プロ野球史のイケメン選手1980年代編 トレンディエースに甲子園のアイドル、巨人の先発三本柱や沖縄出身イケメン等

どのスポーツにも必ずといっていいほどイケメン選手はいますよね。イケメン選手はそれだけで大きく取り上げられ、そのスポーツにおける広告塔のような役割を果たすこともしばしばです。

日本の国技といってもいい野球もこれまで数多くのイケメン選手を生み出してきたスポーツです。特にプロ野球においてはイケメン選手の存在が幾多の女性プロ野球ファン獲得に大きく後見してきました。

そこでここでは、1980年代に活躍したイケメンプロ野球選手たちをご紹介したいと思います。最初に断っておきますが、チョイスした選手はある程度1軍で活躍したそれなりの知名度のある選手に限らせて頂きました。あと、あくまでわたしの独断と偏見ですので異論がある方はご容赦ください(汗)。ちなみに、ここでご紹介する選手は二枚目・男前というよりも“イケメン”というイメージのある選手です。二枚目・男前とどう違うのかというのはあくまでわたくしの主観になりますので悪しからず(爆汗)

ちなみに同時代の二枚目・男前選手についてはこちらの記事をご覧ください。

日本プロ野球歴代の二枚目・男前選手達(昭和50~60年代編)

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渡辺久信(わたなべひさのぶ/西武、ヤクルト他)

名  前:渡辺久信(わたなべひさのぶ)
出  身:群馬県勢多郡新里村(現:桐生市)
生年月日:1965年(昭和40年)8月2日
身  長:185㎝
投球打撃:右投げ右打ち
出身校 :群馬県立前橋工業高校
プロ入り:1983年ドラフト1位→西武
愛  称:ナベキュー、ナベQ

NPB通算成績
125勝110敗27セーブ

主なタイトル
最多勝利:3回
最高勝率:1回
最多奪三振:1回

1980年代から90年代前半までの西武ライオンズ黄金期の右のエースが渡辺久信投手です。左の工藤公康、右の渡辺久信の両エース、そして秋山幸二、清原和博、オレステス・デストラーデのクリーンナップ、これこそが西武ライオンズの黄金時代の中でも最強期でしょう。

渡辺久信といえば、伸びのある快速球とキレのいい変化球。現役時代にはノーヒットノーランも達成している凄い投手ですね。現役晩年には台湾プロ野球に挑戦し、いきなり投手三冠王(最多勝、最優秀防御率、最多奪三振)も獲得しました。引退後は古巣の西武ライオンズ監督として1年目からチームを日本一に導いた名将でもあります。

そんな渡辺久信氏ですが、現役時代はそりゃもうカッコよかったです。高校時代はうちのクラスにも熱狂的なファンがいましたね。下手な芸能人顔負けの人気を誇っていました。長身で抜群のスタイルに加え、ワイルド系のルックスに当時シャレオツな若者(死語ですな笑)の御用達だったDCブランドファッションに身を包んだその姿はもはや一流芸能人そのものでした。

現役晩年はかなり頭部が寂しい感じになってしまいましたが、まあそれも時の流れという事で、ね(汗)

友利結(ともりゆい/デニー友利)(横浜大洋、西武、中日等)

名  前:友利結(ともりゆい)
出  身:沖縄県浦添市
生年月日:1967年(昭和42年)9月21日
身  長:191㎝
投球打撃:右投げ右打ち
出身校 :私立興南高校
プロ入り:1986年ドラフト1位→大洋
愛  称:デニー

NPB通算成績
18勝29敗30セーブ10ホールド

現役引退後は熱血体育会系強面コーチとして幾多の名投手を育て上げた友利結氏も、現役時代はめちゃくちゃイケメンでした。

愛称が「デニー」で、一時期は選手登録名を「デニー友利」としていた友利結氏はその彫りの深い日本人離れしたルックスからわかるようにアメリカ人の父親と日本人の母親を両親を持ちます。アメリカ国籍の時のフルネームが「ローレンス・フランクリン・デニー」であり、そのためにデニーと呼ばれていたのです。

大洋への入団時はとにかくそのハンサムボーイ(死語ですなあ‥)っぷりから多くのプロ野球雑誌などでも大きく取り扱われていましたね。少女漫画の主人公のような大きくつぶらな瞳に爽やか系のサラサラヘア、191cmの抜群のスタイル・・。とにかく全てが規格外のイケメンでした。

投手としては191cmの長身から投げ下ろされる速球は滅法速かったものの、コントロールが悪くて伸び悩んでいたところでサイドスローへと転向。これによってコントロールが矯正され、トレード先の西武ライオンズではセットアッパ―、リリーバーとして見事に花開きました。

今では少し割腹が良くなって、その見た目はさながらマフィアのボ・・いやいや、選手への愛に溢れる鬼コーチといった感じの友利結氏ですが、今の友利コーチ時代しか知らない若い人たちは昔のイケメン時代を知ったらびっくりするでしょうね(笑)。

荒木大輔(あらきだいすけ/ヤクルト・横浜)

名  前:荒木大輔(あらきだいすけ)
出  身:東京都調布市
生年月日:1964年(昭和39年)5月6日
身  長:179㎝
投球打撃:右投げ右打ち
出身校 :私立早稲田実業学校高等部
プロ入り:1982年ドラフト1位→ヤクルト

NPB通算成績
39勝49敗2セーブ

ご存知元祖甲子園のアイドル、1年生時から全国に「大輔フィーバー」を巻き起こした早実のエース、荒木大輔投手。

彼の場合は二枚目、男前というよりも母性本能をくすぐる「かわいい」タイプといった印象も強かったですね。とても野球選手とは思えない童顔でマウンドに立ち、上級生たちをバッタバッタと打ち取った高校1年生時代の堂々たるマウンドさばきで一躍スターの座に躍り出ました。1年夏は惜しくも超高校級球児のエース・愛甲猛率いる横浜高校に決勝で敗れましたが、その悲劇性がまた人気を更に押し上げましたね。3年生となった最後の夏には、蔦文也監督が率い、見事に優勝した畠山準や水野雄仁らの「やまびこ打線」に打ち砕かれた姿もまた、ついに甲子園で優勝できなかった悲劇のヒーローという側面を大きく浮かび上がらせる格好となりました。

ドラフトでは高校の大先輩である世界の王が監督となった巨人とヤクルトが1位指名し、抽選の結果ヤクルトに入団しました。

プロ生活は度重なる故障との戦いでしたが、その精密なコントロールと投球術は健在で、入団4年目には開幕投手を務める程のピッチャーとなりました。引退後は西武・ヤクルトでコーチを歴任して現在はNHK解説者として活躍中です。

日本中に「大輔フィーバー」を巻き起こし、その大輔フィーバーによって母親に「大輔」と名付けられた一人の球児が荒木大輔の成し得なかった甲子園制覇を成し遂げる・・

そう、あの松坂大輔の事です。ドラマですよねえ。

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西崎幸広(にしざきゆきひろ/日本ハム、西武)

名  前:西崎幸広(にしざきゆきひろ)
出  身:滋賀県大津市
生年月日:1964年(昭和39年)4月13日
身  長:181㎝
投球打撃:右投げ右打ち
出身校 :愛知工業大学
プロ入り:1986年ドラフト1位→日本ハム

NPB通算成績
127勝102敗22セーブ

主なタイトル
最多勝利:1回

同学年で同じ1986年ドラフト1位組の阿波野秀幸や西武ライオンズの渡辺久信らとともに「トレンディエース」と呼ばれ、当時の若い女性ファンから絶大な人気を誇っていたのが日本ハムのエース、西崎幸広投手です。

人気を二分した西武のナベQがちょい不良っぽいワイルドイケメンだとすれば、この西崎幸広は王子様系イケメンでした。細面に大きな瞳、長身で細身のスタイル・・まさに王子様です。私服姿などとてもプロ野球選手には見えませんでした。阿部寛や風間トオル、大沢たかおや加藤雅也といった、今では超大物となったイケメンモデル達が活躍していた当時のオシャレ男子の愛読紙、「MEN’S NON-NO(メンズノンノ)」の表紙を堂々と飾ったほどでした。そして何がすごいってそんな面々に交じっても全く見劣らないくらいのイケメンぶりでしょう。園田家のイケメンでありながらプロ野球でバリバリのエースなのですから、アイドル顔負けの人気があったのは当然といえば当然でした。

現在では西崎幸広さんの長女・西崎あやさんは女優として、次女の西崎莉麻(りま)さんは女優やグラビアタレントとして活躍していますが、その娘さんのルックスの良さは父親の子なのですからまあ納得です。にしても、あの西崎幸広さんが家庭での序列が犬より下の父親としてしくじり先生に出るんですからねえ、時は流れたのですねえ・・(苦笑)

定岡正二(さだおかしょうじ/巨人)

名  前:定岡正二(さだおかしょうじ)
出  身:鹿児島県鹿児島市
生年月日:1956年(昭和31年)11月29日
身  長:184㎝
投球打撃:右投げ右打ち
出身校 :鹿児島実業高校
プロ入り:1974年ドラフト1位→巨人
愛  称:サダ、サダさん

NPB通算成績
51勝42敗3セーブ

とんねるずの冠番組だった日テレ系の人気バラエティ番組の「生ダラ」では「サダ」と呼ばれて大活躍した定岡正二さんも現役時代の人気は本当に凄かったですね。童顔で栗っとした愛らしい大きな目に彫りの深い甘いマスクは、少年ぽさを残した王子様系イケメンでした。大人気球団読売ジャイアンツのドラフト1位指名での入団というのもその人気に拍車をかけましたね。実を言うと、小学校の時に好きだった同じクラスの女の子が当時の巨人・定岡正二投手の大ファンだったのは懐かしい思い出ですね(笑)。

バラエティ番組で天然キャラとして「負け犬サダ」などと呼ばれていた定岡氏ですが、現役時代はあの江川卓、西本聖という、1980年代の巨人の二大エースとともにジャイアンツの「先発三本柱」と呼ばれていたほどのピッチャーでした。

抜群の制球力と切れ味鋭いスライダーが武器の技巧派投手で、当時は広島カープに滅法強かったことから「広島キラー」とも呼ばれていました。そのコントロールの良さは、TBS番組の「筋肉番付」内でのゲーム、「ストラックアウト」で1枚も外さずに9枚の的を射抜くという離れ業を引退後10年以上経過し手からやってのけた事からも明らかです。バラエティで見せる顔じゃあない定岡正二は本当に凄いんです。

ちなみに定岡正二さんの兄・定岡智秋さんと弟の定岡徹久さんも元プロ野球選手であり、鹿児島の定岡三兄弟として有名な野球エリート一家でした。ホントにバラエティでのサダさんしか知らない人には彼の“ジャイアンツ三本柱”と呼ばれた現役時代を見てほしいですね。

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