真田丸ネタバレ 「殺生関白」豊臣秀次は武将として有能?無能?秀頼の誕生によってすべてを狂わされた男

豊臣秀次(とよとみひでつぐ)の略歴

とよとみひでつぐ。別名・治兵衛、万丸(よろづまる)、孫七郎、宮部吉継、三好信吉、羽柴秀次など。官位は従一位・関白。

永禄十一年(1568年)、尾張国に父・弥助、母・とも(日秀、瑞龍院)の間に生まれる。父・弥助に関しては苗字など詳しい事は諸説あるが、姓を持たない下級身分の出であったという説が有力である。母・ともは後の関白・豊臣秀吉の姉妹であり、母はなか(大政所)である。名は治兵衛(じへえ)と名付けられたという。

織田信長の家臣として、織田家と対立関係にあった近江・浅井長政攻略に励んでいた叔父・羽柴秀吉は、浅井家の重臣・宮部継潤を味方に引き入れる事を画策。元亀三年(1572年)に宮部継潤の調略に成功したが、その際に継潤の身の安全を保障する人質として、甥であるまだ5歳の治兵衛を宮部家に出した。宮部家に人質として入った治兵衛は名を宮部吉継と改名。名目上は宮部家の養子となった。

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その後、信長の浅井氏討伐、秀吉の近江・長浜城主を経て羽柴家に戻った秀次であったが、天正十年(1582年)に本能寺の変で織田信長が亡くなると、秀吉が織田家の跡目争いを制する事となる。その一環として、四国の三好家との縁を深めるために三好家に養子に入ったのが秀次であった。三好家の養子となった秀次は名を三好信吉と改めた。

三好家の養子として、秀吉の甥として参戦した「小牧長久手の戦い(実質上の秀吉と徳川家康の争い)」にも参加するが、別動隊の大将として参戦したこの戦いで、配下の有力武将であった池田恒興や森長可らを討ち死にさせる大敗を喫したうえに、自身も命からがら徒歩で逃げか帰るという大失態を演じて、叔父である秀吉の逆鱗に触れた。

その後、三好家から羽柴家に復し、羽柴秀次と改名。世継ぎのいなかった羽柴家の一門衆として小田原征伐や奥羽平定にも従軍して活躍。秀吉が関白に就任して豊臣姓を賜ると豊臣秀次と名を改め、朝廷からの任官も出世していくこととなった。

天正十九年(1591年)には豊臣家の世継ぎであった鶴松がわずか3歳で死去。同年に秀吉の養子となっていた秀次が叔父・秀吉の後を継いで関白に就任する事となった。これに伴い、秀吉は関白を譲った者という意味の「太閤」と呼ばれるようになった。

しかしその直後に秀吉の側室・茶々の懐妊が判明。文禄二年(1593年)には茶々が後の豊臣家当主・秀頼を出産。関白に就任して名目上は天下人になったとはいえ、実際には太閤であった秀吉が未だに大きな権限を持っていたため、秀頼に豊臣家跡継ぎの座を奪われるのではないかと危惧した秀次は、この頃より体調や精神面に不安定さが現れ始めたという説もある。

そして文禄四年(1595年)、豊臣秀次に謀反の疑いありと、豊臣家の奉行衆が秀次に詰問するという事件が起こる。この噂を否定した秀次であったが、豊臣家からの出頭要請になかなか応じようとせず、重い腰を上げ、意を決して出頭した伏見城で秀吉への謁見が認められずに高野山で出家し、隠居する事となった。

これに伴って秀次の家臣団は解体され、自害する者、刑死する者、遠島となる者、他家に仕える者らが続出した。そんな中で高野山にあった秀次には死罪が言い渡された(正確には賜死。自ら自害せよという意味)。これを受け入れた秀次は殉死した家臣らとともに切腹して果てた。享年28。

しかし秀吉の仕置は秀次の切腹で終わらなかった。秀次の正妻や側室、子どもたちを残らず処刑したのである。京都・六条河原で処刑されたその様はまさに地獄絵図であったと当時の回想で残されている。

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豊臣秀次の私的考察 謎の切腹、やはり秀頼誕生が原因?

豊臣秀次という人物、後世には「殺生関白」という有り難くない異名で有名な武将です。殺生とは人殺しという意味です。何の罪もない一般人を辻斬りと称して虫けらのように斬りまくったなどという当時の資料に基づいたものですが、現在ではこれらの「殺生関白」と呼ばれた数々の残虐行為については、真偽を疑問視する声も少なくありません。

逆に、善政を敷いて領民からは慕われ、家臣らからの人望も厚いひとかどの人物であったという説も根強くあります。秀次切腹の原因となった謀反の疑いについても、どのような内容であったのかは詳しく分かっていません。濡れ衣であった可能性が濃厚であったという説も数多くあるくらいです。以前は秀次というと、無能で粗暴な人物という定説が根付いていましたが、ここ最近の研究では大分見方が変わってきているようですね。

わたし的には豊臣秀次という人物、傑物というほどではありませんが、けっこう有能で人望もある武将であったと思っています。そんな秀次を切腹させたがために豊臣家の家運は大きく傾いたのだと思っています。

どちらにせよ、秀吉が実の子である拾(秀頼)に跡目を継がせたくなったのは間違いないと思います。そのために既に関白職を譲った秀次が邪魔になったと。一族郎党、女子供に至るまで全て処刑するなど、正気の沙汰ではありません。しかしそれほどまでに秀吉の実子・秀頼に対する溺愛は強かったとも言えます。その犠牲となったのがこの秀次なのです。

この秀次切腹事件は朝鮮出兵と同じく、後の豊臣家の衰退、滅亡に大きく関わった事件だといわれていますが、まさにその通りだと思います。あまりに残虐で理不尽なこの秀次に対する仕打ちを見て豊臣家臣たちがどう思ったのかは容易に想像できます。天下人・秀吉の醜態を見て豊臣家の命運を悟った人物も多かったのではないでしょうか。個人的には秀吉の最も大きな失政はこの「秀次事件」であったと思っています。

三谷作品常連の舞台俳優・新納慎也(にいろしんや)が演じる秀次やいかに?

そんなあまりにも気の毒な関白・豊臣秀次を演じるのが新納慎也(にいろしんや)さん。大河ドラマは初登場となります。

爽やかなイケメンですが、年齢を聞いてびっくり、何と40歳だそうです。そしてその経歴にもビックリ。NHK-BSで放送されていた子供向け番組「にこにこぷんがやってきた!」の「うたのおにいさん」だったそうなのです。なるほど、爽やかなわけです(笑)。その後はその歌唱力を生かしてミュージカルなどにも出演。そして近年ではドラマや映画などの映像作品にも活躍の場を広げている注目の俳優さんです。

三谷幸喜とは舞台「恐れを知らぬ川上音二郎一座」や「TALK LIKE SINGING」で仕事を一緒にしており、この豊臣秀次役も三谷幸喜直々のオファーだと思われます。

秀次は真田信繁の側室となった隆清院の父でもあり、その意味でもこの「真田丸」において重要な役どころとなる事は間違いありません。悲劇の武将・豊臣秀次と新納慎也さんから目が離せない展開となりそうですね。

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