NHK大河ドラマ「真田丸」第41話「入城」史実から見たネタバレ予想と第40話「幸村」視聴感想とMVP

くじ引きは偶然でもギャンブルでもなく「神の意志」。足利義教にみる昔のくじ引きの意味とは?

豊臣家と徳川家の戦が勃発!片桐且元無念の失脚!真田左衛門佐幸村(さなださえもんのすけゆきむら/演:堺雅人)誕生!

宇喜多秀家(高橋和也)家臣の明石全登(あかしてるずみ/演:小林顕作)の来訪によってまさに真田信繁の人生と豊臣家のクライマックスの幕が切って落とされたという言葉がぴったりだった真田丸第40話「幸村」。

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真田幸村についての史実、片桐且元が豊臣家を追われ、大坂の役が始まる発端となった「方広寺鐘銘事件(ほうこうじしょうめいじけん)」などの通説などについては、こちらの記事もご参照ください。

NHK大河ドラマ「真田丸」第40話「幸村」史実から見たネタバレ予想と第39話「歳月」視聴感想とMVP

真田信繁が生前に幸村と名乗っていたかどうかについては諸説あるのですが、名乗っていたとしても大阪入城後であるというのが有力な説です。ただし、幸村という名の由来までは当然分かっていません。幸という字は真田家の当主が代々名乗っていた「諱(いみな)」ですのでわかるのですが、村については全く由来が分からないというのが本当のところです。この真田丸ではゆかりのある文字を真田大助(浦上晟周)にくじで引かせ、「九度山村」の村の字を大助が引き当て、「幸村」となったとしていましたね。

真田昌幸(草刈正雄)のくじ引きをここで持ってきたのですね。重要な事だからこそ「くじ」で決めるのだ。八百万の神に決めてもらうのだ。

素晴らしいですね。実は日本の歴史とはまさにそうなのですよね。くじとは運ではなく必然であると昔の人は考えていたのです。くじで選ばれたという事は神に選ばれたという事。現代とは「くじ」の概念自体が全く違うのです。

室町時代の足利家第6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)は別名を「くじ引き将軍」と呼ばれています。実はこの足利義教はくじ引きによって将軍になったのです。5代将軍とその父が相次いで亡くなり、二人とも後継将軍を指名していなかったため、5代将軍足利義量(あしかがよしかず)の弟で仏門に入っていた4人の中からくじ引きで将軍を決める事となり、その結果選ばれたのが六代将軍足利義教なのです。

これをもって現代の人は「くじ引き将軍」などと奇異な意味を含めて呼びますが、当時では最高権力者が決められなかった以上、くじで将軍を決めるのは全くおかしいことではありませんでした。くじ引きの結果はまさに天の裁定なのです。

にしても、ここで昌幸のくじ引きの件を持ってくるとは・・参りました、三谷先生。

方広寺の鐘に刻まれた銘文の真実 片桐且元は忠臣か奸臣か?

片桐且元(かたぎりかつもと/演:小林隆)は最後の最後まで苦労の絶えない人物でしたね(涙)。

且元は大坂城を去った後、徳川家康(内野聖陽)の率いる大坂征伐軍に加わって豊臣方と戦います。しかし、豊臣家滅亡の直後に60歳で病死します。死因は長年患っていた胃の持病・・ではなく、肺病だったといわれています。

「方広寺鐘銘事件」のいきさつについては概ね事実でしたね。

「国家安康」「君臣豊楽」の文字の意味は銘文を作成した南禅寺の高僧・文英清韓(ぶんえいせいかん/演:植本潤)が意図的に組み入れたのですが、この清韓はこの事件によって南禅寺から追放されて大坂の陣の際には豊臣家の大坂城に入ります。しかし大阪城落城後に城を脱出。しかし徳川方によって捕らえられて駿府城に拘束されてしまいます。後に江戸時代初期の高名な儒学者である林羅山の取り成しによって罪を許されて、解放される事となります。

この「国家安康」「君臣豊楽」の意味の解釈の仕方については、以前は徳川家のいいがかりによるものとする説が主流でしたが、現在では難をつけられても文句の言えない程に稚拙な文章であったという説が有力となっています。いわば豊臣家の脇が甘かったという事ですね。

ただし、徳川家康がこの件を豊臣家討伐に最大限利用したという事は間違いないと思います。片桐且元と豊臣家の間を引き裂いたのも徳川家康の策略であったと考えます。片桐且元が徳川の手先となって大坂の陣のきっかけを敢えて作ったという説もありますが、わたしには且元という人間がそこまで食えない人物だとは思えませんね。やはり家康の手腕が豊臣家の誰よりも一枚も二枚も上手であったという事でしょう。

「幸村」のMVP 真田信繁のここまでの人生の全てはこの決断の時のために・・

真田丸第40話「幸村」見終わった視聴者の皆さんの感想はいかがだったでしょうか。

ご意見は色々かと思いますが、わたしはこの「幸村」は、いわゆる「神回」であったと思います。

きり(長澤まさみ)に諭されて苦悩する信繁。その信繁の脳裏に去来するこれまで出会ってきた人物たちの言葉の数々・・そして晩年の秀吉が家臣を呼ぶために鳴らし続けた鈴の音・・

ここまでこの真田丸を見てきた人たちにとっては万感の思いがこみ上げてきたのではないでしょうか。わたしはそうです。

信之、梅、薫、おとり、信尹、出浦昌相(いでうらまさすけ)、上杉景勝、北条氏政、板部岡江雪斎、豊臣秀吉、茶々、石田三成、大谷吉継、片桐且元、千利休、伊達政宗、呂栄助左衛門(るそんすけざえもん)、そして真田昌幸・・

信繁が出会ってきた人々全てが信繁の決断を後押しします。まさにここまでの真田丸の全てはこの時のためにあったと言っても過言ではありません。そして信繁は決断します。その証が真田幸村という名。

圧巻です。あまり「神」という言葉を乱用したくはありませんが、今回は使わざるを得ません。誰が何といおうと「神回」です。

申し訳ないですが、今回だけはMVPを選ぶことは出来ません。第40回「幸村」はこれまでの全ての人物がMVPでしょう。幸村の人生に関わった人たち全てが信繁の血となり骨となっていたのです。申し訳ないですが、今回だけはMVP該当無しという事にさせていただきます。

それにしても死の床で痴呆気味であった秀吉が嬉しそうに鳴らしていた鈴の音にこのような伏線であったとはね。本当に脱帽ですね。全く読めませんでした。秀頼の危機を信繁に知らせる大坂からのメッセージだったとは・・

それにしても、若武者豊臣秀頼(中川大志)はいいですね。これまでの秀頼像を覆す豊臣秀頼になるかもしれません。大助幸昌も素晴らしいですね。まだ若いのに表情の変化で視聴者に訴える事の出来る演技派末恐ろしくもあります。

初登場となった大野修理治長(おおのしゅりはるなが/演:今井朋彦)も期待通りの大野修理です。次回予告でチラッと写った後藤又兵衛基次(哀川翔)と毛利勝永(岡本健一)はただひたすらカッコイイですし。大坂城の豊臣方は非常に濃くて面白いメンツが揃っていますね。まさにクライマックスに相応しい陣容であり、これからがますます楽しみになりましたね。

それにしてもきり・・さらっと信繁に好きだったと告白してましたね。ほんとにさらっと。ま、きりはそこがまたいいんですよね(笑)。

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第41話「入城」のストーリー

徳川家康との亀裂が決定的となって戦が避けられなくなった豊臣家。窮地に陥った豊臣家の当主・秀頼を助けるために大坂への入城を決意した真田幸村。

豊臣家からの要請を受けて続々と集結する牢人衆の知らせは駿府の家康の元にも届けられる。幸村の動向を気にした家康は、幸村妻子らの蟄居先である紀州九度山村にも監視の目を厳しくするよう通達する。

警戒のために見張りが厳重となった九度山であったが、幸村は策を巡らせて監視の目をかいくぐり、九度山を脱出して大坂へと向かう。一方で信州上田城主である兄・真田信之(大泉洋)の元には、徳川家より大阪征伐に加わるようにとの通達が届くのであった。

徳川家臣として家康からの要請を受けた信之は、この大阪征伐を二人の息子の初陣(ういじん)にと考えるが、正室の稲(吉田羊)はある提案を信幸に持ち掛ける。

九度山から無事大阪入城を果たした幸村は、茶々(淀殿/演:竹内結子)や秀頼と久々の再会を果たす事になるのであった・・

史実から見た「入城」ネタバレと考察 幸村の大阪入城を兄・信之は知っていた?

真田幸村は慶長十九年(1614年)に流刑先である紀伊・九度山を脱出して大坂入城を果たします。

九度山では妻子とわずかながらの家臣と暮らしていた幸村ですが、資料によると大坂に入城した時には幸村の軍勢は100人以上になっていたといわれています(資料によっては300人と記すものも)。

大阪入城を決めた幸村は、上田にいた旧家臣たちにも書状を送って合流を要請したと言われています。上田から馳せ参じた昌幸・幸村の旧臣や道中での浪人たちを含めて大坂入りの時には大人数に膨れ上がっていたとの事です。

この当時の上田というと、徳川家臣である幸村の兄・真田信之が領主としていた土地。いくら兄弟とはいえ徳川と豊臣という敵同士の間柄でもあります。

幸村の書状に応えて幸村と合流した人間も多かったという上田城の真田家家臣たち。果たして信之は幸村の決起を知らなかったのでしょうか。

この辺りの経緯について信頼に足る同時代資料は残されていません。推測に頼るほかないのですが、わたしは信之も感づいていたのではないかと思いますね。

豊臣家が名のある浪人たちに片っ端から声をかけていたことは信幸の耳にも当然入っていたでしょうし、そうなると真田安房守の息子である幸村にも勧誘の使者がいく事くらいは容易に想像がつくでしょう。

となると、本気で警戒していたのであれば、旧臣達に合流を呼びかける事も想定内のはずです。信之ほどの名将が本気で阻止しようと思えば出来たはず。しかし結果として大勢の上田城の旧臣達が幸村の元へ馳せ参じたといいます。

この事実から見ても、信之は幸村の決起を知りながら敢えて目を瞑っていたのではないかと思いますね。

大坂城の人たちとは?豊臣一門と譜代家臣たち、そして全国から集まった浪人たち

大坂城に入城した幸村ですが、大坂城の内情はかなり複雑なものがあったと言われています。ここで今後のためにも大坂城における主要人物たちとその立ち位置を簡単に説明しておきましょう。

豊臣家当主は豊臣秀頼。そして母が茶々。この二人が豊臣家における絶対権力者です。

そしてそれらに続く位置に、織田信長の弟であり、茶々の叔父である織田有楽斎(井上順)。そして茶々の乳母である大蔵卿局(峯村リエ)。そして大蔵卿の息子である大野治長。この三人がナンバー2のポジションにいたと言われています。実務面でのトップといってもいいかもしれません。

その下には豊臣家に代々仕える直臣たち、木村重成(白石準也)、渡辺糺、大野治房、大野治胤らが続きます。

そしてその直臣たちとは別に、豊臣家が徳川との合戦に備えて全国から集めた旧豊臣家臣であった浪人たちの集団がありました。これが幸村、明石全登、後藤又兵衛、毛利勝永、長宗我部盛親塙団右衛門(ばんだんえもん)らです。

豊臣秀吉の直系である秀頼とその親族たち。

そしてその親族たちに仕えてきた重臣たち。

さらに徳川との戦に備えて雇用された牢人たち。

この3派が大坂城の中心人物たちであったのです。

和平派と強硬派の深刻な対立 幸村が大阪入城した動機は?

豊臣一門衆と重臣たちにとって最も大切なことは豊臣家を守る事でした。秀吉が興した豊臣家を滅亡させるという事は何としても避けたかったのです。ですから、徳川との和睦の道も探りながらの舵取りとなっていました。

しかし徳川との戦のために雇われた浪人衆たちにとっては全く逆です。徳川と豊臣が仲直りしてしまえば、浪人たちは豊臣家にとって不必要な存在となって今います。戦争が無くなれば傭兵の仕事がなくなるという現在と同じことですね。

というわけで、浪人衆のほとんどは豊臣と徳川の戦が終わってもらっては困る事だったのです。浪人衆の中にも動機は千差万別だったはずです。徳川との合戦で大活躍して成り上がろうというものたち。再び大名の座に復帰しようとした者たち。徳川に遺恨をもち、何とか一泡吹かせてやろうとした者たち。

大坂に集まった動機は様々だったでしょうが、ほとんどに共通するのは、「戦が回避されるのは困る」という事です。

というわけで、大坂城内における和平派と強硬派の対立は相当深刻であったと言われています。豊臣家を守ることを第一義に考える人たちと、徳川との戦で功を成す事を第一に考える人たち。

この辺りの各人の思いや虚々実々の駆け引きなどもこれからの真田丸の中では大きな注目ポイントであるといえるでしょう。

そんな中、真田丸の主人公である真田幸村はどのような動機をもって大坂の陣を戦っていく事になるのでしょう。三谷幸喜の描き方に大注目ですね。

そして、次回の第41話「入城」でも次々と新しい登場人物たちが出て来ます。

真田信之の長男・真田信吉(広田亮平)、次男・真田信政(大山真志)、石合十蔵(加藤諒)、木村重成です。こちらも楽しみですね。

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