[NHK大河ドラマ]ムロツヨシの遠江商人・瀬戸方久(せとのほうきゅう)と井伊谷徳政令や今川・徳川との関係

2017年のNHK大河ドラマは「おんな城主 直虎」ですが、もちろん遠江国井伊谷に本拠を置いた井伊氏の物語です。

徳川四天王と呼ばれた井伊直政(虎松)が有名になる以前の井伊氏の物語という事で、歴史的にあまり大きく扱われなかった人物たちもたくさんスポットライトを浴びることとなるでしょう。

今回ここでご紹介する瀬戸方久(せとほうきゅう)も今回の大河ドラマをきっかけとして一般的にも大きく知名度を上げていくこととなる人物となることでしょう。

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瀬戸方久(せとほうきゅう)の略歴

遠江国の郷士、武将、商人。井伊氏、今川氏、徳川氏に仕えたといわれている。名は始め松井平兵衛から瀬戸氏、そして祖先の名である新田氏を称したという。別名に四郎右衛門など。“せとのほうきゅう”との呼び名も。

大永五年(1525年)に遠江国で郷士として生まれたとされる。遠江国引佐郡瀬戸村にルーツを持つ郷士として同じく遠江国井伊谷の領主、井伊氏とはつながりが深かったといわれており、井伊氏の庇護を受けて商いに従事し、郷士から豪商へと成長を遂げた。

その証拠に永禄九年(1566年)に井伊氏の次郎法師(井伊直虎)が建立した福満寺の梵鐘に際しては四郎右衛門として名を連ねており、鋳造の際の資金繰りにも大きな貢献をした。

天文十五年(1546年)には遠江国引佐郡祝田村に移り住み、永禄元年(1558年)には気賀村へと移ったといわれている。

永禄九年(1566年)、井伊氏ら遠江国の国人たちの領主となる今川氏真は遠江国内の井伊谷や瀬戸村に徳政令を発布した。これに難色を示した井伊氏は徳政令を実施しないという行動に出る。

この件を機に瀬戸方久は井伊氏に近い立場から井伊氏の主家にあたる今川氏真への接近を試み、軍事調達を請け負う交換条件として自身の資産を徳政令の対象外とすることを今川氏真から保証されていたとされる。

結局徳政令は発布から二年後の永禄十一年(1568年)に実施されたのだが、瀬戸方久はその間に堀川城主となり、姓も祖先の清和源氏新田氏由来の新田姓へと戻した。

永禄十一年(1568年)末からの徳川家康の遠江侵攻の動きでは、いち早く今川を離反して徳川へつく動きを見せるが、今川派の反対に阻まれ、これを機に城を脱出して山中で隠棲したという。

その後は遠江国気賀宿近くの呉石で自適の生活を送っていたが、慶長十一年(1606年)に以前に訴えた訴訟の内容が不当であるとの罪で処刑された。享年82。


郷士、商人そして城主へ‥新田義貞の末裔・瀬戸方久の出世人生

なかなかにつかみどころのない人物だなあというのが、この瀬戸方久という人物の第一印象ですね(苦笑)。

それは上記した瀬戸方久の略歴を見てもらえればお分かりいただけるかと思います。

元々は遠江国の郷士として生まれた人物ですが、その後は商人として名をあげ、豪商となり、最終的には戦国武将として城主にまでなった人なのです。

さらにその出自を辿ると、南北朝時代の建武の新政などで足利尊氏や楠木正成などとともに有名な新田義貞の一族であり、そのルーツは上野国にあるという事なのです。

この瀬戸方久が出世した当時は戦国時代の真っただ中であり、誰でも出世のチャンスのあった時代であったという事は、下級武士出身から天下を取った豊臣秀吉の存在が如実に物語っている通りです。

そういう意味では一介の郷士に過ぎなかった瀬戸方久もこの下剋上である意味なんでもありという、戦国時代というカオスの時代の波に乗って台頭してきたニューカマーであるという見方もできるのでしょうね。

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徳政令(とくせいれい)とは?井伊氏、今川氏、徳川氏を渡り歩く豪商の先見性

この瀬戸方久という人物ですが、生き馬の目を抜くといわれる戦国時代でのしてきた人間だけあって、なかなか一筋縄ではいかない人物だったようです。

しがない郷士であった瀬戸方久が商人として頭角を現し、豪商とまで呼ばれるほど成功に至ったきっかけは、瀬戸方久の地元国人領主であった井伊氏だったといわれています。井伊氏の庇護を受けて様々な仕事を依頼されて成長した瀬戸方久でしたが、最初の大きなターニングポイントは、駿河・遠江を支配していた今川氏真が井伊氏の治める井伊谷(いいのや)に出した徳政令でした。

ここで徳政令について簡単にご説明しましょう。

本当に簡単に言うと、徳政令とは「借金をチャラにする」とお上がお触れを出すことです。大人気テレビゲームの「桃太郎電鉄(通称:桃鉄)」シリーズファンでしたら徳政令は身近な言葉かもしれませんね。プレーヤーの借金を一気にチャラにして無くしてくれる「徳政令カード」は有名です。

当然借金をしていた人たちには天国のようなお達しですが、色々なところにお金を貸していた側には最悪なお触れです。特にお金を貸すことを生業としていた債権者や金融業者などにとっては死活問題となるほどの一大事でした。

今川氏真は井伊直虎に井伊谷一帯の徳政令発布を命令しますが、井伊直虎は井伊谷での徳政令実施を約2年の間拒否。これを機に瀬戸方久は井伊氏から今川氏へと立場を変えます。今川氏に取り入って自分は徳政の対象外となる特例を取り付けており、徳政令発布による被害を回避したといわれています。まあ抜け目のない、いかにも商人といううまい立ち回りですよね。

さらに徳川家康が遠江へと攻め入ってくると、落ち目の今川から勢いのある徳川へといち早く乗り換える動きを見せるなど、その権力者や時代の動きを見極める眼力や先見性はやはり超一流であるといわざるを得ません。超一流の商人には欠かせないスキルですよね。

最も忙しい人気俳優・ムロツヨシが「あばら家の男」から「瀬戸方久」へ

井伊氏と今川氏、徳川氏の間を渡り歩いて豪商として成功した瀬戸方久(せとのほうきゅう)。そんな稀代の豪商を演じるのが今や大ブレイク中の人気俳優・ムロツヨシさん。大河ドラマ出演は2012年の「平清盛」に続いて5年ぶり2度目の登場となります。

いやあ、今最も勢いと人気のある俳優さんといえるのではないでしょうか。少なくとも現在最も忙しい俳優さんの一人であることは間違いないでしょう。

俳優業ではコメディからシリアス、俳優業以外でもコントやバラエティ、さらには演出もこなすなど、その才能はまさにマルチ。それもどれもを恐ろしいほど高レベルでこなせる、天才といってもいい存在ですね。

ぶっちゃけ、その忙しさゆえに恐らくこの「おんな城主 直虎」におけるこのムロツヨシの瀬戸方久の出番はそれほど多くはないことでしょう(涙)。しかし、間違いなく爪痕は残してくれることでしょう。

というより、すでにもう一度登場してますよね。少女時代の直虎(おとわ)を助けて褒美をもらうという役柄で。あの時の役名はまだ瀬戸方久ではなく「あばら家の男」でしたが(苦笑)。この瀬戸方久の本領は、やはり今川氏真から出された徳政令を井伊家が必至で突っぱねるところでしょうね。この辺りでムロツヨシ演じる瀬戸方久がどんな立ち回りを見せるのか?今から楽しみにしようじゃありませんか。

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