戦国武将を先祖に持つ芸能人 有名偉人の末裔は大物歌手や漫才、落語家、芸能事務所社長や人気ナレーターも

今から400年以上も前に日本全国で大名や武将たちが領地や家名存続を賭けて争いを繰り広げた戦国時代。

“下剋上”が吹き荒れたカオスの時代に名を残した名将たちは数知れず、当然ながら数世紀を経た現代にもそんな戦国時代に名を挙げた名将たちの末裔が数多くおり、その中にはテレビなどで活躍する有名人も意外と多いです。

ここではそんな戦国武将の末裔といわれている有名人たちをご紹介したいと思います。

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太田光代(おおたみつよ)は信長を裏切っても許された下剋上の象徴の子孫?

まずは、大物芸人の妻でありタレント、芸能事務所社長・・と、まさに才女という言葉がふさわしいこの女性から。

名   前:太田光代(おおたみつよ)
旧   姓:松永光代(まつながみつよ)
生年月日 :昭和39年(1964年)7月6日生まれ
年   齢:53歳
出 生 地:東京都府中市
身   長:159cm
体   重:37㎏
配 偶 者:太田光
ジャンル :芸能事務所社長・タレント
血 液 型:B型
所属事務所:株式会社タイタン

ご存知「爆笑問題」太田光さんの妻であり、その爆問も所属する芸能事務所・(株)タイタンの代表取締役社長として敏腕プロモーターでもある太田光代さんです。

かつてはモデルも務めた程の美貌も誇り、まさに天は2物を与えたといってもいい才女です。

この太田光代さんの結婚前の旧姓が“松永”。戦国武将で松永・・といえば歴史ファンにはすぐにピンとくるでしょう。この大物です。

名  前:松永久秀(まつながひさひで)
生年月日:永正五年(1508年)生まれ
没  年:天正五年(1577年)
氏  族:松永氏

室町時代末期、足利将軍家の威光が衰える中で台頭した三好家の外交の中心であり、尚且つ足利将軍家の中心人物でもあったのがこの松永久秀。通称は松永弾正(だんじょう)とも呼ばれています。

三好家の三好三人衆らとともに室町十三代将軍の足利義輝暗殺に関わり(諸説あり)、主君である三好家に反旗を翻したり、その後降伏した織田信長にも謀反を起こす等、とにかく戦国末期の政治の中心となった畿内にあって主役といえるほどの大物です。と同時に、戦国時代のカオスを象徴するような下剋上の体現者といってもいい戦国武将ともいえるでしょう。

この松永久秀という戦国大名ですが、両親が誰なのかも不詳なほどに出自は不明であり、全くの無名の存在から一代で戦国大名に成り上がったほどの才知を持った人物です。その意味では斉藤道三や北条早雲などに共通するものがありますね。当然能力も素晴らしく、特に謀略や外交においては同時代の戦国武将の中でも随一と評されるほどです。そんな才気に満ちた久秀は、信長に一度反旗を翻しながらも許された稀有な人物です。さらに2度目も裏切り、この時に所有する名茶器とともに爆死するのですが、この時にもその茶器と引き換えに助命を許されています。あの「第六天魔王」とまで呼ばれた信長が、いくら天下に名高い名茶器を持っていたといえ、2度までも自分を裏切った人物を2度までも許そうなどというのはまさに前代未聞です。

信長がはっきりとした実力主義者であり、才能あふれる人材の収集癖があって身分を問わず優れた家臣はどんどん出世させたというのはあまりに有名です。そんな信長からみても久秀は失うにあまりに惜しい人物だったということでしょう。何度も言いますが、自分を裏切った人間を信長が許すというのは異例です。しかもそれが二度も・・というのは凄い事です。とにかく歴史ファンからしてみれば、この松永久秀という人ほど興味をそそられる人もいないといっていいほど魅力的な人物です。

一代にしてタイタンという事務所を興してこれだけの勢力とした太田光代さん、モデル、タレントをこなして夫である太田光さんを今の地位にまで引き上げて事務所をこれほどにしたその才女ぶりを見ればやっぱり血は争えないと思いますね。

サンド伊達の祖先は戦国時代の伊達男の異名をとる仙台のあの独眼竜・・

M-1王者に輝く人気お笑いコンビのツッコミ担当のあの売れっ子芸人も超メジャー武将の子孫だそうです。

名   前:伊達みきお
本   名:伊達幹生(だてみきお)
生年月日 :昭和49年(1974年)9月5日生まれ
年   齢:43歳
出 生 地:宮城県泉市(現:仙台市泉区)
身   長:170cm
体   重:90㎏
配 偶 者:熊谷麻衣子(フリーアナウンサー)
子 ど も:2012年生まれの長女
ジャンル :お笑いコンビ
血 液 型:A型
所属事務所:グレープカンパニー

サンドウィッチマンの伊達みきおさんですね。この方の先祖は有名でしょう。バラエティ番組などでも何度も話題になったりしていますよね。宮城県仙台市出身で姓が“伊達”。まさかまさかのあの人が先祖?なのでしょうか。

名  前:伊達政宗(だてまさむね)
生年月日:永禄十年(1567年)生まれ
没  年:寛永十三年(1636年)
氏  族:伊達氏(だて)・大條氏(おおえだ)

サンドの伊達ちゃんはあの独眼竜・伊達政宗の血を紛れもなく受け継いでいます。

とはいっても、伊達みきおさんの家系は伊達政宗の伊達本家ではなく、政宗の何代も前に分家として分かれた大條氏(おおえだし)という家系です。仙台伊達藩主の一族として仙台藩でも大きな力を持った大條氏の嫡流こそがサンドウィッチマンの伊達みきおさんなのです。ぶっちゃけ、凄い家系に育った家格の高いおぼっちゃまなのです(笑)。

そしてこの大條氏には江戸年間で伊達政宗の息子の血を引く女性を妻として迎えられているため、伊達さんにもれっきとした独眼竜政宗の血が流れているという事となるのです。簡単にまとめると、伊達みきおさんは伊達政宗と祖先を同じくする一族の嫡流であり、尚且つその一族には伊達政宗自身の血統も入っているという事ですね。

伊達政宗は天下取りの野望に燃え、十分にその器量もある戦国大名でしたが、生まれてくるのが遅すぎたのと政治の中心である京都からあまりにも遠すぎたために天下人とはなれませんでした。そんな祖先に対して、漫才の最高峰であるM-1で優勝してお笑いの天下を取った伊達みきおさんは、独眼竜の子孫として大いに胸を張ってもいいのではないでしょうか。

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笑点司会者の三遊亭圓楽の先祖は羽柴秀吉の鳥取城兵糧攻めを死守した名将

50年以上の歴史を誇る日本を代表する演芸番組、日本テレビの「笑点」。現在は春風亭昇太さんが六代目の司会者を務めていますが、その先々代、笑点四代目司会者だった五代目三遊亭圓楽さんも戦国にその命を散らした義に篤い武将の血を引いていらっしゃいます。

名  前:三遊亭圓楽(五代目)
本  名:吉河寛海(よしかわひろうみ)
生年月日:昭和7年(1932年)12月29日生まれ
没年月日:2009年(平成21)10月29日
没年齢 :76歳
出生地 :東京府東京市浅草区(現:台東区)
身  長:177cm
師  匠:六代目三遊亭圓生
出囃子 :元禄花見踊

端正なルックスと確かな実力で人気を博し、若き日は「星の王子様」と呼ばれ、立川談志、古今亭志ん朝、春風亭柳朝とともに「落語若手四天王」とも呼ばれた落語界の大御所ですね。六代目三遊亭圓楽や三遊亭好楽という笑点メンバーをはじめとして数多くの弟子を育てており、まさに落語界の重鎮と呼ぶに相応しい人物です。

そんな5代目三遊亭圓楽さんの祖先がこの方。

名  前:吉川経家(きっかわつねいえ)
生年月日:天文十六年(1547年)生まれ
没  年:天正九年(1581年)
氏  族:石見吉川氏

羽柴秀吉による中国攻めといえば、備中高松城の水攻めとともに有名なのが、鳥取城攻めでしょう。「飢え殺し」とも言われるこの鳥取城攻めにおける鳥取城の城主こそ圓楽さんの先祖である吉川経家だったのです。

攻め入るよりかなり前から事前に鳥取城周辺の米を買い上げておくなど、秀吉の軍略はさすがという他なく、鳥取城は秀吉の包囲の前に早々と兵糧が尽き、城内には餓死者が続出。城兵たちは餓死した屍を食すという、まさに地獄絵図が繰り広げられたといわれています。

そんな状況の中、城主の吉川経家は自身の切腹と引き換えに生き残った城兵の助命を嘆願。秀吉は経家の命も助けるといいますが、それをはねのけて経家は見事に切腹して果てたといわれています。この経家の最期に秀吉は人目をはばからずに泣いたといわれています。まさにこれぞ「武士」という死に様ですね。

ちなみに、経家の肖像画は一枚も現存しておらず、経家の死後約410年後に鳥取市内に経家の銅像が建てられたのですが、その際には経家の子孫の顔を参考にして作ったそうです。当然、三遊亭圓楽さんもその参考資料となったそうです。

世間一般の認知度は低いかもしれない吉川経家ですが、誰もに誇れる素晴らしい武者といえますよね。自らの命を犠牲にして家臣たちの命を救う・・まさに武士の鑑でしょう。

福岡が生んだ日本の歌姫・松田聖子の祖先は義に生き義に死んだ武将

日本を代表する歌姫、その祖先はあまりに苛烈な運命を歩んだ一族でした。

名   前:松田聖子
本   名:蒲池法子(かまちのりこ)
生年月日 :昭和37年(1962年)3月10日生まれ
年   齢:55歳
出 生 地:福岡県久留米市荒木町
身   長:160cm
体   重:42㎏
著名な家族:神田沙也加(長女)
出 身 校:堀越高校
ジャンル :歌手・女優
血 液 型:A型
レーベル :EMI Records
所属事務所:felicia club(フェリシアクラブ)

もはや説明不要のレジェンド的存在、松田聖子さんです。1980年代に青春時代を送った我々の世代にとっちゃあもうその存在は神に近いといってもいいかもしれません。とにかくそれほどの超ビッグネームですね。

そんな超大物歌手の松田聖子さんの本名は蒲池法子(かまちのりこ)。この事実は熱心なファンでなくともかなり知られた有名な話だと思います。そして松田聖子さんのルーツとなる戦国武将がこちらの人物です。

名  前:蒲池統安(かまちむねやす)
生年月日:不明
没  年:天正六年(1578年)
氏  族:蒲池氏

蒲池統安という武将、熱心な歴史ファンや地元の方でなければなかなか知っている方はいらっしゃらないかもしれません。

豊後を本拠として北九州東部を中心に大勢力を誇り、島津義久、龍造寺隆信との熾烈な戦いは「九州三国志」とも呼ばれた、キリシタン大名・大友宗麟の重臣であり塩塚城主だった武将です。大友宗麟が薩摩の島津軍と戦った「耳川の戦い」において、この蒲池統安は父・蒲池鑑盛(かまちあきもり)とともに出陣し、味方総崩れの大敗となった戦の中、島津の陣に突撃を繰り返して壮絶なる討ち死にを果たしました。この蒲池親子の壮絶な死はまさに義死ともいえるものであり、未だ語り草となっています。

この統安の嫡男もこの後の龍造寺隆信による柳川城攻めで戦死しますが、祖父の鑑盛と父・統安の菩提を弔うために僧籍に入った統安の次男・応誉の子孫が柳川城主となった元・大友宗麟の家臣、立花宗茂の家老格となって見事に蒲池家を再興させました。その子孫こそが松田聖子さんの家系なのです。

戦国時代は下剋上の時代であり、生き馬の目を抜く弱肉強食の世界でした。そんな時代だったからこそ、蒲池統安親子の見せた主君・大友宗麟への義は美しいのです。

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元祖イケメンラジオパーソナリティ、クリス・ペプラーの祖先は本能寺の変の・・

人気ラジオ番組、J-WAVE「TOKIO HOT 100」のナビゲーターなどで知られる人気ラジオパーソナリティのこの方の祖先も大変な有名人なのです。

名   前:クリス・ペプラー
本   名:クリストファー・ダニエル・ペプラー
生年月日 :昭和32年(1957年)10月22日生まれ
年   齢:60歳
出 生 地:東京都新宿区下落合
著名な家族:ALAN J(弟)
配 偶 者:君嶋ゆかり
ジャンル :ナレーター、タレント
所属事務所:ChrisPeppler’sOffice

はい、ナレーションにラジオパーソナリティにと、長年にわたって一線級で活躍していらっしゃるクリス・ペプラーさんです。

ドイツ系アメリカ人の父を持つクリスさんですが、母は日本人というクリスさん。このイケメンナレーターのご先祖がなななななんと!!こちらの超有名武将です。

名  前:明智光秀(あけちみつひで)
生年月日:享禄元年(1528年)生まれ
没  年:天正十年(1582年)
氏  族:源姓土岐氏流明智氏

織田信長に仕えて織田四天王とも呼ばれる大出世を遂げながら、本能寺の変で主君・信長を討ち、その後は山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れて命を落とした「惟任日向守(これとうひゅうがのかみ)」こと明智光秀です。説明不要の超大物武将ですね。

幼少期に母方の祖母から「あなたは明智光秀の末裔」と聞かされていたクリスさん。その真偽を検証し、「日本家系図学会」から末裔と称しても構わないというお墨付きをもらった様子はテレビ番組でも放映されました。

光秀自身、父母もハッキリわかっておらず、謎多き人物ということもあり、当然100%そうとは言えないそうなのですが、かなり信ぴょう性はあるといった感じなのでしょうか。

光秀と同時代に日本に滞在した宣教師のルイス・フロイスが残した資料によると、フロイスは明智光秀の息子や娘らについて「非常に優雅でヨーロッパの王族のよう」と評しています。クリスさんの端正なルックスはそんな高貴な明智家の名残を残しているのかもしれません。

 

有名人の戦国武将・戦国大名の祖先については以下の記事もご参照ください。

祖先が有名戦国武将のスポーツ選手や俳優

著名人のご先祖様は有名戦国武将?現職県知事に元総理大臣、元人気女子アナキャスターの意外なルーツ

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