[西郷どん]島津斉興(なりおき) 斉彬を嫌い久光を溺愛した理由?鹿賀丈史(かがたけし)が演じる薩摩藩主の素顔

激動の幕末を生きた各藩の藩主や藩士たち。明治維新という近代に向かって進んだ各藩の中心にいたのが薩摩藩であることに異論の余地はありません。

ここではそんな幕末薩摩藩主として激動の時代を生きた第10代薩摩藩主・島津斉興をご紹介します。

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薩摩藩九代藩主・島津斉興(しまづなりおき)の生涯・略歴

島津家第27代当主、薩摩藩第十代藩主。

寛政三年(1791年)11月6日、島津氏26代当主で薩摩藩第九代藩主の島津斎宣(なりのぶ)の嫡男として江戸に生まれた(母は側室)。

諱は最初、忠温(ただあつ/ただよし/ただはる)と名乗ったが、元服時に当時の徳川第十一代将軍の徳川家斉から一文字の偏倚を賜って斉興と改名する。

斉興が生まれた時には既に藩主であった父・斉宣であったが、実際の藩政における権力は未だに斉宣の父であり、斉興の祖父である前藩主の島津重豪(しげひで)が握っていた。

重豪と斉宣との権力争いが頂点に達した末に起きた文化五年(1805年)からの島津家における家臣団も巻き込んだお家騒動である「近思録崩れ(秩父崩れ、又は文化朋党事件ともいう)」によって祖父・重豪が藩政における実権を取り戻し、父・斉宣が半強制的に隠居状態とさせられた事によって斉興が薩摩藩第9代藩主となった。

藩主となった斉興であったが、実権は「近思録崩れ」で勝利した祖父・重豪が握っており、斉興がまだ若年であったこともあってしばらくは思うような藩政は実現できなかった。

重豪が死去した天保四年(1833年)になると斉興がようやく藩の実権を握り、重豪が重用した薩摩藩きっての切れ者・調所笑左衛門(広郷)を重用して実質返済不能にまで膨らんだ借金の処理を含む薩摩藩の財政再建に取り組んだ。

調所登用によって農政・軍政、財政の改革は素晴らしい成果を発揮し、斉興藩政において薩摩藩財政は黒字に転化し、奇跡的ともいえる財政再建を成し遂げる事となった。

しかしこのような調所笑左衛門主導による藩政に不満を持ったのが、斉興の嫡男である島津斉彬を待望する若手藩士を中心とした斉彬擁立派であった。斉興と斉彬の親子関係は良くなく、斉興は斉彬に藩主の座を譲ろうとはせず、側室・お由羅の方との間の五男・島津久光を次期藩主の座に据えようという思惑があったといわれている。

斉彬と斉彬派の若手藩士達は、薩摩藩の琉球における密貿易を当時の幕府老中・阿部正弘に密告。この件に関して、斉興の藩主としての立場を守るために調所笑左衛門が全ての罪を被って服毒自殺し、斉興派は大きな痛手を被ったが、斉興の藩主としての立場は守られ、斉彬の新藩主就任の悲願は達成されなかった。

やがてお由羅騒動が勃発して斉彬派の中心メンバーたちが切腹や遠島といった罪に問われて今度は斉彬派が大きな痛手を負う事となったが、斉彬に近い福岡藩主・黒田長薄や八戸藩主・南部信順らの力添えもあって、嘉永四年(1851年)、幕府老中・阿部正弘が間に入る仲裁によって斉興は隠居に追い込まれて斉彬が新藩主となった。

安政五年(1858年)に斉彬が急死して、斉彬の五男・久光の嫡男である島津忠徳(後の忠義)が新たに藩主となると、斉興が再び藩の実権を握る事となった。実質的な藩主に返り咲いた斉興は、ここぞとばかりに斉彬が取り立てた西郷吉之助ら側近を失脚させ、斉彬が推進した集成館事業も中止させ、薩摩藩の富国強兵策は大きく後退する事となり、藩政は混迷を極める事となった。

斉彬死去から約1年後の安政六年(1859年)9月12日に死去。享年69。墓所は鹿児島県鹿児島市池之上町の島津家墓地(かつての福昌寺跡地)。

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調所笑左衛門を家老にして破綻した財政再建を果たした隠れた名君・斉興

幕末薩摩藩主といえば、一般的にはやはり西郷隆盛ら下級若手武士を大抜擢し、集成館事業に代表される富国強兵策で薩摩藩を幕府に対抗し得るだけの強国にした島津斉彬か、その斉彬の弟で武力倒幕時の実質の薩摩藩の最高権力者であった島津久光が有名なのではないでしょうか。

しかし、幕末薩摩藩を語るうえでその斉彬・久光兄弟の実父であり、第9代藩主である島津斉興は外す事の出来ない最重要人物の一人です。

斉興といえば、側室・お由羅の方との間に出来た五男の久光を溺愛し、嫡男である斉彬を嫌ったことが有名ですので、斉彬や西郷ファンからはあまり心証が良くない人物なのかもしれません。幕末期っての名君と言われた斉彬を毛嫌いしたために人物的印象もあまり良くないといっていいでしょう。

しかしではこの斉興、暗君だったかというと全くそんなことはありません。むしろ名君といってもいい存在なのです。そんな斉興の最高最大の功績といえば何といっても実質破綻していた薩摩藩の財政を黒字化して再建した事、これに尽きます。

江戸時代初期から慢性的に続いており、さらに斉興の祖父・重豪の蘭癖(らんぺき/蘭学に傾倒しすぎる事)によって破産寸前にまでに悪化した薩摩藩財政を立て直すために調所笑左衛門広郷を家老に抜擢し、一代で藩財政を黒字化させたその手腕はもっと現代においても評価されて然るべきだと思います。

ただ、斉彬死後に再度藩の最高権力者となった時に斉彬の集成館事業を中止したのは明らかにその時代性に逆行するものであったといわざるを得ず、それが斉興の評価において大きなマイナスとなっているような気がしますね。

さらに斉彬の急死が斉興の毒殺という説がある事も斉興のネガティブイメージに繋がっているといっていいのかもしれません。斉彬毒殺説についてはもちろん、斉興が仕組んだという説も、何よりも斉彬の死因が毒殺であったのかも憶測の域を出るものではありません。

祖父・島津重豪時代の再来を危惧?従三位への昇進?斉彬に譲らず藩主居座りの真相

嫡男の斉彬を嫌って五男の久光に藩主の座を継がせようとしたといわれている島津斉興ですが、そんなところも現在の評価が低い部分なのかもしれません。でもそれにはそれなりの理由があったというのも事実です。

開明派藩主として西郷隆盛ら多くの志士に影響を与え、公武合体・開国による大攘夷という当時の最先端の考え方を持っていた島津斉彬は説明不要の名君ですが、斉彬と同じく西洋文化に造詣が深かった斉彬の曾祖父・島津重豪はそんな西洋への傾倒が祟って薩摩藩の財政状況を大きく悪化させてしまいました。

そんな状況を目の当たりにしてその後始末をさせられた斉興が、重豪に目をかけられて重豪と同じ蘭学に精通した人物となった嫡男・斉彬を警戒したのは致し方ない事であると個人的には思ってしまいますね。なかなか斉彬に藩主の座を譲らなかったのは、せっかく財政再建を果たしたのにまた同じ轍を踏むわけにはいかない、という思いが強かったのでしょう。

さらに、別の説では斉興は従三位(じゅさんみ)への官位昇進が悲願であったという説も有ります。

天保12年(1841年)に正四位上に官位昇進を果たした斉興でしたが、その上の従三位への昇進を強く願っていたというのです。そして斉興的には従三位への昇進は現役藩主でなければ敵わないと思っていたといわれています。故に頑として斉彬に藩主の座を譲らなかった・・という説です。

隠居しても従三位昇進は可能だと知るとあっさり斉彬に藩主の座を譲ったという説も有ります。実際に隠居後、死去の約1年前となる安政五年(1858年)、斉興は念願の従三位に昇進を果たしたのです。

斉彬に藩主の座を渡さなかったのがどの理由なのかはタイムマシンで当時の斉興に話を聞かなければわからないのですが、複数の説の複合という可能性も大いに考えられるところですね。

「翔ぶが如く」主演の鹿賀丈史(かがたけし)が28年ぶり大河出演で薩摩藩主に

西郷隆盛を主人公で描く作品では、敵役として描かれる事の多い島津斉興。名君の側面もそうでない側面もあるといえる、演じる側としては非常に難しい役と言えるのかもしれません。

そんな隠れた薩摩の名君、島津斉興を「西郷どん」で演じるのが鹿賀丈史さん。大河ドラマは1978年「黄金の日日」、1983年「徳川家康」、1990年「翔ぶが如く」に続いて、実に28年振り(!)4度目の出演となりました。高山右近、石田三成、そして大久保利通・・どの役も全てが脳裏に焼き付いています。どの役も実際の人物が乗り移っていたかのようなシンクロぶりでした。

28年ぶりとなるというのがまずビックリです。西田敏行さんとW主演した「翔ぶが如く」以来これまで大河出演が無かったというのは意外でしたね。あの大久保利通役は、それまで日本では不人気だった大久保利通という日本史上最高の政治家の魅力を再認識させてくれた素晴らしい大久保でした。陳腐な言葉ですが、まさに“ハマり役”です。

そんな大久保利通を演じた「翔ぶが如く」以来の大河ドラマで鹿賀さんが演じるのが、島津斉彬の前の薩摩藩主・島津斉興。西郷や大久保にとっては敵役サイドといってもいい人物となります。

あの大久保利通役に続くのが、西郷の前に最初の壁として立ちはだかる島津斉興役というのが何とも因縁めいた配役で個人的には非常にそそられるものがありますね。鹿賀さんが最高の敵役を演じてくれることに疑いの余地はありません。斉彬役の渡辺謙さんとの演技バトルも大きな見どころです。

「翔ぶが如く」ではもう一方の主人公、西郷隆盛を演じた西田敏行さんは今回はナレーションを担当されます。そして大久保役の鹿賀さんが島津斉興役。NHKさんもなかなか憎い演出をしてくれますよね(笑)。グッジョブです。

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