(昭和19年)5月5日
通算成績:60勝81敗7S

プロ野球史上12人目の完全試合達成投手がこの高橋善正投手です。高知県の強豪・高知商業から東都大学の名門・中央大学へ進んだのちに東映フライヤーズへ入団し、1年目でいきなり15勝を挙げて新人王を獲得する等、東映のローテーション投手として活躍しました。

そんな高橋投手の偉業達成は入団5年目の1971年。この年の成績は7勝11敗と芳しいものではありませんでしたが、この8月21日の西鉄戦はまさに乾坤一擲の力投を見せてくれました。

高橋投手本人によればこの日の高橋投手の調子は最悪だったそうです。ブルペンから球威はなく、本人曰く「1回も持たんかもしれん‥」とまで思うほどに出来は悪かったのだとか。しかしそれを逆手に取った投球を展開する辺りが流石です。球威のないストレートと、自身最大の武器である鋭く曲がるシュートは敢えて見せ球として、カーブ・スライダーを軸としたピッチングを展開するのです。これがハマり、相手はシュート投手の高橋善正の幻影に翻弄されて凡打の山を築き、大記録達成となりました。27アウトの内訳で奪三振はわずかに1つだけ。実に15のアウトを内野ゴロで築くという、まさに打たせて取る頭脳的ピッチング、投球術の妙というやつです。

引退後は巨人、中日、日ハム、大洋のピッチングコーチを歴任し、最後は母校・中央大学の監督も務めた名伯楽・高橋善正氏。まだまだその経験と技術を多くの野球人に伝えていってほしい人ですね。

八木沢壮六(やぎさわそうろく/ロッテオリオンズ) 1973年(昭和48年)対太平洋クラブライオンズ

スコア :ロッテ1-0太平洋クラブライオンズ
達成日 :昭和48年10月10日
球  場:宮城球場
達成投手:八木沢壮六(やぎさわそうろく)
生年月日:1944年(昭和19年)12月1日
通算成績:71勝66敗8S

プロ野球ファンにはもうお馴染みの八木沢壮六さんがプロ野球史上13人目パーフェクトヒッターです。プロ野球解説者として、監督・コーチとして有名な野球人ですね。

八木沢投手が完全試合を達成したこの1973年という年は、八木沢壮六投手の現役時代唯一のタイトルである最高勝率を獲得した年でもあります。このタイトル獲得も完全試合達成に大きく関係しているのです。

実はこの年の八木沢投手の登板は中継ぎが多くなっており、最高勝率のタイトルを取るためにはイニングを投げて規定投球回数に到達する必要がありました。最高勝率のタイトルが狙えた八木沢投手にタイトルを取らせるべく、イニング数を投げられる先発として起用したのがこの昭和48年10月10日の太平洋クラブライオンズ戦だったのです。

そしてタイトル獲得のために登った先発マウンドで八木沢投手は期待にたがわぬ投球を見せます。この試合では八木沢投手の生命線ともいえる緻密なコントロールがより素晴らしく、なんと27人の相手打者に対して一度も3ボールまでいきませんでした。3ボールが1度もないというのは、NPBの15回の完全試合の中で、この八木沢投手が達成した試合だけです。なお、この試合で完全試合を達成した八木沢投手ですが、入団7年目にしてこの試合が自身初の完封試合でもあったというのもまた凄いですよね。初完封が完全試合だったという事です。

引退後はロッテ監督を初め、西武、横浜、巨人、阪神、オリックス、ヤクルトの投手コーチと、7球団で監督・コーチを勤めた名投手コーチとしても有名な八木沢壮六さん。現在は全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ)の理事長を務める大物は完全試合達成投手でもあったのです。

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今井雄太郎(いまいゆうたろう/阪急ブレーブス) 1978年(昭和53年)対ロッテオリオンズ

スコア :阪急5-0ロッテオリオンズ
達成日 :昭和53年8月31日
球  場:宮城球場
達成投手:今井雄太郎(いまいゆうたろう)
生年月日:1949年(昭和24年)8月4日
通算成績:130勝112敗10S

いよいよ日本プロ野球史に残るパーフェクト投手も残すところあと2人。ここら辺りからはよく知っているプロ野球ファンも多いでしょうが、敢えて最後までご紹介します。

史上14人目の完全試合投手は当時阪急ブレーブスの若手投手だった今井雄太郎投手。「酒仙投手」として有名な酒にまつわる豪快なエピソードは枚挙にいとまがありません。素面の時は極度のあがり症であったことから試合で実力が発揮できずに伸び悩んでいた今井投手に対して、現役時代は254勝を挙げた名球界投手である当時の梶本隆夫投手コーチが試合前にコップ一杯のビールを飲ませてマウンドに上がらせた話はあまりにも有名です。それで見違えるようなピッチングを見せたというのもまた今井雄太郎らしい逸話です(笑)。酒を飲んだら見違えるように凄くなるというのは、まさにジャッキー・チェン主演の映画「酔拳」を地で行くような爽快さです。そんな部分も今井投手が未だに多くのファンに愛され続けている理由でしょう。

その人柄とキャラクターからすべてのファンと野球人に愛されている今井雄太郎投手の達成した完全試合は「昭和時代最後の完全試合」として多くの人に記憶されています。とともに、15度達成された完全試合の中でもDH制(指名打者制度:投手が打席に入らずに代わりに守備に就かずに打つだけの指名打者が打席に立つ事)の中で達成された唯一の完全試合です。そして現時点でパシフィック・リーグにおいて達成された最後の完全試合となっています。

ちなみに今井雄太郎投手は完全試合を達成する前年の昭和52年までは僅かに6勝。能力的には素晴らしいといわれながら、「蚤の心臓」といわれるほどの精神力の弱さ故に1軍に定着できずにいましたが、この昭和53年だけで完全試合の1勝を含む13勝。その後は最多勝を2度、最優秀防御率を1度獲得する等、阪急のエース格へと変身を遂げる事となりました。梶本コーチの1杯のビールは眠れる獅子を起こしたといっても過言ではないとてつもなく価値のある一杯だったのかもしれません(笑)。

槇原寛己(まきはらひろみ/読売巨人軍) 1994年(平成6年)対広島東洋カープ

スコア :巨人6-0広島カープ
達成日 :平成6年5月18日
球  場:福岡ドーム
達成投手:槇原寛己(まきはらひろみ)
生年月日:1963年(昭和38年)8月11日
通算成績:159勝128敗56S

さあいよいよ最後の完全試合戦士、15人目の完全試合達成投手です。もうご存知ですよね?読売ジャイアンツの槇原寛己投手です。今では野球中継やスポーツニュースでも紹介の時に名前の前に「ミスターパーフェクト」と呼ばれる程、槇原寛己といえば完全試合という図式になっています。

この試合はゴールデンタイムに地上波全国放送で生中継されたので、リアルタイムで見たというファンもかなり多い事と思います。わたしも見たのですが、とにかく凄い緊張感でしたね。特に巨人の守備陣のヒリヒリするような緊張感は見てるこちらにまでビンビンに伝わってきましたよね。完全試合を達成した瞬間は、歴史的試合に立ち会った感動で全身が震えたのを昨日のように覚えています。

実はこの試合を含めたカープと巨人の試合は福岡遠征の試合であり、槇原投手はこの完全試合達成の前々日に中州へ飲みに繰り出して門限を破ってしまい、それを当時の堀内恒夫ピッチングコーチに見つかって外出禁止令を言い渡されたそうです。そしてその外出禁止令を解除できるかどうかがこの試合での槇原投手のピッチングにかかっていたといいます。そんな緊張感とモチベーションの中から生まれた記録でもあるこの偉業。槇原投手の門限破りを見破って外出禁止令を出した堀内恒夫コーチはこの大記録の陰の立役者といえるかもしれませんね(笑)。

ちなみにこの槇原投手の完全試合ですが、現時点において平成時代唯一の完全試合であり、人工芝球場唯一の完全試合であり、ドーム球場唯一の完全試合であり、現在において最後に達成された完全試合となっています。

 

3回にわたって日本プロ野球史で達成された15回、15人の投手による完全試合全試合をご紹介しましたがいかがだったでしょうか。

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