【真田丸ネタバレ】真田一族 信幸と稲の子・真田信政、こうの子・真田信吉、梅の子すえと夫・石合十蔵

祖父・真田幸隆(一徳斎)、父・真田安房守昌幸、子・真田伊豆守信幸(信之)、真田左衛門佐信繁(幸村)と続く真田一族。

ここでは信之・幸村の子どもたちの世代の人々をご紹介したいと思います。

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真田信政(さなだのぶまさ) 演:大山真志(おおやままさし)

真田信政の略歴

信濃松代藩第二代藩主。官位は従四位下・侍従。

父は信濃上田藩・松代藩の初代藩主・真田信之。母は正室の小松殿(稲姫)

慶長二年(1597年)に真田家嫡男の真田信幸の次男として生まれる。

上田藩主として父・真田信之が徳川家の大名に列せられると、信政は次男でありながら正室の子という事もあって、信之の後継者として育てられる。

慶長十九年(1614年)には父・信之の代わりに大坂の陣に徳川軍として参戦するが、豊臣方に敗走の憂き目にあうなど、これといった戦果は残せなかった。

寛永十六年(1639年)には、甥の熊之介の死去によって沼田藩主の座に就く。沼田藩主になった信政であったが、松代藩主の座は信之が担っており、これに不満を持っていたといわれている。

明暦二年(1656年)信之から家督を譲られ、60歳にしてようやく念願の松代藩主の座に就くが二年後の明暦四年(1658年)に死去。享年62。

高畑裕太さんの後任の真田信政役は舞台俳優の実力派・大山真志さん

真田信政と信之の確執は有名な話であり、信政はなかなか藩主の座を譲らない信之に対して、後継者は分家になるのではと疑心暗鬼になっていたといわれています。信政死去に際しての遺言状にも父であり先代でもあった信之の事については一言も触れられておらず、人徳に厚いといわれた信之でさえも激怒したと伝えられています。

しかし実際には信之は何度も幕府に隠居願を出していましたが、徳川幕府が許可しなかったという事が原因であり、それだけ信之は徳川家に信頼されていたという証にもなるのです。まあ親子関係が難しいというのは、古今東西に限らずということですかね(苦笑

真田丸での幼名は百助であった真田家二代藩主を演じるのが大山真志(おおやままさし)さん。大河ドラマは初出演となります。

大山さんはこれまで舞台を中心として活躍してきた俳優さんです。そのキャリアは15年以上。まさに舞台・ミュージカルで実力を蓄えてきたバリバリの実力派です。

テレビドラマ出演はこの真田丸が二本目という事になります。ミュージカルといえば、豊臣秀次役の新納慎也さんが大ブレイクしましたが、この大山さんも身長182cmの長身に甘いルックス、ブレイクの要素を十分に感じさせる華を持った俳優さんです。

高畑裕太さんの降板などで紆余曲折のあったこの真田信政役ですが、是非ともそんな雑音を振り払う真田信政を見せてほしいですね。

真田信吉(さなだのぶよし) 演:広田亮平(ひろたりょうへい)

真田信吉の略歴

上野沼田城主。官位は従五位下・河内守。

父は真田信之で母は側室・清音院(真田丸劇中ではこう)の長男として生まれる。生年については文禄二年(1593年)説や文禄四年(1595年)説、慶長元年(1596年)説などがあり、ハッキリとは分かっていないが、慶長二年(1597年)生まれの真田信政よりも年長であることは間違いない。

慶長十九年に勃発した大坂の役では弟の信政とともに豊臣軍と戦うが、敗戦して敗走したといわれている。

大坂の陣後の元和二年(1616年)には父・信之から分家として上野・沼田城3万石を譲られて初代沼田城主となった。

寛永四年(1627年)には徳川幕府の重鎮である酒井忠世の娘・松仙院を妻として迎える。

寛永十一年(1634年)に若くして死去。沼田城主の座は弱冠3歳の側室との子である熊之助が、叔父である真田信政を後見役として継ぐこととなった。

キャリア十分の広田亮平が4度目の大河出演で真田信吉役に

真田丸では幼名を仙千代と名付けられた真田信吉。父・信之よりも50年以上も早くにこの世を去った信之の長男です。

信政が本家である信濃松代藩を継ぎ、この信吉が上州沼田を守ったという事ですね。本来であれば長男である信吉が本家である松代藩の後継者となっても良さそうなものなのですが、そこは側室の子である悲哀。やはり本家は正室の子が継ぐという事になったという事です。

父・信之は93歳という当時では考えられない長寿で天寿を全うするのですが、この信吉は40歳そこそこで早逝。沼田城の後継者となった熊之助も7歳で亡くなっています。熊之助の逝去後、沼田藩は信吉の次男である真田信直と本家の真田信政に分割される事となりました。

若くしてこの世を去った真田信之の長男・信吉を演じるのが広田亮平さん。まだ19歳の広田さんですが、大河ドラマは2006年の「功名が辻」、2014年の「軍師官兵衛」、2015年の「花燃ゆ」に続いて、三年連続四度目の出演となります。

4歳から演劇をはじめて6歳にはデビューを飾っている広田さんは芸歴的にはすでに中堅俳優ほどのキャリアを誇る実力派です。映画でも「二十世紀少年」や「GOEMON」など数々の話題作に出演、特に「GOEMON」での主人公石川五右衛門の少年時代は印象に残っていますね。

演技的には何の心配もないでしょう。兄信政、そして従兄妹である真田大助との3ショットが揃う事は果たしてあるのでしょうか。というかあって欲しいですね。三人が見事な若武者ぶりになること請け合いです。


すえ(阿菊/おきく) 演:恒松祐里(つねまつゆり)

すえの略歴

父は真田昌幸の次男・真田信繁で母は信繁の側室であった堀田興重(作兵衛)の妹(真田丸では梅)であったといわれている。同母妹に於市がいる。

生年は不明であるが、父・信繁が上杉景勝の元に人質として出される天正十三年(1585年)以前に生まれたといわれている。

関ヶ原の戦いにおいて父・信繁は祖父・昌幸と共に石田三成率いる西軍に味方して敗れ、紀州九度山へと流罪になったが、すえは叔父の堀田作兵衛の養女となって上田に残る。

大坂の陣で義父・作兵衛は真田信繁の元で徳川軍と戦ったが、それより前にすえは信濃小県の長窪宿の地元有力者である石合十蔵重定の元へと嫁いでいたため、上田に残っていた。

大坂の陣後は徳川に歯向かった作兵衛の息子である堀田又兵衛を夫の十蔵と共に匿っていたといわれている。

寛永十九年(1642年)に死去。

スカッとジャパンなどで活躍中の恒松祐里さんが演じるすえ

真田信繁若かりし頃の上田在住時代に生まれたのがこの阿菊です。子だくさんであった信繁の子たちの中では長子であったといわれています。

養父堀田作兵衛の死後は謀反人の子である義弟の又兵衛を匿ったという、信繁譲りの肝の据わった女性であったことを伺わせる実話も残っていますね。

実は寛永十六年(1639年)にすえと夫の十蔵が又兵衛を匿っていたことが幕府に知られる事となるのですが、すでに大坂の陣から20年以上経っていたという事もあって、石合家は罪に問われる事もなく何事もなく済んだといわれています。この時には徳川幕府内でも重鎮として一目置かれていた叔父の信之が裏で動いたかもしれませんね。というより、恐らく何らかの根回しをした可能性は非常に高いでしょう。

真田信繁が上田に残した忘れ形見、すえを演じるのが恒松祐里さん。大河ドラマは初出演となります。

この恒松さんも子役出身の女優さんであり、まだ18歳の若さながら俳優としての経歴は10年以上になる女優さんです。最近ではフジテレビの人気番組「痛快TVスカッとジャパン」の再現ドラマなどでもお馴染みの女優さんですね。

信繁と梅の血を受け継ぎ、芯の強いすえを実力派の若手女優さんがどう演じるのか楽しみですね。

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石合十蔵重定(いしあいじゅうぞうしげさだ) 演:加藤諒(かとうりょう)

中山道六十九次の二十七番目の宿場町である信濃国・長窪宿(現・長久保)の本陣である有力庄屋。名は石合十蔵道定とも。

真田幸村の長女・すえを妻として迎えたといわれており、すえの身を案ずる真田幸村からの書状が現在にも残っている。

 

江戸時代の長窪は中山道の宿場町として栄えており、宿屋は50近くあったといわれています。本陣とは宿所ではあるのですが、いわゆる一般の旅籠とは違って、一般の宿泊者を泊める施設ではありません。

本陣とは大名や旗本、幕府役人など、中山道を往来する高級身分の人たちが泊まる場所であり、本陣は名主や問屋など、その地域の有力者である人たちの家となる事がほとんどでした。つまり、身分の高い人の泊まる地元有力者の家の事を本陣と呼んだのです。

つまり、石合十蔵は長窪を代表する有力者であったという事ですね。

すえの夫・石合十蔵重定を演じるのが、今や俳優としてだけではなく、バラエティなどでも大ブレイク中の加藤諒さん。大河ドラマは初出演となります。

加藤さんといえばぶっとい眉毛が印象的な濃いキャラクターでバラエティに引っ張りだこなのですが、デビューはあの大人気バラエティの「あっぱれさんま大先生」なのです。内山信二さんらを送り出した伝説の番組ですね。

10歳でデビューした加藤さんはNHK朝の連続テレビ小説「こころ」に出演するなど、子役としても順調にキャリアを積んできました。そして昨年からその特異なキャラを生かしてバラエティを中心に大活躍しています。

しかし俳優としても実力派であり、この真田丸ではその実力をいかんなく発揮してくれることでしょう。この真田丸を機に、もっともっと時代劇で見たい俳優さんですね。ルックス的には時代劇ピッタリでしょ(笑

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