大河ドラマ「真田丸」 キャスト・人物ネタバレ 真田家家臣編② 高梨内記 堀田作兵衛 真田信尹

今回は真田信繁(幸村)をその生涯にわたって支え続ける人たちをご紹介します。

ご存知のように信繁は昌幸の元で様々な経験をし、人質生活や九度山での幽閉生活などを経て、最後は大坂の陣で華々しく散って後世に真田の名を残します。そんな信繁を最後の最後まで支え続けた人たち、信繁の身を案じた人たち。名のある人もいれば名もなき人もいますが、少しでもそんな信繁を陰で支えた人たちの人となりなどを知ってもらえたらと思います。

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高梨内記(中原丈雄)

読みはたかなしないき。生年は不明。没年は慶長20年(1615年)と言われている。娘は真田信繁の側室となった。

真田昌幸の家臣として真田家に仕え、昌幸が関ヶ原の戦いにおいて九度山へ流罪となり罪人として幽閉生活を余儀なくされた際も九度山へ付き従ったという。九度山での昌幸没後も九度山に残り信繁に従う。

大坂の陣においては豊臣方として大阪城に入城した信繁とともに最後まで戦ったという。大坂の陣において討ち死にを遂げたと言われている。

 

この高梨内記という人物は真田家の家臣であり、娘が真田信繁に嫁いで側室となり、大坂の陣で信繁と共に戦ったという以外はあまり記録に残っていない武将です。

しかし、この数少ない経歴だけで感じるところは大いにありますよね。そう、真田家に人生の全てを捧げた忠臣だという事です。

罪人となった昌幸・信繁とともに九度山で配流生活を送り、大坂の陣においても敗色濃厚であった豊臣に与した信繁とともに参戦し、信繁とともに見事な最期を遂げます。まさに「武士の鏡」じゃないですか。

昌幸時代からの家臣であり、さらに娘が信繁の側室となっている事から、大坂の陣の頃には相当な高齢であったと考えられる高梨内記。残り少ない人生を信繁のために奮い立たせたであろうその姿は考えただけで身震いしてしまいます。

演じるのは渋さが光る名脇役・中原丈雄さん。大河ドラマは1993-1994年の第32作目「炎立つ」以来実に23年ぶりとなります。

中原さん自身、この高梨内記役に対する思いは相当なものの様で、この役を自身の俳優生活における集大成としたいと意気込んでいらっしゃるそうです。分かります、だってカッコいいですもん、生き様が。こういう役を演じられるってホントに役者冥利に尽きるってやつなんでしょうね。

昌幸・信繁とともに真田家のために戦う忠義の臣としての高梨内記以外にも、信繁に嫁いだ娘・きり(長澤まさみ)達家族に対する愛情あふれる内記の姿も描かれるそうなので楽しみですね。

大坂の陣で年老いた高梨内記が信繁のために奮戦する勇姿が今から楽しみで仕方ありませんね。

堀田作兵衛(藤本隆宏)

読みはほっささくべえ。

真田信繁の側室となった堀田興重の子という設定の架空の人物であると思われます。

歴史上の記録としては真田信繁の側室に堀田興重の娘という女性がおり、これが「真田丸」における梅(黒木華)です。その兄が堀田作兵衛という事なので、史実で言うと堀田興重の息子という事になりますね。

真田丸におけるこの堀田作兵衛は真田領・上田で真田家に仕える地侍という役どころ。地侍とはその地域の有力な農民がその地域の有力な武将・大名などと主従関係を結んで侍の身分となった人たちの事です。平時には農民として農民仕事に従事しますが、こと戦となれば戦場へも駆けつけるという、農民と武士の両方の役割を担っていました。

そんな地侍らしく、この堀田作兵衛は「畑仕事の方が性に合っている」というセリフがあるほど上田の地で農民として生きる事に誇りを持っています。しかし一方で真田家の次男である信繁とはウマが合うようで、信繁もこの作兵衛には気兼ねなく色々な事を相談したり頼んだりできる間柄として描かれます。

妹・梅が信繁の側室になって以降はさらにその繋がりは深くなり、信繁のためにという思いも強くなっていくのではないのでしょうか。真田家は主家である武田家滅亡後は大名家として独立していきますが、元々は信濃・上田の豪族の出であり、そんな真田家の昔からの土着の象徴のような存在が堀田作兵衛という人物であるとも言えますね。

演じるのは藤本隆宏さん。大河ドラマは2012年の「平清盛」以来4年ぶり2回目。

この藤本隆宏さんと言えばわたしの中では何といっても2009年から2011年の足掛け3年に渡って放送されたNHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」における広瀬武夫役。主人公・秋山真之(本木雅弘)の親友としてともに戦い、日露戦争では壮絶な戦死を遂げ、戦前は「軍神」とまで言われた伝説の軍人役を見事に演じましたね。ある意味、前半の主人公と言ってもいいほどの存在感でした。

この「坂の上の雲」で初めて藤本隆宏という俳優を知ったのですが、その経歴を知って2度ビックリです。なななななんと、この藤本隆宏、元競泳選手でオリンピック出場もしている凄い人だったのです。1988年には当時の史上最年少で200m・400m個人メドレーでソウルオリンピックに出場。4年後の1992年バルセロナオリンピックでは400m個人メドレーで8位に入賞し、同種目で初の日本人決勝進出を果たしたという凄い経歴の持ち主なのです。

1996年に現役を引退しますが、その1年前の1995年には劇団四季のオーディションを受けて合格しており、引退までの1年間は水泳選手と俳優としてのキャリアを両立させていた努力家でもあります。劇団四季退団後も舞台を中心に出演し、映像作品では先にあげた「坂の上の雲」で広瀬武夫役のオーディションに見事合格してブレイクを果たします。大沢たかおさん主演の人気ドラマ「JIN-仁」での西郷隆盛役もホント良かったですよねえ。

183㎝の体格を生かした豪快な堀田作兵衛が見れそうなのですが、気になるのがどのくらい出演されるのかという事。架空の人物という事で、その辺りは作家の三谷幸喜さんのさじ加減ひとつなのですが(苦笑)、藤本さんがインタビューで嬉しい事をおっしゃっています。

なんとこの堀田作兵衛、大坂の陣で信繁とともに徳川軍と戦うことになる予定なのだそうです。となると、大坂に入城した信繁を慕って、いてもたってもいられずに上田から馳せ参じるという設定でしょうか。

あの藤本さんが槍を振るって徳川軍相手に大暴れする姿、様になりすぎでしょ。どんな奮闘ぶりを見せてくれるのかワクワクしてしまいますね。

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真田信尹(栗原英雄)

読みはさなだのぶただ。真田幸綱(幸隆)の四男で真田昌幸の弟。幼名は信繁と同じく源次郎。

生年は天文16年(1547年)生まれというのが有力だが、兄・昌幸と同じ年の生まれという説もあり、同母兄弟である事から昌幸との双子説もあるが定かではない。

少年期に人質として武田家に身を寄せ、甲斐の名門・加津野氏の名跡を継ぎ、加津野信昌と名乗る。武田信玄による北条家の深沢城攻めにおいては、猛将として有名な深沢城主・北条綱成の旗指物を奪い取るほどの戦功を挙げ、深沢城を落とす功労者であったと伝えられている。

武田勝頼が天目山で自害し、武田家が滅亡した後は性を真田に戻し、名を信尹と改め北条氏に臣従する。その後、徳川家に仕える。その際、北条氏から徳川氏に主を変えた昌幸と徳川家康の仲を取り持ったとされている。

その後徳川家を去り浪人となった後に蒲生氏郷に仕える。氏郷死去後は再び徳川家に戻って4000石を賜る。

以降は寛永9年(1632年)に死去するまで徳川家に仕え、信尹の家系は旗本として明治維新まで残り、現在でも続いている。

 

真田一族の凄さを垣間見せてくれる人物ですね。

偉大なる兄・昌幸に隠れていますがこの人物もなかなかの人です。北条家一の武勇を誇る綱成の旗を奪った事からもそれは明らかですね。恐らく武田家が滅びていなければもっと名を高めた武将であったことは間違いありません。

この信尹は終生真田本家の家臣になる事はありませんでしたが、真田家の外から昌幸を支援し続けた人物だと伝えられています。徳川家康と昌幸の仲を取り持ったのは有名ですが、それ以外にも他家にいるからこそ知りえる情報などを本家の昌幸に知らせていたと言われており、昌幸の貴重な情報源としての役割を担っていたようです。

そしてこの信尹の最も有名な逸話が大坂の陣の際の信繁説得です。大坂の陣の折、豊臣方についた信繁を10万石を与える条件で徳川方に引き抜く役割を家康から託されたのがこの信尹だったという話があります。信繁は固辞して豊臣家に殉じるのですが、信尹に対する家康の信頼を伺わせるエピソードですね。ちなみにこの説得役を務めたのは信繁の兄・真田信之であるという説もあります。「真田太平記」では信之説得説を採用していますが、この「真田丸」ではどっちを採用するのでしょうか。

ともかく、有能な人物であったことは間違いありません。このドラマにおいても影ながら昌幸をサポートする切れ者として描かれるのではないでしょうか。

演じるのは栗原英雄さん。大河ドラマは初出演であり、テレビドラマ出演もこの「真田丸」が初となるそうです。

1965年生栃木県生まれで、1984年に劇団四季に入団。数々の舞台をこなして2009年に退団後は映画、舞台で活躍していらっしゃる俳優さんです。三谷幸喜さんの作品を見る一つの楽しみが、こういった実力派の俳優さんを知る事が出来るという事ですね。

恐らくこの「真田丸」では最初から最後まで真田家に関わってくるこのまだ無名な信尹をどんな色に染めてくれるのか楽しみですね。

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