真田丸 キャスト・人物ネタバレ 秀吉の妻・寧(北政所、おね、ねね)、母・なか(大政所) 、妹・旭姫(朝日姫)

寧(北政所、ねね) 演:鈴木京香

豊臣秀吉の正室。呼び名はおね、ねね、寧、など資料によって様々である。通称は北政所(きたのまんどころ)。なお、高台院は秀吉の死後に朝廷より送られた院号である。

出生年は諸説あり、定かではない。尾張国にて父・杉原定利、母・朝日殿の間に生まれる。後に叔母である七曲殿(ふく)の夫・浅野長勝の養女となる。

永禄四年(1564年)に、織田信長家臣である木下藤吉郎(後の羽柴秀吉・豊臣秀吉)と当時では珍しかった恋愛結婚。秀吉が下級身分の出であった事もあり、実母である朝日殿らから強硬に反対される中での結婚であった。

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天正二年(1574年)には、織田信長のもとで晴れて近江長浜城主となった秀吉のもとで秀吉の母・なからとともに暮らす。織田家の重臣として留守にすることの多かった秀吉に変わって城内を取り仕切ったと言われている。なお、この頃には福島正則加藤清正など、親類縁者を養子として手元で育てていた。

賤ヶ岳の戦いで織田家の跡目争いを制した秀吉が大坂城を築くと、寧も大坂城へ移る。夫・羽柴秀吉が関白に任官し、朝廷より「豊臣」姓を与えられて豊臣秀吉と名乗るようになると、妻である寧も朝廷より従三位に叙せられ、「北政所」という称号が贈られる。これにより、名実ともに天下人の妻として大阪城の一切を取り仕切る存在となった。なお、後の天正十六年(1588年)には従一位に叙せられている。

慶長三年(1598年)に夫・秀吉が死去。豊臣家五大老の筆頭格でもあった徳川家康と五奉行筆頭の石田三成の対立が激化すると、北政所は大坂城を退去して京都へと移り住む。

関ヶ原の戦い以降は京にてひたすら夫・秀吉の供養に努め、慶長八年(1603年)には出家し、朝廷より「高台院」の称号を与えられた。

元和元年(1615年)には大坂夏の陣によって豊臣家が滅亡。その後は公家として徳川家や朝廷などとの交流をはかるなどしていたが、寛永元年(1624年)に居宅である高台院屋敷にて死去。享年については諸説あり(77、78、83など)。

 

豊臣秀吉の正室・寧です。過去の大河ドラマや時代劇などでは「ねね」、「おね」という呼び方が主流だったのですが、この「真田丸」では寧(ねい)という呼び名で登場するようですね。この寧という呼び名も史料などで見受けられる呼び名であり、史実に何ら逆らうものではありません。

この寧についてよくドラマなどで見られるのが、側室である茶々(淀)との対立関係。子を産めなかった寧と世継ぎ・豊臣秀頼を産んだ茶々。この女同士のバトルというのは、豊臣物を描くうえでお約束と言ってもいいものです。

しかし近年の研究では寧と茶々は巷で言われるほど仲が悪くなかったという説が有力になりつつあります。寧は正室として外交や大坂城内の取り仕切りを、茶々は秀頼の生母として秀頼の育成を、という風にしっかりと役割分担がされており、双方が協力しながら豊臣家を支えていたといわれています。関ヶ原においても、寧が茶々と対立していたが故に、寧を慕う加藤清正や福島正則などが寧と懇意にしていた徳川家康の東軍に味方した、というのも疑問が持たれています。実際に寧は家康の脅威を警戒して護衛をつけて公家の邸宅に逃げ込んだという資料も残っています。石田三成との不仲もフィクションの可能性が高く、三成は茶々派というよりはむしろ、寧派であったという説が有力視されてきています。

豊臣家が滅んだ大坂の陣でも、未だ豊臣家の旧家臣に絶大なる影響力を及ぼしていた寧が大坂城へ入城するのを家康は何よりも警戒しており、寧の行動を制限するために監視役までつけていたのです。茶々と仲が悪かったどころか、茶々ら豊臣家の人たちを救うために大坂城に入城するのでは?と疑念を抱かれるほどに豊臣家を大事に思っていた女性です。

何故これほどまでに影響力を及ぼす女性であったのか?太閤秀吉の妻という立場が一番であるのは間違いありませんが、もちろんそれだけではありません。子がなかった寧は、清正や正則らを我が子のように可愛がり、家臣らの前でも尾張訛りを隠そうともせずに秀吉と話すほど屈託のない女性であったと言われています。慈愛と優しさに満ち溢れた母性の化身のような女性でした。当然頭もよく、それでいて出しゃばりすぎず、それでいて夫を一途に愛した女性。まさに大和撫子を具現化するような女性ですね。

まだ秀吉が織田信長の家臣であった時代に、秀吉の女癖の悪さを信長に直訴したという逸話は有名です。あの誰もが恐れる信長が、あの「第六天魔王」とまで呼ばれた信長が、わざわざ一家臣の妻である寧の訴えを聞いてやって、しかもそれに対する労わりの書状まで送っているのです。これだけで寧がどれほど魅力的な女性であったかが分かろうというものですね。

こんな慈母愛に溢れる女性・寧を演じるのが大女優・鈴木京香。三谷作品では常連中の常連です。大河ドラマは2004年の三谷大河「新選組!」以来12年ぶり5作品目の登場となります。同じく三谷幸喜の映画「清須会議」では白粉(おしろい)、鉄漿(おはぐろ)姿で、秀吉を毛嫌いする信長の妹・お市の方を怪演していました(笑)。今回は秀吉を愛し、支え続ける女房役。間違いなく三谷幸喜は狙ってますよね(笑)。

「新選組!」では主人公である近藤勇たちの宿敵・芹沢鴨の愛妾・お梅役でした。大河ドラマ史上に残る魔性の女でしたね。今回はそのお梅とも全く正反対の役柄。でもどちらもこなせてしまうのが鈴木京香の凄さですね。

天真爛漫な茶々との人間関係や、関ヶ原の戦い、大坂の陣での立ち位置などを三谷幸喜がどのように解釈して描くのかも要注目です。

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なか(大政所) 演:山田昌

なか。仲とも呼ばれる。豊臣秀吉の母。秀吉の関白就任により、大政所と呼ばれる。法名は天瑞院。

永正十年(1513年)、尾張国に生まれた(永正十三年説もあり)。織田家の下級武士であった木下弥右衛門と結婚し、秀吉と後の関白・豊臣秀次の母・日秀を生む。天文十二年(1543年)に弥右衛門が死去すると、織田家に仕えていた竹阿弥(ちくあみ)と再婚。後の大納言・豊臣秀長や家康の正室となった旭姫らを産んだ。

秀吉が近江長浜城主となると、なかも長浜に移り住み、秀吉の正室・寧らと一緒に暮らし始めた。お互い飾らずさっぱりとした性格であったなかと寧は尾張弁で冗談を言い合ったりするほど良好な嫁姑であったと言われている。

織田信長の死後、秀吉と徳川家康の亀裂が決定的になった際には、秀吉への帰属を拒む家康の懐柔のために老齢をおして駿府へ人質として赴いた。これにより家康は豊臣家家臣となって、なかも無事に大坂へと戻った。

天正十五年(1587年)頃から体調を崩す事が多くなったと言われており、天正十八年(1590年)に娘の旭姫が死去するとますます病気に伏せるようになった。翌天正十九年(1591年)には息子の秀長が死去。

天正二十年(1592年)には孫である関白・豊臣秀次の必死の祈祷などの供養も実らず、京の聚楽第(じゅらくだい)にて死去。享年80。なかの訃報を聞いた秀吉のショックは計り知れないほど大きかったと言われており、その場で卒倒してしまったと言われている。

 

真田家のゴッドマザーがおとりおばあちゃん(草笛光子)であるならば、このなかは豊臣家のゴッドマザーですね。というよりも天下の、いや日本のゴッドマザーといってもいいかもしれません。

なんといっても太閤・豊臣秀吉の母であり、大納言・豊臣秀長、旭、日秀の母でもあり、豊臣秀次、豊臣秀頼の祖母でもあるのです。さらに近親者には加藤清正や福島正則もいたという・・まさにこの時代の中心にあった女性ですね。

ともかく日本の肝っ玉母さんといえばこのなか(大政所)が代表的なのではないでしょうか。まさに日本人が理想とする「母親像」ですね。

そんな「日本の母」を演じるのが大ベテラン女優の山田昌(やまだまさ)さん。大河ドラマは初登場です。映像作品での露出はあまり多くはありませんが、代表作は何といっても植木等さんと夫婦役でシリーズ化されたテレビドラマ「名古屋嫁入り物語」シリーズでしょう。この大人気ドラマによって、名古屋弁女優の座を不動のものとしたといっても過言ではありません。ちなみに山田さんの出身地は愛知県常滑市。バリバリにネイティブな名古屋弁なのです。

御年85の山田さんが演じるなかは、まさに名古屋の肝っ玉母さんそのままとなること間違いなしです。秀吉や寧との名古屋弁での掛け合いも大きな見どころですね。

旭姫(朝日姫) 演:清水ミチコ

豊臣秀吉・秀長の妹(秀吉とは異父妹)。別名・駿河御前、南明院。寧の母である朝日殿とは別人。

天文十二年(1543年)、尾張中村に父・竹阿弥、母、なか(大政所)の間に生まれる。兄・秀長とは同母兄妹である。

兄である秀吉の出世に伴い、夫であった佐治日向守も武士として取り立てられ秀吉の家臣として働く。佐治日向守は早逝してその後は副田甚兵衛吉成(そえだじんべえよしなり)に嫁いだという説もあるが、後の徳川家への嫁入り時にどちらの妻であったのかは諸説あってはっきりしていない。

天正十四年(1586年)、旭が44歳の時に兄・豊臣秀吉の命により夫と離縁させられ、秀吉に服従するのを拒んでいた徳川家康懐柔の政略結婚のために家康の正室として浜松へ嫁ぐ。

初めは家康の居城である浜松城に住んでいたらしいが、しばらくして京都の聚楽第に居を構えていたとされており、家康とは形式上だけの夫婦であったと言う説もある。

天正十八年(1590年)に病気にて聚楽第で死去。享年48。

 

この旭(朝日)も豊臣家の悲劇を象徴するような女性ですね。まさに秀吉の政略結婚によって人生を狂わされたといっても良いでしょう。

夫と無理矢理離縁させられた上に嫌がる徳川家康の元へと嫁がされ、孤独のうちに病気で死去しました。豊臣家は秀吉の甥・秀次にせよ、寧(ねね、おね)の甥・小早川秀秋にしろ、この旭にしろ、秀吉の天下取りや権勢維持、世継ぎの問題のために使い捨てにされた人物が多いです。

これらを見てみると、後の豊臣家の滅亡はまさに秀吉の残した負の遺産というか、因果応報的な気も大いにしますね。

そんな悲劇の豊臣家女性の筆頭格でもある旭姫を演じるのがお笑いタレントの清水ミチコ。大河ドラマは初登場となりますね。

お笑いタレント・モノマネタレントとして名を馳せている清水ミチコさんですが、実は女優としても精力的に活動されており、その実力は高く評価されています。大河ドラマこそ初出演ですが、同じNHKの朝ドラには「あまちゃん」や「ちゅらさん」にも出演しています。

個人的には大好きなタレントさんです。数ある女性モノマネタレントの中でもこの清水ミチコさんのモノマネは断トツ№1だと個人的には思っています。理由はただ一つ。死ぬほど面白いから(笑)。やっぱモノマネは笑えてなんぼだと思ってますので、その意味で清水さんのはずば抜けてますね。世代的にはダウンタウン、ウッチャンナンチャン、野沢直子とともにレギュラーを張っていた「夢で逢えたら」がドストライクなのも大きいのかもしれません。彼女が演じて番組でも屈指の人気キャラとなった「伊集院みどり」は未だに腹抱えて笑えますから(笑)。

さて、そんな清水ミチコ演じる旭姫。どんなお姫様となるのでしょう。今から楽しみでしょうがありません。

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